第2話 準備不足

 電子音がなる。

「うるさい」

 少しいつもより強めにスマホを押して、いつもの朝が始まる。布団から腕を出して感じたが、布団から外は別世界。

「はあ」

 と、大人っぽくため息をつく。その息さえうっすらと白く見える。「これだから冬は」と思いながら勇気を振り絞って灯油ストーブに手を伸ばす。

「うぐっ」

 任務失敗。一旦本部へ戻ります。本部(布団の中)も私が外に出たので少し冷たく、その少しが芯から私を凍らせに来る。もう一度、

「ふんっ」

 ピッという音とともに灯油ストーブが唸り出す。任務完了であります。いやまだだ、これから下の階のリビングに降りなければならない。今度は命の危機さえある。慎重に出る。

「さっむ!」

こんな小芝居もうやめだ。寒すぎる。バタンッ。この後学校の準備などをするために戻ってくるであろう自分の部屋のドアをいつもより強めに閉めることで冷気が部屋に入るのを防いだ。だがその風圧で自分に強いダメージを食らう。手すりを使って階段をどたどたと鳴らしながら冷たいフローリングをつま先で押す。

ガラガラとリビングに繋がる引き戸をあけ、いつもドアのガラスが割れるか心配になる程度の勢いでドアを閉める。

「おはよう、ママ」

「ん、おはよ」

さっきまでの廊下の空気とは一変。空気は暖かく、私の大好きなアロマ付き。何の匂いかといえば、ママの早起きの賜物。そう、朝ごはんの匂いだ。フライパンから聴こえるぱちぱちというウインナーの油が弾ける音。それと同時に聴こえるじゅわーという卵がぐつぐつと焼ける音。器用に同じフライパン内で卵焼きを作っている。母の知恵というやつだ。その聴くだけでヨダレが垂れそうな音の中でふつふつと静かに待機している味噌汁になるであろう水。家は出汁とかは使わずというか、そんな手間なことはできないので粉末出汁を入れているらしく、ママの手からさらさらと入れられる瞬間魔法をかけたかのように出汁のいい匂いが私の鼻に流れ込んでくる。

「おなかすいた」

「ちょっと待ってね」

「あ、急かした訳じゃ」

「早く食べたいよね」

つい出てしまった心の声もママの余裕に打ち消される。

「とりあえず顔洗って来なさい」

「うん」

 やっちまったぜと、少し思いながら母の横のシンクで顔を洗う準備をする。普通ならば洗面所まで行くのだろうが私の家はそんなに新しくないので、いやむしろめっちゃ古いから隙間風で死んでしまう。そこまで行くには強い意志が必要だが、朝からそんなことしたくないので、シンクで我慢する。お湯が出るまでの間タオルを取りに行く。脱衣所まで行くが、寒いのでダッシュ。「古い家とは困ったものだ」と思いながら「私は仕事も何もしてないくせに何を言っているんだ」と戒めの言葉を自分に言い聞かせる。

 勢いよく出る水に恐る恐る触ってみる。暖かい。「よし行ったるか」と勇気を絞り手で溜めたぬるま湯を顔にかける。

「うわっ」

「ふふふ」

 顔と手の熱の感じ方は違う、朝はそういうことを忘れがちなのだ。目が覚めた私は急いで手探りで水を温かくする方に動かす。まあ顔なんてお湯でささっと濡らすだけだから温かくなる前に顔を洗う行為は終わったんだけどね。顔を拭いているとママから「寝癖」と言われる。温かくした水は役に立った。これまた濡らすだけ濡らしドライヤーでばっと乾かす。

「はいこれ」

 と、ママが居間の方でドライヤーをしていた私の方に近づき、ドライヤーをしている私でも聞こえるように大きな声で言った。机の上には出来立ての朝ごはん。少しまだ濡れているであろう髪の毛を自然乾燥に変更してしまう。食欲には勝てん。

「いただきます」

「はーい」

 ママはいつも返事をしてくれ、あむ。食欲が先行する。

「あー食欲が止まらんのじゃ」

 行儀が悪いのかもしれないけどまず汁物に手をつける、いや箸をつける。おいしい。味噌汁の具はいつもありあわせのものらしくて、いつも違う。だが大抵の具はあおさだ。いつ食べても美味しい、でも1回箸で掴むと全部ついてくるのは少し嫌。だから最初の一口目は箸で少しかましてから、一口飲む。

 その後はウインナーを齧る。パリッと肉汁が弾ける。至福だ、その瞬間、お米を口に運ぶ。「このコンボが最高なのだ」と、思いながら早くもう一口、と焦ってあまり噛まずに飲み込んでしまう。でもいい、卵焼きを食べる。ママは少し甘い卵焼きが好きなことを知ってくれているようで、いつもよくやったって心の中で思っている。

 一瞬で食べ終えてしまったおかずたちと残ってしまったお米とお味噌汁。ねこまんまのようにするのはなにかあまりよくないような気がしてご飯を口に含んだ後に、あおさの味噌汁を一気に飲み込み流し込む。少しお腹がキツくなるけど残すのも気がひける。

「ごちそうさまでした」

「はーい」

 テキパキと家事をこなすママが返してくれる。お皿をシンクに置き水でお皿をうるかしておく。うるかすというのは北海道とか東北の方の方言で水に浸すことをいう。このことを最近知ったが北海道民の私からしたらうるかすといわない人たちがよくわからないので直す気はない。

「これ置いておくね」

「うん、ありがと」

 制服の用意をしてくれた母の方に行く。制服はちなみに地味な方のセーラー服だ。地味な方、ここ重要。紺色ベースでリボンも紺色。惜しい、実に惜しい。リボンくらい赤色とか明るい色ならまだ許せた。まあ制服というだけで気分は上がるのだけれども。

 学校は嫌いじゃない、人間関係はめんどくさいことも多いけれど比較的日常は楽しい。特別なとき、例えば行事とかそういうものがあるとめんどくさくなる。恋愛もそうだ。女子というものは群れて行動したいわけなのだが男を狩るのを目的に群れていることも多く、私はたくさんの女子の友達と親しく楽しくやっていますよ、とアピールする場所に化すことがある。私はあまり縁がなく、というかまだ中学2年生の後期じゃん?とか思っている。多分来年も再来年も言っている。部活も忙しいし、勉強だってそこまでできる方でもないのでうつつを抜かす暇がない、自分に言い聞かせている。

「そう言えば今日は随分順調に準備してるね」

 制服を着て少し長めの真面目な制服といえば、みたいなソックスを履いている私にママが話しかけてきた。

「もっちろん、だって今日は特別な日だもの」

「あー、そういえば久しぶりに会うもんね」

 そう、私は今日から従兄弟と同じ学校に通う。というか私の通っていた中学に従兄弟が転校してきた。何か色々と事情があったみたいで急なことだった。今私が住んでいるこの街で小さいころ、多分5歳くらいの時までおばあちゃんの家で一緒に育ったらしく、とても仲が良かったらしい。

 小学生に上がる少し前にその従兄弟はおじさん、つまり従兄弟の父親の転勤でこの街を後にした。久しぶりに会えるのが嬉しかった。ほとんど初対面だが顔は少し覚えている。楽しみだ。

「鷹斗くん?だっけ。覚えてくれてるかな?」

「さあね、相当前のことだからねー」

 覚えてくれていると嬉しいけど。なんとなく恥ずかしいところが見られたくないというのと、ワクワクして早く起きてしまったので少し入念に歯を磨く。いつも見ている朝のニュース番組を見ながら歯を磨き、キリのいいところまで見てから口を濯ぐ。

 自分の部屋に教科書などを準備をするために引き戸をガラガラと引き、寒い世界にいざ進まん。スカートがヒラヒラと舞う風で足が寒い。

 急いで階段を登る。あ、もちろんスカートの下は短パンを履いてるよ♡残念ね。部屋の扉を開けると灯油ストーブのおかげで暖かくなっていた。冷気が入ってくると一瞬で寒くなるので一応ドアを閉める。もう準備をして下に行くだけなので灯油ストーブの電源を切る。止まった時の匂いが私は嫌いなのですぐ離れる。

 敷布団を畳んだ後、時間割を見ながら教科書を準備する。今日は金曜日。「今日頑張れば勝ちなのよ」そう言い聞かせて冷たい教科書たちを冷たいバッグに詰める。

「時間大丈夫ー?」

「え?」

 バッグを持ち、急いで階段を降りる。寒いことも気にならない。引き戸を勢いよくあけ、ガラスが今にも割れそうな危ない音をさせたが今はそれどころじゃない。テレビに映るニュース番組の時間をみると7時50分。いつもだと家を出る時間だった。ニュース番組特有のいってらっしゃいという声かけとともに今売れている歌手の歌がかかる。良い歌なのだが私には絶望の曲に聞こえた。

「やばい、部活の準備してない!」

「はい、これ」

「え、やってくれたの?ありがと!」

 ママが準備をしてくれていた。もう落ち着いていた。部活のための指定ジャージなどが詰まったパンパンの袋をバッグにつめて玄関に向かう。

「上着忘れてるよ」

 暖かいスポーツウェアを上下持ってきてくれた。「ありがとう」と少し急ぎながら着る。スカート?生脚?知らんがな。豪雪の街に住む女子中学生は身体を大事にするんじゃい。シャカシャカという音を動くたびに出しながら、お気に入りの雪靴を履く。私の住む街は結構雪が降る。というかずっとこの街にいるので感覚がバグっているのかもしれないが、他の街に言った時「ああ、私の住んでいるところは住みづらい方なんだな」と実感した。

「いってきます!」

「いってらっしゃい」

 私はこの瞬間が大好きだ。いつもの日常だけどなにかスイッチが入る。私の中でエンジンがかかる。当たり前なのかもしれないが、相思相愛だと絶対に言い切れるのはママくらいかもしれない。「あ、パパもだよ」と頭の中で必死にフォローする。当たり前なのだけど当たり前と思える環境に居れてよかったなとたまに思う。それくらい私にとって大事な時間だと思う。

 扉を開ける。私の家は学校には近いが小規模な住宅街の中にある。外の景色は壁一色。まあ良いじゃない、家の周りなんてそんなもんじゃない?。扉が閉まった後、少し時間を空けて鍵を閉めてくれているのだろう。鍵が閉まる音がしない。些細な優しさにママ大好きと思う。

 ギシギシと雪を踏むたびに音がする。住宅街を抜けて大きな道路に出るとポツポツと学校に通う生徒たちが見える。私は誰かと約束とかをして学校に行かない。仲がいい人がいないとかではないのだけれど、幾分時間を守れそうにもなく、誰かを待つのもあまり好きではないので1人で歩く。「というか学校まで10分もないんですよ、奥さん」なんて頭の中で茶番をしていると学校の前の生活委員の気だるそうな挨拶が聞こえたので返す。

 久しぶりに会える。仲良くなれればいいけど。この時私は知らない。教科書の準備は出来ているけどノートを全ての科目忘れていることを。そして従兄弟は私を忘れていることを。

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