ep6.抹茶とアイス②

 高森が水槽の傍でゆらゆらと振った手に反応して、エンゼルフィッシュがゆっくりと体をこちら側に向けた。高森は相変わらずそれを嬉しそうに眺めている。エンゼルフィッシュは今日も異常なく、至って元気そうだ。

「餌、あげてもいい?」

 高森は僕のほうを振り返りながらそう訊ねてくる。僕は答える代わりに、水槽の横に置いていたフードの容器を取って高森に渡した。

 高森が容器の蓋に少量のフードを取り、水槽の上から落とす。エンゼルフィッシュは相変わらず悠然と泳いでいたが、ゆらゆらと落ちてきたフードが顔面に触れるとそれをぱくりと口にした。動作は緩慢で、自ら餌を探そうというそぶりはない。ただ泳いでいるときに自分の傍に降ってきた餌をもごもごと食べるだけだ。

 高森はしばらく、エンゼルフィッシュがそうやってフードを食べるところを楽しそうに観察していた。

「やっぱり一匹だと水槽が大きくてちょっと寂しく感じるな。悠々と泳げていいのかもしれないけど」

 水槽のほうを眺めたままそう言う。

「まあそのうちもう一匹くらいは増やすつもりではいるけど」

「やっぱり、同じエンゼルフィッシュ?」

「それでもいいけど、混泳できる別の種類のやつもありかなとは思ってる」

「ネオンテトラは買わないの」

「……買わない。わざと言ってるだろう」

 ぶすっとした声で答えると、高森は少し笑ってこちらを見た。

「もしもう一匹増やすときは言ってよ。おれも一緒に見に行きたいから」

「わかってるよ」

「一人で勝手に行かないでよ?」

「行かない。わかってるってば」

 僕と高森はもう何度かこの話題を繰り返している。そのたびに高森には念を押されていた。これで僕が一人で勝手に買いに行ったら相当にあとがうるさそうだ。ただ当面はまだしばらくこのままのつもりだった。エンゼルフィッシュはわりと気性が荒い魚なので、混泳には少し慎重になっていた。

 僕は水槽の前にいる高森の傍から離れると、キッチンに向かった。冷蔵庫を開けてなかに入っていた林檎ジュースのペットボトルを取りだす。それから食器棚からグラスをふたつ出して注いだ。

 冷蔵庫の横の戸棚を覗くと、ポテトチップスやら煎餅やらクッキーやら、あらゆる種類のお菓子がいっぱいに入っていた。もともと嗜好品は母親が好きでよく買ってきているのだが、高森がしょっちゅう遊びにきていることを認識してからその量が一段と増えた。

 林檎ジュースも、僕たち二人のために母親が用意しておいたものだ。

「あとでさっき買ってきたやつ食べるだろうけど、どうする。何か少しつまめるもの出しておくか?」

 高森に向かってそう声をかける。高森は水槽から僕に視線を向けた。ふるふると首を横に振る。

「大丈夫」

 そう言われていったんはそのまま戸棚を閉めたが、思い直してけっきょくポテトチップスの袋を取ると中身を皿にあけ、林檎ジュースを注いだグラスと一緒にテーブルに置いた。

「大丈夫って言ったのに」

 水槽の傍を離れてこちらに来た高森が、それを見ながら言う。高森の意見を無視したかたちになるが、その声音はべつだん不機嫌そうではない。

「用意した菓子が全然減ってなかったら、それはそれであとで母さんがうるさそうだって気づいた」

 僕は高森にわけを説明する。

「おれに訊いた意味なかったな」

 高森はふっと笑った。

 それから僕たちは教科書とノートをテーブルに広げて、しばらくのあいだは真面目に勉強をした。我ながら実に勤勉な学生だと思う。僕たちの通う高校はこの辺りではそこそこの進学校なので、宿題の数もそれなりだった。

 高森は相変わらず英語があまり得意ではないようだ。宿題に出されたプリントを前に、シャーペンを持ったまま動きが止まっていることが多かった。僕はもうそのプリントはすでにすませていて、今は違う宿題に取りかかっていた。先ほどコンビニで購入した芯は、早々にペンケースにしまっていた。

 訴えるような目でちらりと僕を見てくる高森を最初のうちは無視していたのだが、あまりに悲痛そうな顔をするので、僕も根負けした。

「……どこがわからないんだよ」

 そう言って少し高森のほうに身を乗りだすと、あからさまに表情を明るくする。プリントを僕のほうに押しやって、こことこことここ、と素早く指を差す。

 思っていたよりも多かった。

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