第96話:魔女と戦士の縁3/3 それぞれの幸せ(side:"大戦斧"サリッサ・ザクセン)
「あの時はテーベが暴走したんだったわね……いえ、いつものことなのだけど……」
「テーベさん、お詫びの酒だってあたしに絡んできて、すぐ酔っぱらって寝ちゃいましたよね」
着替えを済ませたサリッサたちは、近所にある『地竜の息吹亭』に入店した。
そこはオルレイアで働く炭鉱夫や冒険者が集まる活気ある店で、チンピラのサリッサとしてはやや場違いなところだった。
「あたしはすごく緊張してたのに、何だか拍子抜けって言うか……何なんだこの人ってびっくりしましたよ」
「ふふふっ、困惑してるサリッサも可愛かったわよ。クレアも同じくらい驚いていたわよね」
「そうでしたね……クレアもまだ入って一週間とかでしたから」
当時十三歳だったクレアは、"流浪の月"一行が前の依頼で魔族から助けた城塞の生き残りだった。
教会で魔術を教わっていたということで、ひとまず働き口のありそうなラ・ピュセルまで連れていこうとしている道中だった。
「その後も驚き続きだったでしょ?」
「ですね。最初はカンナさん……トイレに行こうとしたら、なぜかカンナさんが男性の方から出てきて……驚きすぎて二度見しましたもん」
"流浪の月"所属、A級冒険者カンナ・スラートホーン。
ザクセンブルグ帝国南部出身の麗しき弓手にして、常に女装している男性であった。
この世界の一般的な価値観では「卑しい」とされている女装をする理由は、本人曰く「こっちのが綺麗やから」で、彼の恋愛対象は男性だった。
「戻ってきたら、シスレーさんがテーベさんを抱えて女性のトイレに行くし……」
"流浪の月"リーダーにして、パーティーのムードメーカーであるB級冒険者テーベ・マクハーン。
中性的な美貌を湛える戦士は、男装の令嬢であり、恋愛対象は男性だった。
一番着たい服を自由に着る、という信念を持つ彼女だが、その思想はこの時代にあってあまりに尖りすぎていた。
それ故に実家の服飾店から追い出され、彼女曰く「一番自由」な冒険者になったのだという。
「あの子、どうにも放っておけないのよねぇ……あっちの意味じゃ、全然食指は動かないのに」
シスレーは右手の指を卑猥な形にし、プルプルと動かす。
パーティーとしてはA級の"流浪の月"において、唯一のS級冒険者だったシスレー・アグル・ヴァージニア。
女性を恋愛対象とする彼女が"流浪の月"に加入していたのは、カンナやテーベの自由な生き方に共感したからなのだという。
「師匠……オリヴァーさんも同じこと言ってましたね。『"流浪の月"は手のかかる奴ばっかりだ!』って」
「まあ、確かにオリヴァー以外は、一癖も二癖もあったからねぇ……」
現エルグランド王国王都ギルド長の要職にある元A級冒険者オリヴァー・"ザ・ボム"・ドボルザークは、サリッサの武術の師匠だった。
時代からはみ出した者たちの集う"流浪の月"の中で、彼だけが世間と迎合する価値観を持っていた。
それでいて、仲間たちの思想や考え方も許容する懐の広さも備えていたため、彼はいつも世間と仲間との緩衝役を担っていた。
中間管理職的なその性格は現在でも変わっておらず、ギルド長として日々苦労を重ねている。
「あの依頼がキッカケで、あたしも"流浪の月"に入って……二年後にクレアがリリスに合格、あたしも独立することになったんですよね。テーベさん、お別れの日に号泣しちゃって」
「気持ちを隠せない子だったからね……死ぬ時までも、真っ直ぐで……」
サリッサとクレアが去ってから三年後、"流浪の月"はS級ダンジョンで魔王軍と遭遇、テーベは敵首魁を討ち取るも致命傷を受け、撤退戦の最中に命を落とした。
最期の言葉は「一張羅で死ねるなんて、俺は世界一の幸せもんだな!」だったという。
「私が師匠とカンナさんに最後に会ったのは、テーベさんのお葬式でした……もう十五年も経つんですね」
「何だか随分、遠くへ来てしまった気がするわ」
しばし、二人の間にしんみりとした空気が流れる。
たった二年の仲間ではあったが、サリッサにとって"流浪の月"のメンバーは特別だった。
尊敬できる先輩たちと師匠、何より世界一愛する人と、サリッサは"流浪の月"で出会うことができたのだから。
「師匠は王都のギルド長になって、カンナさんはリンド・ゴルデバルグの教授になった……お二人は今もお元気でしょうか」
「オリヴァーは人づてに聞いた限りは元気そうよ。カンナとは"学術会議"で会ったけれど、相変わらず綺麗に着飾っていたわ」
「それならよかったです」
「カンナはサリッサとクレアのことも褒めていたわよ。ほら、冒険者を辞めると、なかなか次の仕事に就けない子も多いから」
冒険者の引退理由で最も多いのは「怪我」、次が「十分稼いだから」で、三番目が「衰えを感じたから」だ。
引退するほどの怪我をした者は労働に支障をきたし、酒浸りになることも少なくない。
サリッサの父親もこの類だった。
「いえ、あたしたちは……十分稼いだし、衰えを感じていましたから」
サリッサとクレアは他に三人の仲間を入れて、B級冒険者パーティー"月下の旅団"を組んでいた。
メンバーはみな気のいい奴らで、十二年間、楽しく冒険ができたと思っている。
「それだからこそ、よ。十分稼いだって言う子の八割は、浪費して二年くらいで冒険者に逆戻りするもの」
「それに関してはチビ達のおかげですよ。三人の将来を考えたら、お金はあるに越したことはないので」
「あの"大戦斧"が変わるものね……」
「ええ……チビ達を助けてから、あたしは死ぬのが無性に怖くなりました。あいつらにはあたしとクレアが必要だ。死んじまったら、誰が面倒を見てやるんだって……」
衰えを感じた、と口にする冒険者のほとんどは、年齢的にはまだまだ十分やれる者ばかりだ。
しかし、死と隣り合わせの冒険者稼業を続けていくには、「死にたくはないが、死ぬかもしれない」といつでも覚悟しておく必要がある。
死ぬのが怖い……そう思ってしまうと、いざという時に力が発揮できず、本当に死ぬことになる。
「引き際をわきまえるのは一流の証拠だわ。三年前にも言ったけれど、私はその決断を尊敬します」
衰えを感じて現場を離れた冒険者の多くは、腕力を生かして用心棒や門番になる。
この手の人物はいざとなったら「死ぬのが怖い」と逃げだすため信用が置けず、そのせいで冒険者崩れの評判を下げているのだ。
「ありがとうございます、シスレーさん……」
シスレーが手伝ってくれたおかげで、サリッサとクレアは一等地に店を構え、三人の孤児にラ・ピュセルの国民証を与えることができた。
さらに、名字のなかったサリッサが、クレアと同じザクセン姓を手に入れられたのも、"旅の癒やし手"として高名なシスレーの推薦が大きかった。
(でも、変わったのはあなたもですよ)
サリッサは礼をしつつ、心の中でシスレーに言葉をかける。
"流浪の月"時代のシスレーはもっと得体が知れず、すべての優しさに裏があった。
けれども、解散後十二年たって顔を合わせたシスレーは、驚くほどに温厚で、思いやりのある人物となっていた。
(女癖は相変わらずだったけど……前より子どもに対しても、優しくなってたんだよね)
サリッサとクレアが開店準備に追われている一週間、シスレーは三人の子どもたちの面倒を見てくれていた。
子育ての経験はないはずなのに、離乳食の用意からおしめ替え、お風呂から寝かせ着けまで、その手腕は完璧だった。
(紀行文には書かれていないけれど、いつも小さな助手を連れていたって噂だし……そういうこと、なのかな?)
シスレーは弟子を取らないことで有名だから、小さな助手というのは弟子ではない。
パーティーメンバーとも違うだろうから、サリッサたちがしたのと同じく、孤児を娘か息子として育てていたのかもしれない。
ただ、仮にそうだとしたら、三年前にリリスの教授になってから、助手の影がまったくないというのは違和感がある。
子どもたちを慈しむ態度から察するに、もしかしたらその子はもう亡くなっているのかもしれない。
「……それで、今日は何の用事でしょうか?」
サリッサは努めて普通の口調で話題を変える。
これ以上昔のことを話していては、核心に触れる前にギルド会館についてしまう。
それに、小さな助手のことに触れるのは、シスレーの禁忌に触る可能性もある。
「ええ、実は魔女見習いが運んできたっていう箱のことで、ティンバスから呼び出しがあったのよ」
シスレーもまた昔年を見つめていた目をサリッサに向け、落ち着いた声色で答える。
「ああ、"ストレンジャー"に渡してたあの箱……失くなったって噂になってますけど、シスレーさんと関係が?」
「その魔女見習いの子たちだけどね、二人ともリリスに入ったようなの。だから、責任の一端がリリスにもあるって言いたいみたい」
「そんな言いがかりを……」
「ええ、困っちゃうわよねぇ……」
シスレーは可愛く肩を竦めるが、その目は一切笑っていない。
"七賢者"の本気の怒りに、サリッサは恐怖で小刻みに震えてしまう。
いくらリリスの受験生だったとはいえ、箱を渡した時はまだどこにも所属していない魔女見習いでしかなかったはずだ。
その後リリスに合格したからと言って、受験前の出来事を持ち出して来られてもリリス側は困ってしまう。
サリッサでさえそれくらい分かるのだから、不条理に圧をかけられた当のシスレーはどれほどイライラしているのだろうか。
「サリッサが見たのは、どんな子たちだった? 外見とか……何か特徴は?」
「一人はのっぺりとした仮面をつけていましたね。この子は冒険者ギルドに慣れているみたいでした。もう一人は聖布を目元に巻いていて、ちょっと怯えてましたね。二人ともエルグランド訛りでしゃべっていました」
「……なるほどねぇ」
サリッサの報告を聞いて、シスレーはにっこりと笑う。
それは肉食獣が獲物を見つけた際の笑みにそっくりであり、サリッサの身体は震えを通り越して恐怖のあまり凍り付いてしまう。
("ストレンジャー"の大バカ野郎……一体何を失くしやがった!)
これからティンバスと"ストレンジャー"は、捕食対象としてこの笑顔を向けられるのだ。
サリッサがもしもその立場だったなら、しょんべんをちびるどころか恐怖で命まで抜けてしまうかもしれない。
「他にこの件について何か知っていることは?」
「特には……あっ、あれは……でも、関係ないか……」
「何かしら?」
「いえ、同僚が言ってたんですが、最近休日になるとティンバスさんが流浪街へ下りて行ってるらしいんですよ」
「流浪街へ?」
「はい。現地で何をしているのかはナゾですが、売春宿や酒屋に行くってタイプじゃないですからね」
「そうよねぇ……サリッサ、調べてもらえる?」
シスレーの目がキラリと光る。
サリッサとしてはあまりこの件に深くかかわりたくないが、シスレーの頼みとあっては断れない。
「……分かりました。流浪街の"路地裏同盟"に監視させときましょう。何か分かったら紙鳥を飛ばします」
「よろしくねぇ。私が関わっていることは、くれぐれも内密に」
「もちろんです」
そうして、秘密の取り決めがなされたところで、二人はギルド会館の前に到着した。
「お話に付き合ってくれてありがとう。これは私からクレアへの贈り物よ」
「いえ、こちらこそ……ありがとうございます」
手渡された大きめの袋の中には、いくつかの小分けされたハーブの袋が入っていた。
さらに、新しい薬草のレシピが書かれた紙片も同封されている。
これでますますお店は繁盛することだろう。
「じゃっ、お先に」
結界を解除し、シスレーは正面扉からギルド会館へと入っていく。
サリッサは裏にある従業員通用口に回りながら、もらったハーブの種類を確認する。
「安眠用、こっちも安眠用……なるほど、年齢によって使い分けるのか」
ほとんどのハーブは安眠用で、幼児向けと大人向けの二種類が、匂い別に用意されていた。
「最後のは……げっ!」
二袋だけ入れてある包装の異なるハーブを取り出してみて、サリッサは慌てて袋にしまい直す。
「さすがシスレーさん……これ、クレアになんて言って渡せばいいんだよ」
それは夜の営み用、一言でいえば興奮効果のあるハーブだった。
入浴剤として使えるものと、枕元で焚くと一時間ほどで効果が発揮されるものに分かれている。
これを使えば、お淑やかで清楚なクレアが隠し持つ淫靡な側面がたちまち暴かれ、いつも以上に積極的にサリッサを求めるようになるだろう。
そしてまた、サリッサの方も優しさの奥に眠る獣性を剥き出しにし、クレアの柔肌にいくつも噛み痕をつけながら蹂躙することになる。
「……あぁ、もう!」
サリッサは脳裏に浮かんだムーディーな幻想を頭を振って散らし、大きな袋の口をきつく縛った。
媚薬など、サリッサが持っていたところで、心が乱れるだけである。
安眠用はありがたく使わせてもらうとして、もう一つの方はクレアにぜんぶ任せよう。
「ちょっと卑怯だけど……これで少しは、クレアもやりやすくなるだろ」
いつもそういうことをする夜は、ほとんどサリッサから誘っている。
クレアは貞淑で恥ずかしがり屋だから、自分からしたくなっても遠回しにしか態度に出さない。
それはそれで可愛いけれど、たまには情熱的に誘ってほしい。
今後もしもクレアが、サリッサに何も言わずに香を焚いて待っている、なんてことがあったら、サリッサはハーブの効果以上に興奮することだろう。
「……今日は早く帰ろ」
クレアは香の説明を聞いたら、どんな反応をするんだろうか。
照れるか、怒るか、受け流すか、無視するか。
いずれであっても、サリッサからすれば同様に愛おしい。
「よし、がんばるぞ!」
やる気十分のサリッサは、一日の業務を開始すべく、ギルド会館に入っていった。
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