第74話:白き花の舞う輝く道で……

「それじゃ、行こっか」


「はい……お世話になりました」


 ユニコーンの馬車に乗り込む前に、ソフィアは"百花の館"に向かって頭を下げた。

 私たちが乗り込むと馬車は動き出し、師匠の館は遠ざかっていく。


「……ソフィア、気づいてる?」


 私の問いかけに、ソフィアは「何のことですか?」と首を傾げる。


「庭……鳥の声がする。虫も、飛んでる」


「えっ……あっ!」


 ソフィアが窓から振り返って驚きの声を上げる。

 私たちが訪れた時には存在しなかった生命の気配が、"百花の館"の周囲には溢れていた。

 それだけじゃない。

 私たちの馬車が動き出したその瞬間から、師匠の館はあっという間に蔦に覆われ、まるで数百年人の手が入っていないかのような状態に変化していたのだ。

 ソフィアが気付けなかったのは、馬車の進行方向を向いて座っていたためだった。


「かなりの大魔術。多分、敷地全体を隠ぺいする効果」


「私たち、すごいところに滞在していたのですね……あぁ、窓も割れて、テラスも崩れてしまっています……」


 ソフィアはひどくつらそうな表情で、自然に還った"百花の館"を眺める。

 よくよく考えれば、ソフィアは長い間虐げられ、家の中に居場所のない生活を送ってきたらしいのだ。

 たった数日とはいえ安寧を得られた師匠の家がいきなりボロボロになったら、悲しく思うに決まっている。


「大丈夫。師匠が戻れば、元通りになる」


 私のフォローに、ソフィアはハッとした表情で私に向き直る。


「あれは見た目だけ。だから、安心して」


 私がこくんと頷くと、ソフィアは胸に手を当てて嬉しそうに微笑んだ。


「ルシア様は、本当にお優しいです……私、またキュンってなっちゃいました!」


 ソフィアはそのまま正面から私に抱きつこうとし、腰を上げたところで停止する。


「……制服がシワになるのはまずいですね。でも、すごく嬉しいんですよ?」


 スッと席に戻ったソフィアがニコニコ顔で私を見てくるから、視線が気まずすぎて私はプイっと目を逸らす。


「別に。事実を教えただけ」


「照れ隠しも可愛いですよ、ルシア様!」


「照れてないし」


 ソフィアの正面から斜めの対角線へと身体を移し、私は窓の外に目を向ける。

 ソフィアは「拗ねないでください~」と姦しく騒ぎ、再び私の正面に身体を移す。

 また私がずれると、ソフィアも動く。

 そんな、どこまでも不毛な争いをしていたら馬車は門に辿り着いていた。


「……しょうがない」


 道行くリリス生専用馬車に乗り換えたら、不毛な席取りをやめて隣に座る。

 そうして揺られること十分、私たちは学園前の坂に辿り着く。

 以前は馬車で渋滞していたその道には、白くて小さなものがひらひらと無数に舞っていた。


「……雪でしょうか?」


 ソフィアが首を傾げ、ガラス窓をスッと開ける。

 するとブワッと風に乗って、馬車の中にも白くて小さな塊が柔らかく舞ってくる。


「これは……花びらです! ルシア様、トネリコに花が咲いています!」


「うん……魔木だったんだね」


 キラキラと輝く陽光の中、トネリコたちは真っ白い花をつけていた。

 普通ではありえない光景だけど、魔木となれば頷ける。

 トネリコの花びらは春の穏やかな風に吹かれ、新入生を祝福するように坂に舞っている。

 私たちの馬車はそんな花吹雪の中を、ゆっくりとリリスに向かって上っていく。


「あちらのお店ではセールをやっているみたいですね。あっ、横断幕もありますよ!」


 合格発表の時もそうだったけど、この通りの商人たちは抜け目ない。

 あちこちでお花見用の軽食を提供しているし、記念写真のサービスをしているお店もある。

 店先に集まっているのは主に在校生で、若草色や藍色、橙色に牡丹色とすべての学年のタイの色が見て取れた。

 誰もが優雅な身のこなしで食品や記念品を吟味しており、いかにもお嬢様という感じがしている。

 おかげで、賑やかながらも、どこか落ち着いていて上品な雰囲気が、トネリコの坂には漂っていた。


(私もあんな感じにならなきゃなのか……)


 リリスに融け込むためには、冒険者から淑女へとマインドを変えなくちゃならない。

 ソフィアが「綺麗ですね」と景色を楽しんでいる横で、私は人間観察に精を出した。




「さあ、行こうか」


 坂を上り切ったら、私たちは正門前で馬車を降りる。

 そして、外開きに固定された扉の、『百合の蕾はこの地で芽吹く』という標語の下をくぐって、私たちはリリス魔術女学園へと足を踏み入れた。


(今日からここが、私の家だ)


 魔木の並木道には、トネリコの坂と同じく白い花びらがたくさん舞っていた。

 かなり木の種類があるのに花びらがどれも同じ色と形をしているのは、魔木だけに見られる特徴だ。

 また、この花びらには微量な魔力が宿っているため、散った後は集められて圧搾、精製される。

 都会だと、"魔木の花びら拾い"は下層民衆の特権であり、私も師匠と何度か参加したことがあった。


「ルシア様! 私たち、リリス生に見えているでしょうか?」


 白く輝く並木道を歩きながら、ソフィアがくるりと回って振り返る。

 広がった金髪が、ひらひらと舞う花びらに彩られてとても綺麗だ。


「多分ね……ソフィア」


 私はソフィアに向かって手を伸ばし、その髪の毛にそっと触れる。


「ル、ルシア様っ?」


 ソフィアはびくんっと身体を震わせ、上ずった声で私の名を呼ぶ。


「花びら、ついてる」


「あっ……ああ、そうですか! こ、こんなに舞っていたら、つきもしますよね!」


 髪から手を離して白い花びらを見せると、ソフィアは慌てたように言って自分の髪の毛を手で払い出した。

 その頬が真っ赤なのは、花びらがついていて恥ずかしかったからだろうか。

 パラパラと、たくさんの白い花びらがソフィアから舞い落ちるのは見ていてちょっと面白い。

 ちなみに私は魔道具の指輪で自身の周囲にうっすらと風を吹かせているため、花びらが髪や服につくことはない。


「も、もう、こんなに花だらけだったなんて……ルシア様も、最初から言ってくださったらいいのに……」


 ひとしきり花びらを払い終えたソフィアが、頬を膨らませながら抗議してくる。


「だって、楽しそうだったし……」


「そ、それは否定できませんね……」


 二人して顔を見合わせ、小さく笑う。

 そして、再び並木道を歩いて、リリス・ムーン像の前で立ち止まる。


(リリスに上手くなじめますように……)


 私は前回よりも少しはリリス生らしいお願いをし、少し下がってソフィアを見守る。

 目をつぶって手を合わせているソフィアは相変わらず真剣な表情で、近寄りがたい神聖な雰囲気を醸し出している。


(ホント、祈ってると絵になる子だなぁ……)


 風に舞う白い花びらのせいもあり、辺りには静謐せいひつな空気が漂っていた。

 まるで一幅の絵画のような光景に、私以外の学園生も何人か足を止め、祈るソフィアを見守っていた。


「お待たせしました……ルシア様?」


 祈りを終えたソフィアがしずしずと私に近づいてくる。

 つい見とれてぼーっとなっていた私はハッと我に返って、「じゃ、行こうか」とちょっとだけぶっきらぼうな感じで歩き出す。


「待ちなさい」


 ふと、凛とした声が後ろから響いて来た。


「何か、ご用でしょうか?」


 振り返った私とソフィアの前にいたのは、艶のある黒髪を背中で一本にまとめた背の高いリリス生だった。

 頭部からは黒い狼の耳が生えており、黒い切れ長の目には朱の化粧が施されている。

 スッと通った鼻すじ、うっすらと紅の乗った唇、氷のように白い肌からは、冷たい美人といった印象を受ける。


(藍色のタイ……三年生か……)


 一応、何かされても大丈夫なように私は警戒を強める。

 彼女は、そんな私のことは無視してソフィアのすぐ近くまでやって来ると、無表情のままその首元に手をかざす。


「えっ、あの、お姉様……?」


「じっとして。タイを直すだけだから」


 どうやらさっき花びらを払った際に、衣服が多少乱れてしまったみたいだ。

 先輩はソフィアの首に手を回し、タイをきちんと整えていく。

 その爪には目元と同じ朱色が乗っており、髪を留めている組紐も朱色だ。

 何となく恥ずかしいのだろう、ソフィアは少しだけ俯いて、されるがままになっている。

 

「はい、できた」


「あ、ありがとう、ございます……」


 ソフィアは礼を言うため顔を上げて、先輩を正面から見上げる。


「——っ」


 すると、一瞬だけど先輩の目に驚きの色が確かに宿った。

 それはほんのわずかな変化で、ソフィアはどうやら気づいていないようだ。

 けれども、警戒モードの私にはハッキリと見て取れた。


(ソフィアの聖布の下が見えている? でも、魔術を使った気配はない……魔眼?)


 先輩はすぐさま驚きを硬質な無表情で覆い隠し、ソフィアの肩にそっと手を置く。

 

「リリス・ムーン様に恥じぬよう、身だしなみはきちんとね。では、ごきげんよう」


 そうして優雅に一礼すると、先輩は紅梅館の方へと歩いて行った。


「なんか、オーラある人だったね」


 ソフィアの隣に立って声をかけつつ、私は隠形の魔力感知でタイを探る。

 しかし、魔術が付与されたりはしていない。

 どうやら彼女は先輩として、普通に後輩に構っていただけのようだ。


「はい……素敵な方でした……」


 ソフィアは己のタイにそっと手を触れつつ、去っていく先輩の背中を羨望のまなざしで見つめるのだった。

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