だざいおさむのはじめて
わたちょ
太宰治の初めて
親子ってあんなものなのかな。それが最初の感想だった。社長と乱歩さん、二人の仲を見たときの。
乱歩さんは子供のように社長を慕い、社長も乱歩さんを親が見守るような目で見ていたから。実際親子と云っても二人の関係は間違いないだろう。
それが少し羨ましかった。
私には家族といえる家族はいない。両親はいたけど酒しか頭にない凶暴な父に、そんな父に嫌気がさし他の男に心を移した母。どちらにも私は必要なく、物心ついたころには既に放置されているような人生だった。
ご飯は勝手に一人で食べたし、風呂も洗濯も自分でした。お洋服も靴も買ってもらえないから密かに外でゴミを漁って手に入れた。保育園とかすら頭にはない親で、小学校だけは市の委員に言われて渋々行かせられた。ただその学校では他の子供たちとのレベルがあまりに違いすぎて、子供の輪から外されてしまった。先生からも気味悪がられ私の担任など化け物を見ているようで気持ち悪いとノイローゼにまでなってしまう始末。
そんな私の事をどこで知ったのやら一年の夏の終わりごろ、森さんがやってきた。
その頃には世界はすでにつまらなく嫌気がさしていた。だから迷わずその手を取った。父も母も簡単に私を手放した。必要もなく、思い入れもなく、しかもいつの間にやら、化け物にまでなっていた私を追い出せるならとお金さえ要求しないあっさりとした終わりだった。その後彼らがどうなったかなど知らないし、興味もない。
私を生んだ親ではあるものの、親子、家族と云った関係には最初から最後までなれなかった。
その後私を育てたのは森さんで、もしかしたら森さんは育ての親というやつになるのかもしれないが、そこにも親子と云えるような優しいものはない。彼は私が芥川君にしたような、いやそれよりもっとひどく過酷な訓練、もはや躾を私に施し、マフィアとして育てた。
だから私はまともな親子というやつを知らず、初めてみた子と親の繋がりという奴にらしくなくも思ってしまったのだった。
その中でも社長が乱歩さんの頭を撫でるのが妙に印象に残った。
社長の手が乱歩さんの頭に触れ、その形に添うように二三度上下する。髪に埋もれた指先はどこかやわらかく見えて、それが何度も頭の中でリピートされた。
人に頭を撫でられるのってどんな感じがするのだろう?
後でこっそり自分の手で頭を撫でてみたけれど何も感じなかった。
それから少しした頃、今度は国木田君の頭を撫でてやる社長を見た。
国木田君が仕事で珍しくもへまをやらかし、何とか片付けたがあわや大惨事となりかけた事件の後だった。国木田君はその事でだいぶ落ち込んで仕事はこなすものの塞ぎ込んでいた。そんなある日、仕事が終わった後、私が忘れ物に気付き取りに戻るとみんな帰ったはずの社内に二人の人影があった。その人影が社長と国木田君で俯いた国木田君の頭を社長が撫でてやっているところだった。
慰めてやっていたのだろう。邪魔をしてはダメだと思い忘れ物はおいて寮まで帰った。
その時も気になって自分の手で頭を撫でてみても何も感じなかった。
翌日、国木田君はいつも通りだった、そしてその数日後、難しい仕事を完璧にやり終え後でひっそりと社長に撫でてもらっているのを目撃した。照れながらもいつもの国木田君からは想像もできないような嬉しそうな顔をしていた。
その日も家でこっそりと頭を撫でた。何も感じなかった。
だけど二人を見て思ったことはあった。
師弟とはああいうものだろうとは思った。落ち込んだら慰めて、よくできたら褒めてやるそう云う優しいもの。私は森さんに厳しくされただけで慰められた覚えもなければ、褒められた覚えすらないが、それでも全うな師弟関係とは社長や国木田君のような関係を云うのだと気付いた。通りで芥川君を訓練している時、周りから色々言われたわけだ。森さんにやられたよりは甘くしているのに厳しすぎると言われて不思議に思っていたのだ。
何がいけないのかと、その答えがやっと分かった。
あんな風にしてやればよかったのかと。
だが私には頭を撫でるのも撫でられるのにもどんな意味があるのかわからなかった。だからそれとなく与謝野先生に聞いてみたことがあった。そうするとあれは社長の癖のようなものなのだと教えられた。社長は寡黙な質で言葉で伝えることを得意としないから、ああして触れ合うのだと。言葉にしなくとも頭を撫でるだけで案外その指先から気持ちが伝わるものなのだと。与謝野先生も何度かされたことがあるらしかった。
その日私は気になりながらも頭を撫でることをしなかった。私は私に何の気持ちも抱いていなかったから。
時は流れ私にも後輩ができた。谷崎君や賢治君は国木田君が指導したが、敦君は私が拾ったのもあり、私が面倒を見ることになった。敦君に教える立場になり今度は社長や国木田君を真似て彼に教えを与えた。頭を撫でてやれば擽ったそうにしながらもとてもうれしそうな笑顔を浮かべる。
むねがちょっとほぅとなってそれからまた疑問が沸いた。
頭を撫でられる。それはどういう感じなのだろう。聞いてみたかったが聞かずにいつも蓋をした。
鏡花ちゃんも増えて探偵社はますます賑やかになった。
小さくてかわいらしい彼女は人気者だ。社長も彼女の頭をよく撫でる。それは乱歩さんや国木田君にするものとはちょっと違っていて、孫にするような感じだった。だけどやっぱり撫でられた後は嬉しそうだった。よく鏡花ちゃんと一緒にいる敦君も撫でられるようになった。嬉しそうだった。
そしてこないだ。組合との対決で見事フィッツジェラルドを敦君と共に倒した芥川君の頭を撫でてやった。
正直今さら頭を撫でられても何もないだろうと思っていたのだが、それでも今までの労わりを籠め、よくやったねと言う思いで撫でてやれば、彼は気を失った。嫌だったのかと思ったのもつかの間、彼の顔は実に満足げだった。
その日二年ぶりに自分の頭を撫でた。それでも何も感じなかった。
あの日からずっと気になっている。
頭を撫でられるのってどんな感じなのだろう? 前にもまして気になって……。
社長が誰かの頭を撫でる度につい見てしまう。私もついなでてしまい、敦君に最近よく頭撫でてきますよね。どうしたんですかと聞かれてしまった。鏡花ちゃんも隣でどうしてと見上げてきて、言葉に詰まった私は嫌かい? なんて言って逃げた。彼らは嫌じゃないです。嬉しいと答える。うん。知っている。私が頭を撫でる度嬉しそうな顔をするから。
だからこそ気になっちゃうんだけどね。
いっそ仕事で大きなへまでもしてみようかな? それでおちこんで……というのは私の性格的に無理か。みんな信じてくれないね。じゃあ、風邪でも引いてみる? よく知らないけど看病するときって頭触ったりするんだよね?
私風邪ひいたことないけど。正確にはひいても気付いたことがないかな。看病してくれる人もいないし。一度だけ具合悪いかもなんて思ったことあったけど弱ってる所は誰にも悟らせちゃいけないよってその時は森さんに一日中折檻された。それ以来熱が出ても気付かないようになってしまって……。でもそんな感じの薬とか飲んだら少しはいけそうじゃない? あ、けど私が風邪を引いたからって社長はきてくれないか。社長というか誰も看病なんてしてくれないよね。うーーん。もう少し可愛げってやつ身につけておけばよかったかな。
そしたら誰か撫でてくれたかもしれないのに……。
「太宰」
名前を呼ばれて思考の海からあがる。気付けば周りには誰も人がいなかった。いるのは私の名前を呼んだただ一人。社長だけがいた。ハッとして時計をみやればもう就業時間を三十分も過ぎていた。私はあわてて帰り支度を始めた。最近はいつもこうだ。ずっとぼんやり考え続けて時間が過ぎるのを気付けない。いつもは敦君や鏡花ちゃん、谷崎君が仕事終わりましたよと声をかけてくれるのに今日に限ってなんでなかったのか。いや、あったけどそれすら気づけなかったのか。ちなみに国木田君の声はいつもうるさいので自然とシャットダウンするようになっている。
「すみません。社長。私のせいで遅くなってしまいすぐ帰りますから」
「いや、いい。気にするな。それより少し話があるのだが」
荷物を急ぎ詰め込みながら謝罪を口にする。だが、その後聞こえた言葉に私の動きは止まった。話ですかと口にしながら頭の中で最近来た依頼のリストを浮かべる。その中に社長が私と話す必要があるような用件があったかどうか、それだけでなく最近の横濱の裏事情なども浮かべてみるがピンと来るものはなかった。
「何の話でしょうか?」
結局分からなかったので問いかけてみれば社長の表情が何とも言えないものになった。いつもとあまり変わらないがちょっとだけ眉が寄って、口元がきゅっと引き結ばれる。何かを言いづらそうに口の中がもごもごと動いた。何処となく困惑しているような感じだろうか? この人の表情は私でも読みにくい。何かを言いあぐねてる? いや、言葉が見つからないという感じだろうか。
何を話そうとしているのか考えてみるが皆目見当がつかなかった。しばらく無言で時が過ぎて、ふぅと息を抜くように社長の表情が変わった。表情筋の力が抜けていつも通り、もうどうにでもなれという感じで私に近づいてくる。どうするのだろうと私は無言で見あげた。
見つめる先で組まれていた腕が外れる。右腕が滑らかな動作で持ち上がり。あれ? このモーション何度も見ているような。いつもはこの真正面の角度ではなく斜めの角度で離れたところだけど……それでも、あれ。
戸惑い固まってしまった私の頭に何かが触れる感触がした。
「……はい?」
呆然とした声が出る。何が私の頭に今触れているのだ。髪の上からじんわりと何か熱のようなものが……。
「最近じっと見ているから。お前もしてほしいのかと」
違ったかと聞こえる声が遠い。
ゆっくりと旋毛から後ろ側に移動して、また戻ってくるその動作を繰り返すのが社長の手だとようやっと気づいた。大きなその手は私の頭を包み込むようで、掌全体から染み込む熱は頭から体中に溶けていく様な気がする。
心臓が早鐘のように脈打った。ぐわっと何かがせりあがるような、ほわぁと何かが浮かび上がるような二つの感覚が襲ってきて体が急激に熱を持つ。
頭の中が真っ白になって弾けた。
気付けば医務室のベッドでよこになっていた。
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