第8話
「なんで先に帰ってしまったのですか?」
その夜の辰巳の部屋で夕食をとった後、卯月は少しだけムッとした表情で問いかけた。
あの後、辰巳の携帯に連絡するも繋がらなかったのでしかたなくしおりの山を担任に提出した。
担任はしおりの制作が何割か進めば御の字だと思っていたためクラス全員分終わらせてきたことに驚き喜んでいたが、制作に辰巳が手伝ったことを伝えると更に驚いていた。
まあ普段の学校での彼を思えば当然と言えば当然だが。
感心したように頷いてた担任の姿が印象的だった。
その後、『凪』でのバイトを終えた彼女が辰巳の部屋を尋ねると、教室のでの事など元から無かったかのように何食わぬ顔の辰巳が出迎えたのだった。
因みに今日の夕食は煮魚を中心とした和食でありいつも通り大変美味であった。
「んあ?なんだそんなことか」
「そんなことか、って」
想定外の質問だったのか、麦茶を啜っていた辰巳は間の抜けた声を上げた。
対して、別れの挨拶どころかお礼の一つも言えずに去って行ってしまったのが心残りの卯月は不満をため息に込めて吐き出す。
「俺とお前が一緒にいるところ誰かに見られたら色々面倒になるだろ。だからさっさと帰った。ただそんだけだ」
「そんなこと……」
無い、とはっきり言えなかった。
卯月と辰巳の二人は良くも悪くも目立つ人物である。
人気のなくなった教室にそんな二人がいたなんて情報が流れれば一体どんな尾ひれがつくのか想像もできない。
「そういうお前こそ何で一人であんなことやってたんだよ」
「うっ!?」
思わぬ反撃に卯月は少し言葉を詰まらせる。
「あれは、丁度私の手が空いたタイミングで先生が来たのでお手伝いを申し出ただけで……」
「ふーん、他に手伝うってヤツもいなかったのか?」
「その時教室にいたのは私だけでしたので」
仮に他の生徒がいて、手伝いを申し出ても卯月はそれを断っただろう。
他の人には部活動やアルバイト等の放課後の予定だあるのだから。
卯月にも『凪』の手伝いがある。だが、それは家業の手伝いという側面もあるため比較的時間に融通が利く。
なにより、あの程度の作業なら時間内に一人で終わらせることが出来るだろうと思っていたというのもあった。
「それに、私はクラス委員ですから、先生のお手伝いをするのは当たり前です。せっかく皆さんに色々期待していただいて、推薦までして頂いてこの役職を任されたのですから、その期待に応えるの義務が私にはあります」
『学園の天女』と呼ばれることは少々恥ずかしいし自身の評価としては行き過ぎたものではないかと感じている。
しかし、自分の能力は自分が一番良くわかっているつもりだ。人よりも勉強が出来ることも、容姿が整っていることも。
そうであるように努力をしてきて、その結果として今の評価がなされ、期待を持たれている。
なら、その期待を裏切らないよう振る舞わなければならない。
(まあ、結果はあの様でしたけどね……)
数時間前の苦い思いが蘇り、喉の奥を締め付るような感覚がする。
ふと、卯月が視線を上げるとローテーブルを挟んだ向こう側の辰巳の眉間に皺が出来ているのが見えた。
「な、何か気に障ることをいってしまいましたか?」
「……いや、なんでもない。気にしないでくれ」
そう言うと眉間の皺を解いた。
自分は気付かぬ内に辰巳の触れてはいけない部分を踏み抜いてしまったかと卯月の背筋に冷たい物が走った。
「あー、そういえば。前々から聞こう聞こうと思ってたんだけどよ、店長……叔母さんてどんな人なんだ?」
卯月の様子に気付いた辰巳が空気を変えようと別の話題を持ち出した。
「叔母様のことですか?」
「ああ」
「貴方、自分がお世話になる人のこと何も知らないでここに来たんですか?」
「悪いかよ。こっちに引っ越すの結構急に決まったし、どんな人かなんて『会えばわかる』ぐらいしか言われてねえんだよ」
そう言う辰巳に不服そうにしながら、「そういうことだったのか」と得心がいった卯月は話し始めた。
「叔母様は……そうですね。とても活動的な方です。貴方も聞いたと思いますけど叔母様は『メイド』というがとても大好きです。確か、高校を卒業した後『自分でメイド服をデザインしたい』と言って家を出て服飾の道に進み、そこで自らの腕を磨き、その後、デザインお仕事も兼ねて本場の『メイド』について学ぶ為に海外に移住もしたそうです。そこで本来のメイドのあり方に感銘を受けて『日本にもこんなメイドのいる喫茶店をだしたい』という夢が出来たそうです」
卯月の語りに辰巳はふんふんと頷きつつあまりのアグレッシブさに内心苦笑いをした。
今なお歳に負けずはつらつとした彼女の原動力はそこから来ていたのかと合点がいった。
「そんなこともあって『凪』の接客応対は叔母様が海外で学んできた本場仕込みなんです」
「なるほど、道理で所作が綺麗なわけだ」
「それだけではないです。『凪』の内装や物品は殆ど叔母様がデザインしたものでもあるんです」
「マジでか!」
辰巳は『凪』の事を思い返した。
あの落ち着きのある空間と調度品の親和性の高さが印象的にだったが、それも彼女が生み出した思うとそのセンスに思わず本気の感想が漏れた。
「特に制服であるメイド服はは叔母様が一番力を込めて作ったものなんです。デザインは勿論、動きやすく肌触りもとても良い上に、季節に応じて材質も変わるのでとても良いものなんです!それに、バリエーションも豊富で――」
「お、おう……」
卯月の語り徐々に熱が入ってく。
だがそれは、それだけ彼女が弥生と『凪』が好きと言うことの証明だ。
人間は自分の好きなものを話す時は嬉しいし楽しい。
お陰で先ほどまでの沈痛な表情はもう見えない。
卯月の機嫌が良くなったようで辰巳はホッとしていた。
「本当に叔母さんが好きなんだな」
「はい。叔母様も、お店も、お店の皆さんも……」
語りが一段落した辰巳は卯月は照れくさそうに答えた。
「叔母様は私が小さい頃からとても良くしてくださいました。海外から戻ってきたときはその都度私にお土産をいただいたり、遊んでくださったり、叔母様がデザインした服を見せて貰ったり……とても」
卯月の言葉からは懐かしい過去と今の彼女への感謝念が滲む。
心の底から弥生を慕っているのだと。
だからこそ疑問に思う。
何故彼女はそこまで『凪』でのアルバイトの事を隠すのだろうか。
大好きな叔母の店ならばもっと宣伝してより多くの人に来て欲しいと思うのが自然。
辰巳は初めて『凪』を訪れた時からそこが気になっていた。
しかし、この話題は叔母である弥生にも話さなかったことから、果たして自分に話してくれるのだろうか。
そもそも、女性の問題に関係ズケズケと踏み込んで良いのだろうか。
そんな懊悩が辰巳を踏みとどまらせていた。
「どうしましたか?」
「え、何がだ?」
「いえ、その、急に顔を顰めだしたので……」
不安そうな表情で卯月がこちらを見てくる。
反射的に自分の額を触るといつの間にか再び眉間に皺が寄っているのがわかった。
「もしかして、本当に何か気に障るような事を言いましたか!?」
「いや、何でもねーよ。そんな気にすんな」
「本当ですか?」
卯月の怪訝そうな眼差しから逃げるように顔をそらす辰巳。
どうにもこの手の話題になると自分の表情筋が脆くなってしまう事に辰巳はこの時漸く気が付いた。
しかし、そんな辰巳を卯月は逃がしてはくれなかった。
「もう、何なんですか!一体全体さっきから!言いたいことがあるならはっきり言ってください!」
「いや、でもよ……」
「そう言ってこの前みたい変な勘違いされて、そのままになったら私だって嫌なんです!」
辰巳としてはその事を引き合いに出されると弱い。
確かに卯月が初めてこの部屋を訪れた日とその翌日に辰巳は――状況証拠的に致し方ないとはいえ――酷い勘違いをした。
自身も恥ずかしい思いをしたこともあって卯月は顔を赤くしている。
「それに、今日はあなたに随分助けられました。その分のお返しということで聞きたいことがあるなら答えてあげますよ」
「おい!?」
短いながら徐々にわかってきたことだが、卯月は学校生活等の公の場ではしっかりしている反面、それ以外の場では妙なところが抜けている。
しかし、その口をへの字に曲げ、「言わなければ今日はテコでも動かない」とでも言いたげな空気を漂わせる卯月に辰巳は頭を抱えたくなった。
ならばしょうがないと辰巳は「答えたくなかったら無理に答えなくても良い」と前置きした上で不承不承に口を開いた。
「なんでクラスの連中に『凪』のこと教えてやらないんだ?」
「それは……」
卯月は少しバツの悪そうな顔をする。
辰巳は卯月の言葉を待った。
そして、卯月は暫し押し黙った後意を決したように口を開いた。
「私のような者に……あ、あんな服可愛い格好似合いませんから……」
「……はあ?」
言いずらそうに、絞り出すような言葉に辰巳は心の底からの疑問符が飛び出した。
「いや、ちょっと待て……何言ってんだお前?」
あまりの衝撃に辰巳は片手で頭を押さえた。
コイツは自分の事を何だと思っているのだろうか。
「皆まで言わないでください!自分でもわかってます」
「いや、わかってないだろ」
「わかってます!あなただって初めてここに来たときや、この間お店に来た時、変な者を見る目をしていたのは『似合ってない』って思ったからでしょう!?」
さっきとは別のヒートアップの仕方を見せる卯月辰巳は若干気押されつつあった。
「いや……あれは、メイド服でいきなり来たり、お前がいない時間帯を狙って行ったらまだお前がいて、おまけに出迎えたりしたことに心底驚いてただけで……」
懐疑の目を向けてくる卯月。
その瞳の置くにほの暗いものを感じた。
「お前、叔母さんの作った服、好きなんじゃ無いのかよ?」
「……好きですよ。でも、それが自分に似合うかどうかは別問題じゃ無いですか」
卯月が力なく俯く。
テーブルの上の彼女の拳が小刻みに震える。
「私は……学校の皆さんが抱いている私へのイメージを崩したくなんです」
何かに取り憑かれたように震えた声が痛々しく辰巳の耳朶を揺さぶる。
どうにも周りの評価と卯月自身の評価に何か重大な齟齬があるよう思えた。
しかし、今の卯月にその追求に耐えられるような余裕が無いことは火を見るより明らか。
辰巳は溜まっていた息を吐き出す。
「なあ、竹寅」
「……はい?」
「お前が何を考えて、自分のことをどう思ってんのかは良くわからん」
辰巳は卯月では無い。
卯月が一体どんな何の悩みを抱えているのか分かってはいない。
だが、彼女が抱えた苦しい胸の内を吐き出してくれた。
ならば、辰巳も自らの胸の内を明かすのが筋だ。
「でもな、竹寅のメイド服姿……似合ってたよ。俺はそう思う」
「……え?」
辰巳の言葉に顔を上げる卯月。
視界には少々顔を赤くし、恥ずかしそうにそっぽを向く辰巳が映った。
「確かに、学校のお前と『凪』でのお前の印象は違うし、学校でのお前しか知らんヤツが『凪』で働くお前を見たら驚くと思う。……でも、前に叔母さんが言ってたんだ、お前が『凪』に来てから売り上げ伸びたって。それってお前のメイド姿なり、振る舞いなりが気に入って『また来よう』って人が結構いるって事だろ?」
「それは……」
「だから、何というか……お前のメイドとしての姿勢は評価されているわけだから……もうちょっと自分を誇ってもいいと思う」
頬を赤くした辰巳は逃げるように食事を終えてそのままになっていた食器を流し台に持って行く。
呆気にとられた卯月はそれを呆然と眺めてた。
そして、少し時間が経ち頭の回転が戻ってくると漸く一つのことに気が付いた。
(もしかして、御山君は慰めてくれた)
赤みがかった彼の顔を思い返した卯月は自分の頬を挟んだ両手から熱が伝わるのを感じる。
もしかしたら、辰巳は見た目よりずっと良い人なのでは無いか。
そう思うとこちらに一瞥をくれること無く食器洗いに努める辰巳の背中を見ることは出来なかった。
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