第5話【異世界少年と下着の注文】

 事件は5時間目の授業中、購買部で起きた。



「店長、いる?」



 そんな言葉と共に入店したのは、学院長のグローリア・イーストエンドだ。

 烏の濡れ羽色をした長髪をかんざしでまとめ、朝靄あさもやを想起させる紫色の双眸で店内を見渡す。清潔感のある格好をしているが、悪く言えばとても地味な装いは名門魔法学校を率いる長とは言い難い。


 胸元で揺れる不思議な色合いの魔石を使ったループタイを煌めかせ、グローリアは会計台の前に立つショウと目が合うと「あれ?」と首を傾げる。



「ショウ君じゃないか。こんなところで何をしているの?」


「店番です。黒猫店長に頼まれました」


「髪の毛までツインハイアップにしちゃってさ、本当に女の子みたいだね」


「ツインテールって言ってください」



 不満げに唇を尖らせて応じる。

 このツインテールはユフィーリアが結んでくれたものだ。「お客さんの前に立つなら可愛くしないとな」と言って全力で可愛くしてもらい、ユフィーリアからも用務員の先輩たちからも高評価を貰った。まあその直後に全員揃って吐血しながらぶっ倒れたのだが、もう忘れよう。


 グローリアは「ふぅん」と興味なさげに頷くと、



「まあいいや。それよりも店長は?」


「所用で留守にしてます」


「そうなんだ」



 商品を手に取る様子もなく、グローリアは会計台の前に立つ。


 彼の動作で、ショウは「ああ」と納得できた。

 購買部では外部の商店とやり取りをして、商品の注文を請け負う作業も担っている。ヴァラール魔法学院は僻地にあり、近場の街に出かけるのも苦労するので、購買部で買えないものは注文して取り寄せてもらうのだ。


 グローリアも、おそらく購買部の店頭には出ていないものを注文したいのだろう。商品に一瞥もくれずにやってきたということはそういうことだ。



「何かご注文ですか?」


「うん、ちょっと下着をね」



 なるほど、下着の注文なら納得だ。

 購買部には男性用と女性用の下着を取り揃えているが、地味なものしかないので大抵の生徒や教職員は外部に注文することが多い。ショウも自分の下着をエドワードやハルアと一緒に注文したことがあるので覚えている。


 ショウは会計台の下から男性用下着が掲載された型録を手に取るが、



「あ、あのね」



 グローリアは僅かに頬を赤く染め、



「僕が注文したいのは、女の子用の下着なんだ」


「…………は?」



 我が耳を疑った。



「え、と。すみません、言い間違いではないですよね?」


「そうだよ」


「男性用ではなく女性用の下着をお求めですか?」


「うん」



 聞き間違いではなかった。


 ショウは手にした男性用下着の型録をしまい、学院長に「あの」と大変申し訳なさそうに問いかける。

 いやもちろん世の中には色んな趣味の人間がいる。だってここは異世界、多少の異常な性癖を持っていたって何も驚かない。人間の数がいるだけ特殊な性癖があると言ってもいいだろう。



「概念彼女に下着をお贈りするのは止めた方が……」


「概念彼女って何!?」


「え、もしかして実在していらっしゃいますか? でしたらなおさら下着の贈呈は控えた方がいいかもしれません。引かれますよ、今の俺みたいに」


「君、今ドン引きしてるの!?」



 驚愕するグローリアに、ショウは「当然ですよ」と返していた。

 これでドン引きしない人間はこの世にいないと思う。異性の下着が取り揃えられた店に足を踏み入れるのだって躊躇うのに、異世界人とは平気で異性の下着を注文して楽しむつもりなのだろうか。


 いいや、待て。ユフィーリアの噂では、学院長は実に研究熱心な魔法使いだと聞く。女性用下着の研究に購入するつもりなのか?



「どうした、ショウ坊。厄介な客ならアタシが代わるぞ」


「あ、ユフィーリア」



 すると、店裏で休憩中だったユフィーリアが店頭に顔を覗かせた。


 学院長がユフィーリアの存在に気づき、彼女は「?」と不思議そうに首を傾げる。

 店裏と店頭の距離はそれほどないので、ユフィーリアには聞こえていたかもしれない。ただあえて何も聞かなかったふりをすることで、面白い状況を作ろうとしているのか。さすがユフィーリアである。


 ユフィーリアは「どうしたよ、グローリア」とショウの隣に並び、



「ウチの可愛い新人に性的な嫌がらせをしてんだったら毟るぞ、色々な部分を」


「怖いなぁ、君は!!」



 グローリアは「そもそも!!」とユフィーリアを指差して、



「君が悪いんじゃないか!! 責任取ってよね!!」


「はあ? 何の責任だよ、アタシは何もやってない」


「惚けないでよ!! 君が僕の下着を全部女の子のものに変えちゃったから、僕はもうそれしか穿けなくなったのに!!」



 衝撃的事実が発覚し、ショウは思わず「え?」とユフィーリアを見やる。


 彼女はその事件に関して覚えがあるのか、ポンと手を叩いていた。

 学院長の下着を女の子のものにすり替えるとは、すぐに分かりそうな悪戯をするものだ。どうして気づかずに女の子の下着を穿いていたのか謎で仕方がない。


 ユフィーリアもすぐにバレて怒られる内容の悪戯と思っていたようで、



「いやいや、あんなの普通に穿き続ける方がおかしいだろ。すぐにバレるかと思ったのに」


「いや、あの、忙しくてね……目の錯覚かと思っちゃって……」


「完全に自業自得じゃねえか、女の子の下着を穿いて目覚めちゃってるじゃねえか」



 ぷぷぷ、と笑いを堪えるユフィーリアは、



「で、女の子用の下着を注文しに来たって訳か。それは面白――ご苦労なこったな」


「責任を取ってって言ったでしょ、ユフィーリア」



 グローリアは会計台から腕を伸ばしてユフィーリアの腕を掴むと、朗らかな笑顔でとんでもねーことを言いやがった。



「責任を取って、僕が穿く下着を選んでもらおうかな」


「はあ? やだよ面倒臭えな。それぐらい自分で選べよ」


「だって分かんないもん、どこの下着がいいのかって!! 僕の部屋に置いてある下着は君が全部見つけてきたんでしょ、だからちゃんと責任を持って選んでよね!!」


「逆に考えて、お前はそれでいいのか?」



 ユフィーリアはグローリアの手を振り解くと、会計台の下から女性用下着が掲載された型録を何冊か取り出した。

 表紙を飾る女性たちは、それぞれ職人が手がけたものだろう下着を身につけてこちらに妖艶な視線を投げている。さすがにこれで興奮するような男子はいないだろうが、どこを見ていいのか分からなくなる。


 ショウが慌てて視線を逸らす横で、ユフィーリアが「んー」と本格的に学院長が穿く為の下着を見繕い始めた。



「穿き心地とか重要視する?」


「別に穿ければ何でもいいよ」


「意匠とかは?」


「拘りはないね」


「…………そうなったらアタシが適当に選ぶぞ」


「適当には選ばないでよ」



 いちいち注文が多い学院長である。穿き心地や意匠などは「何でもいい」と指定しておきながら、適当に選ぶことは許さないとは難儀なものだ。


 これにはさすがのユフィーリアも非常に嫌そうな顔をしていたが、何か面白いことでも閃いたようで型録の頁を物凄い勢いでめくっていく。

 時折、頁の女性たちを眺めては「これは違うな」とか「こっちか?」などと吟味している様子だった。変態的な学院長が相手でも真面目に接客するのは偉いと思う。


 やがてユフィーリアはとある頁をグローリアの前に提示し、



「これはどうだ?」



 見本となる女性たちが身につけた下着は、何だか露出が多いというか完全に夜の大運動会を楽しむ為の衣装にしか見えなかった。全体的にレースやフリルなどをあしらった可愛らしい意匠となり、重要な下着の部分はほぼ紐の状態である。

 中にはまともな下着の形を保ったものもあるが、横側が紐で布面積が低めだったりと手を出すには躊躇いそうな1品である。これを学院長が穿いた様を想像したショウは、思わず吐き気を催した。


 グローリアも同じ気分なようで、顔を真っ赤にして「何これ!!」と叫ぶ。



「何でよりによってこんなえ、えち……い、いかがわしい下着を選ぶのさ!!」


「アタシの趣味」


「最悪だよ!!」



 文句を垂れるグローリアに、ユフィーリアは「お前が選べって言ったんだろ」と唇を尖らせる。



「だから自分で選べって言ったろ、グローリア。大体お前、アタシが選んだ下着を穿きたいか? アタシが自分で選ぶ下着は大体こういう紐か布面積が低い奴だぞ」


「何で、何でそんな……何で……」


「楽なんだよな」



 ユフィーリアはグローリアに型録を渡し、



「分かったろ、アタシに選ばせると碌なモンを選ばねえぞ。それが嫌なら自分で選べよ」


「う、ううう……」



 涙目でユフィーリアを睨みつけるグローリアは型録をバラバラと物凄い勢いで捲っていき、注文用紙に羽根ペンで下着の型番を書き込んでいく。

 注文用紙と一緒に会計台へ叩きつけ、ヤケクソ気味に「お釣りはいらない!!」なんて叫びながら購買部を飛び出していった。嵐のような買い物の仕方である。


 ユフィーリアが確認する注文用紙を横から覗き込み、ショウは密かに型録の頁をめくってどんな下着を選んだのか探した。



「…………うさぎさん」



 尻のところに兎の絵が描かれた下着だった。幼い女の子が好むと思っていたのだが、下着の形的に成人の女性でも着用することが出来るようだ。

 なるほど、あでやかな形の下着よりも可愛い下着の方が学院長の好みに合致しているらしい。知りたくもなかった新事実である。


 ショウは注文用紙に購買部の印鑑を押すユフィーリアを一瞥し、



「ユフィーリア」


「何だ、ショウ坊?」


「下着の注文は、俺でも出来るか?」


「だったらアタシがやっとくぞ。どうせ注文用紙に印鑑を押すだけだし」


「いや、自分でやる」



 頑なに自分でやることを主張するショウに、ユフィーリアは「じゃあ、印鑑はここに出しておくな。終わったらアタシに返せよ」と告げて、店裏に戻っていった。


 購買部に誰もいなくなったことを確認して、ショウは女性用下着が掲載された型録のとある頁を開く。

 先程、ユフィーリアがグローリアにお勧めしていた下着の頁だ。淡い桃色や水色、白に黒など多数の下着の世界が目の前に広がる。どれも少々露出が高めで、布面積が低めで、レースやフリルであしらわれた可愛らしい下着である。



「…………」



 多分、この先は開いたらダメな扉だ。



(でも、俺は……)



 ショウは震える指先で羽根ペンを取り、注文用紙に下着の型番を記入する。嬉しいことに『秘匿配達』という匿名状態にして部屋まで届けてくれることも出来るようで、秘匿配達もお願いした。

 代金は後日、請求書を購買部で支払う形式のようだ。何と良心的だろうか。こっそり1人で来れば問題ないだろう。


 最後に購買部の印鑑を押して、ショウは注文用紙を折り畳んで『発注箱』と銘打たれた箱の中に入れる。あとは誰にもバレないことを祈るだけだ。



「…………やってしまった」



 もう取り出せない注文用紙を前に、ショウは呟く。


 ほんの――ほんの少しの出来心だった。

 でも、出来れば最愛の恋人であるユフィーリアにもっと好きになってほしいと思ったのだ。夢中にして、離れ難くして、もっとずっと長く一緒にいたいから。


 少しでも格好良くて大人な恋人に「可愛い」と言ってもらいたい女装メイド少年は、自分の選択を後悔しない。

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