第2話

 春。

 それは新しい一年の幕開けとなる季節。

 それは新たなる環境に期待と不安に皆一様に浮き足立つ時期。

 学び舎、人間関係、周囲の環境。

 その全てが一新されるこの季節特有の真新しい空気感は自身の学び舎にたどり着く前から漂っていた。

 未だ着慣れない制服に袖を通した新入生達を通学路に満開の花で彩り出迎える桜並木に見守られ、その歩みを進めていた。

 同じ学校から進学した者達はこれからの3年間へ互いに励ましを送りながら。

 一人この学び舎にやって来た者は期待よりも僅かに勝る不安を浮かべながら。

 実に様々な者達がこの通学路に溢れていた。


 そんな初々しい空気感を意にも介さず登校している者が一人。

 その者の存在を知覚した周囲の人間は自然と二手に分かれて道を作る。

 さながらモーセに割られた海の如く。

 何故こんなことになったのか、その原因がその者の風貌から来ていることはわかりきっていた。

 180を越える身長に着崩した学生服、無造作に伸ばした金色の頭髪、特に前髪は片目が隠れるほど伸びきっている上に見えている方の目も――本人でも酷く自覚している程――鋭い。

 その上、授業態度も良いとは言えない。授業中の居眠りや遅刻の常習犯である彼は教師やクラス委員に頻繁に注意されていた。

 俗に言う『不良』。

 またの名を『学園の独眼竜』

 入学してたった2週間で付けられた彼――御山辰巳――の通り名だった。


 本来なら服装を正すなり何なりするものなのだが、正直なところ直す気力は皆無だ。

 自らのクラスに到着すると同級生達の賑やかだった喧噪が一斉に止む。

 いつもの光景だがそこまでこっちの機嫌を伺わなくても良いのにと内心思う。

 そのまま歩みを進め、いつものように自分の机にたどり着くと倒れるように突っ伏した。

 それを見守っていた者達に次第に喧噪が戻ってくる。

 しかし、そこに自分が来るまでの賑やかさは無い。

 会話内容もテレビ、ネット番組や今日の授業の話題から、たった今入室してきた『不良』への話題に置き換わっていた。

 辰巳はその風貌の為に一部の生徒の間でなんらかの噂話が流れていた。

 本人もその事を知ってはいるが、今のところ噂のことで不利益を被ってはいないのとそれに対処する気力が無いので放置していた。

 暫く惰眠をむさぼっていると近づいてくる者の気配を感じた。


「おはよー。辰己くん」

「……おーう誠司か。おはよ」


 隣の席からかけられた声に寝ぼけ頭で返事をする。

 僅かに顔をずらして視線を向ければそこには柔和な表情をした少し小柄な男子生徒がいた。

 彼の名は根津川ねづがわ誠司せいじ

 この学校で辰巳に気軽に声をかけてくる数少ない人間だ。

 こんな風に親しげに話しかけてくるが誠司との関係は意外にも浅い。

 入学式の朝、互いに学校への道で迷っていたところに出くわし、共に遅刻寸前になりながら彷徨った事が切っ掛けで知り合った。

 その一時で何を感じたのかこんな風体で学校中から腫れ物扱いされる辰巳に話しかけるようになり、今では時々昼食を共にしたりするようになった。

 誠司は半端な辰巳の返事ににっこりと笑う。


「相変わらずだねー。ちゃんと寝てるの?そんなんじゃまた先生に怒られるよ」

「寝る時間あるなら……その分……」


 言い終える前に睡魔に飲まれる。心の中で誠司に謝りながら眠気の底に沈もうとするとクラスの空気が変わった。


「おはようございます」


 辰巳の登校で沈んでいたクラスの空気が一気に活気づく。

 沈んでいたクラスの空気が辰巳の登校以前より盛り上がるのが手に取る様にわかる。

 その高まりに眠りの底からすくい上げられた辰巳は再び顔をずらし視線を向けると、そこにいたのは教室に入ってきたのは1人の女子生徒だった。

 彼女は170はあろう長身にもかかわらず均衡のとれたプロポーションに整った顔立ちと背中まで伸ばした艶やかな黒髪。

 制服を着崩さずとも陰ることの無いその美しさに、春の日差しの様な微笑みをたたえれば、周りの者達の頬に一瞬で花が咲く。

 優れているのは見た目だけで無く、勉学、運動共に高いレベルでこなしながらも、決して驕らない謙虚さ、日常の立ち居振る舞いの上品さ、その上生徒教師誰の頼みでも引き受けそつなくこなす度量の広さ。

 多くの者達から関心や尊敬を集めて止まないその姿からはいっそ神々しさすら感じるといった声も少なくない。

 並のアイドルやモデルでは比べものにならない容姿に完成された人格。

 そんな彼女についた二つ名が『天女』。

 『女神』と呼ぶにはまだ若く、『天使』と呼ぶには大人びており、特に純和風と言った雰囲気からそう呼ばれるに至った。

 クラスメイトからの羨望のまなざしを一心に受けると同時に、それを事も無げに微笑みで返す学園の天女様『竹寅卯月』だった。

 『不良』のレッテルを貼られる辰巳とは真逆の立場にいる人物だ。


「おはよー竹寅さん!」

「竹寅おっすー!」

「ねえねえ、昨日の課題やった~?」

「竹寅さ~ん課題見~せ~て~」


 教室の入り口にあっという間に黒山の人だかりができる。

 その様子を辰巳はぼんやりと眺めていた。


「あ、竹虎さんだ!今日も綺麗だね~」

「ふーん……」


 辰巳の生返事に特に何も返すこと無く隣の誠司がいつものようにホワッとした笑顔を浮かべる。

 多くの生徒が彼女とお近づきになりたい、親しい関係になりたいと思っているのに対して誠司にとって卯月はどうやら眺めてるだけで満足するアイドルのような存在らしい。

 口々に挨拶してくるクラスメイトが卯月の周りに集まる。

 沈んでいたクラスの空気が辰巳の登校以前より盛り上がるのがわかる。

 高校生活が始まり、まだ2週間だがこの教室ではもう既に日常になりつつある光景だった。

 そして、もう一つの日常がやってくる。

 それは『天女の説教』。

 その真面目な性格からクラス委員を任された卯月は、他の者の手本になろうと校則の遵守と規律を心がけ、同時にそれを守らない者への注意も行っている。

 と言っても、今のところは新しい環境に浮き足立って騒いでしまった者数名に対し口頭での注意に止まる者が殆どだ。

 大体の者が天女様の微笑みと共に注意を受ければ反感すること無くすんなり従う。

 いくら入学早々浮き足立っているとはいえ、『学園の天女』と呼ばれる美少女と険悪になりたい者はいないだろう。

 だか、『仏の顔も三度まで』という諺があるように、それが2回、3回と積み重なっていくとそうもいかない。

 このクラスにはただ一人、仏の顔、いや、天女の卯月に鬼の形相を取らせる者が一人いた。

 名を『御山辰巳』。

 授業への遅刻、無断欠席に始まり、授業中の居眠り、制服の過度な着崩しと言った罪状を抱える彼をを卯月が見過ごす筈は無かった。

 初めは他の生徒同様言い聞かせるような言い方だった卯月だったが、何度言っても聞かない辰巳への注意だけは徐々には力が入るようになり、今ではほぼ怒鳴り声だ。

 そして、注意を受けている辰巳はと言うと、基本的には机に突っ伏して寝過ごしているばかりだった。

 さながら亀のように、夢という殻の中に閉じこもり全ての説教をはじき返す。

 偶に意識があるときに注意を受ければ睨み返すか、舌打ちで返す。

 竹寅卯月の怒濤の怒りに無言の圧で返す御山辰巳。

 火花散る鋭い視線のぶつかり合い。

 正に『竜虎りゅうこ相博あいうつ』。

 そんな二人の様子をいつの頃から誰かがそう呼ぶようになっていた。


(いや、確かに竹『寅』と『辰』巳だけどよ……誰が上手いこと言えと)


 心の中でツッコんだ。

 だが、そんな光景がこの教室での日常だった。

 いつもならばクラスメイト達の挨拶を済ませた卯月は、この後辰巳への朝の説教を行いに来る。

 今日も寝てやり過ごそうかと顔を机に伏せて身構えるが、予想した怒声は聞こえてこなかった。

 机に伏せた顔を上げると卯月は教師に頼み事をされたと言い自分の席に荷物を置くとそのまま教室を出ていってしまった。

 責任感のある彼女は良く教師からも頼まれごとをしている為、その姿は珍しくなかった。

 このようなこともあり天女の説教は日常的とはいえ毎日行われるわけではなく、何度か彼女の都合で行なわれないこともあった。

 口煩い天女がいなくなったことにホッとしつつ、今しがた出て行った彼女の様子を思い返す。

 いつも通りにクラスの者達と会話する卯月には特に変わったところは見当たらない。

 やはり、昨夜のアレは夢か何かだったのだろうか。


 あの清廉潔白の天女様が、眼鏡ツインテールメイド服で夜中に訪ねてくるなんて。


 どう考えたっておかしい。

 今思い出したって夢の方がまだ現実的な光景だ。

 夢の方が現実的とは矛盾した表現だが、そうとしか言い表せないほどにあの光景は、それまで辰巳が関わってきた『竹寅卯月』という少女とはかけ離れていたのだ。

 一応、着ていたメイド服はミニスカートだったり、胸元が開けていたりするような扇情的なデザインのものでは無く、袖やスカート丈が長い露出や装飾の少ない清楚な、所謂クラシックデザインというものであった。

 だがそれでも、夜中にあの格好で出歩いていると言う状況は辰巳にとっても、ある種信じがたい光景だった。

 昨夜は動揺を悟られまいと、会話中さり気なく腕を組んで思いっきり二の腕を抓っていた。

 なんとか平静を保てたようだが、おかげで一夜明けても左腕には抓った跡が残っており、今も少し痛い。

 だが、先ほどの様子から卯月に変わったところは見られない。

 もし、昨日の出来事が現実なら彼女の行動にも何かしらの変化があって然るべき。

 それが無いとなると、やはり昨夜のは夢だったのだろう。


(昨日も疲れてたし、そんな夢見るときもあるだろう)


 学校での彼女と昨日の彼女の姿が眠気と疲労で鈍った頭の中で徐々に乖離していく。

「うん、やはり夢だったな」と頭の中で無理矢理結論づけ再び目を閉じた。

 辰巳にとって昨日の夢より今日の惰眠。

 今は睡眠が全てにおいて優先される。

 眠気の海に沈んだ辰巳が次に目を開けたのは昼休みだったのは言うまでもない。


 ~~~


 ピンポーン。

 夜八時半。

 インターホンの音に導かれ玄関のドアを開ける。

 そこ立っていたのは整った柳眉を吊り上げ眉間に皺を寄せた学園の天女『竹寅卯月』だった。

 学校の制服姿なのが少し気になったがそれよりも、確かな「怒り」を纏った鋭い視線の方に疑問は吹き飛んだ。

 その様は、まさに怒髪天を衝く直前と言った様子だがこっちとしては全く心当たりが無い。

 強いて言うならつい10秒前に鳴らされたインターホンに導かれ、開いた玄関に彼女がいたがボロアパートに宿った幽霊だと思った為見なかったことしよとそっと閉めたことだろうか。

 しかし、再び鳴らされたインターホンが10秒前のそれを現実だと告げる。


 築数十年の木造アパートの薄暗い蛍光灯が彼女の整った輪郭を照らし出す。

 その様は見ようによっては映画のワンシーンのようにすら見えた。

 が、視線を少し下げると彼女の手がほんの少し震えている。

 その真意は怒りか、恐怖か、あるいは両方か。

 彼女の言葉を待っていると徐に口を開いた。


「……御山さん、私に何か言うことがあるのでは?」

「は?」


 間抜けな疑問文が口から漏れる。

 言うこと?俺が、この女に?

 暫し顎に手を当てて考えた結果、


「学校で制服しっかり着てなくてすまん、か?」

「それですか!?違います!というかしっかり着てない自覚あったんなら直してください!」


 辰巳は「めんどくさい」と言う意を込めて大きく溜息をついた。

 制服のことで無いとなると……。


「昨日のタッパーなら返さなくても良いぞ」

「そうじゃありません!いえ、大変美味しい肉じゃがとお握りでしたけど」

「玄関閉めて悪かった」

「やっぱりワザとだったんですか!?って、私が言いたいのはそういうことじゃありません!」

「……じゃあなんなんだ?」


 辰巳にはもう思い当たる節がなかった。


「私!放課後!!お話がありますから残って欲しい言いましたよね!!!」

「……いつ?」

「机の中に手紙で入れて置いたじゃないですか!?」


 それは、言ったことになるのだろうか?

 と思ったが互いの連絡先なんて知らない上に他の生徒がいる前で辰巳にそんなことを聞けば大事おおごとになるのは明白だった。

 故に、そんな回りくどい方法に出たのだろう。


「元から空の机ん中なんて見てるわけねーだろ、ノートすら持ってきてねーんだから」

「それはそれでどうなんですか!?」

「で、話って何だ?わざわざこんな時間にこんなところまで来て」


 そう言うと、今まで饒舌だった卯月が急に口を噤む。

 視線を下げ少し頬を頬を染めた卯月は意を決したように口を開いた。


「あ、あなたの……貴方の弱みを教えてください!」

「…………はあ?」


 今年一番の呆けた声が出た。


「どういうことだ?」

「で、ですから!貴方の弱みを教えてくださいと言っているんです!」

「いや、だから何で?」

「き、昨日貴方に……その……私のあの格好を、見られてしまいました……。なので!貴方の秘密を知ることが出来れば、私の事も黙っていてもらえると思いまして……」


 トンチンカンな答えに思わず頭を抱えそうになる。

 彼女は本当に新入生主席なのか?

 そもそも目の前にいるのは本当に『竹寅卯月』なのか?

 双子かドッペルゲンガーなのではないかと疑いたくなる。


(それに昨日のこと……夢じゃ無かったのか……。夢にしときたかったのにな……)


 深いため息と共に何とか言葉を絞り出す。


「別に言いふらしたりするつもりはねーよ」

「そ、そんなの信じられません!あなたのような素行不良の人が、他人の弱みを握っておいて何もしてこないなんてあり得ません!」


 酷い決めつけだと思ったが自分の普段の振る舞いを思い返すと否定は出来なかった。


「と、とにかく!貴方の秘密か弱みは何かないんですか!?」

「そう言うのは直接本人に聞きに来るもんじゃねーだろ、自分で探すもんだろ!?」

「そ、それもそうですね。分かりました!じゃあ貴方の部屋を見せてください自分で探しますから!」

「そういう事言ってんじゃねえ!ていうかなにさらっと人ん家上がり込もうとしてんだてめえは!?分かった、お前今正気じゃねえな!?そうだろ!?」


 夜中に集合住宅でぎゃあぎゃあと騒ぐ高校生男女。

 近所迷惑この上ない。

 そんな時、


 ぐぅぅうううう。


 またもや腹の音が空気を切り裂いた。

 それと同時に卯月の顔がリンゴのように真っ赤になっていく。


「お前また腹減ってんのか」

「ち、違います!お腹なんて全然――」


 ぐるぅううううううう。

 被せるように放たれた第二波に卯月は更に顔を赤くして黙り込んだ。

 辰巳は額を掻いて一つ大きくため息をつくと玄関から身を引いた。


「え?」

「中入れよ、ここで立ち話すんのも近所迷惑だ」


 辰巳は部屋に入るよう促す。

 そうして、渋々学園の天女様を自分の部屋に招いたのだった。

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