第90話:入学最初の夜

「……厄介だなぁ」


 時計塔から談話室に戻って来たら、再び先輩たちを放心させてしまった。

 私は逃げるように廊下に出てからひとりごちる。

 私の良すぎる顔面がリリスでどんな騒動を起こすのか不安だったけど、まさか先輩たちから狙われることになるとは。


「同級生だけで、精一杯なのに……」


 入学式からここまで、友達の五人を除いた同級生たちは、私と目すら合わせてくれない。 

 そのくせ、私のことをチラチラと盗み見ては、私の顔の良さにうっとりしているのは露骨に伝わってくる。

 もしかしたら今だって、荷ほどきをしながら私の顔の良さについて語っている可能性だってあるのだ。

 早急に私の顔に慣れてもらわないと、居心地が悪くて仕方ない。

 今はそのための作戦を考えるべきであって、先輩たちのことまで構っていられない。


「サリアもあんなだし……やっぱり私、女学園向いてない……」


 同級生、先輩、明日からの授業、サリア、さらには魔王の心臓の行方まで……考えることが多すぎて、私のキャパをとっくにオーバーしてしまっている。


「こういう時は……忘れるに、限る」


 解決しようのないものを悩んでいても疲れるだけだ。

 今は、同級生やサリアっていう、目先のことに集中しておくべきだろう。


「後はもう、なるようになるでしょ……」


 心を決めて部屋に戻ると、ソフィアも荷ほどきを終えていた。


「ルシア様! これから夕食まで、ミーシャさんたちと寮内探検に出るのですが、ルシア様もいかがですか?」


「あー……私は、いいや」


 もうあんな視線には耐えたくないし、ソフィアたちを同じ視線に晒してイヤな思いをさせたくない。

 ソフィアは「そうですか……」とシュンとなるが、すぐにこちらをいたわるような笑顔を見せる。


「入学式でルシア様もお疲れですものね。ゆっくりお休みください!」


「……そうする」


 別に入学式だけってわけじゃないけれど、色々と詮索してこないソフィアの気遣いが今はありがたい。


「では、行ってきます!」


「うん」


 ソフィアが出ていくと、部屋の中が急に静かになった。

 サリアは相変わらずカーテンを引いているので、私もカーテンを引いて上着を脱ぐ。

 机の魔導灯を消したらベッドに横たわり、頭を無にして眠りに落ちた。



 目が覚めると、すっかり夜になっていた。

 部屋にサリアとソフィアの姿はなく、何となく寒々しい空気になっている。

 とりあえず顔を洗って上着を羽織ったら、明日の用意をすべく教科書類を鞄に詰める。


「初めての授業、どんなだろう……」


 師匠から受けた教育は常に実践的だったので、座学はほぼ未体験だ。

 リリスは魔女見習いの最高峰なのだから、きっと講師陣もすごい人ばかりだろう。

 そんな偉人たちから魔術を学べるのはものすごく楽しみだけど、人に囲まれて授業を受けるってのは同じくらい不安だ。


「ソフィアたちから、離れないようにしよう」


 何度も授業に出ていれば、その分同級生たちも私の顔に早く慣れるだろう。

 最初の数回はジロジロ見られるはずだから、そこだけ耐えて何とか生き残りたい。


「ルシア様! 起きていらっしゃいますか?」


 がんばろうと気合いを入れたところで、ソフィアたちが探検から帰ってきた。


「今から夕食、行くところ」


「ではご一緒に!」


 ソフィアは私の制服や髪の乱れを手早く直すと、手を引いて廊下に出る。

 セシリアたちも待っていてくれて、六人で食堂へと向かう。


「いやぁ~、中庭はいい昼寝スポットだねぇ」


「うちは談話室が気に入ったわ! チェッカー盤もあったし、みんなでやろうや!」


 チェッカーというのは、八×八の盤面に置かれた六種類十六個の駒で戦うボードゲームだ。

 魔術使いの嗜みであると言われ、特に宮廷で流行している。

 カーラは貴族の顧客も抱えているだろうから、チェッカーにはなじみがあるのだろう。


「カーラさんは計算がお得意……となると他のボードゲームも、さぞお強いのでは?」


「まあな! 一番得意なんはウィザーズ、次点でポーカーとブラックジャックや!」


 ウィザーズは魔術使いをモチーフにした六十四枚の対戦カードゲーム。

 ポーカーとブラックジャックは、十二枚×四種類のトランプを使ったカードゲームだ。

 いずれも高い戦術性と数学的才能が求められる。


「あら、わたくしもウィザーズには腕に覚えがありましてよ。ぜひ対戦したいですわ!」


 大貴族だけあって、セシリアもこの手のゲームは得意のようだ。

 対戦したい、という部分を強調して、目をキラキラと輝かせる。


「ねぇ、あたしはルール分かんないんだけど……」


「アルサさん、もちろんお教えしますよ! ルシア様はルールは?」


「知ってる」


 修業時代、師匠は現地の人と打ち解けるためという名目で、一通りのボードゲームを私に教え込んだ。

 あの人には卓越した話術があり、私には完璧な無表情があったから、特にポーカーでは負けなしだった。


「でしたら是非、みなさんで遊びましょう! 私、実は家族以外と対戦したことがなく……楽しみです!」


 ソフィアの言葉にみんな同意したところで、私たちは食堂に到着した。

 室内に入ると、私の顔面のせいで一瞬だけ喧騒がスッと静まる。

 気まずい緊張に、私はウッと息が詰まって足が止まる。


「うおぉっ、夕食もメッチャ豪華やないか!」


「ホントだ、見たことない料理もあるよ!」


「食いしん坊だなぁ~」


「ミーシャにだけは言われたくないわ!」


「みなさん、落ち着いてくださいまし。料理は逃げませんよ」


 しかし、友人たちは静まり返った食堂の空気も何のその、わちゃわちゃと空席を見繕って腰を下ろす。

 おかげで室内の空気は温まり、再び食事のざわめきが戻ってくる。


(私一人だったら、吐いてたな……)


「ルシア様、私たちも座りましょう」 


「……うん」


 ソフィアに促され、私もみんなの輪の中に加わる。

 その際、セシリアとミーシャから「大丈夫ですから(だよ~)」って感じの、温かい視線が向けられる。

 私はそれに答えるように軽く頷き、さっそく豪華な料理に手を伸ばすのだった。



 食後、みんなはいったん部屋に戻り、時間を合わせて大浴場へ行くことになった。

 私はシャワー室に行くって言ったら残念がられたけれど、食堂での空気を思い出せば仕方ない。


(まだ顔にも慣れていないのに、お風呂なんて行ったら、溺死者が出る……)


 みんなのため、そして何より私の心の平穏のためにも、しばらくはシャワーで十分だ。


「それではルシア様、また部屋でお会いしましょう」


「んっ」


 離れの入り口でソフィアたちと別れ、私はシャワー室の方へ行く。

 ちなみに、ソフィアは濡れても大丈夫な入浴用の布を目に巻いていた。


(けっこう空いてる……)


 離れの隣に立てられたシャワー室は、平屋の中に個室が並んでいる造りだった。

 ドアのプレートによって、二十の個室のうち五つが使用中だと分かる。


「……豪華だ」


 適当なドアを開けて室内に入ると、寮の部屋と同じくらいの広さの空間が広がっていた。

 清潔な脱衣所には洗面台がついており、浴室には一人用のバスタブまで完備されている。

 こんな設備が一つの寮に二十もあるのだから、リリスの経済力たるや怖ろしい。


「ここだけでも、生活できそう」


 服を脱いだら浴室に入り、蛇口を捻って温水を被る。

 当然のごとく『魔導蛇口・ひねるくん』がついていて、綺麗なタイル張りの床にも温度を逃がさない魔術式が施されている。

 二種類のボディソープの他に、髪の手入れ用に三種類ものボトルが用意され、洗顔用のものはなんと五種類もあった。


「……後で、ソフィアに聞こう」


 何が何だか訳が分からないので、とりあえず目についたものを使って、私は身体を洗うのだった。



 シャワーを終えて部屋に帰ってくると、まだソフィアはいなかった。

 初めての大浴場で、きっとはしゃいでいるのだろう。


(サリアはいるのか……)


 魔術灯が点いているし、私が帰ってきたらビクッて緊張する気配があった。

 二人きりの今こそ交流を深めるチャンスだけど、私から話しかけられるはずもない。 


(何か、キッカケがあれば、いいんだけど……)


 寝間着姿で歯を磨きつつ、私はあれこれと作戦を考える。

 教科書見せて作戦、食べ物分けて作戦、ボードゲームで遊ぶ作戦……。

 しかし、どれも結局は、私から話しかけないと成立しないものばかりだ。


(友達への道は遠いな……)


 解決策が見つからないまま、私は支度を終えてベッドに入った。

 主席挨拶、四星の儀、歓迎会に寮の探検、サリアのこと、先輩たちから狙われていること。

 濃厚な一日に、だいぶ疲れていたんだろう。

 昼寝もしていたくせに、横になったら意識はすぐになくなり、私は深い眠りの中へ落ちていった。

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