第78話:四つのカレッジ

(……どうしよう)


 私は一人壇上で途方に暮れる。

 新入生も、在校生も、講師たちでさえも、誰もがその場で氷像のように固まってしまっている。

 ソフィアたちでさえ、慣れぬ笑顔を私が浮かべたのがいけなかったのか、やっぱり周囲と同じように凍結していた。


(ひとまず、起きてもらわなきゃ……)


 私は両手をスッと前に出すと、力の限りパンッと柏手を打った。

 一度じゃ効果がないかと思って、パンッ、パンッと連続して打ち付ける。


「……っ!」


 すると、講師陣たちがハッとした顔で目を覚まし、心臓の辺りを抑えながら深呼吸をし始めた。

 年寄りの講師たちは特につらそうで、中には回復の魔術を唱え始める先生までいる。


(大勢に顔晒すの、何気に幼少期以来だから……正直、ここまでとは予想できなかった……)


 講師たちに続いて覚醒したのは上級生たち。

 みんな涙目になりながら、喉元に手を当てて呼吸を整えている。

 中には一人では座っていられず、隣人と肩を支え合って何とか意識を保っている者もいる。


(戦場みたい……)


 会場を見渡して、改めて自分の顔の良さに愕然とする。

 世界最強クラスの魔女たちや、世代で最も優秀な魔女見習いたちが、私の顔を見ただけで死にかけているのだ。

 一人や二人相手なら滑稽だけど、ここまでくると本気で恐怖を覚える。


(……ひとまずは、乗り切ったか。あやうく顔が良すぎて、大量殺戮者になるところだった)


 最後に新入生たちも意識を取り戻し、椅子にもたれつつ何とか呼吸を再開してくれた。

 いまだに放心状態の者にも、周囲の子たちが声をかけてあげている。

 私はほっと胸を撫で下ろし、今度こそちゃんと背筋を伸ばす。


(私、いつか……顔が良すぎて、人を殺しちゃうかもしれないな)


 十五歳の今が顔の良さのピークならいいけれど、肉体的にはまだまだ成長期の真っただ中。

 このまま私の顔が良くなり続けたら、ある意味で致死の固有魔術みたいになってしまうかもしれない。


(でもまあ、その時は、その時か……)


 将来のことなんて、心配しても何にもならない。

 今の私にできることは、とにかく顔の良さに慣れることと、慣れさせること。

 この挨拶で、その一歩が踏み出せたのだから、自分を褒めてやるべきだろう。


「ありがとう、ございました」


 会場がようやく落ち着いてきたところで、私はぺこりと頭を下げた。

 ぱちぱち、ぱちぱち……。

 そんな私に応えるように、ぱらぱらとした拍手が色んな所から聞こえてくる。


「……っ!」


 顔を上げると、ソフィアたちや師匠、学園長に司会の魔女、生徒総代さんたちが拍手しているのが目に入ってきた。

 拍手はすぐに周囲に感染していき、まばらだったのがどんどん大きくなっていく。

 そして、やがて拍手は大講堂に満ち溢れ、音の大洪水となって私の小さな身体をすっぽりと包み込んだ。


(……がんばって、よかった)


 人生最大の試練を乗り越えられたことを、みんなから褒められているみたい。

 嬉しいし、誇らしい……けれど、ちょっと、恥ずかしい気持ちにもなってくる。


(さすがに、もう、いいよね……)


 心がむず痒くて仕方なくなった私は、逃げるように早足で壇上を後にした。

 それから、絶対またウィンクしてくるであろう師匠の顔は見ないようにしながら、来賓の前で素早く頭を下げて、自分の席へとそそくさと帰ってきた。


「……ふぅ」


 ドカッと椅子に腰を下ろしたら、びしょ濡れになったみたいに全身が重く感じた。

 プレッシャーから解放されたおかげで、身体が泥のように沈み込んでいく。


「ルシア様、お疲れ様でした!」


 ソフィアが嬉しそうに小声で囁き、私の手の平に軽く触れてくる。


「……ありがと」


 ああ、本当に私はやり切ったんだ。

 達成感がじわじわと湧いてきて、心がふわふわと浮遊していく。

 今なら何だってできそうだけど、もう何もしたくない。


「四星の儀準備のため、十分間の休憩と致します」


 このままだとスライムみたいな体勢で、残り時間を過ごしてしまいそう。

 そう思っていたところでちょうど休憩となり、私は心置きなく椅子に身体を預けた。

 会場全体の空気も、私の身体と同じくゆるっとしたものになり、あちこちからうるさくない程度の話し声が聞こえ始める。


「ホンマ、がんばったなぁ、ルシア!」


「ちゃんと言えて偉かったよぉ~」


「マジ輝いててあたし泣いちゃったよぉ!」


「ご立派なお姿でしたわよ、ルシアさん」


 後ろの席からカーラたち四人がやって来て、次々と祝福の言葉をかけてくれる。


「みんな、ありがと……」


 私はますますいい気分に満たされ、自然と頬が緩んでしまう。


「会場中がルシア様の虜ですよ! 新入生も、上級生も、先生方も、みんなルシア様のお話をしています!」


「だろうね……」


 興奮気味のソフィアに促されてチラリと後ろを振り向くと、何人かの上級生が悲鳴を上げてぶっ倒れた。

 私はすぐに顔を前に向け、これ以上犠牲者を出さないようにソフィアたちの輪に戻る。


「これであとは、四星の儀だけですね……私、ずっと楽しみにしていたのです!」


「うちもこれが楽しみやったんよ! ぶっちゃけ、来賓挨拶は眠すぎてなぁ……」


「ボク、生徒総代とルシアちゃんの時以外眠っちゃってたよぉ~」


「ミーシャさん、さすがにそれはリリス生としていかがなものかと思いますが……」


「大丈夫だってぇ、ボクってば目を開けたまま眠れるからさ~」


「そんなことでは、リリス・ムーン様に叱られてしまいますわよ」


「あ~、それは困るねぇ~。心の中で反省しておくよ~」


 相変わらずマイペースなミーシャの反応に、セシリアは呆れたようにため息をつく。

 それを見て、ソフィアとカーラがくすくすと笑う。


「……ねぇ、ルシアさ」


 ふと、ソフィアとは反対側の隣にいるアルサに、つんつんと肩を突つかれる。


「なに?」


「さっきからみんなが話してる四星の儀とかいうやつ、知ってる?」


「知らない」


「だよね! だよね! あ~、よかった~! 聞き耳立てたら、猫も杓子もルシアと四星の儀の話してるからさぁ! 知らないのあたしだけなんじゃないかって怖かったんだよ!」


 アルサは一気に大声になって、私の肩をバンバン叩く。

 確かに、耳を澄ましてみれば、私の話題と同じくらいの頻度で「四星の儀」って単語がそこかしこから聞こえてきている。


「お二人とも、やはり知らなかったのですね……ということは、今後のリリスでの生活がどんなものかも、ご存じないのでしょうか?」


 私とアルサは顔を見合わせこくんと頷く。

 セシリアはそんな私たちを見て、「わたくしの常識なんて、お二人の前では儚いものですわ」などとため息をつく。


「学校とか、初めてだし」


「あたしも、受験知識以外入れてる時間なんてなかったんだよ! リリスでの生活なんて、受かってから考えればいいんだしさ!」


 アルサと共に言い訳を並べつつ、「これが下層階級と貴族階級の差か……」などと考えていたら、セシリアが「それは違いますわよ!」と突っ込んでくる。


「生まれには関係なく、自分の学ぶ学園がどんなところかは事前に調べるものでしょう? お二人が特殊なのですよ」


「……よく、私の考え、分かったね」


 心の内が読まれたことに動揺し、私は目を見開いてセシリアを見てしまう。


「ルシアさんはご自覚がないのかもしれませんが、考えがはっきりと顔に出ていらっしゃいますわ」


 セシリアに言われて、私は頬っぺたの辺りをペタペタ触る。


「そうか、仮面で、生きてきたから……」


 顔全体を隠していれば、どんなに顔に出していても読み取られることはない。

 元々コミュニケーションが苦手な私は、仮面と無口でなるたけ相手に情報を読み取らせない生き方をしてきた。

 そのせいで、いざ素顔になった時の振る舞いが全然身についていなかったのだ。


(早急に直すべき課題だな……まさか素顔に、こんな弱点があったなんて……)


 考えが顔に出てしまうのは、魔術使いとしてあまりにも致命的だ。

 日常生活でならまだ大丈夫だけど、命をかけた場でそうなってしまったらおしまいである。


「がんばってくださいまし、ルシアさん。それで、今後の生活ですが……寮があるのは、さすがにご存じですわよね?」


 またも思考を読み取られ、私はいい加減恥ずかしくなってしまう。

 熱くなる頬っぺたを押さえつつ、「知らない」と首を横に振る。


「そこからですのね……いいですか、リリス魔術女学園は全寮制で、寮、すなわちカレッジが四つあります。私たちは入学後、二十五名ずつに分かれて各々のカレッジで生活することとなるのです」


 セシリアはそう言って、着々と四星の儀とやらの準備が進められている壇上を指さす。

 演説台が取り払われて何もなくなったステージの背景に、ちょうど四つの旗が吊るされているところだった。


「一番左の、黄色にライオネスと向日葵が描かれた旗が、"勇気"を美徳とする"ソレイユ・カレッジ"ですわ」


「その隣の、青色にウサギと月桂樹が描かれた旗が、"節制"を美徳とする"リュンヌ・カレッジ"ですね」


「三番目の、緑色にクマと胡蝶蘭が描かれた旗が、"智慧"を美徳とする"グラン=シャリオ・カレッジ"だよぉ~」


「んで最後、赤色にオオカミと薔薇が描かれた旗が、"忠義"を美徳とする"ドゥーベ=ポラリス・カレッジ"やな!」


 一気に四つも紹介され、私とアルサは「へぇ~」と何も分かっていない顔で寮旗を眺める。


「寮の名前は、暮らしていけばそのうち覚えることでしょう。重要なのはその役割。カレッジは生活の場というだけでなく、基礎演習の組み分けなども、カレッジ単位となりますの」


「六月にはカレッジ対抗戦もあるし、十一月のヴァルプルギスの夜祭とか、十二月の聖夜祭なんかの行事でも、カレッジ単位が基本なんだよぉ~。ちなみに、食事もカレッジが管理しますっ!」


 ミーシャがそう言って、「ご飯が美味しいカレッジだといいなぁ~」と、じゅるりと舌なめずりをする。


「……カレッジ対抗戦?」


 物騒な響きの単語に、思わず私は反応する。

 ヴァルプルギスの夜祭とか、聖夜祭とかは、名前からしてお祭りだって分かる。

 でも、対抗戦って何だろう。

 まさか魔女見習い同士で殺し合いをするなんてこと、ないはずだけど。


「一週間、いくつもの競技を通してカレッジ間で優勝を争うのがカレッジ対抗戦ですわ! リリス生が最も楽しみにしているといっても過言ではない時期です!」


「うちはウワサで聞いただけやけど、この一週間は無礼講なんやて! みんな大盛り上がりらしいで!」


「ふーん……」


 人間が集まると、派閥ができて、争いが起こる。

 普段は貞淑な乙女を演じているリリス生であっても、心の中では様々な不満を抱えているに違いない。

 そんな淑女たちが、年に一度羽目を外して盛り上がれるのなら、いいガス抜きになるのだろう。


「他人事のようですけれど、今年の最注目は主席のルシアさんがどこの寮になるのか、なのですよ? ほら、上級生の方々の会話をお聴きになって……」


 セシリアに促され、私は単語拾いだけでなく内容まで拾うつもりで盗み聞きをする。

 しかし、さすがにざわつきすぎていてよく分からない。


「聞こえな――」


「――あっ、ホントだ! 先輩たち、みんなルシアの寮の話ばっかり! っていうか、先輩たちの並び方って、旗と同じで寮ごとだったんだねぇ~!」


 私には無理だけど、アルサには聞こえたらしい。

 さすがは元スリ、状況察知や観察の能力は人一倍だ。


「もう、これ以上、注目されたくないんだけど……」


「主席の宿命ですわ。諦めてくださいまし」


 バサリと切って捨てるセシリア。


「カレッジ対抗戦に限らず、カレッジ間では様々なライバル意識がありますから。上級生からしてみれば、自分の寮に優秀な生徒が入ってくるのは歓迎すべきことなのですわ」


「それに、ルシアと同じ寮になれば、このありえん美人顔が毎日拝めるってわけやからな!」


 カーラがからかうように言うと、ソフィアがグッと身を乗り出してくる。


「私、絶対同じ寮に入りますからね!」


 そりゃ、私だってこの五人とは同じ寮に入りたい。

 見ず知らずの他人とまた一から人間関係を構築するなんて、素顔を晒してしまった今では荷が重すぎる。


「……あのさ、寮分けって、どんな基準なの?」


 仮に寮分けが成績順とかだった場合、超優秀そうなセシリアとは離れ離れになってしまう可能性が高い。

 家柄順とかだと、バランスを取ったらアルサか私はバイバイ、同じ階層でまとめるならアルサと私以外バイバイだ。

 不安でいっぱいなのが顔に出てしまったのだろう、セシリアが「安心してくださいな」と微笑んで言う。


「基準はたった一つ。個人の性質、ですわ」


「一説には、寮の美徳と関係しているとも言われています。ソレイユ・カレッジなら勇気……それも、勇気ある者ではなく、勇気を欲する者、勇気が足りない者こそが、ソレイユ・カレッジに相応しいのだとか……」


「……私、ぜんぶ、足りてない気がする」


 勇気、節制、智慧、忠義。

 戦場には慣れているけれど、大勢の前で素顔を晒すだけで失神しかけるほど勇気がない。

 魔術の研究などに関しては、金銭を気にせず欲望のままに振る舞ってしまうから、自制心もない。

 知識はあっても、それを上手く使っていく智慧は全然ない。

 忠義なんて、今まであった試しがない。


「せやったらミーシャはリュンヌ・カレッジなんやないか? 食欲への節制が足りてへんし!」


「カーラだって、お金儲けへの節制が足りてないじゃん~」


「あー、あたしも全部足りてない気がするよ~!」


 三人がわちゃわちゃ騒ぎ出したところで、会場全体の空気が何となく「そろそろ時間だ」という感じになる。

 私たちはそれぞれの席に戻り、ステージに顔を向ける。


「……天球儀?」


 さっきまであった演説台の代わりに、ステージには腰丈くらいの台が設置されていた。

 台の上には、人の頭部位の大きさの、青い球体がふわふわと浮かんでいる。

 それは、一見すると球体に星座や恒星を描いた天球儀に見える。


「あれが四星の儀に使う"カル=ペテロの天球儀"です。仕組みは分かりませんが、あそこに手をかざすと魔力を読み取られ、相応しい寮を探す対話が始まるのだとか……」


「へぇ……何かの結界かな」


 私の杖に宿るメランコリアのように、あの天球儀にも古い魂が封じられているのかもしれない。


「どうでしょうか。私が"視る"にあれは一種の……」


「ご静粛に!」


 そこに司会の言葉が大講堂に響き、私とソフィアは口を閉ざした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る