ep6.抹茶とアイス④
それから僕たちはもう少しだけ宿題を進め、頃合いを見計らって休憩をとることにした。そのころには集中力もだいぶ散漫になって、効率も落ちていた。雑談も増えてくる。高森は何とか英語のプリントを終わらせたようだ。六割くらい合ってたらいいな、と言う。
ジュースを飲み干して空になったグラスを片づけ、飲み物を新しく用意する。やかんで湯を沸かしてインスタントのコーヒーを入れた。高森のぶんには少し多めに牛乳を入れる。僕はそのままだ。
通学鞄にしまったままだったスイーツを互いにテーブルに出してきて、そこで初めて僕は高森が購入したのが抹茶のシフォンケーキであったことを知った。僕がさんざんどちらにするか迷った、もう片方だ。
こういうのは人が手にしているとなぜだかことさらにおいしそうに見えてくるものだ。僕は高森のそれを眺めながら、やはりどら焼きじゃなくてシフォンケーキでもよかったな、と少し思った。
「ありがと」
牛乳入りのコーヒーのマグカップをテーブルに置くと、高森は礼を言ってそれを自分の傍に引き寄せた。僕も自分のぶんのコーヒーをどら焼きの傍に置く。
我が家の食器棚には、使っていないマグカップがたくさん眠っている。気づかないうちにいつの間にか増殖していたりもする。主に増やしているのは母親だ。僕はマグカップを自分で買ってくることはないし、父親も同じだろう。そもそも平日の父親に、どこかに寄り道してくるような余裕はないだろう。家と会社の往復の毎日だ。休日だってほぼ寝ている。
マグカップは母親が何かのキャンペーンで貰ったり、誰かから貰ったり、旅先の記念に購入したり、絵柄に一目惚れして衝動買いしてきたりしたものだ。腐るほどあるのだからもう必要ないとわかっているはずなのに、なぜだかつい集めたがるのだ。
だってたくさん並んでると可愛くない? というのが母親の主張だが、僕にはその感覚がちっとも理解できない。別にひとつだろうがたくさんあろうが可愛くない。マグカップが可愛いという感覚も不明だ。マグカップは、マグカップだ。
そもそも可愛いから使うのかといえばそんなこともなく、使うのはたいていいつも同じマグカップなのだ。結果、増えたマグカップはそのまま長いこと食器棚の肥やしになっていた。
高森にコーヒーを入れて出したのは猫が毛糸にじゃれている絵柄のマグカップだった。マグカップを使うとき、高森にはだいたいいつもこれで出している。グラスも決まって使うものがあり、グラスにしてもマグカップにしてみても、何だか高森専用のようなものができあがっていた。
使われないまま眠っているばかりだったものが、ほんの少しとはいえこんなふうに活躍する日が来るとは思いもしなかった。
高森はシフォンケーキの包装をぎざぎざとした端っこから縦に細く裂いて開けた。それから袋から出したそれを、両手で持って均等に半分に割る。ケーキが入っていたそのポリプロピレンの包装を皿代わりにしていた。取り皿は必要ないだろうと思い、出していなかった。
お上品にちぎって食べでもするのかと思いながら見ていると、割った半分を僕のほうに差しだしてくる。
「はい」
「……何だよ」
意味がわからずに、僕は少し不機嫌な声になる。何でちぎった半分を僕によこすんだ。
高森は僕の態度を気にしたふうもなく、ただ少しきょとんとした表情で僕の顔を見返した。
「何って、買うときそうとう迷ってるみたいだったから。半分こにしたらいいんじゃないかと思ったんだけど」
その言葉にぽかんとなる。
「……その発想はなかった」
もともと大人数を想定したものならまだしも、こういったコンビニスイーツのようなものを誰かとシェアして食べるなど思いつきもしなかった。迷ったらどちらかいっぽうか、いっそ両方買ってしまうか、僕の選択肢は今までそれだけだった。
世の中の友人や家族はみんなそうやってシェアしあっているものなのだろうか。目から鱗だ。
「まあ、織部ならそうじゃないかなとは思ってたけど」
高森は予想どおりとでもいうようにくつくつ笑った。それから僕のほうを見て少し小首を傾げる。
「どうする。シフォンケーキ、いる? いらない?」
「いる」
僕は高森の手からシフォンケーキを半分受け取ると、代わりに僕が買った宇治抹茶どら焼きも同じように半分に割って渡した。僕は高森よりも手先が器用ではないので、少しいびつな半分になったように思うが、まあ僕にしては及第点だろう。割ったときにあいだからクリームがはみだしたのには目をつぶる。
僕はまず、高森から受け取ったシフォンケーキを口にした。生地がふわふわとしていて見た目よりも軽やかな食感だった。空気をふんだんに含んでいるという感じがする。抹茶の味はそこまで強くない。おいしいが、何だか少し物足りない気もする。
いっぽう、どら焼きは生地がしっとりとしていて、少し苦みのある抹茶クリームもバランスがよくてあとを引いた。僕の好みは断然こちらだ。
高森もシフォンケーキとどら焼きを少しずつ順番に食べている。食べかけを包装紙の上に置いて、コーヒーを啜った。
「どう?」
マグカップを置くと、僕のほうを見てそう訊ねてくる。
「ん。僕が自分で買ったやつのほうが断然おいしいな」
素直な感想を僕が述べると、そのとたん高森はぶはっと噴きだした。腹を抱えて体をまるめ、しばらく声を上げて笑っていた。笑いすぎて呼吸が苦しくなったのか、げほげほと盛大に噎せ返っている。
……ちょっと笑いすぎじゃないのか。
僕は唇を尖らせる。何をそんなに笑うことがあるんだ。おかしなことは何も言っていないつもりだが。高森の笑いがおさまるまで、ぼんやりとその様子を窺う。
「ほんと、織部っていっさい遠慮がないよな」
笑いすぎて、涙で瞳を潤ませている。笑いはなかなかおさまる様子がなく、まだ少し声が震えていた。
「高森だって似たようなものだろう」
むっとして僕が言い返すと、高森は眦に溜まった涙を拭いながらふっと息を吐いた。
「おれの場合は、織部にだけだよ」
どういう意味だ。
とたんにこの応酬がばかばかしく感じて、僕は黙る。不機嫌は隠さないまま、残りのどら焼きを黙々と食べた。高森もようやく笑いがおさまった様子で、深呼吸を一度して呼吸を整えてからコーヒーをひと口飲んだ。それからどら焼きを頬張る僕のほうをちらりと見た。
「どら焼き、分けないで一人で全部食べたほうがよかった?」
高森に訊ねられて僕は少し考え込む。それから首を横に振った。
「……いや。分けるのは、それはそれで」
結果的にはどら焼きのほうが僕好みだったわけだが、抹茶のシフォンケーキも気になっていたのは事実だ。そういう意味でも、いっぺんに違う味を楽しめたのは悪くなかった。
「そっか」
「……何だよ」
僕を見る高森の口元が笑みのかたちにほころんでいるのを見咎める。またさっきのように大声で笑いだすのではないかと思った。高森の笑いのツボがどこにあるのか、僕には理解が不能だ。僕のことを面白いと高森は言うが、僕はそもそも笑わせようとは思っていないし、至って真面目なつもりなのだ。
「いや。織部といると本当に退屈しないなって思って」
「……ばかにしてるのか」
「してないよ。織部のいいところだって言ってるんだ」
高森は食べかけていたシフォンケーキを手に取った。少しずつ食べながらコーヒーを飲む。僕もまだシフォンケーキを少し残していた。どら焼きを食べ終えてから一度コーヒーを飲んで口のなかをリセットし、それから残っていたケーキを手に取って口に放る。
ふわふわの生地が口のなかで溶け、ほのかな抹茶のにおいが鼻を抜けた。
「……やっぱり、高森が買ったほうもおいしいかも」
僕がそう言うと、高森は一瞬きょとんとした顔をした。それからにやりと含みのある笑みをする。
「それならよかった」
僕たちはどら焼きとシフォンケーキをすっかり平らげると、ご馳走さま、と言ってどちらからともなく両手を合わせた。
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