第5章:リリス魔術女学園入学式

第73話:入学式の朝

「……ついにこの日がきてしまった」


 入学式の朝、私は頭を抱えながらベッドの中で丸くなっていた。


「主席挨拶……イヤすぎる」


 ここを乗り切れば学園生活は大丈夫だって覚悟を決めていたのに、いざ本番を前にするとやっぱり不安でどうしようもない。

 合格発表からの三日間で気持ちを固めたはずなのに、私はなんて弱いんだろう。


「誰か……代わって……」


 主席挨拶をしている自分を想像すると、それだけで卒倒しそうになる。

 名前を言って、頭を下げる。

 命がけでがんばればなんとかなるって思っていたけれど、やっぱり不可能なんじゃないか。

 だって、壇上に登った時点で千人以上の視線の圧力が私にかかるんだ。

 そんなの、凍り付いて呼吸もできなくなるに決まっている。


「ルシア様! 早く起きないと遅刻してしまいますよ!」


 うじうじと現実逃避していたら、バタンッと扉が開いて、制服姿のソフィアが部屋に駆け込んできた。


「……遅刻したい」


 私は亀のように布団にもぐり、断固として動かない意思を見せる。


「寝ぼけないでください! ほら、起きて起きて!」


「いやだぁ~!」


 ソフィアは掛布団を引っぺがそうとしてくるけど、私は両手足で掛布団を抱き込んで精一杯の抵抗を試みる。


「ルシア様ったら! ご飯、もう温めちゃったんですからね!」


「なに、言われても、私は、絶対動かな——」


「——はっ!」


「えっ、うわっ……ぐぇ!」


 気合いの息と共に、ソフィアが私ごと掛布団を上空へと持ち上げた。

 手と足で布団を押さえていた私は、少し浮かんでドサッとベッドに落下する。 


「今日はついに入学式なのに、どうしてそんなイヤそうな顔してるんですか……普通は逆でしょう?」


 主席挨拶のことを知らないソフィアは、膝を抱えて丸くなった私を見て呆れたような顔をする。

 冷えた朝の空気が全身を刺してきて、私はますます縮こまる。


「だって、イヤなんだもん……」


「新しい環境で緊張するのは分かりますが、すぐに慣れますよ。私や買い出しでのみなさんもいるんですから!」


 ソフィアは丸まったままの私を両手で抱え上げ、九十度回してベッドに座らせる。

 そして、「これで目を覚ましてください!」と水の入った桶を持ってきてくれる。


「分かってるけど……う~!」


 私はぺこりとお辞儀をするようにして、その桶に顔面を突っ込んだ。


「きゃっ! ルシア様、何を!」


「ぶくぶくぶく……」


「まだ寝ぼけているんですか? ああもう髪の毛まで濡らしてしまって!」


 ソフィアは「仕方ない人ですね」とため息をつき、私の後頭部を掴むと桶から無理やり引き上げる。


「ぐぅぅ……ソフィア、なんか扱い、雑じゃない?」


 現実逃避をことごとく腕力で潰された私は抗議の声を上げる。

 ここだけ見ると、まるで私が水責めの拷問を受けているみたいだし。


「ルシア様の行動が意味不明なせいです! 時間も迫っていますから、しゃんとしてください!」


 ソフィアは頬っぺたを膨らませて私に催促すると、クローゼットから制服と下着を取り出してきてくれる。

 その間に私は風魔術で髪と顔を乾かし、「いやだぁ~」と大きく伸びをする。


「……私、ずっと今日の日を楽しみにしていたんですよ」


 私が着替えている間、ソフィアはカーテンを開けながら語り出す。

 朝日に照らされたその横顔は静謐せいひつで、まるで聖女のようにさえ見える。


「私の人生は、楽しいことよりも、つらいことの方が多かった……だけど、そのつらさの先でルシア様と出会えて……しかも、一緒に憧れのリリスに通うことができるなんて……私は今、本当に幸せなんです」


 振り返ったソフィアは私の顔を真っ直ぐに見つめ、ニッコリと笑う。

 光の粒子が金髪に反射して、キラキラと神々しく光る。


「……そ、そう、なんだ」


 ソフィアの本気度に比べたら、私の悩みなんてくだらない戯言に思えてくる。

 もちろん、何につらさを感じるかは人それぞれなんだけど、それにしても私の悩みは矮小すぎやしないか。


「さっ、髪を梳かしますね」


「うん……よろしく……」


 鏡の前に座ると、自分がやけにちっぽけに思えた。

 後ろに立って楽しそうに櫛を入れてくれるソフィアは、過酷な運命を背負っていても、目の前の喜びをちゃんと享受できている。

 それなのに、私は挨拶一つでいじけて、駄々をこねて、勇気を削がれてしまっている。


(元S級冒険者"死領域"が聞いてあきれるよ……)


 どんな危険な任務だって完遂する自信が、かつての私にはあった。

 師匠と旅をしながら育った私にとって、冒険者稼業は日常の延長線みたいなものだった。

 だけど、新しい環境に放り出された私はこんなにも弱い。


「……情けない」


「ルシア様? 何か言いましたか?」


「なんでもない……今日はがんばろう」


 私は鏡越しにソフィアを見て、自分に言い聞かせるように小さく頷く。

 ソフィアは少しだけ驚いた顔をし、ゆっくりと破顔する。


「はい……がんばりましょう!」


 ソフィアは私が何に悩んでいるのかなんてよく分かっていない。

 ただ、新環境を前に私が緊張しているってのは察してくれてて、こうやって明るい笑顔を向けてくれる。


「ルシア様には、私がついていますから!」


 肩に置かれたソフィアの手は温かく、私の不安をじんわりと融かしてくれる。


「うん……ありがと」


 私はソフィアの手にそっと自分の掌を重ね、心に勇気を溜めるのだった。




 その後、身支度を済ませた私たちは、リビングで手早く朝食を済ませた。

 師匠はすでにリリスに発っていたけれど、丸っこい文字の書置きがテーブルの上に残されていた。


「二人とも、今日からリリス生になるのね。ついこの前うちに訪ねてきたのに、もう行っちゃうなんて寂しいわ。入学したら大変なこともあるでしょうけど、楽しむ気持ちを忘れずにね。私はいつでもあなたたちの味方よ。これからの学園生活に幸福がありますように。シスレー。なお、魔術生物学の講師はランダムだから、私に当たらなくても泣かないように!」


 ソフィアが書置きを読み上げると、私に向かって輝くような笑顔で「シスレー先生に当たるといいですね!」などと言ってくる。


「いや、いい……絶対いじられるから……」


「で、ですが、師弟関係は秘密にするのでしょう? それなら、普通の生徒と同じように扱ってくださるのでは?」


「ないない……あの人、私には容赦ないから……」


 師弟関係を隠していても、私の顔の良さは隠せない。

 女好きとして知られる師匠が私を構いに構っても、他人から見たら顔の良い私が気に入られたって風にしか見えないだろう。

 なんでリリスに入ってまで、師匠にべったり粘着されなくちゃならないんだ。


「ソフィアは、師匠に当たるといいね……」


「は、はい……いえ、ですがルシア様と離れるのはイヤだから……ああ、悩んじゃいます!」


 朝食の間中、ソフィアはずっと悩んでいた。

 そして最終的に、「運を天に任せます!」と清々しい顔で結論を出していた。





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