第2話【問題用務員と購買部】

 ヴァラール魔法学院の購買部は、敷地内の片隅にある煉瓦レンガ造りの小屋だ。


 おとぎ話に出てきそうな外観の小屋は、黒猫を象った看板が掲げられている。店先に設置された黒板には『今日のお勧め』と銘打たれた商品が学生価格で提供され、隅には猫の肉球まで描かれている始末だ。

 経営者が黒猫の猫妖精ケットシーだからか、全体的に黒猫そのものや猫を模した何かが多い気がする。猫好きには堪らないお店だろう。


 ちなみに購買部の正式名称は『ねこねこ☆しょっぷ』である。店名まで可愛い。



「店長、いるかァ?」



 ちょうど3時間目の授業の真っ最中で、購買部には客が1人もいなかった。


 多種多様なお菓子が並べられた商品棚に、学生の授業で必要な紙束やインク瓶なども取り揃えられている。壁際に設置された本棚には授業で使うものと思われる参考書や教科書の他に、一般文芸誌や漫画雑誌なども扱われていた。

 店内の隅には巨大な硝子ガラス製の箱が置かれ、そこにはキンキンに冷やされた飲み物が陳列されている。箱の内側を冷やす魔法がかけられた魔導具で、いつでも冷えた飲み物が提供される便利な代物だった。


 店奥に設置された会計台を覗き込んでみるが、店を切り盛りしている真っ黒な猫妖精ケットシーは見当たらない。はて、どこに行ってしまったのだろうか?



「何だ、留守か?」


「えー、そんなことないよぉ」



 お菓子の商品棚を見ていたエドワードが、ユフィーリアの「留守か」という発言を否定する。



「俺ちゃんとアイゼ、さっきまで購買部にいたんだよぉ。それにぃ、店の扉には『おーぷん』って札があったからまだ営業中だよぉ」


「それもそうか」



 ユフィーリアは納得したように頷いた。


 購買部を切り盛りする黒猫店長は、意外としっかり者である。少しでも店から離れる場合は、必ず購買部に施錠した上で店の扉にかかった札を『くろーず』にするはずなのだ。

 もしかしたら慌てて仕入れに出かけたのかもしれないし、もしかすると急に体調を崩してしまったという可能性もある。過労で倒れた時には大問題だ。



「店長? 店長、生きてるか?」


「はいですニャ!!」


「うおッ」



 店奥から黒い塊がすっ飛んできて、素早く会計台に飛び乗る。

 毛艶のいい黒猫である。琥珀色の双眸を爛々と輝かせ、二股な黒猫の尻尾をゆらゆらと揺らす。2本の後ろ足で器用に立つ黒猫は、ユフィーリアたち問題児の姿を認めると「いらっしゃいませなのですニャ!!」とご挨拶。


 過労で倒れていた、という気配ではなさそうだが、どこか焦っている様子である。忙しなく店奥にある黒猫店長の居住区画を気にしている。



「店長、何かあったか? 仕入れの途中ならまた出直すけど」


「いえ……仕入れではないのですニャ……」



 肉球をぷにぷにと揉み込む黒猫店長は、非常に言いにくそうに「実は……」と口を開く。



「ミィのお嫁さんが産気づいてしまったのニャ」


「あー、確か嫁さんの予定日ってもうすぐだったよな」


「そうですニャ!!」



 琥珀色の双眸を潤ませてユフィーリアの手をぷにぷにの可愛い肉球で握ってくる黒猫店長は、



「初産だからミィも心配なのですニャ。出来れば側についててあげたいのニャ!! でも……購買部を閉める訳には……」



 迷うように視線を彷徨わせる黒猫店長だったが、ユフィーリアの顔を見上げて「ハッ」と何かに気づく。



「そうですニャ、用務員の皆様にお店番をお願いするのニャ!!」


「えー?」



 真面目に働くことを良しとせず、勤勉・勤労という言葉から程遠い問題児どもに店番を任せるとは黒猫店長もトチ狂ったのだろうか。

 問題児どもに店番を任せれば最後、どうなるか分かったものではない。最悪の場合は店が爆破されて木っ端微塵になっている可能性だって考えられる。普通の感性を持っていれば、大切な店を問題児に任せる判断はしない。


 ところが、黒猫店長はそれどころではなかった。



「用務員の皆様はとても優秀でいらっしゃいますニャ、普段の問題行動なんて多少なら目を瞑りますのニャ!!」



 すでに用意されていた旅行鞄と山高帽を引き摺ってきた黒猫店長は、



「大丈夫ですニャ!! 用務員の皆様なら出来るのニャ!! お店を爆破しなければミィは平気ですのニャ!!」


「ちょ、店長? 店長? おい本気か店長!?」


「お任せしますのニャーッ!!」



 黒猫店長は強制的にユフィーリアたち問題児へ店番の仕事を押し付け、旅行鞄を引き摺りながら山高帽を頭の上に乗せて購買部から飛び出していった。


 店番を押し付けられてしまった問題児たちは、嵐のように目まぐるしく展開される目の前の出来事を理解するのに必死だった。

 勤勉・勤労という単語が誰よりも似合わない問題児が購買部の店番である。現在はまだ3時間目の授業真っ只中であり、そのうちお昼休みが到来すれば購買部に飲み物やお菓子を買いに来る生徒が押し寄せることだろう。


 迷惑な客を前にして拳が出るか魔法が出るか、とにかく事件を暴力でしか解決できないユフィーリアたちにとって愛想と信頼が商売に必須となる購買部の店番が務まる訳がない。



「どうするんだよ、店番なんて出来る訳ねえだろ!?」


「俺ちゃんに詰め寄られても困るんですけどぉ!!」



 エドワードの胸倉を掴み、混乱のあまりガックンガクンガクガクガクーッ!! とユフィーリアは強面の巨漢を振り回す。


 問題児が購買部の店番をすれば、真面目に働く彼らを面白がって生徒たちが押し寄せるに違いない。そうすれば購買部はてんてこ舞いだ。天使の喫茶店で借金返済の為に働いていた時の二の舞になってしまう。

 あんなクソみたいに働かされるのは御免である。店番なんてやりたくないし責任も持ちたくないので、とにかく何とか打開策を講じる。



「ハル、購買部の扉にある札をひっくり返してこい!! 店主がいねえんだ、もう閉店しちまっていいだろ!!」


「ユーリ、もうダメだよ!!」



 ハルアは即座に首を振って否定し、購買部の扉を指差す。



「お客さん来ちゃった!!」


「何でだよォ!!」



 ユフィーリアは頭を抱えた。何でこんな時に限って客が来るんだ、今は授業中のはずだろう。


 カランカラーン、と扉に取り付けられた鐘が来客を知らせる。

 扉を開けたのは生徒ではなく、受け持つ授業がない様子の男性教師だった。眼鏡が特徴の地味な男性教諭である。爬虫類を想起させる瞳がギョロギョロと忙しなく動き、問題児たちと目が合うや否や「ひいッ」と上擦った悲鳴を漏らした。



「な、何でここに問題児どもが!!」


「店主に店番を頼まれたんだよ、ちくしょう仕事サボってんじゃねえよ教師のくせに」



 客へ悪態を吐いたユフィーリアは、仕方なしに地味な男性教諭の接客をすることを選ぶ。黒猫店長には世話になっているのだ、敵に回したくない。

 出来ればここで恩を売っておいて、居住区画の模様替えを格安で引き受けてくれないだろうかという淡い期待を胸に抱く。問題児どもが善意で働く訳がないのだ、いつだって『面白い』ことがなければ目先の利益で動くのだ。


 ユフィーリアは「はいはい、何を買いに来たんだよ」と言い、



「さっさと帰れよ。こっちは店番なんて真面目にやる気ねえんだから」


「その、実は店主から今日入荷すると聞いて……ゴニョゴニョ……」


「あ? 聞こえねえよ、もっと腹から声出せ声ェ!!」


「ひいッ!? すみません!!」



 理不尽に怒られた男性教諭は、意を決して用件を告げる。



「あ、あの、あの、闇取引を」


「闇取引?」


「ああああの、あの、すみませんまた出直しますので」


「あーあー、いいよ。聞いたことあるから」


「えッ」



 唖然とする男性教諭に構わず、ユフィーリアは購買部の奥に引っ込む。

 店奥にはたくさんの木箱が積み重ねられ、その中に『闇取引』と銘打たれた木箱がある。その蓋を乱雑に開けると、たくさんの薄い雑誌のようなものが詰め込まれていた。


 ユフィーリアは木箱に詰め込まれた雑誌を1冊ずつ丁寧に確認して、それから該当する人物の名前が書かれた袋のものを探し当てる。紙袋に入れられた中身を確認してから、購買部の店頭まで戻ってきた。



「ミネット・ジュリアス先生でいいんで?」


「は、はいぃ……」



 萎縮した様子の男性教師に、ユフィーリアはさらに追い打ちをかけた。



「闇取引内容が『淫らに乱れる聖女様、お願い私の【放送禁止用語ピー】を【自主規制バキューン】で【検閲削除ドゥルルルル】して』だけどいいか?」


「――――――――」



 男性教師は白目を剥いて立ち尽くした。


 もちろん、ユフィーリアが闇取引を知らない訳がなかった。

 これはヴァラール魔法学院の男子生徒及び男性教諭が共通で使う隠語であり、意味は『エロ本の売買』である。当然ながら魔法学院に入学してしまうと簡単に外へ出られないので、エロ本を購入するには購買部を利用しなければならない。


 もちろん恥もない連中は堂々とエロ本を購入していくのだが、他人の目を気にしがちな生徒や教職員は『闇取引』という暗号を使ってエロ本を購入するのだ。



「はい、780ルイゼ。とっとと出せ」


「――――――――」


「エド、ソイツをぶん殴って正気に戻せ」


「はいよぉ」


「きょぺッ」



 頚椎けいついの辺りを軽く小突かれて正気に戻された男性教諭は、慌てて1000ルイゼを叩きつけてユフィーリアの手から紙袋を奪い去り、急いで購買部から飛び出していった。


 ユフィーリアは笑いが止まらなかった。もう腹を抱えてゲラゲラ笑った。

 そうだ、購買部の店番にはこんな面白い出来事が待っていたのか。ならば仕方がない、購買部の店番を不本意ながら引き受けようではないか。客としてやってきた連中で遊びまくってやるのだ。


 そうと決まれば全員に通達しようとするが、



「あれ、ショウ坊とハルは?」


「店の奥に行っちゃったよぉ」



 店内を見渡しても存在しないショウとハルアの2人に、ユフィーリアは首を傾げる。エドワードの指示通りに店奥を覗き込むが、木箱がいくつかなくなり、購買部の裏口が何故か開いていた。



 ☆



 めらめら、と雑誌類が燃えている。


 ショウに従う腕の形をした炎――炎腕えんわんが、雑誌類を容赦なく燃やしているのだ。木箱からひっくり返されて積み上げられた雑誌類は、どれもこれも淫らな格好をした女性が表紙に映っていた。

 ちなみにその淫らな格好をした女性というのが、銀髪碧眼で黒い衣装を着ているのである。ひっくり返した木箱の中身全てがこれだった。ポーズや衣装の形、髪の長さ、顔立ちなどは変わっているものの、やはりどれもこれも銀髪碧眼の綺麗な女の人である。


 炎腕に命じて雑誌類を燃やすショウの側で、ハルアが同じく木箱を開けて中身を確認した。



「見て見て」


「わあ」



 ハルアが見せてきた雑誌類は、いわゆる薔薇的なアレだった。

 表紙を飾っているのは筋骨隆々とした強面のおっさんである。どこかの誰かを想起させる肉体美だが、多分違うと思う。


 その雑誌類も炎腕で燃やしてやり、ショウは嘆息を吐いた。



「……ユフィーリアに似た人の雑誌が258冊」


「エドに似た人の雑誌が120冊で、アイゼに似た人の雑誌は158冊だね」



 燃える雑誌類を眺める未成年組は、



「ユフィーリアたちで懸想をする連中がいるということか……」


「処す? 処す?」


「ヴァラール魔法学院の校舎を燃やしても足りない……生徒や教職員を鏖殺おうさつしなければ……」



 虚な目でヴァラール魔法学院の生徒や教職員たちに呪詛を吐く未成年組は、ユフィーリアに呼ばれるまで正気に戻ることはなく、ただ無表情のまま雑誌類が燃えていく様を眺めていた。

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