「今日は社長の家で鍋をするんだ!」

 朝いつも以上にご機嫌な乱歩さんに与謝野先生が良いことでもあったのかいと聞いた際、彼は満面の笑みでそう答えていた。それを聞いたほかの社員たちもそれはいいと口々に言い、気付けば好きな鍋の味だとか具には何を入れるかと云った話しに発展していて、みんながとても楽しそうに話すのを私は眺めていた。話の中心が乱歩さんなのもあり国木田君も止めることができず、話を振られ参加までしていた。私の方にも話は振られ取り敢えず蟹と答えておいた。みんなの反応はまあ太宰さんですもんねと云った感じで話はすぐに流れていく。やがて何人かが今日は鍋にしようなんて言い出したところで丁度よく依頼が入りその話は終わりとなった。



 そして仕事終わりの今日。私は産まれて初めてスーパーに来ていた。いつもは買い置きの蟹缶に栄養補助食品を食べているので買い出しをする必要がないのだ。その蟹缶に栄養補助食品だって年に一度ネットで大量購入しているので直接買いに行くことがない。唯一購入しているのは酒だが私は酔えて眠れるならそれでいいと考えているので近くにあるコンビニでいつも買い占めている。なので今までスーパーに入ったことがない。正真正銘今日が初めてだ。

 聞いた話だとスーパーでも大衆向けとかちょっと高級志向とかあるらしいのだが其処ら辺はよく分からないので取り敢えず探偵社近くのスーパーに。入口は二重扉構造になっており風除室には買い物かごにそれから籠を入れる用と思われるカートが大量に並んでいた。

 これはどうするべきなのだろう? 籠だけ取るべきなのかそれとも両方なのか。一瞬だけ立ち止まって考えて取り敢えず両方手に取った。籠は二個入れられるスペースがあったので両方ともに入れておく。そんなに買う予定はないけれど折角来たのだし何かあれば買っておくのもいいだろう。

 内扉を潜りいざ未知の世界に。

 中にはたくさんの人がいてみんな来るものなんだなと感心する。私みたいな自堕落生活している人はやはり少ないんだろうね。取り敢えず買い物は後回しにまずは店内を回ってみよう。折角来たのだからちょっとした観察ぐらいはしておかなければ。まずは野菜コーナーか。あんまり食べないんだよな。案外野菜にもいろいろあるね……ばら売りに袋売り、あ、切ってあるのとかもある、凄い。次はお魚か……あ、蟹がある。いいな。後で買おうかな。魚の次はお肉でその後はお惣菜ね……。お惣菜も色々あっておいしそうだな。最近あったかいもの食べてないしなたまにはこういうの買って帰るのもいいのかもね。寄るのが面倒だから多分しないけど。次は豆腐とか大豆製品コーナーかな。へぇ~最近なんでも種類が豊富にあるものだね。見てる分には面白いけどいざ買うとなると悩みそうだな。

 はっ、冷凍食品がある。存在は知っていたけど見るのは初めてだよ。楽でいいかな~~って一回買おうとしたことがあるんだけど私の家レンジもないからな。それにレンジで温めるのとかもめんどそうだし。あ、でもすごい。置いとくだけで解凍されるのとかもあるんだ。これ買おうかな。でも買った所で忘れそう。私の家の冷蔵庫なんて空っぽだったことしかないからね。

 へぇ、冷凍肉の詰め合わせとかもあるんだ。保存がきくのがいいね。まあ料理なんてしないから関係ないけど。あ、レトルトとかも種類が豊富だね。あ、これマフィア時代によく食べてたやつだ。蟹なら食えるだろうってどこぞの帽子置きが押し付けてきたの。カップ麺とかも案外あるね。懐かしい。子供の頃はよく食べてたな。家にこれしかなかったから。今はもうお湯を沸かすのすら面倒だらか食べないけど。

 あ、蟹缶発見。あ、これ食べたことない奴だ。買っちゃおう。そう云えばそろそろ注文しないといけないころだしいくつか買いだめしておこうかな。あ、栄養補助食品はと……。あったあった。パンもあるしついでに買っておこうかな、たまには別のものも食べないとね。あ、そうだお酒。そろそろお酒も切れるころだし何本かかってこうと。どれどれ……おお結構種類あるね、うーーん。これとこれとこれとこれにしようかな。

 さて、これで大体まわったかな。じゃあ本命の買い物をしようか。

 今日は鍋をしたくて来たのだよね。何を買えばいいんだけ? まずは野菜? えっと。みんなは鍋に何を入れるって言ってたっけ? んーー、与謝野先生はトマト入れるとか言ってたよね。敦君は量を嵩張らせるのにもやしをいれるんだっけ。谷崎君はきのこ類を結構入れるって言ってたよね。賢治君は牛蒡とか大根とか野菜をたくさん入れるって話であ、後白滝!

 て、さすがにこれは食べきれないな。残しても明日料理する気はないし……。鍋って何が入ってたら鍋なんだろう。今日あんまりみんなが楽しそうに話すから私も食べてみたくなったのだけど、食べたことないからな……。

 取り敢えずいろいろ入れて煮込めばいいってことだけ知ってるんだけど。昔水炊きは作ったけどあれは鍋っていうかちょっとした遊び半分で作った料理じゃない何かだしな。ちゃんと食べれるし食べて危ないものでは作ってないけどでも実際の鍋ではないことは知っている。そもそも作ったはいいけど人にだけ食べさせて私は食べてないからね。んーーどうしよう。みんなが言っていたものを入れてもいいけどそしたら量が多くなるし。もうちょっと調べてからきたらよかったかな。一旦帰って調べなおす。でもそれしたら多分もう来ないな。むぅ……。

「何をしているんだ。太宰」

「ふぇ、社長。どうしてここに」

「買い物のためだが。お前こそどうして……。今まで見かけたことがないが」

「私も買い……」

 突然かけられた声に驚き振り返るとそこにはなんと社長が。予想外の人物に会い驚きのまま問いかけていたけどまあよく考えたら探偵社の近くだし買い物によってもおかしくはないよね。普段自分が買い物をしないからそう云った思考がすぐでてこなかった。それより困ったのは私だ。

 ちらりと気付かれないように持っているカートとそこに詰まれた籠の中を見る。私の食生活すべてがばれるようなちょっと社長にみせるには不味い代物だ。先ほど社長が言っていた言葉と合わせて考えられでもしたら色々やばい。ここは急いで逃げなければ。

「ちょっと普段とは違う場所で買い物をしてみようかと思いまして。あ、私買いたいものがあるので、じゃあ」

「あ、福沢さんいたいた。はいこれ、僕の駄菓子。よろしく。って太宰じゃん。お前こんな所で買い物なんてしたんだね」

 ゲッ。乱歩さん。いやまあそりゃあそうだよね。社長がいるならいるよね。今日一緒に食べるって話してたんだし。今一番会いたくない人物だったのだけどね。乱歩さんの目が私と私の持つカートに注がれて、それからにんまりと笑う。

「へぇーー。お前も案外可愛い所あるね。みんなが話してたから鍋食べたくなるなんて。取り敢えず初めてなら白菜ににんじん、白滝えのき長ネギ後は肉か魚好きな方いれたらいいんじゃない?

 ねぇ福沢さん」

 うぅ。全部ばれてる恥ずかしい。あ、でもそんなものなのか。それでもちょっと多いかな……。

「ああ、大体そんな所だろうが……、ちょっと待って太宰」

「はい」

「鍋を食べたことがないのか」

「……ないですね」

「ないみたいだよ」

 驚いたように聞かれるのにちょっと考えてから素直に答える。ここで何を言おうが無駄だ。乱歩さんまで答えてるし……。

表情こそ変わらないものの何かを考えだす社長を前にちょっと不安になる。やっぱりおかしいのかな。鍋食べたことないとか……。あの敦君ですら食べたことあるみたいだしな。でも私食に関心があまりないというか殆どないから。だから毎日蟹缶と栄養補助食品なわけだし。

「太宰」

「はい」

 名前を呼ばれてちょっと背筋が伸びた。声が仕事の時に名前を呼ばれるような感じだったからつい。

「今日は私の家に来い。鍋なら一人で食べるより誰かと食べる方がうまい」

「え? ……でも」

「いいから来い」

「まあ、そうなるよね。ありがたく思いなよ太宰」

「お前は何が食べたい?」

「なんでもいいんじゃない。初めてなんだし。あ、でも太宰は蟹好きだよね」

「蟹か。あれば買っていくか」

「それより僕お肉がいい」

「分かっている」

 社長の突然の申し出に戸惑いついていけない私なのだけど二人の間ではもう確定事項になってしまっている。その証拠に社長は手に持つすでに買う予定の品を入れていた籠にさらに追加で入れていっている。

「……ありがとうございます」

「気にするな。それよりお前の籠……」

 逃げれる気もしないので大人しくついていくことにして礼を言えば振り返った社長が私の籠に目を落とした。あっと思うももう遅い。

「太宰。それは何だ」

 社長の固い声が耳朶を打つのに必死に頭を回して言葉を探す。

「これはですね「太宰の今後の食事でしょ。毎日こんなものしか食べてないよこいつ」

…………


「あ、時々は渦巻で食べてますよ」

 適当なごまかしをしようとしたのに乱歩さんに先手を打たれてしまった。沈黙が落ちるのに耐えられなくなってたまにはちゃんとしたものを食べてるアピールもしてみたが逆効果だったようにも思う。沈黙が続いている。

「太宰。しばらくは私の家で夕食を取れ。これでは栄養が偏る」

「……はい」

 嫌だといえる雰囲気ではなかった。



「ただいまーー」

「お邪魔します……」

 乱歩さんが豪快にドアを開き中に入っていた後社長が入ってからお邪魔しようと思っていたのにその社長に促されて私が先に入ることに。なんだろう逃げるとでも思われているのだろうか。流石にここまで来たらもう逃げないのだけど。何度か迷子になったふりしてそうしようかなと往生際が悪くもそう思ったけど、乱歩さんに察知されて阻まれたしね。思っただけで実行しようとはしてなかったのに。

 社長が上がるのを待って乱歩さんに続く。

「ここが居間ね。あ、太宰はそこで座って待っててよ。炊事場には入っちゃだめだから」

 さすが名探偵。乱歩さんには私の料理をふるまったことはないのだが知っているらしい。でも料理しようとして料理したことないからね。実験しようとして料理してたからちゃんとしようと思って料理したらまともなもの作れると思うのだよね。スパイスやら薬草やらその他色々入れようと思わずちゃんとしたもので料理しようとしたら。

 だから心配しなくても大丈夫なんですよと思いながら立ち尽くした私は足元のものを見つめる。

 足元にあるのは床に座って食べる用の机。そこまではいい。だがその机の板の下には布団が挟まれているのだ。もしやこれはこたつではないか? 幼いころ住んでいた家にはあったのだが私は一度もいれてもらえることのなかった……。入ろうとしたら酒瓶で酷く殴られて以降近づいたこともないのだけど……、温かそうで羨ましいと思った記憶はあるのだ。今まで見ることもなくてとんと忘れていたが。

 これは入っていいのだろうか……。座ってだし入っても……。嫌でもさすがにそれは。

「何してるの太宰。立ってないで座りなって。ほら炬燵はいっていいから」

「あ、はい。……じゃあ失礼します」

「はい。お茶。まだもう少し時間かかるからくつろいで待ってて」

「はい」

 恐る恐る炬燵に入る。中はちょっとひんやりしていて思っていたのと違っていた。暖かいものだと思っていたからびっくりだ。思い出は美化されるていう奴なのかな……とか思っていると乱歩さんが机から出ていたコードのスイッチをいれてから炊事場に戻っていた。なるほどあれを入れて電気で暖かくなる仕掛けだったのか。何せ見たのが幼いころだったから知らなかった。

 あ、なんか徐々に暖かくなっていく様な。いいなこれ。凄い気持ちいい。


………あったかい。




「太宰! ちょっとここ開けて」

 ハッとして表情を作る。やばい今蕩けすぎて人に魅せられないような顔をしてた。いきなり入ってくることがなくて良かった。

「太宰~~」

「あ、はい」

 炊事場に続くふすまを開けるといい匂いが漂ってきた。おお、これが本当の鍋の匂いか。私の作ったなんちゃって水炊きはやはり鍋の部類じゃなかったことがよく分かる匂いだね。でも健康にはいいんだよ。それ以外のことに配慮してないだけで。

 社長と乱歩さんが入ってくる。鍋は社長が持っていて、乱歩さんは卓上ガスコンロを持っていた。机の上にガスコンロを置き、その上に鍋が置かれる。追加の食材や取り皿がさらに並んでいき鍋の火がつくのに鍋ってこんな風に食べるものなのかと感心した。私は最初から器に入れて出していたけどそれもどうやら違っていたようだ。

 机に三人囲むように座りご馳走になるのだからと私が取り分けようとしたら社長にお前はいいからと制されてしまった。今日は大人しく食べる方に回っていろと言われ複雑な心境になる。これが国木田君とかなら言われる前からすべて押し付けるのだけどさすがに社長に対してそんな真似はできない。それぐらいの常識はある。どうしようかと思っていると社長から小鉢が渡される。その中身を見て余計に複雑な気持ちになる。蟹の足が二本も入っていた。嬉しいけれど……この蟹別に乱歩さんと社長の二人なら入ってなかった奴だよね。良いって言ったのに……。

「太宰、早く食べろ。冷めてしまうぞ」

「はい」

 言われるままに一口。

「美味しい……」

 そして暖かい。それはさすがに口にしなかった。もう散々なほどばれてしまったが食生活の悪さを自分から露呈するようなことは控える。でも久方ぶりに食べる温かなご飯は胃に来る。悪い意味ではなくぬくもりが体の中で広がっていくようで美味しく感じる。思わずぱくぱくと食べ進めてしまうと視線に気付いて恥ずかしくなった。

「気に行ったようでよかった」

「鍋美味しいよね。福沢さんおかわり!」

「わかった。太宰もいるか」

「いえ……私は……」





 ほぅと息をついて空を見上げた。いつも通りの変わらぬ夜空なのに何故か楽しい気分になるのはまあ、そう言う事なんだろうな。存外私にも人の心と言うのは残っていたのだ。

 久方ぶりにお腹いっぱい食べ、少し休んでから私は社長の家をでた。泊まっていけとも言われたがさすがにそれは辞退する。一人で考えたいこともあった。初めて食べた鍋は自分が想像していたよりもずっとおいしかった。暖かいし冬場にはもってこいの食べ物だろう。みんなが好きなのも分かる。体がぽかぽかして、次いで心まで温まったようなそんな気分だ。今日は素敵な一日だった。

 だからこそ考える。

『今日お前にしては考えなしに行動してたよね。何で? あのまま買い物して帰ったところでお前鍋なんてできなかっただろう』

 社長の家を出る前に乱歩さんに言われた言葉。その通りだ。材料をそろえて帰ったとしても私の家じゃ鍋なんてできなかった。作り方も知らなければ、卓上ガスコンロもない鍋もない。それ以前に調理器具がまずない。鍋などできるわけもない。たまには考えなしで行動してみたくなるんですよなんて言ってみたけどそうじゃないけどことは分かっている。


 くしゃりと無意識に右手が蓬髪に触れた。


 乱歩さんとの話の後、社長はまた明日も来いと私に声をかけた。その時社長の手が私の頭を撫でた。そこから伝わってきたぬくもりが今も残っているような気がしてちょっと体が熱い。

 あの日、初めて社長にと言うか人に頭を撫でられた日以来社長はよく私の頭も撫でてくるようになった。どうしてかはわからないが事あるごとによく撫でてくる。それが嫌ではない、むしろうれしい。頭を撫でられるとホッとするというか胸がぽかぽかするような言葉ではうまく表せない状態になる。みんなが幸せそうな顔をしていた理由がよく分かった。あれはいいものだった。

 あの日まで私には縁がなく、気になりはするが必要なものではないと思っていたものはとてもいいものだった。だからちょっと気になってしまったのだ。

 他のものはどうなのだろうと?

 私に縁がないもなどたくさんあった。普通の人がみんなしているのに私はしたことのないもの。する必要もないと思ってきたこと。そんなものは本当にたくさん存在してそれがどんなものか気になった。だってどれもみんな幸せそうにやっているから。頭を撫でられるのはとてもいいものだった。だったら他のものは? 他のものも素敵なものなの?

 とてもとても気になった。

 気になったけどできなかった。だって私には縁のないものだ。やろうと思っても似合わないものばかり。私がしたってどうしようもないような意味のないようなことばかり。

そんな中で話された鍋の話。これならって思ったのだ。食には関心がないがそれでもこれなら私でもできるのではないか。食べることに似合わないも意味がないもないだろうと思って、やっと確かめることができると珍しいほど高揚した。

 それで後先考えずに行動してしまい失敗しかけた。社長たちが来てくれてよかったと思う。おかげで私は試させた。そして分かった。それは素敵なものだった。

 きっと他のものもそうなのだ。

 私が縁がなくてどうでもいいと思ってきたものたちは素敵なものだったのだ。興味がある。試してみたいと思う。でもやっぱり私には似合わないだろう。


 如何しようか





悩む自分に思う。最初に思ったことをもう一度思う。


 存外私には人間としての心が残っていたのだ。そんなもの凍てついてしまっていると思っていたのに。なんだろう。その氷が少しずつ溶けていているようなそんな気すらする。

 もしかしたら一つずつ体験していけばいつか凍てついた氷がすべて溶けて人間としての心を取り戻せる日が来るのだろうか。そんな心があった日のことなどもう覚えてもいないのに……。



 そんな日が来るなら見て見たい気もするけどでも無理だろうなと自嘲の笑みが浮かんだ



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