第5話【問題用務員と異世界人】

 ボサボサの黒髪に痩せぎすな身体。

 頬は腫れ、長い前髪の隙間から覗く落ち窪んだ赤い瞳。肌は病気を思わせるほどに真っ白で、内臓が詰まっていないのではないかと思えるぐらいに身体の厚みがない。


 ユフィーリアが異世界召喚魔法で呼び出した異世界人は、今にも死にそうな少年だった。


 絶賛気絶中の異世界人を抱きかかえ、ユフィーリアは彼のあまりの軽さに驚きが隠せなかった。

 素材収集で多少危険な地域に足を運ぶこともあるので、一般的な魔女と比べると筋肉質ではある。それでも気絶した人間を運ぶことは簡単に出来ず、魔法に頼ってしまいがちだ。


 それなのに、この少年は魔法を使わずに抱えられる。

 筋力増強系の魔法も使わずに横抱きに出来るので、彼自身が非常に軽いのだ。まるで、何かの呪いで体重だけをそっくりそのまま奪われたかのように。



「いや、まずいだろこれ!! 死ぬ死ぬ死ぬ!! 死ぬって!!」



 緊急事態発生である。


 とにかくこれはまずい、非常にまずい。

 栄養失調とか体調不良とか小難しい名前の病気だとか、そんなものが頭に浮かんでは消えていく。魔法さえあればどんな病気でも即座に解決できるが、こんな痩せ細ってしまった身体では用務員はおろかヴァラール魔法学院の生徒にすらなれない。


 少年を抱きかかえたまま、ユフィーリアは第7儀式場の外で待機する3人の部下に慌てた様子で命じる。



「おまッ、お前らッ。誰か医者、医者を呼べ!!」


「お医者さああああああああああん!!」


「誰がそんな原始的な呼び方をしろって言ったよ、馬鹿が!!」



 ユフィーリアの「医者を呼べ」という命令に対してハルアの起こした行動は、廊下に向かって医者と叫んだだけだった。

 違う、そうじゃない。廊下に向かって医者と叫んでも医者が床から生えてくる訳でもないので、その方法は間違いだ。


 状況をいまいち理解していないエドワードが、不思議そうに首を傾げながら少年を抱えて狼狽えるユフィーリアに問いかける。



「たかが気絶だけでぇ、そんな大袈裟になるぅ?」


「じゃあ持ってみろよ!! コイツ持ってみろよ!!」



 ユフィーリアはエドワードに、異世界人の少年を慎重な手つきで渡す。


 グッタリとした状態の少年を抱えたエドワードは、彼のあまりの軽さにあんぐりと口を開けていた。

 本当に少年を抱えているのか不安を覚えたのか、視線だけで「生きてるのぉ?」と問いかけてくる。薄い胸板が僅かに上下しているので、呼吸だけはしている様子だ。良かった、まだ生きている。



「エド、オレも持ってみたい!!」


「ハルちゃんは手加減できないから諦めようねぇ。この子が死んじゃうからねぇ」


「分かった!!」



 異世界人の少年に対して興味津々なハルアだが、エドワードにやんわりと諭されて大人しく引き下がる。

 確かに、ハルアの場合は手加減が出来ないので、異世界人の少年を死に至らせてしまう可能性が大いにあり得る。せっかく召喚したにも関わらず、早々に棺へ送り込むことだけは避けたい。


 すると、少年の手のひらをじっと見つめていたアイゼルネが、



「ユーリ♪ ユーリ♪」


「どうした、アイゼ」


「これ見てヨ♪」



 アイゼルネは、壊れ物でも扱うかのような手つきで、少年の手をすくい上げる。


 少年の手のひらには、無数の火傷痕が残されていた。

 ポツポツと柔らかな手のひらに浮かぶ火傷痕は湿疹のようで、皮膚は見事にボロボロの状態だ。火傷が治らないうちに新たな火傷を負わされ、酷い有り様と化している。


 無残な手のひらを前にして顔を顰めるユフィーリアに、アイゼルネはこう言った。



「多分これ、煙草が原因ネ♪」


「灰皿の代わりに押し付けられたって? おいおい、過酷すぎるだろ異世界ってのは」



 煙管の他に煙草も多少は嗜むユフィーリアは、その先端がどれほど熱いか知っている。加減を知らずに何度か火傷をしてしまったことも記憶にあり、その熱さは思い出しただけでも皮膚がヒリヒリと痛む。


 この状態から察するに、彼は過酷な世界で生きていたようだ。

 それなら頬の傷も、痩せぎすな身体も、ボサボサになった髪も納得できる。着ている衣服はかろうじて上等な布地で作られているが、身を守るような機能は備わっていない。


 面白半分で異世界召喚魔法へ手を出してみたが、まさか召喚した人間が重たい過去を抱えているとは想定外だ。



「どうするのぉ?」


「どうするって言ってもなァ……」



 過酷な世界で生きていた彼を、果たしてどうしてやるのが1番の幸せだろうか。


 元の世界に送り返す?

 それとも、このままヴァラール魔法学院で生徒として引き取って貰った方がいいか?


 異世界人の少年に対する処遇を悩んでいたユフィーリアだが、どこからか聞こえてきた掠れ声に顔を上げる。



「――、――――、――、――」



 エドワードに抱えられる少年が、苦悶の表情で呻き始めた。


 決してエドワードに抱えられるのが嫌だという訳ではなく、どうやら悪夢にうなされているようだった。

 煙草による無数の火傷痕が目立つ手のひらを握りしめ、痛みに耐えるかの如く歯を食い縛り、額に脂汗を浮かばせる彼は掠れた声で言葉を紡ぐ。



「ごめ、な……ぉじ、さ。叩かな……、やだ……ご、めんな……さ」



 かろうじて聞き取れたのは、身内に対する謝罪の言葉。

 そして、叩かないでという懇願。


 重たい空気が第7儀式場を支配する中で、ユフィーリアの静かな声が落ちる。



「なあ、お前ら」



 その呼びかけに対する反応はない。



「アタシ、コイツを用務員にする」


「いいよぉ」


「うん、分かった!!」


「いいわヨ♪」



 彼らのやるべきことは決まっていた。


 彼が笑えるような環境を整えてやろう。

 もう暴力に怯えず、火傷を負う心配もない、明るく楽しい生活を提供してやるのだ。



「運が良かったな、少年」



 額に滲む脂汗を拭ってやりながら、ユフィーリアは言う。



「この学院の問題児は、面白おかしく生きるのが得意なんだぜ」



 何故なら、物事を『面白いか』『面白くないか』で判断する自由奔放な魔女を筆頭としているのだから。



 ☆



 個人情報や過去の記録を読み取る閲覧魔法を使って、異世界人の少年に関する情報を得た。


 少年の名前はアズマ・ショウ。名前の読み方は極東方式に倣って、ショウが彼の名前の部分に該当する。

 極東方式とは東の国にある一部地域による名前の読み方で、苗字が名前の先に来るという特殊なものだ。


 年齢は現在15歳の未成年、最終履歴は高校生で止まっている。中学時代は非常に優秀な成績で、全国的にも上位に食い込むほど頭が良いようだ。

 入学した高校でも新入生代表挨拶を務めるほど明晰な頭脳を有していて、教師陣からの注目度も高かった。身体能力もそこそこ高く、何でもそつなくこなせる様は文武両道の言葉を体現している。


 そして気になる部分だが、



「叔父夫婦からの虐待だってよ」


「やっぱりぃ?」


「まあ、手のひらの火傷を見りゃ予想は出来るわな」



 閲覧魔法を解除して、ユフィーリアはため息を吐いた。


 現在、異世界人の少年――アズマ・ショウは、用務員室に置かれた革張りの長椅子ソファに横たわっている。未だに悪夢は彼を解放する気はないのか、眉間に深い皺を刻んでうんうんと唸っている。

 苦悶の表情を浮かべて薄い胸板を掻き毟りながら、彼はひたすら「ごめんなさい」とここにはいない誰かへ向けて謝罪を繰り返していた。もう謝る必要などないのに、可哀想なことである。


 雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、ユフィーリアは言う。



「手のひらに治らない火傷、身体には無数の痣。食事も碌に与えられなかったから痩せ細り、髪も無理やり切られた影響でボサボサ。もうこれを見て虐待以外に言葉が見つかるか?」


「酷すぎるワ♪ こんなに可愛い子を虐めるなんて許せなイ♪」



 憤慨するアイゼルネに、ユフィーリアは「まあな」と同意を示す。



「とはいえ、もうコイツが謝る相手はいねえ。そうだろ?」



 彼を苦しめる要因となっていた叔父夫婦は、元の世界に置き去りとなった。もう彼が謝る必要も、痛みに耐えながら生活をすることもなくなった訳である。



「ところで、ハル」


「何!?」


「異世界人の坊ちゃんに添い寝をしてるのは分かったけど、何で全裸なんだ?」



 長椅子に横たわって眠る異世界人の隣では、全裸のハルアが添い寝をしていた。どこからどう見ても全裸である。下着すら身につけていない状態だ。

 この変態的な格好をした馬鹿野郎を起き抜けに認識すれば、心的外傷を負うどころの話ではなくなってしまう。特にこの異世界人、叔父夫婦から凄惨な虐待の数々をほぼ毎日のように受けていた地獄のような生活を送っていたのだ。繊細に扱わなければ正気度がゴリッと削れて発狂してしまう。


 ハルアは眠る少年を起こさない程度の声量で「決まってるよ!!」と言い、



「起きたら『熱い夜だったね』って言うんだ!!」


「今って昼間だよねぇ?」


「違う、そこじゃない」



 見当違いな馬鹿発言をするエドワードの脇腹に手刀を突き刺すユフィーリアは、



心的外傷トラウマを植え付けることになってどうするんだよ、降りろ!!」


「嫌だ!!」


「何で拒否してんだよ変態クソ馬鹿野郎がよォ!!」



 ユフィーリアは何とか異世界人の少年からハルアを遠ざけることに成功するが、全裸添い寝を未だに諦めきれずにいるハルアが必死に抵抗してくる。そこまでして全裸添い寝をしてやりたいのか、彼の思考回路はどうなっているんだ。

 ならば、とユフィーリアは暴れるハルアの首を絞めて意識を落とそうと試みる。首に巻きつくユフィーリアの腕をパシパシと叩いてハルアは投降の意思を示してくるが、油断ならないので意識を落とす作戦は続行だ。


 そんなドタバタした気配を察知したのか、ついに異世界人が目を覚ました。



「うぅん……うるさい、誰……?」



 寝ぼけ眼を擦りながら起き上がる異世界人の少年は、悲惨な用務員室の光景を目の当たりにしてしまう。


 全裸馬鹿の意識を刈り取るべく寝技を仕掛ける銀髪碧眼の美女、必死に抵抗する全裸【自主規制】丸出し野郎。そのすぐ側では脇腹を押さえたまま地獄の底から聞こえるような呻き声を漏らす強面の巨漢と、呑気にお茶の準備をし始める南瓜頭の肉感的な印象を与える女性という個性の大渋滞を巻き起こしていた。濃厚なスープを寸胴鍋ごと飲んだような気分になる。胃もたれ待ったなしだ。

 もはや悪夢である。その悪夢を作り上げる原因となった問題児どもも少年の起床と同時に動きを止め、微妙な空気が流れ出した。


 先に動いた少年は、



「二度寝しよう。おやすみなさい」


「おい待て、寝るな。起きただろお前、起きろ!!」



 現実逃避する為に二度寝をしようと試みる異世界人の少年を、ユフィーリアは問答無用で叩き起こすのだった。

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