第6話

 週末。

 土日限定の単発バイトの予約がとれず、辰巳は偶然出来てしまった丸一日のオフを持て余していた。

 掃除、洗濯、食材の買い出し等、こなすべき家事の一通りは始まったばかりの一人暮らしと言うこともあり量は少なく午前中には終わってしまった。

 天気も良く干した洗濯物達は気持ちよさそうに風にはためく絶好な天気だが生憎と辰巳にはどこか行きたいアテも無く、あったとしても移動にかかる費用が勿体ないと考えるため遠出をしようとは思わなかった。

 どこか手短な所に良い時間つぶしの出来るところはないだろうか、と考えを巡らせたとき、ふと先日弥生に貰った『喫茶 凪』の無料券の事を思い出した。

 初めて『凪』を訪れた際、卯月が押しかけた事へのお詫びとして貰ったタダ券。

 1食分が無料な上、目的地は目と鼻の先で移動には徒歩1分もかからない超至近距離。

 そして、時間はそろそろ昼食時だった。

 「丁度良い機会だし、試しに行ってみるかな」と腰を上げたところで一つ思い出した。

 この券を貰ったとき卯月が渋い顔をしていた事を。

 その理由は考えるまでも無い事だろう。

 例え振る舞いにお墨付きを貰っていても見ず知らずの他人に接客するのと、顔見知り程度とは言え日頃から接触のある人に接客するのとでは精神的な負担が違う。

 立場が逆なら辰巳だって御免被る。


「はぁ……」


 自分以外誰もいない部屋で一人ため息をつく。

 そして、「面倒だ」と心の中で独り言ちながらスマホで卯月のシフトを聞く為に弥生に連絡を取るのだった。


~~~


 1時間後『喫茶 凪』を訪れた辰巳は店前に設置されたベンチに座っていた。

 弥生曰く、卯月のシフトは昼までとのことだったのでその言葉に従い昼時を避けて訪れたのだが、どうやらまだランチタイム真っ盛りだったらしく、店内満席と言うことで空くまで待たされることになった。

 今ここにいるのは最後に『凪』に来た辰巳だけだったが訪れた直後には何人もの客が並んでおり店の人気が窺えた。


「次お待ちの方どうぞ」


 暫くすると席が空いたのか辰巳に声が掛かる。

 どんな料理があるのか、何を注文しようか、そんなことを考えながら腰を上げた辰巳がドアを開く。


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 ドアを開けた辰巳を出迎えたのは、メイド喫茶のお決まりの来店挨拶だった。

 しかし、丁寧に腰を折りよく通る透明感のある声音での出迎えは一般的なメイド喫茶のような作られた可愛げは無く、さながら本物の使用人メイドのような落ち着きを払っていた。

 辰巳はこれまでの人生でメイド喫茶に行ったことは無い。

 だが、以前、行ったことのある者から聞いた話だと相当賑やかなものだったと言っていた。

 それだけにこの出迎えに辰巳は来店早々に驚いていた。

 賑やかだったり、騒がしいのが苦手な辰巳にとってこの出迎えだけで『凪』に対する期待は相当高いものになってきていた。


「ご主人様はお一人様でしょうか?」

「あ……はい。一人です」


 上体を起こす店員メイド。

 あっけにとられたせいで一瞬返事が遅れてしまったが何とか応える。

 近場にある自分好みの喫茶店に内心少し浮かれつつある事に辰巳自身まだ気付いていない。


(竹寅がいないタイミングになら、偶になら来ても良さそうだな)


 この店に来るときの最大の障害を頭に浮かべながら目の前のメイドを眺める。

 そこには妙な既視感があった。

 目の前の『彼女』と目が合う。

 その瞬間、辰巳と『彼女』の体は石のように硬直した。

 普段の『彼女』を知るものが今の姿を見ても、普段から注意深く見ていなければ『彼女』だと認識できないだろう。

 それほど『彼女』普段の様子とはかけ離れているからだ。

 だが辰巳は知っている。

 以前、一度だけ直にこの姿の『彼女』を見て、本人のお墨付きも貰ったからのだから。


 眼鏡にツーサイドアップ。

 女性にしては高めの身長。

 そしてここ最近、以前にも増して聞くようになった聞き覚えのあるよく通る声。


「竹……寅……?」


 最も警戒していた最悪のバッティングに数瞬前まで完璧だった卯月の営業スマイルが若干引きつったのが辰巳にもわかった。


~~~


「いや~悪かったね」

 

 カウンター席に座る辰巳は、カウンターの向こう側で言葉とは裏腹にあまり済まなさそうにしていない弥生にコーヒー淹れて貰っていた。

 ちなみに、辰巳が頼んだのはチキンドリアのセット。

いま淹れて貰っているのは食後と頼んだセットコーヒー。

 チキンドリアは大変美味しかった……ような、正直あまり記憶に無かった。

 最悪の出迎えと、その後も他のメイドに混じって店内を動き回り仕事に勤しむ卯月の存在が気になってあまり味わえなかったのだ。


「午後からシフトの子が急に来れなくなっちゃって、それで卯月に続投してもらったのさ。こっちも昼時で忙しくて連絡できなくてね」


 そういうことか、と苦々しい心境の中納得する辰巳。

 弥生からコーヒーを受け取り一口付ける。

 苦みと香ばしさが程良くマッチし、それでいて温すぎず、熱すぎない飲みやすい温度。

 渋みなどの雑味を感じない弥生のコーヒーはあまりコーヒーを嗜んでこなかった辰巳でもわかるほど洗練されたものだった。


「美味しい、……あ!」

「そりゃ良かった」


 思わず漏れてしまった感想に少し赤くなる辰巳を弥生は静かに見つめ微笑んだ。

 もう一度口に含むと再び広がる苦みと香ばしさ。

 きっとこの2つのバランスがこれまで多くの人をコーヒーの虜にしてきたのだろうなどと、コーヒー初心者の辰巳は思うのだった。

 コーヒーを堪能し卯月とのバッティングで鈍っていた頭も平常運転に戻った頃には入店した時の客足も弱まっていた。

 丁度良いだろうか、と弥生の仕事が一段落したタイミングを見て「ちょっといいですか?」と予てより疑問に思っていたことを尋ねてみた。


「あの……この店って『メイド喫茶』ですよね?」


 声を抑え疑問を口にする。

 卯月の言葉通りなら、ここはメイドコスチュームを着た女性達が接客応対する所謂『メイド喫茶』という店なのだろう。

 実際に辰巳も入店の際はお決まりの出迎え挨拶を貰ったのだが、聞いた話によるとそう言った店では店員によるステージショーが行われたり、客が帰る際一緒に写真を撮ったりするサービスがあるらしい。

 だが、この店ではそう言った行為は見当たらない。

 ただ単純に『メイドの格好をした店員いる喫茶店』という感じだった。

 辰巳の問いに弥生は首を立てに振る。


「そうだね、強いて言うなら『純メイド喫茶』ってところだね」

「『純メイド喫茶』?」

「そんな深い意味はないよ。ただ単に『純メイド』の『純喫茶店』てなだけさ」


 辰巳はイマイチ理解が及ばず、少し首を傾げてしまう。


「この店では一般的な、って言って良いのかわらんけど、まあよくあるメイド喫茶でやるようなオムライスにケチャップで絵描いたりするような事はやってなくてね、ここは純粋にお客様に穏やかな時間を過ごして貰う、そういった場所にしたいんだよ」

「それで『凪』って名前にしたんですね」

「そういうこと」


 弥生は「正解!」とばかりにニカッっと笑った。

 白髪の目立つ歳であるにも関わらずその表情は弥生によく似合っている。

 それはきっと日々多くの客や、自分より従業員達を相手にして尚それに負けないバイタリティ溢れる香彼女だからこそなのだろう。


「じゃあ、なんでメイド服を?」

「そりゃもちろん、アタシの趣味!!」

 

辰巳は椅子から転げ落ちそうになった。


「趣味、ですか……」

「そうさ、趣味じゃなきゃこんなことしないよ」


 そうなのだろうか?

 まあ本人がそう言うのだ、そういうものなのだろうと一応飲み込んだ。


「アタシは昔からメイドが好きでねえ、メイドについて学んでみたくてヨーロッパに行っちまったぐらいさ。特にヴィクトリアンメイド!原点にして頂点!最高!!」


 歳を感じさせない煌めいた瞳でメイドへの愛を語る弥生。

 それでも周囲へ配慮し声量を抑えて語る辺りプロだと辰巳は二重の意味で圧倒されていた。

 

「おっと、つい語っちまったね。ごめんごめん。まあ、ともあれメイド好きなアタシはメイド喫茶開くのが夢だったのよ。でも、巷にあるようなメイド喫茶はどうにもアタシの考えるメイド像とは違っててね。まあ、そういうのも悪くは無いさ。ただ、アタシがメイドに求める理想像は『空気の様な存在』さ」

「『空気の様な存在』、ですか?」

「そう、元来メイドとは主人に仕えて屋敷の維持管理をする使用人。その姿や物音を認識してはいけないし、されてもいけないよう求められた。当時の彼女達は資産持ちの生活には必要不可欠でありながら、認識できず見えない者達。そこにいるのが当たり前で、自然である『空気』そのものだったのさ」


 あまりピンときていない辰巳に弥生がコーヒーの入ったカップを差し出してくる。

 何故新たに別のカップでコーヒーを出したのだろうと、辰巳が疑問に思いつつ受け取る。

 その時、気付いた。自らが飲み干し、空になっていた自分のカップが無くなっていることに。


(うお!)


 あまりのさり気なさに思わず声が漏れそうになる。

 弥生はこれまでの会話中、辰巳に全く気付かれずお替わりのコーヒーを注いでくれたのだ。

 驚きつつ弥生を見ると悪戯が成功した子供のように、それでいてどこか誇らしそうに笑っていた。

 これが弥生の言う『空気のような存在感』ということなのだろう。辰巳はそれを肌で理解した。


「ここに来てくれた人達には心地良い気分のまま帰って貰いたい。その為に、この店で働く子達には『空気の様な存在』を徹底させているんだ。優雅且つ、効率的な行動。不快にさせない言葉使い。かつてのヴィクトリア朝時代の上流階級や王族に仕えたメイド達のように存在を認識させない立ち居振る舞いを再現することで、忙しない現実のことを少しでも忘れて、優雅で穏やかな時間をお客様に提供したい。その為にこの店を建てたのさ」


 改めて店内を見渡してみる。

 華美な装飾は無いが、落ち着いたジャズをBGMに、木のぬくもりと窓から差し込む温かな陽の光。

 そして、その雰囲気を壊さないよう優雅で落ち着いた所作で注文を運んでくるメイド姿の店員達。

 そこには可愛らしいメイドとのふれあいでは得られない、凪の海のような穏やかなものが確かにあった。

 そんな時ふと、卯月の姿が目に入った。彼女は辰巳同様この春に親元を離れこの街にやって来た。

 と言うことはこの中でも一番経験が少ないと言うこと。

 にもかかわらず彼女は他の従業員と比べても遜色ない、というより、それ以上の堂に入った振る舞いをしていた。

 お客の時間を邪魔しないこの店のメイド達のサービスのクオリティは高級レストランの給仕と遜色ないだろう。

 その上、小声で他のメイドと会話し、次の注文の取り次ぎやフォロー等協力も行い業務を円滑に進めていく所から従業員同士の仲も良いのだろう。

 このレベルの動きを出来るようになるにはそうとうの訓練を積むはず。

 それを1ヶ月足らずでこうも高い水準でこなしているのだから驚きだ。

 それだけに初めて『凪』へ来た日、その帰り時に見せた反応がどうにも辰巳には解せなかった。

 弥生からの励ましの言葉に、より沈んだ表情を浮かべたことが。

 一体何にそこまで傷ついたのか。

 目の前を弥生の言葉通り、いや、それ以上にこの店の理念通りの働きをする卯月が通る。

 すれ違う刹那、自身を凝視する辰巳に卯月は「何事か」と怪訝そうに半眼を向けるのだった。

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