第77話:リリス魔術女学園入学式典・主席挨拶大事件
「本年度主席、ルシア」
私の名前が呼ばれると、会場の空気が何となくざわついた。
家名もなく、有名塾生でもない、まったく無名の庶民の生徒だからだろう。
現に、新入生たちは「ルシアって誰?」という顔で周囲を見渡しているし、講師陣も目を細めて私を探している。
先輩たちは後ろにいるから分からないけれど、背中に感じる視線からは、どの子が「ルシア」なのかと探っている気配が読み取れた。
そんな中、隣ではソフィアが、「主席だなんて、さすがルシア様です!」と今にも叫び出しそうな顔をしているし、すぐ後ろでは、アルサ、ミーシャ、カーラが「すごい!」って興奮しているのが伝わってきた。
(壇上で頭を下げて名前を言う……壇上で頭を下げて名前を言う……)
人生最大の試練に向けて、私は脳内でやるべきことを復唱しながら立ち上がる。
その際、斜め後ろのセシリアが目を見開いて、何とも言えない表情で私を見つめているのがチラリと視界に入った。
普段なら何を考えているんだろうって考察するところだけど、今はそんな余裕あるわけない。
(私は大丈夫……私は大丈夫……)
立ち上がってしまったせいで、会場中の視線が一気に私に突き刺さってきた。
呼吸が乱れて吐きそうになるのを何とか堪え、私はゆっくりと列から出て壇上を目指す。
自分がどんな表情をしているのか、背筋はきちんと伸びているのか、そもそもちゃんと歩けているのかさえも分からない。
(うぅ、死にそう……)
それでも何とか来賓や学園長といった偉い人たちが座っているところまで来て、ぺこりと頭を下げる。
そして、顔を上げると、なぜか目の前に座っている師匠とバッチリ目が合った。
(ッ! なんで師匠がここにっ……あっ、七賢者だから偉いのか……)
師匠は満面の笑みでウィンクし、「ちゅっ」と口をすぼめてキスまで送ってくる。
(キモっ……)
私が顔をしかめても、師匠はニコニコ笑ったままだ。
相変わらずなその態度に多少緊張がほぐれた私は、今度こそしっかりした足取りで壇上へと登る。
「……っ」
演説台に立って改めて大講堂内を見渡すと、そこには悪夢のような光景が広がっていた。
荘厳な石柱の回廊に整然と並ぶ、五百人の魔女見習いと千人を超える魔女たち。
三千以上のその瞳が、興味と期待と疑いの入り混じった視線で私を射抜く。
(思ってた何倍も、きつい……)
私に向けられる目、目、目……。
緊張しているままだったら、身構えている分だけ心も負荷に耐えられたかもしれない。
けれども、なまじリラックスしていたせいで、私は視線の圧力をもろに受け止めてしまった。
(ま、まずは礼……頭、下げなきゃ……)
この空気に呑まれたらおしまいだ。
私は必死に虚空を見つめ、ひとまずぺこりと頭を下げる。
(えっと、次は名前……じゃない! そうだ、仮面を外すの忘れてた……)
顔を上げつつ、私は仮面の留め具に手を伸ばす。
しかし、ベルト部分に触れたところで、私の手はピタリと止まる。
(これを外したら、素顔……千五百人の前で、素顔になっちゃう……)
冒険者になってから三年間、私は仮面をつけて生きてきた。
良すぎる顔を持つ私にとって仮面とは、世界から自分を守るための鎧だったのだ。
それ故に、知らない人の前で仮面を外すというのは、戦場で鎧を脱いで無防備になるのとほぼ同じだった。
(これだけ人がいれば、色んな感情が、飛んでくる……)
私の顔に向けられる、好意や悪意の雨あられ。
激烈過ぎる「好き」や「嫌い」の感情は、その人の心を狂わせ、あり得ない行動をとらせてしまう。
誰もが自分の欲望に従って私をどうこうしようとし、私自身にも感情があるってことを忘れてしまう。
私の顔の良さに負けなかったのは、これまで師匠だけだった。
(ソフィアたちに出会えたのは……ホント、奇跡みたいなものだったんだ)
そりゃ、欲望全開にすることもあったけれど、五人はちゃんと私のことを気にしてくれて、ないがしろにはしなかった。
(そっか……私が本当に恐れてたのは……素顔を見せることじゃなくて、素顔を見せたせいで、大切なものを、失ってしまうってこと……)
こんなギリギリの段階になって、私は主席挨拶がイヤだった本当に理由に気が付いた。
ここで仮面を外したら、私の良すぎる顔面は千五百人を超える人たちの欲望に晒されることになる。
その結果起こる予想もできない出来事で、やっと手にしたソフィアたちという友人も、両親や冒険者資格と同じように失ってしまうかもしれない。
私にはそれが、何よりも怖い。
(イヤだ……外したく、ない……失いたく、ない……)
生まれてから初めて感じる明確な恐怖に、全身が凍り付いてしまったみたいに動かなくなる。
心臓の鼓動だけが大きくなって、呼吸は次第に浅くなる。
視界は曇り、足元が揺らぎ、自分がどこにいるのかさえ分からなくなっていく。
(ヤバい、倒れそう……あぁ、クソ……)
せっかく今日までがんばって、初めての学園生活に備えて来たのに。
素顔でも大丈夫なように制服を合わせて、友人たちに予行演習で素顔を見せて、ソフィアからも勇気をもらって。
不安は消えなかったけれど、こんな私でも何とかなるって、そう強く信じられていたのに。
ここで倒れてしまったら、私は今後、二度と素顔を見せる気にはなれないだろう。
無理だったって記憶ばかりが苛んできて、私はきっとリリスを辞める。
仮面を外しても、外さなくても、このままじゃ私は、せっかく手に入れた大切なものを失ってしまう。
(私は……なんて、弱いんだ……)
パーティーを追放されても、私は「自分は強いから一人でも大丈夫」って、楽観的に生きていた。
リリスでの生活だって、不安でイヤではあったけど、恐怖で動けなくなるほどじゃないって、心のどこかで高を括っていた。
だけど実際に千五百人の前に立ってみたら、自分がすごくちっぽけな存在なんだって気づいてしまった。
すごい師匠の弟子だとか、元S級冒険者だとか、リリスの首席だとか、そういう強さなんて見せかけで、本当の私は薄っぺらい弱虫でしかない。
人との交流を恐れ、視線を向けられることを恐れ、大切なものを失うことを恐れている、ただの怖がりな十五歳の小娘でしかない。
(ダメだ……私……もう……)
薄れていく意識の中、それでも身体は勝手に生きようとして、酸素を求めて口が開いた。
そのせいで自然と顔が上向きになり、私の視線は虚空から、新入生の列へと不意に流れる。
(……ッ!)
すると偶然、ソフィアの姿が視界のど真ん中に飛び込んできた。
ソフィアは他の新入生たちとは違い、胸の前で手を組んで、祈るように私を見ていた。
ルシア様を信じていますってソフィアの声が、聞こえないのに響いて届く。
(……そっか)
暗闇に、パッと蝋燭の火が灯るように、私の心臓が大きく跳ねた。
(私は、一人じゃないんだ……)
目を凝らせば、ミーシャも、カーラも、セシリアも、アルサも、「大丈夫、がんばれ、信じてる!」って表情で、私を見つめてくれていた。
(みんなが、いてくれる)
両親が死んだ時、私には戦うための力がなかった。
勇者パーティーを追放された時、私には信じられる仲間がいなかった。
だけど今、私には見守ってくれる師匠がいて、信頼し合える友達がいる。
それならば、大切なものを守るため、弱い自分を受け入れて、私は世界と戦っていける。
(みんなが、いるなら、がんばれる!)
「——っ!」
私は大きく息を吸い、今度こそ仮面の留め具をすべて外した。
仮面の縁にそっと手をかけ、ゆっくりと下にずらしていく。
一瞬目の前が暗くなり、すぐに白く、明るくなった。
「……ルシア、です」
そして、降り注ぐ陽の光を浴びながら、私は素顔で名前を告げた。
たったそれだけのことで、重かった心が軽くなっていくような気がした。
胸の奥にあった何かが取り払われ、背筋が自然と真っ直ぐに伸びる。
一度仮面を脱いでしまえば、世界はこんなにも、輝いて見えるんだ。
「ありがとう……こんな私と、出会ってくれて」
大切な友達のいる場所に向かって、私は素直に微笑みかける。
心の中には、たくさんの言いたいことが浮かんできていた。
けれどもどれも、口にしようとすると言葉にならない、不定形な気持ちばっかり。
「リリスでの、生活を、楽しみにしています」
結局私に言えたのは、感謝と希望、たったそれだけ。
挨拶としては短すぎるし、言葉遣いだってぶっきらぼうだ。
でも、それでいい。
だって、主席挨拶の内容は、生徒の自主性に任せられているんだから。
「みん……みなさんに、リリス・ムーン様の、祝福が、ありますように……」
締めの言葉も、しっかり言えた。
やりきった気持ちで、私は礼をしようと居住まいを正す。
「……えっ?」
そして私は、信じられない光景を目にしてしまう。
素顔になった私の眼前で、この場に集う千五百名を超える見習い魔女と魔女たち、そのすべてが、気絶していたのである。
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