社長誕生日


「ちゃんとしろよ」

 そう言われたのは六日前。一月四日の武装探偵社の仕事始めの日だ。夕方帰宅の準備をしている最中に言われた。十日は社長の誕生日だがちゃんと用意はしているのかと。言われて固まった私にお世話になっているんだ。プレゼントでもなんでもいいからお祝いぐらいはちゃんとしておけ。真面目くさった顔で国木田君に忠告された。



 その話を聞いてから六日。一月十日社長の誕生日当日の今日。私は悩んでいた。

 社長に何を渡すべきか。そう未だプレゼントの内容が決まっていないのだ。

 こう云った時は相手の欲しい物を渡すのが常套句だというし、何か社長が欲しがっているものをと探ってみても分からなかった。ならば貰っても困ることはなさそうな日用品はと思ったが、ペンもインクも常時予備を揃えている社長には必要ないだろう。では最近切れかけの調味料やトイレットペーパーなど、そう云ったものはとも思ったが……。プレゼントとして適切でないことは分かっている。

 女性なら花やアクセサリーを送ればいいのだが社長は男性。お酒が好きなようだからそれをとも思ったが、社長の好むものはどれも値の張るものばかり。買えないわけではないが気を遣わせてしまうだろう。それに酒は唯一分かりやすい社長の好むという事で毎年お歳暮などで大量に送られてくる。今の時期に渡すのは控えておいた方がいい。

 同じ好きなものとして猫グッズなども考えたが、社長は自分が猫好きなことを公言はしたくないようなので、これもやめておいた方がいいだろう。クリスマスにもらったようなお食事券などいいのではないかと思ったが、ああ云うのは基本的にペアだ。乱歩さんと行ってもらえればいいのだが、では私ととなる可能性も今の状況だと強い。別のものにした方がいい。では似たようなもので商品券などはと思ったがこれも誕生日のプレゼントと考えると不釣り合いだろう。いっその事カタログなどとも思ったが、それも何かが違う。

 散々考えても答えがでず、ついに二日前には社長に直接欲しいものはないかと聞いてしまった。だが特にはないと答えられる始末。その前に妙な間が空いたので本当はあるのではないかと疑ってみたが分からずじまい。終いには誕生日の事ならそう気にしなくてもいい。ただ祝ってくれるだけで充分だとさえ言われてしまう。

 それではダメだとその後も考えては見たが答えは出ないまま今日を迎えてしまった。

 如何しようかと私はため息をつく。

 見上げる空。日はもう最後の一欠を残して沈んでしまっている。いつもならそろそろ社長の家にお邪魔する時刻。もう今日は逃げてしまおうかとも思うが、さすがにこれだけ世話になっていて祝わないのは失礼だろう。昨日だって明日来るよねと乱歩さんに確認されて頷いてしまっている。行かなければ心配されてしまうだろう。まあ贈り物をどうするか考えるのに思考を取られて仕事に行っていない時点心配はされていると思うけど。最近はそこそこ真面目に心配していたしな。

 それでもきっとお祝いムード一色になっているであろう探偵社には行けなかった。

 今までならみんなに合わせてかるくおめでとうございますぐらい言えたのに。今はそれすらいえそうにないことが渡すものがないことよりも問題だった。

どうしてこんな事になったのか。

 六日前の私を私は呪う。

 あの日誕生日のことを言われて固まってしまった私。祝うという言葉に思ったのはどうしてという事だった。去年までも誰かの誕生日の度におめでとうと祝いの言葉を口にしてきたが、それは当たり前のように他のみんなが言うからで一人周りから外れないため。正直な話をすると何故そんなことを言うのか理解できていなかった。また理解しなくともいいやとその都度流していたことでもある。

 それを今になってどうしてなのか知りたくなってしまった。

 最近少しずつ私を変えつつある変化のせいだろう。その流れに抗うことはせず私は何故誕生日を祝うのかその理由を調べてみた。どうも誕生日を祝うのはその人に生まれてきてくれてありがとうと云う感謝の思いを込めて祝うものらしい。

 意味が分からなかった。産れてきてそれで何故祝うのだ。感謝するのだ。

 私には理解できない。この世に生まれてくることの何がいいことなのだろう。

 それでも普通の人として世話になっているそれも上司の誕生日を祝わないのはダメだろう。せめてプレゼントだけでもと考えてきたが駄目だった。

 何をあげればいいのかさっぱりわからない。仕事で贈り物をすることも貰うこともあったがこう云ったプライベートでと云う事は今までなかったのが仇になった。情報収集で近づいていたお嬢さんたちに贈り物をしていたのとも違うだろうし……。

 これが敦君や国木田君なら欲しい物を割り当てるのも簡単なのに社長は強敵だ。

 もう思いつくのはかつてそうしてきたように自身の体を差し出すぐらいしかないが……。これが一番違うことは私とて知っている。


 つくづく私と云う人は人間失格だ。

 まともに祝うことすらできないのだから。それでも仕方ないじゃないか。だって分からないのだから。

 刻一刻と時間が進む。日が完全に落ちてから随分な時間が経ってしまった。そろそろ行くべきだろう。びしょ濡れの体を起こした。

 プレゼントが決まらないことに焦り鬱々としていた私はこんな日だというのに川に飛び込んでしまったのだ。自力で川から上がった後は自己嫌悪に陥りそして今に繋がる。無駄なことで時間をロスしてしまったとは思う。その時間のうちに贈り物を決められたとも思わないがもしかしたらだってあったかもしれないのに。

 もう何処かに行く時間はない。急いで家に戻って服を着替え、行きたくはないが社長の家に行かなければ。……社長は祝ってくれるだけでいいと言っていたのだ。それでいいという事にしよう。上手く言える気は全く持ってしないが私の持てる限りの力すべてを振り絞れば大丈夫なはずだ。演技力には自信がある。いけるはずだ。

 そう思い家に帰ろうと歩を進めた時。私は太宰と私の名を呼ぶ声を耳にした。その声は社長のものに思えて慌てて振り返る。みれば駆け足でこちらに近寄ってくる社長の姿があり私は咄嗟に出そうになった声を抑えた。心配されているかもとは思っていたがまさか迎えに来るほどだったとは。

 如何しようと内心困り果てながら外面はいつも通り笑みを浮かべていた。

「あれ? 社長どうしました」

何て軽く云っている。悩む必要もなかったかもしれない。この調子なら祝いの言葉も容易に言えるだろう。

 私の前で立ち止まった社長は何も言わずただ私を見下ろした。ずぶ濡れの姿を見れば何をしていたかなど丸わかりだろう。もしやこんな日まで入水をしていた私に呆れているのではとその読めない表情に思う。いつもと同じようないつもより険しいような。表情の乏しい顔は読めない。だがその口から放たれた言葉は優しかった。

「今日は一日姿を見せぬから心配していた。夕飯の準備もできているはず帰ろう」

 何故仕事に来なかったのか何をしていたのかも聞かず差し出された手。私はそれを取らずはいとだけ答えていた。すみませんとも。

 歩き出した社長の一歩後ろを歩きながら私は声をかけた。

「社長。何か欲しいものはありませんか」

「いや。特にないが」

 二日前にしたのを繰り返したような会話。

「誕生日の事なら祝ってくれるだけでいい。贈り物などなくともそれで充分だ」

 同じことを言われる。分かっていた私はそうですかと口にした。

「では社長。おめでとうございます」

 自然な風に口にできたとは思う。だけど失敗してしまったかもしれない。容易に言えると思ってしまったけどやはり難しかった。言葉にしようとすると口元が妙に歪んでしまった。歩きながらにして正解だった。それに会話を挟んだのも良かった。これでちょっと不自然なところがあっても何も用意できなかったことへの罪悪感だとでも捉えてもらえるだろう。


 何とか重い荷物は降ろせた。でも次の時はもっとうまく云えるようならないと。





 社長の家につくと乱歩さんに遅いと怒られた。ぷんぷんと頬を膨らませた乱歩さんはまだまだ言い足りない様子を見せつつも早く風呂に入ってきなと私に促す。お言葉に甘えてお風呂場に行けばお湯はもう溜めてあった。流石と云うかこうなることを予期していたのだろう。この分では私の事もすべてばれているのだろう。少し気分が重くなる。



 体を温めお風呂から出るとすぐに乱歩さんが風呂に入りに行ってしまう。社長次はどうぞと私が声を掛ける好きすらない速さにやられたと思った。髪を乾かすドライヤーの音を利用して乱歩さんとの会話の時間を減らそうと思っていたのに。往生際悪く濡れた髪をタオルで拭いただけで置いてみたけれども見とがめられた社長にちゃんと乾かしなさいと言われてしまう。それでもと渋れば何を思ったのか社長がドライヤーを片手ににじり寄ってきて……。

 私は社長に髪を乾かされてしまった。自分でできますと抵抗しても押し切られてしまって。

 社長に髪を乾かされた後は何となく居心地の悪い時間が続いた。それを壊してくれたのは乱歩さんだったが、やってくるのは社長と二人きりよりも恐ろしい時間だ。この人と二人きりになる度私の鎧が一つずつはがされていくようで恐ろしい。どうにか逃げ出せないかと考えてみるがそんな策見つかるはずもない。

「全くお前には呆れるよ。こんな日にまで自殺なんて」

「すみません」

「折角僕が牛鍋作ってやったっていうのにさ。さめちゃうでしょ。牛鍋は社長の好物なんだよ。毎年この日には僕が牛鍋を作ってあげるのが恒例なの。それなのにさ」

 すみませんとまた口にする。それ以上言えることはなかった。乱歩さんがため息をつく。言葉は怒っている風なのにそのため息には怒りは見えなかった。

「まあ、いいんだけどさ。鍋だし温めるのも簡単だ。お前がどうしてそんなことをしたのかも分かるしね」

 乱歩さんの言葉に肩が跳ね上がる。思わず身構えてしまう。分かっていたこととはいえこれから何を言われるのか恐怖してしまう。

 そんな私を見てまた乱歩さんはため息をつく。

「安心しろ。今日はそんな言わないから。ただ一つお前は難しく考えすぎなんだよ。贈り物なんてあげたいものをあげたらいい。僕なんて昔は駄菓子の詰め合わせをあげていたよ。そしたらその日一日だけ家事をしてくれ。それだけでいいって何年目かに社長に言われちゃったけど。無理に考えなくたって人の誕生日なんて自分が祝いたいから祝うものなんだから好きなものをあげたらいいんだよ。

 それから誕生日は出会ってくれたことを祝うものだよ。これからもよろしくねって意味を付けて。産れてきてくれたことなんて云ってもお前には分らないだろう。だから出会ってくれてありがとうそれでいいんだ。僕は社長と出会えて幸せになれたからお祝いするんだよ」





 狭い杯の電灯の光が移る。ゆらゆらゆれるそれを何となしに見つめてそれから杯の中の酒を飲みほした。空になった杯に注がれる透明な酒を私は苦い思いで見つめた。

 乱歩さんとの会話はあれだけで終わった。もっと色々言われると思っていたのに乱歩さんはその後は何も言わず二人の間には沈黙が落ちた。そのすぐ後に何気ない日常の話が始まりとくにないまま社長があがってきて鍋を食べることに。夕飯の前には乱歩さんが社長のために作った牛鍋のことをあれこれ自慢していたがそれだけで再びおめでとうを云うようなことにもならなかった。いつも通りに食べて、その後は乱歩さんが後片付けをしてから就寝。私も手伝おうとしたがこれがプレゼントなんだから一人でやるの邪魔しないでと言われてしまった。乱歩さんが寝に行くのを待ってから私も寝に行こうと立ち上がる。が、社長から食後酒はどうかと誘われてしまい今に至る。

 正直断りたかったが断ることもできずおとなしく杯に入れられた酒を飲む。飲みながらちらりと社長を見やるが社長は酒を飲む気配もなくただ私を見ていた。目が合わないようにすぐにそらす。先ほどからずっとこんな感じでどうしたらいいのか分からない。ついつい酒をあおるスピードも速くなってしまっている。

「うまいか」

 何度目かで社長が問うてきたのにはいとだけかえす。ですがもうと続けたかったが真っ直ぐに見つめてくる目を前に云えなかった。そうかと口角を緩めた社長がもう一杯注げてくる。酒に弱い訳ではないがこう飲まされると潰れてしまいそうだ。社長は人に無理矢理飲ますタイプではないはずなのになんで……。

「太宰」

 くらくらし始めていた所で社長が私の名を呼んだ。はいと反応する速度がいつもより遅い。確実に酔ってしまった。もうこれ以上はさすがに飲めない。どうやってかここをはなれなければと考えれば済まないという声が聞こえた。えっと声を漏らすよりも前に社長の腕が私に触れる。視界が反転する。気付けば私は社長の膝の上に頭を載せて横たわっていた。

 何が起きているのか瞬時に状況を把握できなかった。

 ぽんぽんと頭を撫でる感触だけをどうにかとらえることができる。

「太宰。明日は休みになっているからゆっくりと休め」

「へっ? 休みって明日は……」

「最近私のせいで眠れていなかっただろう。睡眠はちゃんととらねばならん」

 まともに思考ができていない中でも社長の言葉に驚けば、それ以上の驚愕が降ってくれる。なんでと声もなく思えば社長の指先が私の目元に触れて隈ができていると告げる。上手い事隠していたつもりだったのでそれにも驚いてしまう。廻らない頭の中それでもなんとか社長のせいではと告げようとすれば暖かい手が私の目を覆い隠す。別の手は今も優しく頭を撫でている。

「太宰。私は祝ってくれればそれでいいと云ったが本当は祝いの言葉もなくてよかったのだ。こうして傍にいてくれるならそれだけで充分だ。お前や乱歩。それに探偵社のみんながいてくれるのが私には最高の祝いだ。みんなと出会え築けてきた毎日が大切な贈り物だ。ちゃんと貰っている。

 今回は無理をさせてすまなかったな。

 太宰。心配しなくてもいい。今は分からなくたっていつか分かる日も来る。心からその言葉を言える日も来るだろう。それまでは無理をしなくてもいいのだ」

 触れる二つの手はどちらもあたたかい。触れられたか箇所だけでなくすべてが温もりに包まれているようだ。気付かれていたことを苦しく思う隙もないほど優しさが押し寄せてくる。

「社長」

 彼の掌の下瞼を閉じながら名を呼んでみる。

「どうした」

 返ってくる声はどこまでも穏やかで。その声に乱歩さんの声を思い出した。私もこの人と出会えてよかった。



「誕生日おめでとうございます」


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