第6話【???と終焉】

 ドラゴンの姿を象っていても、所詮はただの魔法兵器エクスマキナか。



「本物のドラゴンじゃねえから効果は期待していなかったが……まあいい、あの余計な邪魔は消えたしな」



 落下防止用の鉄柵が巡らされた殺風景なヴァラール魔法学院の屋上に、1人の男子生徒が仁王立ちをしていた。


 吹き付ける強風が彼の目元を覆う前髪をめくり上げ、その下に隠された瞳を晒す。額の左半分が緑色に腐っており、眼球も左側だけが白く濁っていた。顔色も悪く、生命力というものを感じさせないほど青褪めている。

 地味な格好をしながらも浮かべる表情は凶悪な笑み。高みからボコボコに凹んだ校庭を見下ろす様は、支配者のような風格がある。


 長衣ローブを強風になびかせる男子生徒は、肩にしがみついていた小さな黒いドラゴンの顎を指先でくすぐった。



「焦る必要はない、オマエの成長を待てばいいだけだ。オマエが成長した暁には、この学院を火の海に変えてやる」



 黒いドラゴンは指先で顎を撫でられたことで、嬉しそうに「ぐるるるぅ」と唸っていた。可愛らしいものだ。

 この小さな黒いドラゴンは、かつて男子生徒の相棒だった。卵から自分の手で孵化させて、餌も自分の手で与えて育てた唯一無二の友であり、苦楽を一緒に過ごした相棒である。


 収容されていた冥府の空に穴が開き、無我夢中で脱出を試みたら棺の中に放り込まれていた自分自身の身体に憑依できていた。少し腐りかけていたがご愛嬌である、死んでから随分と長い時間が経過していた様子なので仕方がないと言えば仕方がない。

 それから人里に身を潜めながら世界最高峰にして唯一無二と名高いヴァラール魔法学院に潜入し、生徒として今まで生活してきた。地味で目立たない生徒の姿を演じてきたつもりだ。今後も教職員連中どころか、他の生徒たちも自身の存在に気づかないだろう。


 あとはこのドラゴンが成長し、大人になればこの学校も終わる。



「待ってろよ、ヴァラール魔法学院――今に潰してやる」



 凶悪な笑みで密かな怨嗟を口にする男子生徒――いいや、ウィドロ・マルチダという史上最悪のドラゴン使いは学院に対する想いを募らせる。


 ウィドロ・マルチダはかつて、ドラゴンの研究家を志してヴァラール魔法学院の入学試験を受けた人物だ。魔力もそれなりにあったし、彼自身にはドラゴンと会話が出来る才能があった。最高峰にして唯一無二の魔女・魔法使い養成機関に入学することが出来れば、ドラゴンの研究も捗ると思っての行動だった。

 結果は不合格。――理由は、彼はドラゴンと会話をする才能があったけれど、魔法に関する才能は全くなかったのだ。



「魔法の才能などあっても、ドラゴンの研究に必要ない。ここは自主性と多様性を何よりも大切にすると謳っておきながら、結局は魔法の才能しか見ないんだ」



 魔女や魔法使いの中で、魔法の才能しか注目しない連中は一定数いる。現在では減少傾向にあるが、それでもまだいることにはいるのだろう。

 ウィドロ・マルチダは、そんな魔法の才能だけしか見ない馬鹿な連中によってヴァラール魔法学院の入学を拒否されたのだ。


 だが、そんな過去の話はどうでもいい。紆余曲折を経て、ウィドロ・マルチダはこうして現世に舞い戻ってきたのだから。



「この学院には非常に便利な奴らがいるからな、オマエのやったことは全て奴らにおっ被せるさ」



 ヴァラール魔法学院を潰す上で障害となるのが、あの問題児どもだ。

 彼らは非常に優秀だ。特に問題児筆頭と名高い銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルには警戒をしなければならない。真面目に働けば普段の問題行動など帳消しになるほど、ユフィーリア・エイクトベルという魔女は天才的だ。


 今回のドラゴン型魔法兵器エクスマキナの調教を解いたのも、彼女が原因だろう。何か銀製のはさみのようなものを使っていたが、あれが彼女の強みか?



「利用させてもらうさ、奴らなんて目じゃない」



 普段からの問題行動のせいで、彼らは学院側から目の敵のような扱いを受けている。

 ならば、それを逆手に取ってしまえばいい。これから自分自身が起こす罪を問題児に被せれば、簡単に罰から逃れられる。「問題児がやった」と巻き込めば、馬鹿な教職員連中だって信じてくれるはずだ。


 あとは時期を待てばいい。肩にしがみついたドラゴンが大人になった暁には、ヴァラール魔法学院の終わりと問題児のクビが待っている。



「ふはッ、ふははははははは!! あははははははははははは!!」



 ウィドロ・マルチダは楽しくて仕方がなかった。


 魔法の才能がないだけで『ドラゴンの研究者になる』という夢をあっさりと断ち切ったヴァラール魔法学院が許せなかった。魔法の才能はないが、ドラゴンと会話をする才能はある。いずれこの才能が、ドラゴンの研究に革命を与えると信じていた。

 それなのに、魔法学院側が突きつけてきたのは不合格という残酷な言葉だ。幻想種語を話すことが出来る才能を褒めてくれた両親は、手のひらを返したようにウィドロの才能をけなした。「そんなものが喋れても何の役にも立たない」と言い出した。


 幻想種に関連する資格は、ヴァラール魔法学院でしか取得できない。だからウィドロ・マルチダはヴァラール魔法学院に入りたかったのに。



「それほど魔法の才能が必要か」



 その声には恨みがこもっていた。



「それほど、幻想種語は必要ないのか」



 その瞳には怨嗟が宿っていた。



「壊してやる、そして証明してやる。――オマエたちが未来を絶った俺は、オマエたちを圧倒できるほどの能力を得たとなァ!!」



 燃え盛るヴァラール魔法学院を見て、絶望する教職員どもの顔が早く見たいものだ。その時が待ち遠しくて堪らない。


 刹那のことだ。

 キィ、と屋上の扉が開いた。



「ッ」



 ウィドロ・マルチダは慌てて振り返る。


 扉を開けたのは、全身真っ黒な性別不詳の人間だった。

 顔全体を黒い頭巾フードで覆い隠し、床に届きそうなほど長い外套コートを揺らしている。黒い手袋を装着し、上も下も靴も黒だけで統一された変な奴だった。


 唯一、頭巾の下から垣間見えた細い顎の線だけはやけに目を惹く。まともな色がそこしかないからか。



「…………」



 ス、と音もなく黒い人間は顔を上げた。



「…………」


「あ、あの、勝手に入ったことは謝ります。ここが1番、その、練習をしやすかったもので……」



 ウィドロ・マルチダは目元を前髪で隠し、ぎこちなく微笑んだ。

 先程までの独り言が聞かれていただろうか。聞かれていたのならば、これまでのウィドロの努力が水泡に帰す。それだけは避けなくてはならない。


 肩にしがみついた黒いドラゴンの頭を軽く撫でながら、



「可愛いでしょう? まだ子供なんですが、父に強請ねだったんです。使い魔としてドラゴンを使役するのも悪くないなと思いまして」


「…………」


「え、えーと、あの、もうそろそろ出ていきます。屋上は危ないから立ち入り禁止ですもんね、ごめんなさい」


「…………」



 おかしい、絶対におかしい。

 ウィドロがこれだけ喋っても、相手は無反応を貫いている。唇を開くこともない。喋ることが出来ないのか?


 警戒心を抱くウィドロ・マルチダに、黒い人間は指先を突きつけてくる。





 





 声が、した。



「ッ!?」



 それはすぐ近くで聞こえたような、遠くで聞こえたような、不思議な感覚に陥らせるものだった。

 ただ、声として認識は出来なかった。頭の中で文字が浮かび上がったかのような、奇妙な感覚だ。


 ウィドロ・マルチダは耳を塞ぐが、なおも文字はウィドロの脳内に直接叩き込まれる。





 





 終わり、だと?



「終わりって何だよ、どういうことだ!!」



 目論見がバレてしまったのか?

 だからウィドロ・マルチダはヴァラール魔法学院から追放されて、終わってしまうのか?


 ――それだけはごめんだ。



「ふざけるな、こんなところで終わって溜まるかよ!!」



 ヴァラール魔法学院を潰す為に、恨みと憎しみだけで生きてきた。

 自分の才能を大して評価もせずに、ただ魔法の才能という部分だけを重要視して切り離してきた愚か者ども。彼らに一矢報いる為に、こうして冥府の底から死に物狂いで戻ってきたのだ。


 もう冥府に戻るのは嫌だ、嫌だ!!



「俺はまだ、こんなところで終わる訳にはいかねえんだよ!!」



 長衣ローブの下から抜き取った木の杖を握るウィドロだが、



「――――は」



 いつのまにか、黒い人間が目の前に立っていた。


 どれほどの速度で移動したのだろう。奴は瞬きの間に、ウィドロ・マルチダの目の前に立っていたのだ。

 頭に思い浮かべていたはずの呪文が消え失せ、ウィドロは唖然と立ち尽くす。無防備な腹めがけて黒い人間が拳を突き込んできたのは、その直後だ。


 内臓に直接ダメージを与える、重い一撃。胃の中のものが逆流して、ウィドロは胃酸を吐き出してしまう。



「ぅ、おえ、げえッ」



 びちゃ、べた、と。

 自分自身の口から、酸っぱい液体が流れ出た。それが屋上の床を容赦なく汚す。


 膝をついて胃の中のものをぶち撒けるウィドロの頭を踏みつけ、黒い人間が文字を送り込んでくる。





 





 ――――シャキン。


 まるで鋏が鳴るような音が立てられた。

 何を切られたのか分からない、ただ痛みも何もなかった。



「あ、ああぁあ?」



 指先から消えていく。徐々に、身体が透明になっていく。

 身体の重さがなくなり、痛みも不思議と引いた。全能感ではなく、何故か恐怖がじわじわと侵食してくる。


 終わり、と言っていた。


 知っている――ああ、知っているとも。

 ウィドロとて人間の子だ、彼らの伝説はよく耳にした。絵本も何度も読んだ。


 その中で、絵本の最後の最後に出てきた真っ黒な死神がいたことを思い出す。



「第七席……【世界終焉セカイシュウエン】……」



 ウィドロの頭に乗せられていた足が退けられる。


 軽くなった頭を持ち上げれば、真っ黒な頭巾の中にポツリと綺麗な輝きが浮かんでいた。

 極光色オーロラに輝いている。じっとそれが、ウィドロを見つめていた。



「――――ふざけんなよ、ふざけんなよ!!」



 せめてもの、目の前の死神には怨嗟の声をぶち撒ける。



「オマエらが悪いんだ、オマエらが!! この×××××魔法学院が、俺を、俺を捨てたから、才能がないって言ったから!!」



 本当は、好きなことを学びたかっただけなのに。

 ほんの少しだけ、魔法のことも学んでみたかっただけなのに。


 他の幸せそうな生徒たちと同じように、楽しい学院生活を夢見ていただけなのに。



「どぉして、だよぉ……どぉして、俺が消えなきゃ……」



 全身の感覚はとうになくなった。

 言葉も思い出せない、記憶も朧気だ。恨みつらみの原因すら薄れてきて、世界から切り離されるのもあと少し。


 だから、最後の最後に残っている思いだけは。



「――――世界なんか、大嫌いだ」



 ――――ぷつん。



 ☆



 怨嗟を残して消えた罪人がいた。


 魔法の才能はないが、幻想種の育成に関連する才能は飛び抜けていた。きちんと学んで、専門の資格を取れば、幻想種と人間の架け橋になれる存在だった。

 だが、彼の明るい未来は『魔法の才能の有無』というごく普通の条件で切り捨てられた。考える余地すらなく、平然と。


 学びたいものを学べず、最高峰にして唯一無二の魔女・魔法使い養成機関に対する恨みつらみだけで生きてきた。

 その結果、1つの国と多くの生命が炎の海に消えた。彼自身が心の底から愛して、学ぼうとしたドラゴンの力を悪用して。


 ああ、本当に――出来れば終わらせたくなかった。



「…………」


「ぐぎゃ?」



 屋上に落ちた黒いドラゴンが、不思議そうに首を傾げている。先程、終わりを迎えた男が可愛がっていたドラゴンだ。

 まだ子供のドラゴンにまで終わりを与えるのは酷すぎる。それに、ドラゴンは終わりの対象としては見られていない。


 黒いドラゴンを拾い上げ、顎を撫でてやる。



「ぐるるるるぅ」



 気持ち良さそうに目を細める黒いドラゴンを抱きかかえ、第七席【世界終焉セカイシュウエン】はフッとその場から姿を消した。

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