第11話
その日、卯月が登校すると教室の様子がいつもとおかしかった。
まず、教室の外に生徒達が大勢押しかけていた。その中に見知った顔が全くいないことから恐らく他クラスの者達だろう。
まるで動物園にパンダを見に来た来園者のように前後の出入り口から好奇の目で中を覗き込んでいる。
訝しみながら教室に入ろうと入り口に近づくと卯月の存在に気づいた生徒は驚いたような顔をする。
だが、すぐにここが『学園の天女』の教室だということを思い出し自然と左右に分かれて道を作ってくれた。
卯月は退いてくれたことに頭を下げ中に入ろうとした時、ある事に気が付いた。
左右に分かれた生徒達が軒並み渋い顔をしていることに。
まるで「教室に入るのはやめておけ」と言わんばかりの顔つきに一体何が起こったのか、教室内に足を踏み入れれば教室の空気はいつも以上にピリピリしていた。
まるで、そこに居るだけで肌を焼くような緊張感でクラス内が溢れている。
いつもなら昨日のテレビ番組やネット配信、今日の授業について様々な雑談の声が飛び交っているはずの朝の教室が、まるで、肉食獣から隠れる草食動物のように誰一人声を上げず静まりかえっていたのだから。
一体これは何事だろう、と教室中を見回せばクラスメイト達の視線がチラチラとある一点に集まっていのがわかった。
その視線を辿ると教室後方の席に座る辰巳へと注がれていた。
自らに向けられる恐れの視線の渦中にいる辰巳はいつも通りに眠そうに大あくびをしながら誠司から向けられる話に適当に相づちを打っている。
最近おとなしくなってきている『御山辰巳』のいつも朝の光景であった。
しん、と静まりかえった教室内で誠司の声だけが響く中、卯月はとりあえず自分の席に着いた。
(この静まりかえっている状況でよく会話が出来ますね……ん?)
卯月は自身の聴力にそれなりに自信があり、周りの状況や人の感情などを声や音から判断できる。
だから、誠司の声がいつもより少し大きように感じた。
普段から周りに合わせ、雰囲気を読み、それに合わせた言動をする誠司が――それが卯月から見た根津川誠司という人物の評価だった――まるで、静まりかえった教室に異を唱えるかのように。
だが、その声も
クラス内の生徒達はいつも以上に辰巳を恐れるように空気はいつもより緊迫している。そして、教室の外は真逆で彼を見ようと何人もの生徒が人垣を作っていた。
その異様な光景に卯月は戸惑いつつも一限の支度をしているといつものようにお喋りな女子がやって来た。
「竹寅さん竹寅さん!」
「おはようございます。あの、今日は皆さん随分静かですけど何かありましたか?」
「それなんだけどね……」
空気を読んで小声で話そうとするも興奮を抑えられないその女子生徒は辰巳の様子を確認するように一瞥すると小さい声で話し出した。
「……昨日の夜、あの御山が遂にやらかしたみたいなんだよ!」
「やらかした……とは?」
女子は興奮を抑えるように小さく一呼吸置くと口を開いた。
「バイク事故だよ」
~~~
昨夜、卯月達が通う高校の最寄り駅周辺――高校のある方向とは反対側の入り口方面――ではここ最近スクーターの危険運転をしていた若者達がいたのだが、その者の一人が遂に事故を起こしたという。
駅前のコンビニにスクーターを乗り捨てるようにスクーターを突っ込ませ出入り口やガラスを破壊し逃走したらしい。
だが、店員や客などの目撃者がいたこと顔が割れているとのこと。
しかし、その人相は「卯月達の高校の制服を着た金髪の男」。
そう、辰巳とそっくりだったのだ。
「そ、それは本当なのですか!?」
「う、うん……」
「あ、ごめんなさい……」
思わず女生徒に問い詰めるように迫ってしまった。
だが、これで合点がいった。その事件の事があったせいで彼はいつも以上に恐れられていたのだった。
「ううん、いいよ別に。でも、電車通の人達が駅前で聞きこみされたって言うから事故があったことは本当みたいだけど」
「その、事故が起こったのは何時ごろ何でしょうか?」
「時間?うーんと、ちょっと待てて」
女生徒は卯月の下を離れ電車通学の生徒から事件の時間を聞いてきた。
「21時半だって」
その話を聞いた卯月はホッとした。その時間は丁度自分が辰巳と食事していた時間だ。
(そもそも警察に追われている状況で学校に登校するなんてあり得ないでしょうに……でも)
ならば、何故犯人の見た目が辰巳と似ていたのだろうか。安堵と引き換えに卯月に新しい疑問が芽生える。
「どうしたの?竹寅さん。急に黙ったりして。御山の事気になるの?」
「あ、え、いやそういうわけではなく、犯人が捕まっていないなら外を出歩くときは気を付けなければいけませんね。時間を知っておけば同じような事件に巻き込まれずに済みますし」
「そうかな……そうだね」
新たに生まれた疑問のせいで少し苦しい返答になってしまったがなんとか納得してくれたようだ。
しかし、新たに生まれた暗雲に卯月は嫌な予感を感じていた。
~~~
その後も教室はいつもより辰巳を恐れているクラスメイト達と突然舞い込んだサスペンスなニュースに旺盛な好奇心を踊らせた他クラスの生徒達で混沌としていた。
普段刺激の無い
休み時間の度に辰巳を一目見ようと教室の外からのぞき込む生徒たちといつも以上に自分を敬遠するクラスメイト達の気配に辰巳もどこかうんざりしているように見える。
彼の無実をクラスの皆に教えようとも思ったが、まだこの事件への辰巳の関与が確定しておらず、噂段階だと言うことと、先日辰巳から言われた「自分との繋がりを示すこと」にもつながるので
しかし、事態は思いもよらない展開に至る。
それは昼休みに起こった。
『竹寅卯月さん。至急教務室まで来てください』
教室で女生徒たちと共に昼食をとっていた卯月は突然の校内放送での呼び出された。
「なんだろう」
「またクラス委員の仕事じゃないかな?」
「すみません、ちょっと行ってきますね」
「ほーい、いってらっしゃい」
「大変だねえ『天女様』も」
女子たちに断り教務室に向かう。
本当にクラス委員の仕事なのだろうか。
これまで幾度となく教師たちの頼みに応えてきたがこうやって校内放送まで使って呼び出されたのは初めてのこと。
学校全域に伝わる放送を使ってまで呼び出されるとなると相当急を要することなのではないかと思ってしまう。
繋がりはわからないが今朝胸の奥で感じていた嫌な予感が教務室に近づくたびに徐々に大きくなっていく。
重くなっていく予感を抱えたまま何とか教務室にたどり着くと担任に出迎えられた。
「竹寅さん。ごめんなさいね、お昼休み中に」
「いえ、大丈夫です。それより一体何の御用でしょうか?」
要件を聞くと担任は少し苦い顔になる。
「どうかしましたか?」
「一先ず中に入って」
担任に促され教務室に入る。何度か訪れた教務室ではクラスの倍近い空間では教師達が
しかし、その空気も卯月の教室と同じようにどこか張りつめている。
そして、入室してきた卯月に教師たちの大部分の視線が集まった。
嫌な予感は更に膨れ上がった。
「竹寅さんこっちに来て」
「は、はい」
担任に連れられ他の教師たちの邪魔にならないよう教務室の壁伝いに歩いていくと、隅に設置されたあるドアの前まできた。
「竹寅さん、今日あなたを呼び出したのは、あなたに話を聞きたいという人たちがが来ているからなの」
「話ですか?」
「詳しいことはその人達が説明してくれます。あなたは訊かれたことに正直に答えてくれれば良いの」
「わ、わかりました」
自分に一体何を聞きたいのだろうと疑問に思うも普段以上に真剣な担任の表情に
そこは校長室だった。
ドアは教務室と校長室とを直接つなぐものだったのだ。
教務室とは違い普段はいる事の無い校長室に恐る恐る足を踏み入れいる。
絨毯の敷かれた床は上履きで歩くには違和感のある踏み心地で、いまの不安に駆られた卯月に心境を更にかき立てた。
室内でまず最初に目に入ったのは自分のデスクに座って困り果てた顔の校長。
そして、その傍らには遠目からでもわかるほど深い皺を眉間に刻んだ教頭が立っていた。
二人は困り切った表情で部屋の中央に目を向けている。
卯月もその視線を追って部屋の中央に目を向けると思わず驚きに目を見開いた。
部屋の中央には高価そうなガラス張りの机とその周りに計4、5人は座れそうな革張りのソファが置かれている。
そして、そこには二人の黒いスーツの男性とその向かいに座る辰巳と弥生がいたのだ。
「叔母様、御山君……一体どうしてここに?」
今日は営業日でお昼休み《この時間帯》は店のランチタイムでもある。
そんな弥生が学校にいることに卯月はとても驚くが辰巳が同席していることで一瞬にして今朝の事件のことが頭を駆け巡った。
「その説明は私から」
驚きと困惑で埋め尽くされる寸前辰巳と弥生の向かいには黒いスーツの男性二人が立ち上がり一礼をした。
一人は少し頼りない印象を抱く若気な男性ともう一人は厳めしい顔の中年男性だった。
特に中年の方から感じる相手の心の切り裂くような視線は機嫌が悪かった時期の辰巳の比ではない鋭さを感じた。
そして、二人は胸元から黒い手帳を出す。それはテレビドラマの中でしか見られない物。
そう、警察手帳だ。二人は刑事だったのだ。
「け、警察の方ですか」
「突然のお呼び出し申し訳ありません。少々お話を聞きたいことがありまして」
中年刑事の申し出に動揺する卯月だったが、彼は卯月を弥生の隣に座るよう促す。
ここに弥生が呼ばれていることから卯月と弥生の関係はきっと理解されている。
この状況で少しでも話しやすいように親族の近くに置いてくれたのだろうという配慮だと感じた。
卯月を座らせると、卯月に見とれた様に呆けた顔をした年若い刑事が中年刑事が小突かれて慌てて手帳を開いて話し始めた。
二人はこの地域を管轄する警察署の刑事であり、卯月を呼んだのは案の定昨夜起こったスクーター事故の事についてだった。
刑事が話した事は今逃走している犯人が「鮮やかな金髪」という情報が付け加えられたぐらいで朝クラスメイトから聞いた情報と概ね一緒。
そして、未だ捕まらない犯人に服装と人相が似ているという辰巳の存在掴み話を聞きに来たという。
「昨夜21時半、辰巳君は『自分のアパートの部屋で夕食をとっていた』と言っていましたがそれを証明できる人がいるのかと聞くとダンマリで……」
「そこで、彼の保護者である竹寅弥生さんから『その時間、姪が一緒にいた』と聞きましたので今回貴方を呼び出させ貰いました」
なるほど、と卯月は心の中で納得した。
状況的に辰巳はクロの方向で疑われている辰巳とその話を他の生徒に聞かせない為の措置だった。
もちろん、学校の評判に関わる重大な事でもある為この部屋を提供したのもあるが、同席している校長は自身のデスクで禿げ上がった頭を抱え、教頭は震える手で眼鏡のブリッジを上げる。
担任は困った顔をしながら横目で卯月と辰巳を交互に見ていた。
そして、事件の被疑者とされている辰巳本人は一人憮然とした顔でソファに背中を預け、どっかり座り込んでいた。
校長達はこの重苦しい空間にあってもなお反省の意を見せない辰巳に憤りと困惑の表情を浮かべる。
しかし、卯月には辰巳が何を思っているのかある程度の予想が付いた。
そして、同時に校長達とは違う、苦々しい怒りが卯月の胸中を埋めた。
だが、それを解き放つのは今ではない。そう自分に言い聞かせ自分の感情を飲み込み、口を開いた。
「はい。昨夜の21時半ごろでしたら、私は彼の部屋で、彼と一緒に晩ご飯を食べていました」
怒りを抑え、なるべく毅然答えたつもりだったが少し声に怒りが乗ってしまう。
その光景にこれまで沈黙を貫いたままだった辰巳が卯月を非難するかのように目を細めて睨んで来るのが見えた。
しかし、その行動が卯月の思いを確信に変えた。
その為、卯月は素知らぬ顔を貫く。
一方で卯月の返答に教師陣は驚愕したように口を開けていた。
卯月の優秀さと辰巳の不真面目さは教務室内でもよく話題に上っており、だからこそ、そんな相反する二人が夜中に密会している事に驚きを隠せないかったようだ。
「何故そんな時間にそんなことを!?」
「それは、私の提案です。私が辰巳君に夕食を作ってもらうよう頼んで、その手伝いとついでに一緒に夕食を食べてくるよう卯月を行かせているんです」
思わず卯月に詰め寄ろうとする校長を制するように弥生が声を上げる。
多少の脚色はあるがそれはこの場を丸く収める為の方便だと卯月は理解した。
しかし、それでも納得しない校長は食い下がろうとする。
「し、しかし、もし何かあったりしたら……」
「確かに、この子……辰巳君は学校での振る舞いは褒められたもんじゃないのでしょう。ですが、この子を育てたのは私の古い馴染みで、この上なく信頼できる人間です。昔からこの子のことは良く聞き及んでおりまして、人となりは私なりにわかっております。そして、直に話して、そんな大それたことをする様な子じゃないと理解でしました。私はこの子を信じます」
弥生の言葉にそれまで憮然としていた辰巳が目を見開いて彼女を見る。
そんな辰巳を慈しむ笑みを浮かべたまま弥生はウインクをする。
まるで、「ここは任せろ」とでも言うかのように
「それに、これは私と卯月、辰巳君が納得したうえで取り決めたプライベートな事です。先生方にとやかく言われる筋合いはありません。それでも文句があるなら姪や辰巳君ではなく私に言ってください」
弥生はぴしゃりと言い放つ。
その言葉を最後に校長達はこれ以上声を上げることはなかった。
一方で卯月の言葉を自らの手帳に記入する若い刑事は微妙な表情を浮かべて中年刑事を見る。
先ほど自己紹介を受けた際に名乗った階級から中年刑事の方が上だったこともあり判断を仰いでいるのだろう。
きっと卯月の証言の信憑性が気がかりなのだろう。
卯月と辰巳に親族関係は無いとはいえ、辰巳の保護者である弥生は同時に卯月の保護者でもある。
一般的な捜査において身内の証言は信憑性に欠けると判断されるが、卯月と辰巳の関係は身内と言えるし、そうでないともいえる非常に曖昧な状態。
しかし、辰巳、弥生、卯月の顔を見渡した後、中年刑事は一人納得したように頷く。
「ご協力ありがとうございました。こちらが聞きたいことは以上です」
ソファから立ち上がり一礼をする中年刑事の顔には最初の厳めしさは、無く何処か満足そうな笑みが浮かんでいた。
卯月も校長から退出の許可を貰い、部屋を出ようとする。
だが、何故か辰巳ソファに座ったまま動こうとしなかった。
「どうしたんですか、御山君?」
担任が心配そうに言葉をかける。
「……話過ぎて疲れた。もう少しここにいる」
「「はあ!?」」
辰巳のまさかの返答に校長と教頭が素っ頓狂な声を上げ、担任と若手刑事は目を丸くする。その一方で弥生と中年刑事は呆れたように苦笑いを浮かべていた。
そんな空気の中辰巳は視線だけ卯月に寄越しているのがわかった。
その視線の意味を理解した卯月は不承不承の思いで先に退室するのだった。
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