第70話:箱の正体
その夜、夕食後のティータイムにすべてを聞いた師匠は「オリヴァーも
どうやら私を運び屋に使い、あまつさえ濡れ衣を着せようとしているのが許せないらしい。
(こりゃあティンバスだけじゃなくて、オリヴァーもひどい目に合わされるぞ……)
ティンバスはどうでもいいけど、一応あの筋トレマニアにはグリフォンを貸してもらった恩がある。
「師匠、オリヴァーはむしろ、被害者だから……」
「ええ、分かっているわ。だけど、ルシアちゃんを巻き込んだのも事実だもの。落とし前はつけてもらいます!」
「……殺さない程度にね」
私が嗜めても止まらないってことは、けっこうどころではなく、ガチでマジで怒髪天ってことだ。
(オリヴァー、ご愁傷様……甥の教育しとかないからこうなるんだぞ……)
「ただいま上がりました……って、一体何が?」
お風呂から上がってきたソフィアが、怒りの形相の師匠を見てびっくりする。
「あ~……初日にソフィアと冒険者ギルドに行ったでしょ。あそこで渡した箱のことでね」
「はぁ……あの横柄な冒険者の方に渡した箱、ですよね」
ソフィアは箱と聞いてなぜか不快そうに眉を
そういえば、私が箱を取り出した時も、ソフィアの息を呑む声が聞こえていたっけ。
「……ソフィアさ、あの箱、どう思った?」
私の質問に、ソフィアはあまり答えたくはないといった表情で「
「それは魔力的な意味で?」
「そう、とも言えますが……それだけじゃありません」
私があの箱を鑑定眼で調べた時は、特に何もヘンなところはなかった。
運んでいる最中も、一度も厭だなんて感じたことはない。
それなのに、ソフィアがこうも厭がるのはどうしてなんだろう。
「ソフィアちゃん、もしかしてあなた……その箱の中身が、"視えて"いたんじゃないかしら?」
師匠が目を細めて尋ねると、ソフィアは大いに動揺した顔で小さく頷く。
「っ……ということは、ルシア様には、見えていなかったのですか?」
「うん……普通の木箱でしかなかった」
「そう、ですか……」
ソフィアは私の隣に力なく座り、スッと肩を寄せてくる。
湯上りの身体は温かいけれど、ソフィアの表情は冷たくて暗い。
「てっきり、ルシア様は承知で運んでいるものとばかり……」
「知らない。教えて」
私はソフィアの手に、自分の手をそっと重ねる。
ソフィアは深呼吸すると、重なった手を見つめたまま口を開いた。
「箱の中にあったのは……心臓でした」
「……心臓?」
「はい。人間のものか、魔族のものかは分かりませんが……」
確かに、あの箱は心臓がピッタリ入るくらいの大きさだったし、内部に凍結系の魔術がかけてあった。
中身が傷みやすい臓器だったのなら、グリフォンを貸してくれたのも、できるだけ早く着くためなのだと理解できる。
「箱の中にそんなのが入ってたら、気持ち悪くなっちゃうのも頷けるわねぇ……」
師匠がため息交じりに言うと、ソフィアは「それでけじゃないのです」と首を横に振る。
「私がとりわけ厭だったのは、その心臓が……動いていた、からです……」
ソフィアの身体がブルリと震える。
「……動いていた?」
「はい……ドクン、ドクンと脈打っていました。血ではなく、魔力を巡らせているようで……その魔力が、あまりにも、邪悪で……」
私は師匠に鋭く目配せする。
師匠もまた私の視線を受け止め、小さくこくんと頷く。
「ソフィア、ありがとう……もう、思い出さなくていい」
「はい……あの、少し具合が悪いので……」
「私も、寝室、ついてく?」
「いえ、大丈夫です……それでは、月の女神ラルーナの加護がありますように。おやすみなさいませ……」
ソフィアはフラフラと立ち上がると、静かな足取りでリビングを後にした。
元気な時なら私が寝室に行くって言ったら跳び上がって喜びそうだけど、今は私と師匠の深刻な表情に気付いたのだろう。
気丈にも、自分の体調不良よりも私たちのことを気遣ってくれた。
(……甘えたって、怒らないのに)
普段はあんなに猪突猛進なくせに、わきまえているところでは一線を引ける。
それは実に貴族的で賢いふるまいなのだけれど、そうされると、何となく心がモヤモヤする。
ただでさえソフィアは家に
私や師匠にこれ以上迷惑はかけられないって遠慮する気持ちは分かるけれど、少しくらい弱いところを見せてくれたっていいのに。
「ルシアちゃん、そんなしかめっ面しなくても大丈夫よ。ソフィアちゃんの寝室には、安眠できるお香が焚いてあるから」
「……私、しかめっ面してた?」
「ええ。ソフィアちゃんにもっと頼ってほしそうな顔してた……ルシアちゃんのそんな顔初めてで、私ちょっと感動しちゃったわ~!」
「別に……ソフィアはいい子過ぎるって思っただけ。それよりも、箱のことだけど!」
師匠が温かい目で見てくるのが恥ずかしく、私は早口で話題を切り上げて本題に触れる。
「そうね、目にしただけで気分が悪くなるほど邪悪な魔力なんて……考えられるのは一つしかないわ」
「やっぱりあれは、"魔王の心臓"なんだね」
「間違いないでしょう」
そもそも魔王とは、魔族の中でもとりわけ強力な個体が自称する呼び名だ。
ほとんどは勘違いしているだけの雑魚だけど、中には本物の強者が混じっている。
そういう"真の魔王"は配下の魔族や魔獣に魔力を分け与えて強化し、人類の領域を侵そうと戦争を仕掛けてくる。
「でも、あの時の魔王は滅びたはず……」
歴代魔王の中でも最強最悪と呼ばれた"虚ろなる魔王"シヴァ・ルーパ・シューニャ。
八年前、魔王シヴァは当時のザクセンブルグ帝国勇者パーティーと"奈落の断層"で戦い、激戦の末に滅ぼされた。
その際に勇者パーティー五名の内、勇者、戦士、魔女の三名もまた命を落とした。
特に魔女は、最後の超級魔術で瀕死の魔王シヴァを拘束し、共に断層の底へと落ちていったという。
「"奈落の断層"は次元の裂け目に通じてる……落ちたら肉体も、魔力も、魂も、何もかも引き裂かれて二度と元には戻れないはず……なのに、どうして?」
「考えられる可能性は三つあるわ……一つは、勇者パーティーが魔王の死を偽装した。あの日、魔王シヴァの魔力は完全に消失していたから、この可能性は薄いけれどね」
八年前に魔王シヴァが死んだ日、師匠は私を連れて別の場所で魔王軍・天涯十二星将が一角"竜喰らい"のゲオルグと戦っていた。
そして戦闘中、魔王シヴァと"竜喰らい"との魔力的な繋がりが突然消失したことで、私たちは魔王の死を知ったのだ。
「二つ目は、落ちる前に魔王の心臓を誰かが
「それはありそう……もっとも、残った僧侶と弓手が気づかないとは思えないけど……」
「その二人も大けがを負っていたとしたらどうかしら」
「あー……でも、魔女の拘束はかなり強かったはず。そこから心臓だけ盗めるほどの腕前の奴が、そもそも残っていたのかな?」
「なるほどね。確かに、勇者対魔王の戦いが始まったら、その余波で周囲はひどいことになるはずよね。魔王の取り巻きたちだって、自分が生きている限りは拘束魔術なんて発動させないだろうし……」
師匠は腕を組んで考え込み、「可能性は薄そうね」と結論付ける。
私たちは魔王軍と何回も戦っているから分かるのだけれど、魔王の配下たちは魔王第一主義で生きている。
魔王シヴァが"奈落の断層"へ落とされそうになったら、命をかけてでも止めようとするだろう。
勇者側だってそれは百も承知だから、最初に魔王の配下たちを一掃してから決戦に臨んだはずだ。
「三つ目だけど……そもそも最初から、魔王シヴァは心臓を抜いていたって考えたらどうかしら?」
師匠の言葉が予想外で、私は一瞬答えに詰まる。
「……それは、ないんじゃない?」
「どうして?」
「だって、心臓は魔力を生み出す要にして、魔力循環の中心。体術だって、血が巡らなきゃ手足を動かせない。いくら魔族でも、心臓がなかったら、戦えない」
「普通はそうでしょうね。でも、ソフィアちゃんは言ったわ。魔王の心臓は『魔力を巡らせているよう』だったって……」
師匠の言葉にハッとする。
世界を恐怖に陥れた魔王シヴァの固有魔術、"色即是空"。
それは、簡単に言えば私たちが生きている世界とは位相の異なる世界への扉を開く術だった。
どんなに強固な物体であっても、別次元に飛ばされた部分は消失してしまう。
魔王シヴァはこれを利用し、あらゆる防御を切り裂き、あらゆる攻撃を別次元へと飛ばして防いだ。
他の魔術とはまさに別次元の、攻防自在の無敵魔術だったわけだ。
「"色即是空"は別次元への扉を開くだけじゃなくて、あっちからこっちへも、繋がる扉を開くことができる能力だった……?」
「ええ。そうやって万が一に備えつつ戦っていたんじゃないかしら。魔王シヴァの
もし師匠の予想が当たっていたら、魔王シヴァは心臓につながる静脈と動脈、魔力脈を切断し、別次元経由で心臓に繋げていたということになる。
これまで行きの扉しか開かなかったのは、向こうからこっちへの帰りの扉は魔力負担が多いとか、そういう理由があったのかもしれない。
じゃなかったら、魔王シヴァは向こうとこちらをもっとアグレッシブに移動しながら戦闘していたはずだ。
心臓への血管サイズが、両方の扉を開いておける限界サイズだったに違いない。
「それじゃあ、魔王の心臓が今も動いているってことは……」
「魔王シヴァはまだ生きている……ソフィアちゃんが見たところ、血は巡っていないようだから、肉体は滅びているでしょうけれど……」
「なんてこと……もしかして、最近エルグランドで魔物が増えてるっていうのも……」
「魔王の心臓のせい……何らかの理由で、魔王の魔力が箱の中から漏れ出した可能性があるわ」
師匠は一度言葉を切り、ハーブティーを温めて淹れ直してくれる。
「……師匠、もし魔物の増加が魔王の心臓のせいだとすると、一つ腑に落ちないことがある」
私は一口ハーブティーを飲んでから、お茶請けの砂糖菓子を手に取る。
「エルグランドの冒険者ギルドで、『最近魔物が増えているのは、魔王復活が近いかららしい』って、冒険者たちがウワサしてた。でも、魔物増加の原因って、普通はもっと他のことを想像する」
「たしかにそうね。魔力のたまり場の発見、戦場の不浄化、魔物の生態系の変化……魔王復活なんて特殊事例と繋げるのは、言われてみれば不自然ね」
「逆じゃないかって、思うんだ」
「逆?」
私は砂糖菓子を口に含み、ほっぺの奥で唾液で溶かす。
「魔王復活が近いから、魔物が増えたんじゃない。魔物が増えたから、誰かが魔王復活が近いってウワサを流した」
「……それを知って、箱の所有者が念のため箱の無事を確かめに行った?」
「うん……そこで箱に関する情報が漏れたから、オリヴァーは私に頼んで、極秘裏に心臓をラ・ピュセルに運ばせた……」
「ない、とは言えないわね……」
「ちなみに、"死領域"の私から見ても、あの箱の封印は完璧だった。魔物を増やすほどの魔力が漏れているとは、考えにくい」
ハーブティーと砂糖菓子を口に運びながら、わざわざ"死領域"と付けて、私は箱についての意見を伝える。
封印系の魔術は、付与魔術とすぐ近い系統にあり、半分くらいは私の専門分野なのだ。
(それなのに中身が見えたソフィアの"眼"は、一体何なんだろうって話だけど……)
本名を明かせないほどの出自を背負い、運命の姉妹杖を手にした少女。
そんなソフィアを助けた私が、魔王の心臓を運んでいたってのは、偶然というには出来すぎているようにも感じる。
(いや、こういう偶然を必然的に引き起こしちゃうってのが運命の力、なのかな……)
「……ルシアちゃん、この件はひとまず私が預かります」
師匠は少し考えてから、はっきりとした口調で言う。
「気づいたことがあったら教えてほしいけど、ルシアちゃんからはもう、関わらない方がいいわ。もちろん、ソフィアちゃんにも知らせない方がいい」
私やソフィアは今後、否が応でもこの件に巻き込まれるだろう。
そのことは、師匠も十分承知している。
しかし、たとえそうであっても、師匠は私たちにできるだけ学園生活を楽しんでほしいって願ってくれている。
目を見れば、師匠の複雑な心境は手に取るように理解できた。
「うん。分かった」
だからこそ、私は師匠に約束する。
「私はソフィアと、リリスでの生活を満喫する」
外のことは師匠に任せて、私はとにかく初めての学園生活をがんばろう。
コミュ力とか、常識とか、不安はたくさんあるけれど、ソフィアや買い物仲間の同期と一緒なら、こんな私でも何とかやっていけるはず。
そして生活の中で、ソフィアを護り、鍛えてやろう。
いつか襲い来る災厄に、ソフィア自身の力で立ち向かえるように。
「ソフィアのことは、私に任せて」
「お願いね、ルシアちゃん」
私たちは杖を取り出し、斜めに掲げて交差した。
師匠と私の魔力が一瞬交わり、淡い火花が弾けて消えた。
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