第88話:不可解な視線

 サリアに拒絶されてから五分後、私は荷ほどきを終えた。


「……うん、良さそう」


 ベッドの枕元には新品の棚があり、私がよく読む魔術書たちが収納されている。

 服は『フルードリス』から送られてきたものを壁の備え付けラックにかけて、シャツと下着はその下部にある棚にしまった。

 魔導灯スタンド付きのテーブルには教科書が並べてあり、その他の道具類は収納鞄に入れている。


「ソフィアは……まだか」


 部屋の奥では、ソフィアがインテリアと収納の兼ね合いをあれこれ試していた。

 例の大型ナイフを飾るスペースを考えたり、私がプレゼントした聖布を壁にかけるかどうか悩んだりしている。

 さらにはいつ買ったのか、オシャレなガラスの花瓶に花を活けて、共有スペースに華やかさを追加している。


「……探検でも、するか」


 これから寮は私の家、すなわち私の領域となる。

 どこに何があるのかは、頭の中に入れておいて損はない。

 今なら他の子たちも荷ほどきでまだ部屋にいるだろうから、廊下も空いているはずだ。

 混み合う前に、寮内探検を済ませてしまいたい。


「まずは、談話室、かな」


 とりあえず部屋を出て、エントランスを兼ねた一階の談話室を目指そう。

 何となくだけど、二階にあるという二つの談話室は先輩たちのものって気がする。

 経験上、どんな建物でも新人というのは入り口付近に集まり、奥に行くほど熟練者がいるものだ。


「きゃっ!」


 そう思って廊下に出た瞬間、すぐ近くから悲鳴が聞こえた。

 続いて、ドアがバタンと閉まる音が廊下に響く。


「……なんだ、今の?」


 奇行に首を傾げつつ、私は廊下を歩いていく。

 予想通り、人の姿はほとんどない。

 トイレに行っていたのだろうか、三人の集団が話しながら階段の方から歩いて来るだけだ。


「ひぃ!」


「あっ……あっ……」


「い、いぃ……」


 私が近づいていくと、三人は情けない声を上げながらよろよろと道を開ける。

 そして、壁に寄りかかりながら私を凝視し、一人は気絶、一人は放心状態、一人は号泣し始めた。


(……そんな、化け物と会ったみたいな反応、しなくても)


 これまでチラチラ盗み見ていた良すぎる顔面と、逃げ場のない廊下で遭遇したせいだろう。

 分かってはいたけれど、私の顔に慣れるまで、これからずっとこんな反応をされるのだと思うと気が滅入る。


(しばらくは、大浴場も、使えないかも……)


 三人の横を早足で通り過ぎながら、私は苦難を予想する。

 ただ廊下で会っただけでこれなのだ。

 お風呂はここ以上の閉鎖空間かつ、全裸なのである。

 下手すれば、私の顔に見とれて溺れて死人が出る。


(リラックスできる空間で、私の顔を意識させるのも、可哀想だし……)


 冒険者生活でお風呂がないのには慣れているから、しばらくは見取り図にもあった『シャワー室』で我慢しよう。

 ここは個室のようだし、誰かと鉢合わせても隠れられる。

 大浴場に人が少ない時間帯も、暮らせばそのうち分かるはずだ。


「さて……」


 階段まで来たら、開け放たれている扉からエントランスホールに入る。

 広々とした室内に一年生の姿は見当たらないが、二年生が何人かいた。


(……またか)


 私が談話室に入ってすぐ、あちこちのソファで交わされていた談笑の声がスッと聞こえなくなる。

 代わりに、痛いくらいの視線と、不自然な静寂、そしてすすり泣く声が室内を支配した。

 見渡した感じ、気絶六割、放心三割、涙一割といった反応だ。


(談話室も、使えないな……)


 こんな調子じゃ、たとえソフィアたちとここに来たとて、気持ちよく会話することはできないだろう。

 静かすぎる部屋で自分たちだけ気にせずしゃべるというのは、もはや拷問に近い。


(……中庭は、どうかな)


 私が踵を返して階段に戻ると、エントランスの中がざわざわと俄かに騒がしくなった。

 漏れ聞こえてくる言葉をまとめると、私の良すぎる顔に対する称賛と驚き、そして困惑が語られているようだ。


「……はぁ」


 同級生も、先輩もダメ。

 顔が良すぎると、生きているだけで苦労する。


(早く、慣れてほしい……)


 肩を落としつつドアを開け、私は芝生の中庭に出る。


「……綺麗」


 中庭には、いくつかの花壇や東屋、彫刻が整然と並んでいた。

 正方形の四つの角からは、それらを繋ぐ白い石畳の道が伸びている。

 道は何度かカーブして、最終的にはひときわ大きな白亜のガゼボへとたどり着く。

 今その場所では上級生らしき人が何人か集まって、エルグランド式のティーセットでお茶をしていた。

 私が中庭に来たことには、どうやらまだ気づいていなさそうだ。


「木陰も、ベンチもある……読書、できそう……」


 私はできるだけガゼボから見えないように気をつけながら、東館側を南館の方へ進んでいく。

 周囲を建物で囲まれているはずの中庭だけど、建物の高さに中庭の広さが勝っているからか、思った以上に解放感がある。

 それでいて、木陰や東屋で部屋からの視線も上手く切れるのだから、憩いの場としては申し分ない。


「優雅だ……」


 南館までやってくると、青々とした水を湛えた水盤にぶつかった。

 けっこうな深さがあることから、夏には泳ぐこともできそうだ。

 その証拠に、水盤の周辺にはベンチの他に、横になれるタイプのビーチチェアがいくつか置かれていた。


「次は西館側に……ッ!」


 水盤を横切って反対側に行こうとしたところで、私は複数の視線を感知した。

 それも、放心している類の視線ではなく、何事か企んでいるような、こちらを探る厭な視線だ。


(見られてる……いや、見張られている?)


 気取られないようにしつつ、私は周囲に視線を走らせる。

 しかし、ベンチや通路に人の姿は見当たらず、小鳥が暢気にさえずっているだけだ。


(となると……外かっ!)


 中庭を囲う向日葵館全体に意識を飛ばせば、すぐに息をひそめて私を観察する無数の気配が引っかかった。

 水盤の周辺は木陰などが少ないから目立ちやすく、どうやら見つかってしまったらしい。

 さらには、中央のガゼボの人たちにもバレてしまったようで、中庭には不気味な静寂が舞い降りていた。


(逃げ場が、ない……)


 自室ではサリアの態度が厳しいし、廊下や談話室にも生徒がいる。

 中庭には良い感じの木陰があるけれど、そこに私がいると把握された状態では、視線を完全に切ることはできなさそうだ。

 もうこうなったら、惑いの森にでも隠れるしかないんだろうか。


「ルシアさん、こっち。こっちよ」


 ふと、どこかから私を呼ぶ声が聞こえた。

 辺りをキョロキョロ見渡すと、南館と東館の角の扉から、白い手だけがにゅっと突き出て手招きしていた。

 見るからに怪しい、不気味な誘い。


「……行くか」


 でも、たとえ扉の先に誰が待っていようとも、この衆人環視の場所にいるよりは百倍ましだ。

 私はできるだけ早足で、水盤の横を通り抜けて、館の中に避難するのだった。

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