第5話

 そんな、何か分からない飢えに責め立てられていた頃のことだった。僕は下宿の総菜を買いに、大学の帰りに下宿近くのスーパーに寄っていたついでに、ウイスキーを買った。

 下宿に帰ってから、僕は夕飯を食べながら、酒を飲みつつネットアイドルのインターネット配信を眺めながら、彼女ができたのに何でこんなの見てんだろという、その配信者に何気に礼儀知らずなことを考えた。それでその思考のオチも特につけずに結局手が向かうのは、コップに注がれた水割りのウイスキーだった。

 洋酒を飲んでいるのだから、それに合った洋食的な総菜をこだわって準備したほうがいいのだろうが、細かいことを気にするのが嫌だった。

 しかも僕は大志を抱く青年であったから、それだけでは決して満足してはいけないと自分の魂を固く戒めて、最初に向き合うのはどこまでも澄み渡ったブルーライトに輝くデスクトップの画面。そこから世界は始まる。そしてそのネットの世界において、酔いが深まるにつれてどんどんと狂っていく自分の不安定な存在そのものを、何かもっと崇高な「作品」として、世に問うてみたいと僕は考え始めた。

 そうやって、調子に乗って二、三ページ記事を書くとその記事のうちの一つは、そのサイトのコンテストの候補作に推薦された。

 それは自分にとって多少なりとも幸せをもたらしたけれども、すぐにアイデアは枯渇してきた。香織や同好会の仲間を振り切りたいという思いは、モチベーションの維持には脆弱過ぎた。

 そのうち僕はもう一人の自分がそれでも書こうとする自分に対して声をあげるのに気がついた。そのもう一人の僕はこう言った。

「孤立したところで、それが何になるんだ? 記事を書くのがそんなに偉いか?」

 僕はそいつに言い返す言葉が見つからなかった。自分に自信がなかった。

 自分の記事の文章にだんだん迷いが生じ、ついには一文字も書けなくなり、そこでの活動は停止してしまった。


 僕は次第に人生のどん底にいるような気分へと落ち込んでいった。日曜日の朝遅く、なんの予定もなくだるい体を起こし、体育座りでこれからどうしようか、とぼんやりと考えていた。

 そんな時に気づいたのが、自分は元々外国の文学を学びにこの大学に行っていたはずだったということだった。それがいつの間にやらこんなところまで落ちぶれ果ててしまって情けないと我ながら思った。そこでだいぶ遠ざかって本棚に眠っていた外国文学に手を付け始めた。でも色々読んで、案外に共感できるものがあまりなく、何処の国の文学も似たように見えた。


 そのうちに僕は自分の中にある一つの感情に気づいた。その感情は言葉にすると「淋しい」になると思った。僕はただ淋しかった。何が淋しいかも分からないくらいに。その淋しさがどういう淋しさなのかも自分にはよく分からなかった。ネットにすら書くのがはばかられるような感情を突然ノートに書きなぐりたくなった時に、ふと一番初めに心から出てきた言葉が、「淋しい」だった。

 「淋しさ」というものは、対象を無自覚に探し続ける、極が一つしかない磁石のようなものだ。そして周りの磁石も自分にとっては同じ極のように近づこうとしても近づくことができない。

 もはや何を求めたいのかも分からず、僕の心はもだえ苦しんでいた。そんな僕の状況にも関係なく無情にも授業は勝手に開かれ、定期試験はあるし、その結果なんてものはもう、推して知るべしだった。試験に臨んでいるときも、心は上の空、どうすればいいか分からないな、とあたかも「考えることについて考える」ように何のことだかよく分からないことについて物思いにふけっていたからだった。

 そんな散漫な思考すらそのうち湧きあがらなくなった。静かな自分の部屋ではもはや何の音もしない。心身も荒れ果て、机に向かって姿勢を維持するのもやっとだった。そんな中僕は最後の決心をした。よし、遺書を書こう。


 僕は急に自分の今までの身の上を長々と書き連ね始めた。幼少期、小学校から中高も含めて書こうと思ったままに時系列も滅茶苦茶なまま色々なことを書いていった。

 書いていてただただしょうもない人生だなと思うだけで心残りなことはほとんどないように思われた、はずだった。しかし散々書き連ねた文章の中に唯一心残りだったことがたった一つだけ出てきた。香織だった。

 僕の意味のない人生にやってきてくれた香織に自分がなしたことの一つ一つを思い返してみた。香織は僕のしょうもない人生のとばっちりを受けたに過ぎなかった。そんなことしかできない自分に何かできることはないかと考えを巡らせたとき、自分はこの部屋を出て香織に会いに行かなければならないとすぐに思った。会って話をしなければならない、これまで意図的に香織を自分から遠ざけていた非礼を詫びなければならない、そして僕の真実の気持ちを香織に伝えなければならない。僕は一人忽然と椅子を立ちこぶしを握り締めていた。

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