第92話:それぞれの四星の儀2/2 魔眼の運命(side:ソフィア)

 カル=ペテロの天球儀に吸い込まれ、気が付けばソフィアは星空の草原に立っていた。

 状況が把握できずに辺りを見渡していると、どこからともなく頭の中に声が響いてきた。


『これまたすごい子が来たよ!』


『片方の眼ってあの魔眼!』


『前に来た子は二十年前?』


『いやいや三十年前じゃなかった?』


「……あなたたちが、妖精さんですか?」


 ルシアとカーラが交わしていた会話の断片を思い出し、ソフィアは脳内の声に問いかける。


『うわぁ、あんまり驚かないね!』


『誰かがネタバレしたんじゃない?』


『あるいは魔眼で見抜いたか!』


『だけど覚醒してはいないみたい!』


「この眼について、知っているのですね……それに、前に来た子とは?」


 平静を装って尋ねつつ、ソフィアは心臓がはち切れんばかりに鳴り出すのを自覚した。

 ソフィアが有する魔眼を、ここ数百年のうちに身に宿していたのは、たった一人。

 すなわち、他ならぬソフィアの母・ヴェルザンディしかいないのだから。


『知ってる知ってる、強い子だったね!』


『四つの美徳もぜんぶ持ってた!』


『確かポラリスのとこじゃなかった?』


『違うよ、ソレイユのとこだった!』


 妖精たちの答えは微妙にソフィアの質問と噛み合わなかったが、それでもソフィアの目頭は熱くなった。

 国家と教会が引き起こした"あの事件"で家族を失ってから、ルシアに救われるまで八年間、大好きだった母との思い出は、どん底のソフィアを癒やす数少ない希望だった。

 そんな大好きな母がまだリリスの学生だった頃の話を少しでも聞けるのは、ソフィアとしては大変嬉しいことなのだ。


(四つの美徳をすべて……お母様、優秀な学生だったのですね……)


『この子はあの子とちょっと違うね!』


『節制はちゃんとできるみたい!』


『真っ直ぐだけど、智慧も回るね!』


『忠義はまだまだ無自覚かもね!』


 妖精たちの声が、ソフィアの魔力を探るようにうごめく。

 ソフィアの知らない母の姿と比べられているようで、嬉しいけれど緊張してしまう。


『勇気も全然分かってないよ!』


『ポラリス、ソレイユ、どっちがいいかな?』


『それはもちろんポラリスでしょう!』


『ポラリスだったら勇者にも至れる!』


 妖精たちの言葉に、ソフィアはとっさに「ソレイユがいいです!」と叫んでしまう。

 カーラも、ミーシャも、アルサも、そしてルシアもソレイユだった。

 ここまで来ると、根拠はないがセシリアもきっとソレイユに選ばれるような予感がするのだ。

 ソフィアだけ別の寮になってしまうのは、あまりにも悲しい。

 それに、大好きな母もソレイユだったというのなら、ソフィアも同じ寮に入りたい。


「どうか私を、ルシア様と、みなさんと同じ寮に!」

 

『あの子も同じこと言ってたね!』


『言ってた言ってた、ソレイユがいいって!』


『魔眼にまつわる運命なのかな?』


『だけどこの子のは二つある!』


 妖精たちは楽しそうにくすくすと笑う。

 封印されているにも関わらず、妖精たちはソフィアが異なる二つの魔眼を有していることを正確に見抜いているようだ。


『一つだったら、ソレイユでもよかった!』


『二つが重なれば危険も二倍!』


『もしもソレイユに入ったら』


『大いなる災厄がやって来る!』


「大いなる、災厄……」


 杖を選んだお店でも、ドクター・フーが似たようなことを言っていた。

 どこまで行っても、ソフィアには魔眼のもたらす災いがついて回る。

 両親から魔眼を受け継いで生まれたその日から、ソフィアにとってその眼は祝福であり呪いでもあった。


『臓腑を腐らす黄金の獣』


『死の雨降らす銀色の災い』


『流れる水の忌むべき受肉』


『歌う禁忌の呪われし翼』


 抽象的ながら恐ろし気なものたちの名を、妖精たちは告げていく。


『こんなのほんの序の口よ!』


『どこかで命を落とすかも!』


『勇気の灯りは頼りない』


『ソレイユの道は死への道』


『さあさあどっちの寮がいいかな?』


『答えを教えて、魔眼の娘!』


『勇気と忠義、足りない二つ!』


『災厄と栄光、未来は一つ!』


 ソレイユを選べば死ぬかもしれず、ポラリスを選べば勇者になれる。

 どちらを選んでもいいと言いながらも、妖精たちは明らかにポラリスを勧めている。

 その予言を戯言だと否定することもできようが、妖精たちがソフィアに嘘をつく理由なんてない。

 むしろ、ポラリスを選べというのは、妖精たちなりの優しさであるとさえ取れる。


「……ふふっ」


 目の前に示された、正反対の二つの未来。

 愚か者でもない限り、どちらに進むべきかは明らかだ。


「ふふふっ、ふふふ……」


 思わずといった感じに、ソフィアの口から笑いが零れる。

 はしたないと口元に手を当てても、笑い声は抑えきれない。


『どうしてそんなに笑っているの?』


『運命が怖くておかしくなった?』


『運命が良すぎて嬉しくなった?』


『どっちも違うね、何その感情?』


 妖精たちはソフィアの態度に困惑したようで、頭の中をぐわんぐわんと飛び回る。

 そんな彼女たちの反応に、ソフィアはますます笑ってしまう。


「ごめんなさい……ふふっ、こんなに分かりやすい言われ方をしていても、ソレイユを選ぶことに何の躊躇いもない自分がおかしくって」


 ソフィアの言葉に、妖精たちがさらに戸惑う。

 魔力がざわっとざらついて、ソフィアの周囲でさざ波を打つ。


『なんであなたはソレイユを選ぶの?』


『そっちに行ったら死ぬかもしれない!』


『それも無様にひどい姿で!』


『かなり惨くて痛い仕打ちで!』


「ええ、そうかもしれませんね……でも、死なないかもしれません」


 ソフィアはさっぱりとした表情で、夜空で光る星々を見上げる。


「私はこれまで、大切なものを失い続けてきました。運命に抗う力を持たない私は、流されることしかできなかった」


 家族をすべて失った日も、まぶたを縫われ、呪われた夜も、地下に隠され、虐げられた日々も、オークに襲われ、凌辱されかけた昼も、ソフィアは厳しい現実に立ち向かう術を持たなかった。

 死を覚悟した回数は数えきれないほどで、精神的にも、肉体的にも、痛い仕打ちをたくさん受けてきた。

 運命に翻弄され、虐げられ続けるだけが自分の人生なのだと、ソフィアはずっと諦めていた。


「けれども今は違います。私の前には選択肢があり、私の周りには仲間たちがいる……そして、目指すべき尊い光もあります!」


『そんなのぜんぶ消えちゃうかもよ?』


『仲間は無残に傷ついて』


『光は暗闇に消えていく』


『ぜんぶがぜんぶ、あなたのせい!』


「ええ、だから私は強くなります。強くなると、誓ったのです。この眼がもたらす災いから、大切な仲間と、自分自身を護れるように!」


 ドンッと足を踏み出して、ソフィアは世界に向けて宣言する。

 ソレイユを選べば死ぬかもしれない……それが何だと言うのだろう。

 そもそもソフィアは選べなかった。

 選べずとも、死はいつでも隣にあった。

 今更死の恐怖に怯え、望まぬ人生に偽りの忠誠を捧げる気は一切ない。


「どうか私をソレイユ・カレッジに! たとえ死の運命であっても、私は必ず乗り越えてみせます!」


『すごいね、何百年ぶりだろう!』


『恐怖はちゃんと抱いているよ!』


『ホントは不安でいっぱいみたい!』


『それでもしっかり立ってるね!』


 妖精たちの称賛の言葉と同時に、頭上の星々が巡り始める。


『護りし美徳は勇気なり!』


『護りし美徳は勇気なり!』


『護りし美徳は勇気なり!』


『護りし美徳は勇気なり!』


 あれだけ忠告されたにも関わらず、ソフィアは妖精たちの勧めとは反対の選択をした。

 けれども、妖精たちはいかにも嬉しそうに、四つの声を重ねていく。


『愚かな娘、死を選ぶ!』


『愚かな娘、災厄が来る!』


『愚かな娘、運命に呑まれる!』


『けれども私たち星の子は、人の愚かさが大好きよ!』


 星々の青い軌跡が濃くなるほどに、世界の時間が進んでいく。

 足元の青草がにょきにょきと伸び、爽やかな風が吹いてきて、希望の夏が訪れる。


『魔眼を宿せし魔女の子よ!』


『手にしたしるべを失わないよう!』


『たとえ暗闇が包んでも』


『妖精の加護が道を照らそう!』


 そうして夏の盛りに達すると、眩い星がキラリと瞬き、ソフィアの手元に降ってくる。

 同時に青草の先端で、大輪の向日葵が目を開けて、ソフィアを祝福するように輝く。


「妖精さんの、加護……」


 ソフィアの胸元で、日輪を模った花が咲く。

 さらにソフィアの額に向かって、穏やかな金の光がふわりと四つ、静かに吸い込まれて消える。

 直感的に、それが妖精の加護なのだとソフィアは理解した。


『ソレイユ・カレッジは、あなたの訪れを歓迎します』


 そして、夏の世界が弾けた。




「……っと、このような感じでした」


 母親や魔眼のことは伏せ、ソフィアは四星の儀の詳細を語った。

 二つ足りない美徳があり、みんなと同じ寮になりたかったからソレイユを望んだ、という内容だ。


「最後に妖精さんから加護をいただきました……みなさんも、加護をいただいたのですか?」


 ソフィアの質問に、四人ははてなと首をかしげる。


「加護なんてもらってへんな」


「ボクももらってないね~」


「ソフィアだけなんじゃね?」


「わたくしも聞いたことがありません……とはいえ妖精は、生態すらあまり知られていない幻想種。図書館を調べれば、加護についても何か見つかるかもしれませんが……それに、星の子ですか……うぅん……」


 博識のセシリアですら知らないということは、妖精の加護というのはかなり珍しい魔術か何かなのだろう。


「そうなのですね……良いものだと嬉しいのですが」


 暗闇を照らす、とは言っていたものの、あの妖精たちの性格から考えると、どうも素直に喜べる気がしない。

 人の愚かさが大好きなどと言っていたし、ソフィアを破滅に導く加護の可能性だってあるのだ。


「わたくしの方でも調べておきましょう。ルシアさんにも、後でお話しておくとよろしいですわ」


「ありがとうございます、セシリアさん……それで、話は変わるのですが、次はどこを探検しましょう?」


 四星の儀の話をしている間に、談話室も混み合ってきた。

 他の寮生たちもソファの座り心地を確かめたいだろうし、ソフィアもそろそろ別のスポットも見に行きたくなっていたところだ。


「ボクは中庭行ってみたいなぁ~。お昼寝スポットありそうだし~」


「うちは実験室が気になんなぁ~」


「あたしは魔術練習場に行ってみたいかな~」


「わたくしは芸術室が気になりますわね」


 四者四様の答えを受けてソフィアは頷き、脳内で見取り図を描きつつ立ち上がる。


「私は向日葵畑に行ってみたいので……近い方から順に回っていきましょう!」


「お~!」


 他の四人もソフィアの掛け声に合わせて立ち上がり、楽しそうに手を高く掲げた。

 そして五人はおしゃべりしながら、寮探検を再開したのだった。

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