第2話

 ところで僕はそのとき大学一年生だった。ピッカピカの一年生、なんて言葉もあるものだったと書きながら思い出したところではあったが、とはいえこのキャンパスで自分が所属する学科内の様相、その大まかな全容というものは、感覚のレベルにおいてはその夏に差し掛かって来た時期で大体見当のつくものとなっていた。

 それはなぜかというと、そのキャンパスに平日ならず土日も良く出入りしていたということに加え、その土日や平日の空いている時間を使って、公式なのか非公式なのかも分からない怪しげな「漫画研究会」を称する団体へ出入りしていたからである。

 僕のように真面目で素直で他人に振り回されやすい人間が大学生活をそれなりに送れていたのはひとえに漫研のおかげだった。友人を増やすことと、単位取得に関する情報交換との二つの必要を充足させるのに、そのサークルでは十分な情報や人脈が息づいていた。

 中にはふむ、真面目に求道者のごとくコマ割りの図面(と言うのが正しいか僕は良く知らない)と対峙しながら一心不乱に何かを考えては描く殊勝な者もいるにはいるが、ほんの一部としか映らない。大多数は、一、サークルの腐れ縁から漫画を借りて読んでいる、二、サークル活動場所に囲碁、将棋盤等を持ってきてそれに追随する仲間と明け暮れる、三、何だか雑談をしたそうにふらっと寄ってみる、そして四、意味もなく格好のつけたドリンクを買って飲みながらマン・ウォッチングをする、大概この四つの項目のうちのどれか一つに分類されると相場は決まっていた。

 そして僕はその三ときどき一の者として訪れ、時には更なる非公式的な場所にてサークル内のメンバー達に対する綿密な取材活動(通称、「飲み会」)を行い、そこから様々な情報をゲットしては下宿先本部(通称「僕のウチ」)において壮大な行動計画(通称「授業を取る手続き」)を策定するに至るのだった。

 そんな謎の団体の良さと言えばそのメンツのダイバーシティだろう。

 「存在が面白い」という言葉が世の中にはあるが、それに実際当てはまる人間が存在するものだと実感したのは、大学生活の一環としてその「漫画同好会」とかいう適当なサークル内での人間観察を行った結果である。特に僕がその中で良くかかわりのあった人物を少しばかり紹介しよう。

 一つ、大学を三留して今もなお亡霊の如くゆらゆら彷徨する、年齢不詳な男子。名はコウノ、髪は常にぼさぼさ、絵を描かせるとピカソ。話をさせると新開発されたアンドロイドのよう。それを傍らにいるサークルの御厨という名前の後輩にサポートしてもらいながら彼は今日も元気に生きている。

 二つ、今言ったコウノのサポート役である御厨。僕と同じ文学部日本文学科で同級生の彼は、大学の最寄り駅の近くにある豪邸のようなアパートに下宿しているので、サークル生からの人望厚く、彼の下宿先は二次会後の恰好のたまり場として重宝されていた。

 そんな彼の夢は世界征服で、そのために必要な部下とのコミュニケーション能力を鍛えるためにとある教育関係のボランティアで講師をしていたが、そこで生徒に対して高圧的な別の講師とケンカ別れし、それからの彼は、これからの世界において必要なのは、自分のような大衆の味方によって自由革命が行われることだと悟り、その後はサークル内で謎の「革命思想」なるものを伝播させるための思想漫画を刊行し続ける傍ら、つねにメンバーへの啓蒙活動も怠ることがなかった。

 そんな御厨に対する強力なアンチテーゼ、コンペティターなる人物が文学部民俗学科で同学年の伊民だ。

 伊民には名言がある。その名言とはこうである。

「人生は、美少女キャラの台詞の一行に敷かない」

 何処かで聞いたような言葉だし、本当はこの名言にも実は僕自身があまり感動していなかった。でもこの名言は彼の性格を例えるにはこれ以上ない、というほどの名言なのである。

 というのも伊民にはこっぴどい癖があった。それは身の回りの物事を一々サブカル的な、いやもっと端的に言えばオタクな、いや要するにアニオタ的なことに結び付けるのがやめられないという癖だった。

 伊民の隣でややこしい授業を受けるというのは、この上ない贅沢であった。伊民がいれば、どんな無味乾燥な授業も、「ほら実存の三段階とか言ってるけど、要するに美少女三人から迫られて、誰を愛するのみたいに考えればいいんだよ、美的実存が要するに金髪アホ毛な我儘っ子で倫理的実存がヤンデレ系で束縛する、それから逃れようとして辿り着いた先がクーデレだよ。ほらクーデレだと静かになるから相手そのものと向き合わなきゃダメでしょ」とか、「ダス・マンって要するにモブキャラでしょ、モブキャラに個性求めてもたかが知れてるからな。そういう奴らって物語の背景としての役割しか持ってないから。こう、大きな物語の終焉が自分に託されているみたいなセカイ系的な発想からは隔絶された場所にあるわけだよ、モブキャラは」みたいな、アホみたいなこっ恥ずかしい副音声解説つきであれこれとウィスパーボイスで教え諭してくれるもんだから、こっちもお礼とばかりに吹き出さずにはいられなくなる訳だ。

 きっと、伊民の頭の中には膨大な数の深夜アニメと、十数種類のゲームと、それからわずかなライトノベルの知識が常に渦を巻いていて、そこからそうやって変な言葉を延々と紡いでいるのだろう。

 そんなこんなで当の僕は、存在自体がゆるそうな同好会の仲間と色々と成り行きで話をしていただけだった。

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