ep2.ラズベリーリコッタマフィン⑤
僕たちは購入したマフィンの紙箱を持って近くの公園に移動した。僕としてはこのまま解散してしまってもよかったのだが、高森に誘われてそこでマフィンを食べることにしたのだった。考えてみれば自分のぶんしか買っていないので、家に持ち帰るよりはここで食べて隠滅してしまったほうがいいかもしれない。父親はともかく母親に見つかったらうるさそうだ。高森も買ったのはひとつきりなので、もともと家に持ち帰るつもりはなかったのだろう。
公園は数組の親子連れで賑わっていたが、ちょうどよく空いているベンチがあり、僕たちはそこに並んで座った。
「何か飲み物買ってくる」
高森はそう言って近くの自動販売機に向かい、紅茶を二本購入して戻ってきた。一本を僕に差しだす。僕はそれを受け取って代金を払おうとしたが、「おれの奢りでいいよ」と高森は笑ってベンチに座りなおした。
「マフィンに合うようにちゃんと紅茶にした」
蓋を開けてひと口飲みながら言うので、お礼を言おうとしていた僕の言葉は引っ込んだ。……こいつけっこう根に持つタイプか?
きゃあきゃあと子供のはしゃぐ声が公園じゅうに響き渡っている。賑やかだ。ブランコに乗った子供の背中をゆっくりと押している母親がいる。ボール遊びをしている親子がいる。楽しそうに追いかけっこをしている小さな兄弟を眺めている父親もいる。追いかけていた弟だろう子供が転び、父親が慌てて傍に駆け寄った。暖かな陽射しと相俟って、実に
僕はコック帽を被った熊のシールを剥がして紙箱を開けた。蓋を開けた瞬間、ふわりと甘い香りが漂ってくる。ていねいに詰められたマフィンを慎重に取りだしてひと口囓ると、ラズベリーの甘酸っぱさとリコッタチーズの濃厚さが口のなかで絡んだ。紅茶をひと口飲む。ほっとした。
「おいしいな」
思わずそうこぼすと、隣で同じようにマフィンを食べていた高森もうんうんと頷いた。
「甘酸っぱいのとチーズがすごく合ってるな」
「これにして正解だった」
「うん。これは当たりだな。まあ、ほかのもきっとおいしいんだろうとは思うけど」
「行列ができるのもわかる」
「そういえば織部って、行列とか並ぶんだな」
「あれは、高森に無理遣り並ばされたようなもんだろう。僕だってふだんはああいうのにはあまり並ばない。……まあ、例外はあるけど」
人混みは好きではないしふだんはできるだけ避ける僕だが、本当に買いたいものや食べたいものであれば厭わない。今日だってあの行列が予めマフィンの移動販売だとわかっていれば、最初からもっと気持ちよく並べていただろう。
皮肉を込めてそう言えば、高森は苦笑した。
「それもまあ、さっきの蹴りで帳消しだろ」
そう言いながら、先ほど僕が蹴ったほうの足をぶらぶらさせる。
「もう一発蹴ってもいいくらいだ」
「だからすぐ暴力に訴えるのやめろよ」
「うるさい」
「ひねくれてるなあ」
「よけいなお世話だ」
僕の言葉に高森は目を細めてくつくつ笑った。
「でもまあ、連絡先交換してていいこともあっただろ?」
「……まあな」
素直に頷く。マフィンを買えたのが高森のおかげであることは否定しない。
僕はもうひと口、マフィンを囓った。目の前で、転んで泣いている子供をどうにか泣き止ませようと父親が四苦八苦している。しかし子供はなかなか泣き止まず、困り果てた父親は終いに子供を抱きかかえて公園から出ていった。ぽんぽんと背中を叩いてあやしている。小さな兄が少しおぼつかない足取りでそのあとをついていった。
高森はその様子を微笑ましそうに眺めていた。それからまたマフィンを口に運んだ。
「でも、結局おれから連絡しちゃったなあ」
前を向いたまま、独りごちるように言う。僕は高森のその横顔をじっと見つめた。ぼそりと口のなかで小さく言葉を呟く。
「ん。何か言った?」
「……別に」
こちらを向いて不思議そうに訊ねてくる高森に僕は首を振って、残りのマフィンをぽんと口に放りこんで紅茶を飲んだ。高森はしばらくそんな僕の様子を怪訝そうに眺めていたが、やがて公園の風景に視線を戻すと残りのマフィンを食べ進めた。僕も公園の風景に目をやる。もうすぐ昼どきになるからだろう、公園で遊んでいたほかの親子連れもぱらぱらと帰りはじめている。
昼ごはんは食べると母親に言ってあるから、僕もそろそろ帰らなければならない。高森がマフィンを食べ終わったら今日はもうぼちぼち解散だろう。
そんなことを思いながら、ちらりと横目で高森を見る。高森は僕の視線に気がつかない。
次は絶対に僕から連絡してやるから覚悟しろよ。高森に聞こえないくらいの声で、僕はもう一度そう呟いた。
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