第3話【問題用務員と店番業務】

 その日、購買部には生徒たちを恐怖に陥れる連中が我が物顔で居座っていた。



「いらっしゃいませェ」



 カランカラーン、という来客を告げる鐘が鳴り、1人の男子生徒が購買部に足を踏み入れる。


 購買部の奥に木箱で作った簡易的な椅子を置き、その上で今日の新聞を読み耽っていた銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルが綺麗な笑みで客を出迎えた。

 別に何も怪しくない接客方法である。個人商店に行けば同じように新聞を読みながら接客をする店主だっている。


 問題は、この場にいるのが名門魔法学校を毎日のように騒がせる問題児筆頭であることだ。



「お邪魔しました」


「まあまあ、待て待て」



 ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管キセルを咥え、軽く人差し指を振る。


 その簡単な動作だけで魔法が発動し、男子生徒の行手を阻むように購買部の扉が閉ざされた。ご丁寧にも鍵までかけられる始末である。

 簡単に逃げられないことを悟った男子生徒は、あからさまに財布を守りながらユフィーリアを睨みつけてきた。カツアゲでもされると勘違いしているのか。



「黒猫店長は所用で留守にしててな、帰ってくるまで店番を頼まれてんだよ」


「…………」


「だからそんなに怪しむなって。別に取って食う訳じゃねえんだから」



 最後の最後まで警戒心でいっぱいにした男子生徒は、書籍等が売られた本棚の前に移動する。

 時刻はちょうど3時間目が終わったばかりで、4時間目に差し掛かろうという頃合いだ。授業で使う参考書をなくしてしまったのか、男子生徒の手は本棚に詰め込まれた参考書や教科書に伸ばされる。


 問題児のいる購買部になど1秒でもいたくないのか、即座に必要なものだけ手に取ると会計台にドサドサと落とした。無愛想な客人である。



「勉強熱心なこったなァ」


「うるさい。いいから早く会計をしてくれ」


「はいはいっと」



 ユフィーリアは慣れた手つきで会計台に積まれた参考書を精算機レジに通していき、



「ところでお客さん」


「何だよ」


「本のカバーは必要か?」



 ユフィーリアが掲げた手には、1冊の漫画があった。

 表紙には衣服が半分ほど脱げた状態の可愛いメイドさんが、泣きながらご主人様らしき男性に抱きかかえられているところが描かれていた。本編ではきっとくんずほぐれつしながらナニかをやるのだろう。


 客として訪れた男子生徒の顔から血の気が失せていく。買うつもりはなかったが、手に取った参考書の中に紛れ込んでいたのだろうか?



「間違いで買ったなら戻すぞ」


「あ、いやー……」


「何だよ、言いにくい事情でもあるのか?」


「そのー……」



 懸命に言い訳を探す素振りを見せる男子生徒に、ユフィーリアは笑いが止まらなかった。表情筋を目一杯に活用して笑いを出さないようにしているが、胸中では腹を抱えてゲラゲラと大笑いしている。

 会計台があって本当によかったかもしれない。これがなければ膝がガクガクと震えている場面を見られていた。


 これはあくまで予想だが、男子生徒の本命はこのメイドさんのエロ本である。参考書は偽装であり、エロ本を隠す為の手段として無駄な金を使おうとは逆に凄い。まあよくある手法ではあるが。



「買うのか買わねえのかどっちだっての」


「…………ま、す」


「え?」


「か、買います、買います」


「毎度ありィ」



 ユフィーリアは漫画本を精算機レジに通し、紙袋を二重にして丁寧に包む。それから「ほらよ」と手渡してやった。


 参考書と漫画本が詰め込まれた紙袋を奪い取る男子生徒は、逃げるように購買部を立ち去ろうとする。

 その寸前で、木箱に腰掛けて読みかけの新聞を開いたユフィーリアが「ああ、そうだ」と男子生徒を呼び止めた。軽い雑談のような口振りで、



「10,000ルイゼで特典がつくけど、どうする?」


「はあ?」



 今すぐ問題児が居座る――否、店番をする購買部から出て行きたいらしい男子生徒は、高額な追加料金で発生する特典に足を止める。


 問題児が提示する特典など詐欺に決まっている、と彼は思っているのだろう。聡明なユフィーリアには彼の考えていることなどお見通しなのだ。

 なので、ここで更なる布石を用意する。雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、畳んだ新聞を丸めて拡声器っぽくしたものを口元に当てて店奥に呼びかけた。



「10,000ルイゼ特典、入りまーす」



 そうして店奥から現れたのは、



「いらっしゃいませ。この度は10,000ルイゼ特典をご購入いただき、誠にありがとうございます」



 紙製の容器を抱えた問題児が誇る可愛い女装メイド少年――アズマ・ショウである。

 購買部を経営しているのが黒い猫妖精ケットシーということもあり、彼の現在の格好も黒い猫耳と黒い猫の尻尾を装備した猫耳メイドさん仕様になっていた。艶のある黒い髪も可愛らしさを前面に押し出したツインテールである。


 両手で紙製の容器を固まる男子生徒に手渡し、ショウは完璧な笑顔で対応する。



「それでは10,000ルイゼを頂戴いたします」


「ぇ、あ、はい……」



 男子生徒は慌てて懐から財布を引っ張り出し、学生にしてはなかなか高額な10,000ルイゼをショウに手渡す。

 確かに10,000ルイゼを受け取ったショウは薄青の糸で雪の結晶が刺繍された真っ白なエプロンドレスの衣嚢ポケットに10,000ルイゼをしまい込み、トドメに男子生徒にニコッと微笑んで店の奥に引っ込んだ。最後まで完璧に可愛かった。


 ぽけー、と立ち尽くす男子生徒は紙製の容器へ視線を落とし、



「え、これは?」


「ウチの可愛いメイドちゃんが丹精込めて作った」


「へえー……」



 男子生徒は丁寧に蓋をされた容器を開ける。

 中に満たされていたのは黒色の液体である。珈琲コーヒーだろうか、淹れたてなのか僅かに湯気が立っていた。


 ユフィーリアはミントに似た煙をそっと吐き出しながら、購入したばかりの参考書とエロ本を小脇に抱えて退店する男子生徒を見やる。ショウから手渡された珈琲が嬉しいのか、彼が意気揚々と紙の容器に口をつけるところまで確認できた。



「――丹精込めて泥水を煮詰めてたけど、あれ飲むとか正気かよ」



 次の瞬間、閉ざされた扉の向こうから「ぶーッ!!」と煮詰めた泥水を噴き出す音が聞こえてきた。



 ☆



 回想開始。



『店番をやることになったんだけど、客をもてなす面白いことはあるか? エロ本を売りつけるとか?』


『特典をつけるのはどうだろうか?』


『お、ショウ坊。それって具体的には?』


『何ルイゼ以上お買い上げのお客様には飲み物をプレゼント、という内容で』


『それだと何だか面白さに欠けるなァ』


『ではもう特典を独立の売上にしてしまおう。10,000ルイゼの飲み物で売ってしまおう』


『それどんな飲み物だよ』


『俺が笑顔で売る』


『それはさすがに却下したいんだけど?』


『安心してくれ、ユフィーリア。俺が笑顔で煮詰めた泥水を売り捌こう』


『採用』



 回想終了。



「なあ、エド」


「何よぉ、ユーリ」



 伽藍ガランとした購買部の店内をぼんやりと見つめながら、ユフィーリアとエドワードは並んで来客を待っていた。


 現在は4時間目の授業中なので、店番をしていても退屈なのだ。授業中ではない教職員が購買部を訪れる訳でもないので、暇で暇で仕方がない。

 きっと闇取引をした地味教師が、購買部の店長が急用で不在なことを同業者に通達したか。そして代わりに問題児が店頭に立っていると聞けば、もう誰も近寄らない。


 まあそんなことは置いといて。



「アタシ、何か教え込んだかな。可愛いショウ坊があんな邪悪なことをしでかすとは思わなかった」


「普段の問題行動がぁ、ついにショウちゃんの才能を開花させたかねぇ。ハルちゃんも珍しくノリノリだしねぇ」


「ええー……」



 雪の結晶が刻まれた煙管を咥えるユフィーリアは、そっと店奥を覗き込んだ。


 店奥の片隅には、鍋を片手に泥水を煮詰めるショウがいる。ホワイトブリムに縫い付けられた黒猫の耳はピコピコと忙しなく動き、腰のベルトから伸びる黒猫の尻尾もゆらゆらと揺れる。楽しそうに鍋の中身を掻き混ぜている姿は、まるでお料理中のように見えた。

 ただし鍋で煮詰められているのは、ジャムでもなければスープでもない。客が10,000ルイゼという意外と高額な金銭を支払ってきた特典用の煮詰めた泥水を作っているのだ。


 煮詰めた泥水を紙製の容器に移し替え、それから丁寧に蓋をする。「あ、そうだ」と何かを思いついた可愛らしい女装メイドさんは、紙製の容器にインクをつけた羽根ペンを滑らせた。



鏖殺おうさつっと」



 笑顔でえげつない言葉を書き込むショウ。とても、とても楽しそうだが寒気のする行動である。



「ショウちゃん、追加の泥水を持ってきたよ!!」


「ありがとう、ハルさん。ではまた追加をお願いできるか?」


「うん!!」



 空っぽになった鍋を購買部の裏口から入ってきたハルアに手渡し、ショウは頼もしい先輩用務員から泥水でいっぱいになった鍋を受け取った。

 それをポンと乗せたのは、わらわらと地面から生えている腕の形をした炎――炎腕えんわんである。冥砲めいほうルナ・フェルノに付随して与えられた能力だが、彼は上手く炎腕を使っている様子だった。


 炎腕に鍋を温めてもらって、ぐるぐると泥水を掻き混ぜるショウ。鼻歌まで歌っている。めっちゃ怖い。



「……何かあったかな、ショウ坊」


「さてねぇ」


「雰囲気が怖いわネ♪」



 店内の在庫整理を終えてきたアイゼルネが「ユーリ、ちょっといいかしラ♪」と言う。



「エロ本の在庫がないのよネ♪」


「え、誰か買ってったかな」


「5箱ぐらいないのヨ♪ 売れたっていう記録はないシ♪」


「ええー……?」



 木箱いっぱいで5箱分のエロ本が消えたということは、それはもう大盛況だったとしか思いつかない。黒猫店長が管理を怠ってしまったのだろうか。


 首を傾げるユフィーリアは、背後からカランカラーンという音を聞く。

 振り向けば、どこかで見たことのある男性教師が購買部の扉を開いていたところだった。会計に立っているユフィーリア、エドワード、アイゼルネの3人に気づいて、あからさまに顔をしかめる。



「あ、いらっ」


「いらっしゃいませ」



 それまで店奥で泥水を煮詰めていたショウが顔を出し、誰もが惚れ惚れするような笑顔で紙製の容器を抱えて男性教師に突撃する。

 花が咲くような笑顔で接客されれば、誰だって悪い気分にはならない。特にショウは可愛い、誰もが認める可愛さを持っている。そんな可愛いメイドちゃんが飲み物を売ってきたら、どれほど高くても買ってしまうだろう。


 案の定、男性教師も引っかかってしまった。『鏖殺おうさつ』と書かれた紙製の容器を受け取り、ショウに10,000ルイゼを支払う。意気揚々と飲み物を飲みながら購買部の扉を開き、



「ぶーッ!!」



 もれなく噴き出した。

 当然である、だってそれは丹精込めて煮詰めた泥水だから。


 ショウは静かに扉を閉めて、スッとその綺麗な顔から笑みを消して呟く。



鏖殺おうさつ……鏖殺……穢れた野郎どもは……全員、殺す……」



 どこか呪いにも似た言葉を吐き捨て、ショウは店奥に戻っていく。それから途中だった泥水を煮詰める作業を再開させた。


 彼が何故、丹念に泥水を煮詰めるのか分からない。分からないけど、ユフィーリアたちには理解できない事情がある様子だった。

 これ以上は聞かない方がいいだろう。実際、泥水を騙されて10,000ルイゼで購入し、意気揚々と退店してはクソ不味い泥水を啜って噴き出す面白い客の姿が見れることだし。



「とりあえず、見なかったことにしような」


「聞かなかったことにもするねぇ」


「おねーさんも何も知らないワ♪」



 平和な店番の時間は刻々と過ぎ去っていく。

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