第8話【教職員と???】

 問題児には困ったものだ。



「はあー……」



 ヴァラール魔法学院の教職員であるエドナ・アルフォードは、深々とため息を吐きながら広げていた魔導書から顔を上げる。


 魔導書の上に置かれた小さな手は、明らかに子供のそれだ。傷跡やささくれなどがない生っ白い手である。

 問題児による若返りの魔法薬の餌食になってしまい、エドナは本日の授業を切り上げて教員寮で待機するように命じられてしまった。エドナの他にも犠牲者は20人以上もいるようで、いつもは静かな教員寮が賑やかだ。


 読み込んでいた魔導書を閉じると、革製の表紙に金色の文字で刺繍された題名が目に飛び込んできた。『魔法薬学大全集』とある。魔法薬学は自分の担当科目でもあるのだ。



「もんだいじめ、きょうのじゅぎょうができなくなってしまったではないか。ただではすまんぞ」



 エドナの脳裏に、悪魔のような笑みを浮かべる銀髪碧眼の魔女の姿がよぎった。


 問題児筆頭と名高い銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは、天才的な魔法の才能を持ちながらも自分の欲望の為にしか使わない残念な魔女だ。かつてヴァラール魔法学院の生徒だったエドナも、彼女の問題行動に幾度となく巻き込まれたものである。

 教職員として採用されてから、問題児たちの問題行動に巻き込まれる確率が上がった気がする。頼んだ魔法植物とは違った魔法植物を用意されて魔法薬の大事故が勃発したり、魔法薬学室を勝手に占拠された挙句、貴重な資材も思う存分に使われて多大な損失を被ったりと学生の頃と比べて被害が尋常ではない。


 何故、未だにヴァラール魔法学院の用務員として在籍できているのか不明だ。学院長を脅しているのだろうか?



「やつらをしっきゃくさせるのはしなんのわざだな」



 エドナは短くなってしまった腕を組み、おおよそ子供らしくない難しげな表情を浮かべる。


 普段の問題行動が目立つけれど、用務員連中の才能は確かなものだ。エドナなど足元に及ばないほどの高い才能がある。普段からその才能を他人の役に立つよう発揮すれば周囲から評価されるのに、彼らは『面白い』か『面白くない』かでしか物事を判断しない。

 それがエドナにとって腹が立つほど憎らしかった。エドナがどれほど努力しても到底及ばないほどの才能を持っているのに、馬鹿な行動しか起こさない問題児が大嫌いだった。


 彼らをヴァラール魔法学院から追い出すのは至難の業だ。追い出すことが叶えば名門魔法学校としての名誉が回復するだろうが、連中がタダで優良な職場を手放すとは思えない。



「…………かんがえごとをしていたら、はらがへったな」



 ぐうー、とエドナの胃袋が空腹であることを訴えてくる。


 そういえば、あれからどれほどの時間が経過したのだろうか。

 自室の壁に掲げられた時計を見上げれば、時刻は夕方になろうとしている頃合いだった。窓から差し込む陽の光がいつのまにか消えており、分厚い雨雲が空を覆い隠している。



「どうりでじかんのかんかくがくるうわけだ。これではよるとさほどかわらんではないか」



 真っ黒な雨雲は、今にも土砂降りになりそうな雰囲気がある。窓を開ければ微かに雨の匂いがした。


 朝から教員寮で待機を命じられたので、昼食を取り損ねていた。この姿でも別に出かけても問題はないだろう。魔法もある程度なら使えるし、問題児がこれ以上に問題行動を起こせば今の姿を活用して学院長に泣きついてやろう。

 学院長は常識的な魔法使いなので、きっと問題児たちに厳しい罰を与えてくれるはずだ。子供に暴力を振るったという事実があれば失脚を狙えるかもしれない。


 椅子から飛び降りたエドナは、自分の小さくなってしまった身体に巻き付けられたダボダボの服を見やる。



「これではみすぼらしいな」



 子供の姿まで若返ってしまった影響で、持っている衣服が全て合わないのだ。子供服を身につけるのも精神状態は元のままなので、さすがに抵抗がある。

 出かけようと思ったが中止だ。通信魔法でどこかのレストランに連絡をして、弁当を届けてもらうことにしよう。


 部屋の隅に投げ出された樫の木の杖を手に取り、杖の先端で2度ほど床を軽く叩く。コンコンという小さな音と共に、緑色の魔法陣が目の前に出現した。



『こちらダイニング・ビーステッドです。ご用件をお伺いいたします』



 緑色の魔法陣を通じて、野太い声が耳朶に触れる。問題なく通信魔法が発動したようで安心した。



「まほうやくがくたんとうのえどな・あるふぉーどだ。べんとうをたのみたいのだが」


『かしこまりました。日替わり弁当でよろしいでしょうか?』


「ああ、それでたのむ」


『それでは10分ほどお待ちください』



 通信魔法が切断され、エドナは樫の木の杖を床に放り出す。

 これで10分ほど待てば弁当を運んでくれるはずだ。見窄らしい格好を誰かに見られる心配もなくなる。


 安堵の息を吐いたエドナの耳に、コンコンという扉を叩く音が聞こえた。



「ん?」



 エドナは顔を上げる。


 もう弁当が届いたのだろうか。通信魔法では10分ほどかかると聞いていたのに、随分と早い到着である。

 だが、おかしなこともある。扉の向こうから鉄錆の臭いがするのだ。料理のいい匂いではなく、まるで鮮血のような臭いが扉の隙間から漂ってくる。


 怪しいことこの上ない。エドナは扉に背中を張り付けて、樫の木の杖を手繰り寄せる。小さな両手で大人の自分に合わせて調整された長い杖を抱えると、



「だれだ?」


「せんせぇい、魔法薬学の授業で分からないところがあったから教えてほしいのだけれどぉ」


「ああ」



 エドナは合点がいった。


 扉の向こうにいるのは生徒の誰かか。血の臭いがするのは、授業で血液を使うものがあったのだろう。声の調子から察するに女子生徒なので、もしかしたらアレかもしれない。

 深く考えるのはよそう。魔法使いとして悪い癖だ。相手は授業で分からないところを聞きにきた真面目な生徒で、エドナは学ぶ意欲のある生徒に魔法薬学の教えを授ける義務がある。


 エドナは閉ざされた扉を杖の先端で叩き、



「〈ひらけ〉」



 解錠魔法を発動させれば、扉は勝手に開かれた。


 扉の向こうに立っていたのは、少しばかり大人びた女子生徒である。ヴァラール魔法学院の制服に身を包み、魔法薬学の教科書を抱えていた。

 雪のように真っ白な髪と夕焼け空を溶かし込んだかのような赤い瞳、桜色の唇から僅かに犬歯が覗く。整った美貌はそこに佇んでいるだけで1枚の絵画になるほど美しく、人間離れした近寄りがたい雰囲気がある。


 女子生徒は赤い瞳を瞬かせると、



「あらぁ? せんせぇい、どうしちゃったのぉ? その可愛いお姿はぁ」


「ああ……これはもんだいじにやられてな」



 エドナは遠い目をしながら言う。

 思わず扉を開けてしまったが、見窄らしい姿を生徒に晒すとは想定外だ。今からでも扉を閉ざすことは叶わないだろうか。


 いや、もうここは腹を括るしかない。さっさと分からない箇所を教えて部屋に引っ込もう。



「わたしのことなどいい。わからないかしょはどこだ?」


「えっとぉ」



 女子生徒は膝を折って教科書を差し出す。



「この問題なんですけどぉ」


「む」



 女子生徒の差し出す教科書は随分と高い位置にあり、今のエドナでは背伸びをしても届かない。せめて問題文を確認しようと目一杯に背伸びをするも、教科書を見ることが出来ない。相手の女子生徒も気づいていないようだ。

 小さな手を懸命に伸ばして教科書を受け取ろうとすると、身につけていたダボダボの襯衣の裾を踏んづけてしまった。「うわッ」と前につんのめってしまう。


 無様に顔面から倒れ込んでしまったエドナは、



「え――――?」



 廊下に転がる大量の子供。


 それらは血溜まりの中に倒れていて、誰も彼も指先1つ動かない。

 隣室の前に倒れている子供は、エドナの同期ではないだろうか。いつも喧しくて、それでも授業に対する熱意は本物だった。「もんだいじどもにはしてやられましたね」なんて笑っていたのに。


 そんな愛すべき熱血教師は、首を引き裂かれた状態で絶命していた。半開きになった口から鮮血が流れ、白く濁った瞳には光が差さない。



「なん、なんで……なにが……」


「あーあ、見つかっちゃったわぁ。大人しくお部屋で待っていればよかったのにぃ」



 魔法薬学の教科書を乱雑に捨てた女子生徒は、エドナの細い首を掴む。5本の指先に力を込め、尖った爪でエドナの肌を引っ掻いた。

 強制的に首を締め上げられ、エドナは苦しげに喘ぐ。女子生徒の腕に爪を立てるも、短く整えられた爪では相手の肌を傷つけることさえ出来ない。酸素が上手く全身に回らず、意識が薄れてきた。


 炯々と輝く赤い瞳で苦悶の表情を浮かべるエドナを見下ろす女子生徒は、



「中身は大人でもぉ、外見は子供なのよねぇ。その不安定さが美味しそうなのよぉ」



 桜色の唇を舐める女子生徒。その様相は、さながら肉食獣のようだ。


 朦朧とする意識の中で、エドナの脳裏にとある魔物の情報が過ぎる。

 白い髪に赤い瞳、飛び抜けた美貌。そして何より唇から覗くのは犬歯ではなく、人間の柔肌を食い破る為に進化した牙だ。


 吸血鬼ヴァンパイア――人間の血液を餌とする高度な知性を持つ魔物。



「せ――〈せいいんよ〉!!」



 吸血鬼を撃退する為に開発された魔法を発動して、エドナは脱出を試みる。

 中央に十字架が刻み込まれた魔法陣が出現し、首を締め上げる女子生徒の手が離れる。エドナは咳き込みながらも女子生徒から距離を取り、樫の木の杖を手に取った。


 聖なる魔法は吸血鬼が最も嫌う種類の魔法だ。一撃でも食らわせることが出来れば相手は立ち所に灰と化す。あとは学院長に報告をして終わりだ。



「いったぁい」



 なのに、どういうことだろうか。

 相手は確かに吸血鬼の特徴と一致する。吸血鬼撃退用の魔法も問題なく発動した。


 それなのに、どうして目の前の吸血鬼は死なないのか?



「残念だけどぉ、ワタシに吸血鬼撃退用の魔法って通用しないのよねぇ」



 ニィと笑った吸血鬼の少女。

 血に塗れた革靴をコツンと鳴らし、エドナの部屋に侵入してくる。『家主から許可を貰わないと部屋に入れない』という吸血鬼の特性を無視した、堂々とした足取りだった。


 裾が赤く汚れた長衣ローブを翻し、その下から取り出したものは錆びたナイフだ。血糊がベッタリとこびりつき、切れ味の悪そうなそれをエドナの目の前で揺らす。



「無様な悲鳴を聞かせてちょうだいねぇ?」



 ――ぷつんッ。

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