第14章:吸血鬼は甘い血を好む〜問題用務員、殺人冤罪事件〜

第1話【問題用務員と嵐の予感】

 カタカタカタカタ、と何かが揺れる音が耳朶に触れた。



「ん?」



 硝子製の壺内で揺れる白蓮の花を、膝の上に乗せた赤子のショウと一緒に観察をしていたユフィーリアは音に反応を示した。

 膝の上に行儀良くお座りしていたショウも、カタカタという音を確かに聞いたようだ。周囲に赤い瞳を巡らせて「んー?」とユフィーリアと同じく首を傾げている。


 風の音でもなければ扉が叩かれる音でもない。どこか不思議な音だ。



「チッ」



 アイゼルネとハルアを相手に絵本の読み聞かせをしていた和装美人――キクガが、何故か唐突に舌打ちをする。心底嫌そうな表情だった。自分たちは何か悪いことをしてしまったのだろうか、と脇に行儀良く座っていたアイゼルネとハルアが顔を青褪めさせる。


 しかし、キクガが舌打ちをしたのはアイゼルネとハルアの態度が悪かったことが原因ではない。

 長椅子ソファの上に放置されていた巾着袋を手繰り寄せ、手のひらの上に乗る程度の頭蓋骨を取り出した。誰の頭蓋骨か分からないが、カタカタカタカタと顎が上下に揺れている。


 キクガは顎を揺らす頭蓋骨の額部分を指先で突くと、



「はい、アズマです」


『キクガよ、有休消化中に悪いのだが緊急事態が発生した』


「そうですか。では」



 頭蓋骨の額部分を指先で押すと、手のひらに乗せられた頭蓋骨が僅かに揺れると同時にプツリと声が途絶える。

 今、頭蓋骨を通じて別の誰かの声が聞こえてきた。喋り口調から判断してキクガの上司――つまり冥府を統治する王様である冥王ザァトだ。相手は上司にも関わらず、キクガは雑に通信を叩き切ったのだ。


 すかさず頭蓋骨がカタカタカタカタと揺れ始め、冥王ザァトからの連絡を受信する。じっとキクガは嫌そうに頭蓋骨を眺めていたが、やがて観念したように頭蓋骨の額部分を指先で小突いた。



『いきなり通信を切るな、興奮してしまうだろう』


「私は有休消化中の身ですが、冥王ザァト様。冥府の福利厚生はどうなっているのです?」


『いやだから非常に申し訳ないと思っている……とにかく話を聞け』


「お断りします」


『興奮した』


「この変態が」



 キクガと頭蓋骨を通じて喋る冥王ザァトのやり取りが面白くて、ユフィーリアは笑いを堪えるのに必死だった。膝の上に乗せたショウがガクンガクンと揺れるので、どこか不機嫌そうにユフィーリアの銀髪を引っ張って「ふぃー、や!!」と訴えてくる。

 ちなみに彼の側にいるアイゼルネとハルアはすでに手遅れだった。2人揃って長椅子ソファに寝転がり、あまりの面白さにぷるぷると震えていた。声を出さないように必死の様子で、顔を真っ赤にしながら手で口を押さえている始末である。窒息しないのか、あれは。


 大爆笑の渦に周囲を容赦なく叩き落とすキクガだが、彼は至って真面目に上司たる冥王ザァトとやり取りを繰り広げる。



「大体、私が冥府に戻らなければならない理由は何ですか。所定の仕事はきちんと終わらせました、引き継ぎに関しても問題はないはずですが」


『だがなキクガよ、予定外の死者が出現してしまってな。死者蘇生魔法ネクロマンシーの申請待ち故に、彼らの対処を頼みたいのだ』


「それぐらい他の裁判を後回しにしてもいいから冥王様がやればいいのでは?」


『いやそれだと我も怒られてしまうから……色々な方向に怒られてしまうから……』


「それぐらい何だと言うのです。興奮するのではないんですか」


『正直めちゃくちゃ興奮する』


「やはりど変態か」



 はあー、と深いため息を吐いたキクガは、



「分かりました、戻ります」


『分かってくれたか』


「その代わり、冥王様の仕事を3倍ぐらいに増やします。お覚悟を」


『え、それって』


「3日間は眠れないと思ってくださいね。それでは失礼いたします」



 問答無用で頭蓋骨の額部分を指先で弾き、通信を強制終了させた。

 話の内容から判断すると、冥府で緊急事態が起きたから冥王第一補佐官であるキクガに戻ってきてほしいということだろう。有能な補佐官だからこそ現場に求められるのだ。いい傾向だと思うべきなのか。


 広げていた絵本を閉じたキクガは、



「すまないな、アイゼルネ君とハルア君。急用が入ってしまったので、絵本の読み聞かせはここまでにしてくれないかね」


「面白いやり取りが聞こえたから、おねーさん的にはいいワ♪」



 キクガから絵本を受け取ったアイゼルネは、ハルアに「続きはおねーさんが読んであげるわネ♪」などと途中から絵本を広げていた。



「親父さん、帰んのか?」


「ああ、本当にすまない」



 ユフィーリアが抱き上げるショウの小さな頭を撫でたキクガは、



「ショウ、私は仕事に戻る。君はちゃんとユフィーリア君の言うことを聞いて、なるべく危ないことを控えて過ごしなさい」


「あい」



 小さな手を目一杯に伸ばし、ショウは仕事に戻らんとするキクガを送り出す。



「とーしゃ、いてらしゃ」


「仕事に行きたくない」


「分からんでもないけど」



 真顔で「仕事に行きたくない」と言うキクガの背中をポンと叩いてやるユフィーリアは、



「じゃあサボるか? 冥王様なら殴れば言うことぐらい聞くんじゃねえの?」


「いや……死者蘇生魔法ネクロマンシーの申請業務手続きは私が引き受けている作業な訳だが。他人にやらせても結局のところ申請許可を出すのは私だ、ならば私が最初から手続きをした方が早い訳だがね」


「ああ、親父さんがやってたんだな死者蘇生魔法の申請手続きって」



 どこか遠い目をするキクガに、ユフィーリアは肩を叩いて「じゃあ仕方ねえなァ」と言うしかなかった。


 死者蘇生魔法ネクロマンシーの申請手続きとは、その名の通り死者蘇生魔法を使用する際に対象者の魂を冥府から呼び戻す手続きである。この申請が通って、初めて死者蘇生魔法の使用が許可されるのだ。

 さらに死者蘇生魔法には色々と制約がついて回り、死体の損耗率が3割未満でなければならなかったり、死体を棺の中に閉じ込めて『死者』と認識して云々などの手順が必要なのだ。面倒なことこの上ない魔法である。


 ユフィーリアも死者蘇生魔法の申請を何度かしているが、あの申請手続きはキクガが担当していたのか。道理で昔より申請許可が早くなったものである。



「君は以前、ヴァラール魔法学院の生徒を対象に申請書を提出してきた訳だが」


「購買部の手伝いに駆り出された時、アイゼとショウ坊に暴言を吐いた生徒の処理をハルに任せたんだよ。手加減が出来ねえから半殺しどころじゃ済まなくなって、死者蘇生魔法ネクロマンシーの申請手続きをする羽目になってな」


「ほう……?」



 キクガの声が明らかに低くなる。

 それもそのはず、彼は息子を溺愛する立派な父親である。接する期間が短かった影響か、愛息子に悪影響を及ぼす連中に対しては容赦がない。


 ユフィーリアは「あ、やべえ」と事実を明かしてしまったことに後悔を覚えるが、時すでに遅し。



「ユフィーリア君の申請書を漁れば個人名は特定できるか。仕事が片付き次第、少し話をさせてもらおうではないか」


「いやァ、あの親父さん。もういっぺん死んでるんで、その、出来ればお慈悲を……」


「慈悲? 慈悲をくれてやる必要がどこにある?」



 首を傾げるキクガは、



「もちろん冥府で折檻するとも。クレーマーというものはだな、暴力で捩じ伏せて然るべきな訳だが。奴らは相手を弱者と認定すれば大きな顔で文句を言いたい放題だが、強い相手ではヘコヘコと頭を下げる他はない。1度、どちらが強者であるか示すべきだと思わないかね?」


「親父さん、妙に詳しいけど経験者か?」


「生前に少しな。まあ私の話はどうでもいい訳だが」



 ショウとアイゼルネに暴言を吐きまくったが、結果的に彼らには傷1つ負わせることが出来なかった労力の無駄遣いなクレーマー生徒たちの2度目の死が確定した瞬間だった。ユフィーリアは静かに合掌し、ショウは「んぅー?」と不思議そうに首を傾げている。



「ほら親父さん、早く行かねえと」


「ああ……」



 キクガは重いため息を吐くと、



「ユフィーリア君、息子のことを頼んだ」


「おう、任された」



 親指を立てて応じるユフィーリアにキクガは小さく微笑むと、足早に居住区画を立ち去った。遠くの方で下駄がカラコロと鳴る音が聞こえていたが、用務員室の扉が閉ざされると同時に聞こえなくなってしまう。

 冥府へ戻るまでどれほど時間がかかるだろうか。冥府転移門を使えばすぐに戻れるだろうが、多く見積もっても10分程度ぐらいか。


 ユフィーリアはショウを長椅子ソファに座らせ、



「アイゼ、ショウ坊も一緒に混ぜてやってくれ」


「いいわヨ♪」


「だーい!!」



 ハルアも大歓迎している様子である。


 ユフィーリアはショウをアイゼルネとハルアに安心して預け、さて夕食の支度をするかと腰を上げる。今日は子供が3人もいるので、子供向けの食事内容にした方がいいだろうか。

 食糧保管庫を開けて備蓄している食材を確認していると、



 ――ゴロゴロ、ピシャーン!!



 窓の外で雷が落ちた。


 見れば窓の外に大量の雨粒がぶつかっている。時間の感覚がないと思っていたが、雨雲が原因だったようだ。

 雷の音に驚いたらしいアイゼルネ、ハルア、ショウの3人も雨粒が大量にぶつかる窓をじっと眺めたまま動かない。落雷の音が怖いのだろう。



「あーあ、雨が降ってきやがった」



 まあ魔法で洗濯をしているので雨にやられて洗濯物が濡れるということはないが、雷は怖いものだ。あれは下手をすれば死人が出るような代物である。


 この雷雨の状況だが、夕飯の買い出しに出かけたエドワードは無事だろうか。彼は雷の音が非常に苦手なので、屁っ放り腰になりながら廊下でべしょべしょ泣いていないか心配である。

 ただ、ユフィーリアもアイゼルネ、ハルア、ショウの面倒を見なければならない。アイゼルネは足が不自由だし、ハルアとショウは赤子同然の年齢まで若返った状態だ。彼らを放っておくことは出来ない。


 ここは仕方がない、自力で頑張って帰ってきてもらおう。



「お?」



 すると、ドンドンドンドンドン!! と荒々しいノック音がユフィーリアの耳朶に触れた。


 噂をすれば何とやらである、買い出しに出かけたエドワードが帰ってきたのか。

 扉は子供たちに危険が及ばないように施錠魔法が自動でかけられるように設定されているので、キクガが出て行ってから自動的に施錠魔法がかかってしまったのだろう。扉は開かない設定になっているので、扉を叩いて知らせるしかない。


 居住区画の扉から顔を覗かせ、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を一振りして施錠魔法を解除した。



「――ユフィーリア、君って魔女は!!」


「うわ、お前かよ」



 扉を蹴飛ばさん勢いで開け放ったのは、学院長のグローリア・イーストエンドだ。何か事件があったのか、その紫色の瞳はキッと吊り上がっている。


 ユフィーリアは自分の記憶を辿って心当たりを探す。

 今日の事件に関してはすでに説教済みだし、解除薬の調合をする為に白蓮の花を育てている最中である。怒られるようなことはこれ以上にしていないはずだが、他にも何かしてしまっただろうか?


 首を傾げるユフィーリアに、グローリアは怒声を叩きつける。



「君、とうとうやったね!!」


「はあ? 何がだよ」


「殺人事件さ!!」



 怒りの形相のまま、グローリアは言葉を続けた。



「君が若返りの魔法薬を食らわせた犠牲者の先生たちが、全員殺されていたんだよ!!」

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