第2話【問題用務員と子供化】

 その日、ヴァラール魔法学院に新しく追加された設備が発動された。



『緊急警報、緊急警報』



 けたたましい警報音と共に、平坦な女性の声が校舎内に響き渡る。どこか赤い灯りもチカチカと明滅しており、危険度が高いことを知らせていた。


 教室の扉は瞬時に施錠魔法がかけられ、簡単に外へ出ることが叶わなくなるだけではなく侵入することも不可能となった。さらに教室の扉には鉄格子が嵌め込まれ、生徒たちを安全地帯に隔離することも成功する。

 遠くの方ではバタバタという足音が幾重にもなって聞こえ、ヴァラール魔法学院の創立当初から居座る怪物どもの対処に向かおうと慌てている様子だった。


 まあその怪物どもというのが、若返りの魔法薬入り水風船を装備した問題児なのだが。



『教職員は速やかに生徒たちの安全を確保し、問題児の対処に向かってください。繰り返します、教職員たちは速やかに――』



 校舎全体に響き渡る平坦な女性の声を聞きながら、ユフィーリアは「ん?」と首を傾げた。



「こんな設備あったか?」


「緊急警報だってぇ。珍しいよねぇ」



 大量の水風船を積み込んだ荷車を引くエドワードも、けたたましく鳴り響く警報音に顔を顰めていた。他人よりも聴力に優れているので、この警報音を聞いているだけで頭が痛くなってくるのだろう。実際にユフィーリアも音を聞きすぎて頭痛を感じていた。


 それにしても、緊急警報とは面白い設備を追加したものである。完全に問題児の授業妨害に対策をしているところだった。

 近くにあった教室の扉に手をかけるも、どうやら扉に嵌め込まれた鉄格子は魔法兵器エクスマキナの1種らしい。ユフィーリアが触れようとした瞬間、防壁が展開されて弾かれてしまった。



「随分とアタシらの為に対策を施してきたなァ」


「壊すか?」



 そう提案したのは、歪んだ白い三日月――冥砲めいほうルナ・フェルノに腰掛けた女装メイド少年のショウだ。もはや神々が使う兵器ではなく、ただの移動手段として用いている節が見られる。

 冥砲ルナ・フェルノに与えられた飛行の加護によって床に降り立つことが出来ないショウは、床上数セメル(センチ)のところに立つと冥砲ルナ・フェルノを鉄格子が嵌め込まれた扉に向けた。眩い炎の矢が番えられ、ギチギチと音を立てて魔弓が引き絞られていく。


 冥府の空までぶち抜くほどの強大な威力を誇る弓だ、魔法兵器エクスマキナが展開する防壁だってまとめてぶち抜くことが出来るだろう。ついでに教室の向こう側まで吹き飛ばしそうだ。



「そうだな、壊すか」


「壊すのは得意だよ!!」


「扉ぐらいなら殴ってぶち抜けるよぉ」


「ユフィーリアが言うなら鉄格子ごと吹き飛ばしてしまおう」


「おねーさんは非力だから見てるわネ♪」



 南瓜カボチャ頭の娼婦ことアイゼルネのみ傍観を決め込み、他の脳筋4人は魔法兵器エクスマキナに守られる扉をぶち抜くことを選ぶ。すでに冥砲めいほうルナ・フェルノという神造兵器レジェンダリィを構えるショウの他、拳を構えるエドワードとハルア、雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめて魔法を発動させようと目論むユフィーリアが鉄格子に挑む。

 中間考査では、暴走状態に陥ったドラゴン型魔法兵器を沈静化させた実力を持つ問題児――いや用務員である。彼らにかかれば不可能なことはないのだ。不可能と言えば勤労と勤勉ぐらいである。


 バタバタという足音が徐々に近づいてきているのを聞きながら、ユフィーリアは得意とする氷の魔法を発動させようと煙管を振り上げた。



「〈魔力看破ブレイク〉!!」



 その時、横合いから叫びにも似た呪文が飛んでくる。


 直後、硝子が砕け散るような音がユフィーリアの耳をつんざいた。

 発動させようとした魔法が誰かに邪魔をされ、不発で終わったのだ。魔法を発動させる為の魔力を逆流させられ、中和されたのが原因だ。



「ユフィーリア、君って魔女は!!」



 怒りの表情を浮かべた黒髪紫眼の爽やか青年――学院長のグローリア・イーストエンドが、真っ白な表紙が特徴の魔導書を開きながらユフィーリアを睨みつける。



「若返りの魔法薬を水風船に詰め込んで、一体どうするつもりなのさ!!」


「こうするんだよ」


「べこぱぁッ!?」



 エドワードが引く荷車に積まれた水風船を手に取り、ユフィーリアはグローリアの顔面めがけて水風船を投擲とうてきする。

 もちろん若返りの魔法薬入りの水風船だ。顔面で受け止めたということは、彼も立派に若返りの魔法薬の餌食である。


 ぼひん、と間抜けな音を立てて白い煙に包まれる。煙幕の向こう側から「げほ、げほッ」と盛大にせ返る声が聞こえてくる。



「な、何するのさユフィーリア!!」



 煙幕の向こうから現れたグローリアは、



「あれ、変わってなくね?」


「変わってるに決まってるでしょ。見事に若返ったよ」



 威張ったように胸を張るグローリアに、ユフィーリアは「ええー……?」と懐疑的な眼差しを向ける。


 現在のグローリアは、若返りの魔法薬入り水風船を投げる前と変わっていない。烏の濡れ羽色の髪に朝靄あさもやを想起させる紫色の双眸、中性的な顔立ちは男性にも女性にも見えるという記憶の通りの学院長だ。

 強いて言えば、髪が短くなった程度だろうか。かんざしでハーフアップに纏めていた長い髪だが、今は肩に届く程度の長さまでしかない。


 あまり変わり映えのない変貌に、ユフィーリアたち問題児は揃って失望のため息を吐いた。



「何、その反応」


「お前にはガッカリだよ」


「ちょっとは見栄えのある変身をしてほしいよねぇ」


「つまんね!!」


「見劣りしちゃうワ♪」


「生きている価値がないんじゃないですか、学院長」


「ショウ君だけは辛辣じゃないかなぁ!?」



 毒舌を通り越してもはや罵倒にも聞こえるショウの言葉に瞳を潤ませるグローリアだが、



「そんなに言うんだったら君たちも若返ればいいよ」


「え?」



 グローリアが軽く右手を掲げる。


 エドワードが引いていた荷車が浮かび上がり、ユフィーリアたちの頭上に滞空する。

 嫌な予感がした。荷車に詰め込まれているのは若返りの魔法薬入り水風船である。調子に乗って大量に作ってしまったので、もし荷車がひっくり返れば雨霰の如くユフィーリアたちの頭上に水風船爆弾が降り注ぐ。



「〈氷雪のデルタ〉――!!」


「えいッ☆」



 グローリアの無情な一言と同時に、荷車がひっくり返った。そこに積まれていた水風船が容赦なく5人の問題児に襲いかかる。



「ぎゃああああああああ!!」


「わあああああああああ!?」


「やべー!!」


「あらー♪」


「わあ」



 ぼぼぼぼひん、と立て続けに5度の間抜けな爆発音が廊下に響き渡る。


 白い煙に目の前が覆われ、ユフィーリアは「げほ、ごほッ。おえッ」と咳き込みながらも煙を払い除けた。

 慌てて自分の手や足、顔などを確認するが変わったところはない。縮んだ気配もない。ただ、妙に頭が重かった。



「んん?」



 足元に視線をやれば、ユフィーリアの銀髪がかなり伸びていた。

 くるぶしまで届く、どころではない。床まで無造作に伸び切った銀髪が、ユフィーリアの足元に蟠っていた。まるでおとぎ話に出てくる髪長姫ラプンツェルである。


 頭の重さの原因はこれか、とユフィーリアは引くほど伸びた自分の髪に苦笑すると、



「ユーリぃ、俺ちゃんも若返っちゃったよぉ」


「うおッ」



 カーテンのように垂れ落ちる銀髪を掻き分け、ユフィーリアはエドワードの方へ視線をやる。


 そこに立っていたのは筋骨隆々とした巨漢ではなく、年相応に鍛えられた野生的なイケメンだった。やや長めに伸ばされた灰色の髪と刃物を想起させる銀灰色ぎんかいしょくの双眸、殺人鬼と間違われる堀の深い強面は薄まって肉食獣めいたイケメンの爆誕である。

 身長もそれなりに縮んだのか、見上げるほど大きかった彼の身長は少しばかり低くなっている気がする。身につけた迷彩柄の野戦服もかろうじて引っ掛けている程度であり、首元にぶら下がった犬の躾用に使われる口輪は大きさが合っていない。


 ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を振って、用務員室から適当な手鏡を転送させる。



「エド、お前凄えことになってるぞ」


「あらぁ、18歳ぐらいになってるねぇ」



 手鏡を覗き込むエドワードは、



「身長は大体185セメル(センチ)かねぇ。2メイル(メートル)を超えるのはこれからかなぁ?」


「冷静に分析してんじゃねえ」



 他にも被害は、とユフィーリアが視線を下にやれば、



「あらあラ♪ おねーさんも縮んじゃったワ♪」


「……アイゼルネ?」


「はぁイ♪」



 身体の半分以上を飲み込んだ橙色の南瓜をモゾモゾと脱ぎ捨て、可愛らしい顔立ちの少女が「大変ネ♪」などと楽しそうな口調で言う。

 目に優しくない緑色の長い髪に見る角度によって赤や青、黄色、緑、紫などの様々な色に変わる特殊な瞳、愛らしい顔立ちは子供特有のあどけなさがある。


 身体の大きさが合わず全裸になることを恐れて、緑色の髪の少女――アイゼルネはドレスを自分の貧相な身体に巻き付けている。自慢とする肉感的な体付きもどこへやら、随分と寸胴な体型になってしまったものである。



「え、アイゼルネ。それは体感で何歳ぐらいだ……?」


「10歳ぐらいかしらネ♪」


「10歳だとまだ貧相だったんだな」


「どういう意味ヨ♪」



 ぷりぷりと怒るアイゼルネを軽く流し、さて問題の未成年組の姿を探すのだが。



「だー」


「あうー」



 何故か赤い絨毯を這いずり回る赤ん坊がいた。



「しょ、しょ」


「るぅー」



 2度見しても赤ん坊が絨毯の上を這いずり回っていた。



「…………ショウ坊、ハル」


「あい」


「あい!!」



 黒いつなぎに埋まる赤茶色の短い髪を持つ赤ん坊がハルアで、メイド服に埋もれた黒髪の赤ん坊がショウなのだろう。2人揃って小さなお手手を懸命に伸ばし、ユフィーリアに「自分はここだ」と証明している。

 若返りの魔法薬は最低でも1歳程度まで若返る。未成年組の彼らは、最低の年齢まで若返ってしまったのか。


 ユフィーリアは膝を折り、這いながら近づいてくるハルアとショウを抱き上げてやる。



「赤ん坊が2人になっちまった……」


「どうするのよぉ、ユーリぃ」



 ドレスを身体に巻き付けるアイゼルネを抱きかかえ、エドワードが問いかけてくる。


 どうするも何も、まずは元の姿に戻らなければならない。

 若返りの魔法薬は時間経過で元に戻るので、それまで用務員室に避難しておけば問題はないだろう。赤ん坊になったハルアとショウを両方同時にあやすのは苦労するだろうが、そこは魔法の腕の見せ所だ。


 だが、若返りの魔法薬入り水風船で遊ぶという問題行動を、学院長が見逃す訳がなかった。



「君たち全員お説教だよ!!」


「逃げるぞエド」


「はいよぉ」


「逃げないの!!」



 強制的に発動された転移魔法を食らい、ユフィーリアたち問題児はグローリアの説教を受ける羽目になった。無念である。

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