第6話【異世界少年と消える???】

(どうするべきか……)



 吸血鬼ヴァンパイアの女に抱えられながら、ショウはどうすれば脱出できるか考える。


 今の時間帯は夜なのだろうか。雨粒が大量に叩きつけられる窓の向こう側は夜の帳が下り、白い稲妻が薄暗い廊下を一瞬だけ白く染め上げる。

 廊下には生徒の姿すらなく、並ぶ教室の扉は閉ざされたままだ。伽藍ガランとした物寂しげな雰囲気が、夜の学校を支配する。


 廊下をひたすら駆け抜ける吸血鬼の女は、



「アナタ、意外と泣かないわねぇ。死ぬのが怖くないのかしらぁ?」


「ない」(怖くない)



 ショウはプイと吸血鬼の女から顔を逸らして、怖くないことを主張した。


 見た目の年齢は1歳児だが、精神状態は元の15歳のままだ。

 それに、ショウには冥砲ルナ・フェルノという強い味方がいる。このお綺麗な顔面に炎の矢を浴びせてやる瞬間を今か今かと待っているのだ。若返りの魔法薬を浴びた影響で一緒に縮んでしまったが、逃げる時間ぐらいは稼げるはずだ。


 敵の前では無様に泣かない。ショウだって精神的に成長しているのである、もしこの異世界に召喚されたばかりの頃だったら怖くて泣いていたかもしれないが。



「まあいいわぁ、どのみち殺されるんだからねぇ」


「ぷぅ」(そんな訳がない、その前に貴女を焼いてやります)


「何を言ってるか分からないわねぇ」



 吸血鬼の女は楽しそうにクスクスと笑う。


 ああ、本当に上手く自分の言葉が伝えられないのは悔しい。

 若返りの魔法薬の影響で、ショウは言葉が喋れなくなっていた。喋れたとしても意味をなさない言葉ばかりで、相手に自分の意思が伝えられないことが悩みの種である。これではまともに罵倒すらままならない。


 もういっそ炎腕えんわんに自分の意思を筆談で伝えてもらうかと考えたが、冥砲めいほうルナ・フェルノに付随するあの腕たちにも魔法薬の影響が出ていない訳がない。赤子の腕によく似た炎がワサワサと出てくるだけで終わるような気がする。



「随分とねぇ、あのクソ魔女に可愛がられているようだけどぉ」


「むい?」(何だと?)



 吸血鬼の女が、あろうことかユフィーリアのことを「クソ魔女」と言ってきた。本日2度目である。1度目であっても2度目であっても変わらない、ショウにとって大切で最愛の恋人を侮辱されるのはこの世の何よりも許せないことだ。

 澄ました横顔を睨みつけ、ショウは「ふぇーの」と言う。白く縮んだ三日月――冥砲めいほうルナ・フェルノが走る吸血鬼の背後に出現し、小さな炎の矢を静かに番えた。


 何か語っているけど知ったことではない、発射である。



「いたッ、いたたたたたッ」



 背中に炎の矢がチクチクと突き刺さり、吸血鬼の女は痛みを訴えてショウを抱える腕の力を緩ませた。


 その隙を突いて、ショウは吸血鬼の腕から脱出する。

 冥砲めいほうルナ・フェルノの加護によって虚空に逃げ、吸血鬼から距離を取る。血によく似た赤い双眸でショウを睨みつけてくる吸血鬼だが、ユフィーリアを馬鹿にされたショウに怖いものなんてない。


 赤子の状態でもしっかり吸血鬼を睨み返し、冥砲ルナ・フェルノに再び炎の矢を番える。今度は眼球を狙ってやる。



「だーい」(ユフィーリアを馬鹿にしたことを後悔してください)


「何を言っているのか分からないけどぉ、敵意があることだけは分かったわぁ」



 だけど、と吸血鬼は瞬きの間でショウとの距離を詰めてくる。


 炎の矢を放つ前に、吸血鬼の手がショウの首を絞めた。

 5本の指先が容赦なくショウの喉を圧迫し、呼吸が出来なくなる。せめてもの抵抗で吸血鬼の手の甲に爪を立てるが、赤子の丸まった爪では傷さえつけられない。


 凶悪な笑みを浮かべる吸血鬼は、桜色の唇から牙を覗かせながら笑った。



「苦しそうねぇ。こんな首、簡単に折れちゃうんじゃないかしらぁ?」



 徐々に力が込められていき、頚椎なら簡単に折られてしまう勢いで絞め上げてくる。「あ゛」と口から掠れた声が漏れた。

 このままでは本当に死んでしまう。血を啜られて死ぬのではなく、首を絞められて苦しんで死んでしまう。死への恐怖が、ゆっくりとショウに忍び寄ってきた。


 赤い瞳を炯々と輝かせ、吸血鬼は長衣ローブの下に潜ませたナイフを取り出す。血糊ちのりがベッタリとこびりついて錆びた刀身は、切れ味がかなり悪そうだ。



「クソガキはさっさと死になさいねぇ、それでワタシのご飯になってちょうだい」



 錆びたナイフが握られ、今まさに切っ先がショウの腹を貫こうとした瞬間だった。





 





 鋏で何かが切断する音が、薄れゆくショウの意識を現実に引き戻した。



「あらぁ?」



 間抜けな声と同時に吸血鬼の腕がショウの首から離れ、苦しさが一瞬にしてなくなる。

 激しく咳き込むあまり、冥砲めいほうルナ・フェルノの状態が保てなくなって消えてしまう。冥砲ルナ・フェルノが消えてしまうとショウは空を飛べず、一気に重力が小さな身体にのしかかってきた。


 首を絞められる苦しさから解放されたのはいいが、このままでは床に叩きつけられて痛い思いをしてしまう。最悪の場合は打ち所が悪くてあの世行きだ、実の父親に冥府で会いたくない。



「――――ッ」



 せめて痛みを軽減しようと固く目を瞑るが、寸前で何かに抱き止められる。


 ひんやりとした体温が、ショウの身体に巻き付けられた布を通じて伝わってくる。どこかで感じたことのある心地よい体温と柔らかさだ。

 まさかユフィーリアが助けてくれたのだろうか?


 恐る恐る瞳を開くと、そこにいたのは銀髪碧眼の美しい魔女ではなかった。



「…………」



 ショウを抱きとめていたのは、真っ黒い外套コートに全身を包み込んだ誰かだった。

 頭巾で頭をすっぽりと覆い隠し、僅かに見えるのは顎の線だけ。それ以外の露出はなく、指先さえ真っ黒な手袋に包まれていた。髪の毛が零れ落ちるだろうかとじっと観察するが、不思議なことに頭巾の下は全く見えない。


 ただ、極光色オーロラの幻想的な輝きだけが認識できた。



(第七席……【世界終焉セカイシュウエン】……)



 絵本や魔導書などで見かけた存在だ。

 世界に対して役割を持つ7人の偉大なる魔女・魔法使い。そのうちの世界に終わりを与える存在として語られる、無貌の死神。終わらせる対象は世界だけに留まらず、人間や文化、国などこの世のあらゆるものに終焉を告げる人物。


 世界の誰も敵わず、たとえ偉大なる他の魔女や魔法使いでも圧倒することが出来ない、史上最強の誰か。指先1つで今ある世界を終わりに導く死神。

 そんな相手が、ショウを助けてくれたのだ。


 ショウを抱きかかえる第七席【世界終焉セカイシュウエン】は、優しくショウの頭を撫でる。黒い手袋に覆われた指先はやけに優しく、まるで子を愛する母親の如き慈悲に溢れていた。



「…………」



 指先がショウの額に触れると、





 





 頭の中に文字が浮かび上がる。


 相手が喋った訳ではない。現に第七席【世界終焉セカイシュウエン】の口は動いていない。

 ショウでも認識できる文字が、簡素な文章となって頭の中に叩き込まれたのだ。不思議な感覚に、ショウは思わず目を見開いてしまう。



「だー、あーう」(貴女は一体……)



 ショウが小さな手を第七席【世界終焉セカイシュウエン】に伸ばすと、





 





 その前に、第七席【世界終焉セカイシュウエン】はショウを廊下に座らせる。


 名残惜しそうにショウの頭を撫でた第七席【世界終焉】は、改めて吸血鬼へ向き直っていた。

 吸血鬼の腕は、手首から切断されていた。地面に落ちたはずの女の手はピクリとも動かず、切断面から血も流れない。「すでに死んでいる」と学院長は言っていたが、やはりただの吸血鬼ではなく吸血鬼ゾンビであることが再確認できる。



「な、何よぉ。第七席が何の用なのぉ!?」



 吸血鬼ゾンビは錯乱したように喚く。

 ショウと同じように、頭の中へ文章が叩き込まれたのだろうか。彼女は頭を押さえて「え、え?」と周囲を見渡していた。あの感覚は奇妙で、一体どういう仕組みなのか疑問に思えてしまう。


 ゆっくりと首を横に振った吸血鬼ゾンビは、



「嫌よ、嫌……ワタシはまだ死なないわ……死にたくないわぁ!!」



 吸血鬼ゾンビはくるりと踵を返すと、第七席【世界終焉セカイシュウエン】の前から脱兎の如く逃げ出す。


 対照的に、第七席【世界終焉】は追いかけない。逃げる吸血鬼ゾンビの背中をただ眺めているだけだ。

 遠くなっていく吸血鬼ゾンビの背中に右腕を掲げ、それから――。





 





 鋏の音がした。

 第七席【世界終焉セカイシュウエン】の手に握られた、銀製の鋏が音源だった。曇りも錆もない、螺子ねじの部分が雪の結晶となった綺麗な鋏である。


 確か、あの鋏はユフィーリアが持っていたものではないか?



(悪いものも切れるって言っていた、ユフィーリアの鋏……)



 初めて見たのは、まだこの世界に召喚したばかりの頃だ。

 悪夢に魘されていたショウの悪縁を断ち切ってくれたのが、あの鋏である。ユフィーリアが愛用している雪の結晶が刻まれた煙管が鋏の形に変わって、彼女は笑いながら「昔に拘ったものだ」と言っていた。


 その特別な鋏が何故、第七席【世界終焉セカイシュウエン】が持っているのだろう。



「嫌……え、ぁ、やだ、いやあッ」



 吸血鬼の悲鳴が耳朶を打つ。


 彼女の身体は、徐々に透けていた。足元からゆっくりと消えていき、透明になって、この世界から存在が削除されようとしていた。

 未知なる恐怖に慄く吸血鬼ゾンビは、滂沱の涙を流しながら第七席【世界終焉セカイシュウエン】に懇願する。



「やめて、嫌よ消さないで、ワタシはまだ、まだぁ……」



 ぷつん、と彼女の命乞いは呆気なく潰える。

 もうすっかり存在は消えてなくなり、伽藍とした廊下には第七席【世界終焉セカイシュウエン】とショウの2人しかいない。大勢の子供を殺して血液を啜ったとされる悪逆非道の吸血鬼は、もうこの世界から消えてしまった。


 誰もいなくなった廊下をぼんやり見つめていた第七席【世界終焉】は、くるりとショウへ振り返る。それからショウの瞳を手で覆うと、





 





 頭の中に文章が浮かび上がって、何かを断ち切る音がした。





 ――




 気がつくと、ショウは廊下に1人で座り込んでいた。


 誰かがいたようだが、それも覚えていない。頭の中に靄がかかったような感覚がして、記憶が定かではない。

 どうしてこの場に1人でいるのか、どうして誰もいない場所で座り込んでいるのか、ショウには検討もつかなかった。



「ふえ、ええッ、ええええ」



 ひとりぼっちが寂しくて、悲しくて、ゆるゆるのガバガバになってしまった涙腺が早くも決壊を迎えてしまう。

 ボロボロと零れ落ちる涙を小さな手のひらで拭うも、止める術をショウは知らない。先程までは泣かなかったのに、何故今になって涙が出てくるのだろうか。


 耐えきれなくなって泣き叫ぶ寸前のこと、誰かの手がショウを抱き上げた。



「こんなところにいた」



 ひんやりとした体温と柔らかくて優しい手、視界の端で揺れる銀色の髪は夜の帳が下りた廊下に幻想的な光を伴って煌めく。涙で濡れたショウの頬を黒い手袋が覆う指先で拭い、優しげな光を湛えた青い瞳が真っ直ぐに見つめてくる。

 ユフィーリア・エイクトベル――ショウの大切な、世界で1番優しい魔女。目の前に最愛の恋人がいるだけで、涙が自然と引っ込んだ。


 ポンポンと背中を撫でてあやしてくれるユフィーリアは、



「どうした、ショウ坊。勝手に1人でどこかに行って」


「あー、えー?」(……そうだっただろうか?)


「夜の散歩は終わりだぞ。いくら冥砲ルナ・フェルノがあったって危険なんだからな」



 ユフィーリアに抱かれながら、ショウはふと自分の行動を振り返る。

 本当に自分はここまで1人で来たのだろうか。誰かと一緒ではなかったか。胸の奥で何やらモヤモヤとした感情がわだかまっているが、それに名前をつけることが出来ない。


 ただ覚えているのは、



(第七席……【世界終焉セカイシュウエン】……あの鋏は)



 黒い外套コートに身を包んだ七魔法王セブンズ・マギアスが第七席【世界終焉セカイシュウエン】――顔のない死神が手にした銀製の鋏。螺子ねじの部分が雪の結晶となり、曇りも錆もない代物。

 あれはユフィーリアの所有物だったはずだ。なのに何故、第七席【世界終焉】が持っているのだろうか?


 あの鋏は、果たして誰のもの?

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