第69話:ラ・ピュセル冒険者ギルドはヤバいかもしれない
翌日、師匠は私たちが起きる前に朝食を作って仕事に行ってしまった。
リビングで一人、コーヒーを温めて飲んでいると、ソフィアが起きてくる。
「ルシア様……いかがでしょう?」
その目元を覆っているのは、私がプレゼントした新品の聖布だ。
白を基調に淡いスカイブルーで縁取りがされており、全体には流水をイメージした刺繍が入っている。
以前の金糸のものは上品で神聖な感じがしたが、こっちの聖布は親しみやすく朗らかな雰囲気が出ている。
「いいと思う。似合ってる」
自分でプレゼントしたものだからちょっと恥ずかしいけれど、似合っているものは似合っているので素直に告げる。
「ですよね、私もすごく気に入っているのです! ありがとうございます!」
ソフィアはものすごく嬉しそうに礼を言うと、弾むような足取りでキッチンに向かう。
あの感じなら、他の二種類も多分似合うはずだ。
(プレゼント……上手くいってよかった……)
私はほっと胸をなでおろす。
もしも変なものを買っちゃってソフィアが気に入ってくれなかったらどうしようって思っていたけれど、喜んでくれてこっちも嬉しい。
(初めて他人に物を贈ったけど……悪くないな……)
これまで私は、取引以外で誰かにわざわざ物をあげるなんて、まったくの無駄だって思っていた。
育ててくれた師匠にすら、私から何かを贈ってあげたことはない。
でも、自分の贈った聖布をソフィアが喜んでくれたのを見て、知人に物を贈る人の気持ちもちょっと分かった気がする。
私たちが家に来た時、師匠が可愛いパジャマを用意していたのも、もしかしたら久しぶりに会う弟子に贈り物がしたかったのかもしれない。
(ちょっと悪いことしたかな……いや、でもあの人のことだから、キモい目的もあったに違いないし……)
今夜からでも着るべきか、それとも着ないべきか考えていると、ソフィアが温めた朝食を持ってきてくれる。
私はひとまず師匠のことは忘れ、ソフィアと食事を楽しんだ。
その後、ソフィアは勉強を開始し、私も『ラ・コンティ個別喫茶』へ行くために家を出た。
馬車から下りて、私はギルド会館の横の路地を奥へと進んでいく。
そして、演習場であろうホールの横にある陰気な平屋、喫茶店『ラ・コンティ個別喫茶』に入店した。
薄暗い店内には真っ直ぐ廊下が伸びており、左右には部屋番号のついたドアが並んでいる。
「七番……ここか」
一応コンコンとノックすると、中から「あっ、どうぞ!」と若い男の声が聞こえてきた。
「お邪魔」
ドアの先はけっこうな広さの個室に通じており、部屋の真ん中にはテーブルと椅子六脚が置かれていた。
木造の壁には盗聴防止の魔術陣が描かれ、調度品こそあれ窓などは存在しない作りになっている。
「魔女見習い? 薔薇殿の使いですか?」
奥の椅子から立ち上がったのは、まだ二十代前半に見える細身の青年だった。
彼、おそらくティンバス・ドボルザークは分厚い眼鏡をクイッと押し上げて
(なるほど……頭はいいけど世間知らずのお坊ちゃんってところか……)
確かに、今の私はリリスの制服ではなくどこにでもいそうな無難な魔女見習いの格好をしているし、仮面も普段のものよりずっと地味なものを着用している。
しかし、仮にも私は「薔薇」「朝日」「正午」などと機密めいた文に呼ばれてここに来た相手なのだ。
見るからに師匠じゃないのなら、それ相応の理由があると普通は察して「魔女見習い?」などと分かり切ったことは口にしない。
「違う。私が責任者」
わざとぶっきらぼうに言うと、ティンバスはやや気おされたように身を後ろに引く。
ひょろっとした見た目通り、戦いには自信がないようだ。
「そ、そうですか……では失礼ですが、朝日殿からの任務はどんなものだったか答えられますか?」
「箱の運搬。これくらいで、蓋は空かない。それを冒険者ギルドで"ストレンジャー"という男に渡すこと」
私は手で形を作りティンバスに伝える。
「正解です……本当に魔女見習いが運んでいたのか……確かに、それなら怪しまれずに箱を運べるわけだ。奴らにとっても、これは盲点だったでしょう」
奴ら、というのが何なのか気になるけれど、聞いてしまったらこの件に首を突っ込むことになる。
というか、そもそも魔女見習いでしかない私の前で「奴ら」とか口にして大丈夫なんだろうか。
(魔女見習いだからって舐めているのか、それとも考えたことが口をついちゃったのか……)
いずれにせよ、どうもこの男は信用できない。
「……私の方も質問したい。朝日の一番好きな食べ物は?」
もしもこの男がティンバスじゃなかったら、私はまんまと得体のしれない奴の懐に飛び込んでしまったことになる。
そこで試しに、オリヴァーと親しくない限り絶対に答えられない質問を投げかけてみる。
「鶏胸肉のブロッコリー和え……と見せかけてチョコレートショコラケーキです」
するとティンバスはよどみなく答え、私より先に椅子に腰かける。
「正解。どうやら本物のようだね」
「そこまで疑っておいででしたか……まあ、こんな人気のない場所に一人で呼び出されれば不安にもなるでしょうが……」
ティンバスはテーブルに置かれていたコーヒーを、自分のカップと私のカップに注ぐ。
「いや、あれかな。僕が叔父上とあまりに似ていないから疑った……そうでしょう?」
ティンバスは苦笑し、私の前にカップを置きつつ、自分はさっそくコーヒーに口を付ける。
「美味しいですよ。あなたもどうぞ」
「いらない。それより、ギルド長直々に、要件は何?」
私はいつ何が起こっても対応できるようにドアを背に立ったまま、ティンバスを見つめる。
「約束の品……あの箱についてです。朝日殿からは何と?」
「別に。スイーツの運搬ってだけ」
「スイーツ……」
ティンバスはこめかみを押さえてコーヒーをグイっと飲む。
「私はちゃんと渡した。話はそれで終わりでしょ?」
厄介ごとは避けたいので、私はさっさと用件だけを告げる。
ティンバスは首を横に振り、眼鏡をクイッと持ち上げる。
「ところがそうはいかないんですよ……"ストレンジャー"は『俺は箱なんて受け取ってねぇ!』と主張しています」
「ちゃんと渡した。目撃者もいるはず」
「確かに、受付嬢の"大戦斧"が目撃したそうですが……"ストレンジャー"は前ギルド長のご子息でして。いくらサリッサさんが元A級冒険者でも、発言力には差があります」
(あの眼帯の受付嬢、やっぱり名のある冒険者だったんだ……)
ちょっと言葉を交わしただけだけど、サリッサはいかにも曲がったことが嫌いな気風の良い元冒険者って感じだった。
酔っ払いのドラ息子と比べたら、どっちの言葉を信用すべきかは赤子でも分かる。
「そんなの知らないよ。あなたがギルド内政治で、前ギルド長に負けてるのが悪い」
「いやはや手厳しいですね……もちろん、サリッサさんが嘘をつくはずはありません。しかし、私もまだ就任して三か月しか経っていないのです。依然として、前会長派の勢力は強い……」
ティンバスは頭をかき、コーヒーを新しく注ぐ。
「あなたが運んできた以上、責任の一端はあなたにもあるのではないですか?」
「だから知らないって。私には関係ない。仕事は済んでる。帰る」
私が踵を返すと、ティンバスは慌てたように「お待ちをっ!」と立ち上がる。
「その魔女見習いらしからぬ堂々とした振る舞い……ギルド長の私にも正面から意見する胆力……もしや、あなたは……」
「……なに?」
まさか、"死領域"だって見抜かれたんだろうか。
早く切り上げたくて要件だけ告げたことや、罠を警戒して座らなかったことが裏目に出たのかもしれない。
追放された元S級冒険者がギルド長からの依頼を、個人的なお願いとはいえ受けていたと発覚すれば大変なことになる。
(ここまでのティンバスのアホそうな態度は、ぜんぶフェイクだった? となれば、私が取るべき行動は……)
ティンボスは私のことを上から下まで眺め、「やはりそうだ」とポンと手を打つ。
「あなた……リリスの魔女見習いでしょう!」
予想とは少し違う問いかけ。
私は警戒を解かずに答える。
「……そうだけど」
「これで合点がいった! 『困ったら薔薇殿に相談しろ』という朝日殿の言葉は、そういうことだったのか! リリスの魔女見習いに運ばせることで、僕と薔薇殿にこっそり縁を繋いだんだ! 箱がなくなったのは予定外でしたが……これで薔薇殿の協力も得られるに違いない!」
すると、ティンバスは一人ですべてを理解したって風に天井を見つめて大喜びする。
(……警戒して損した)
一方私は、相手のアホさ加減に肩の力が抜ける。
(おめでたい脳みそ……つまりは『リリス生が箱を失くしたから、責任取ってくれますよね』って師匠に圧かけるってことでしょ?)
私はこの時点でティンバスを見限った。
オリヴァーの甥だか何だか知らないけど、こいつは無能で愚かなボンボンだ。
キッチリ筋を通すなら、前ギルド長派に逆らってでも"ストレンジャー"の過失を追求すべきだ。
それをしないで師匠に圧をかける方を選んだのだから、こいつはもはや私の敵だ。
しかも、前ギルド長にはナイショでことを進めるつもりだろうから、よけい小物感が増す。
(何かしてきたら、死なない程度にボコしちゃおう)
「いやぁ~、ありがとう! あなたは何も間違ってはいなかったですよ。任務ご苦労様でした。これはお礼です」
ティンバスは私の気も知らず、中金貨一枚をテーブルに置く。
それはいっぱしの魔女見習いに渡すには、あまりにも高すぎる額。
完全に私のことを「何も知らないお嬢様だ」って舐めている。
「……いらない。代わりに一つ、約束して」
「もちろんですとも! 何でも言ってください!」
ティンバスは手をスリスリして頭を下げる。
「私は頼まれて運んだだけ。もう二度と、私には関わらないで」
帰ったら、師匠にすべてを伝えよう。
そうすることで、私はこの案件を師匠に丸投げできる。
オリヴァーも噛んでいるし、きっと師匠は嫌々ながら引き受けてくれるに違いない。
(師匠の手間を増やすのはちょっと悪いなって思うけど……こんなくだらない権力闘争、絡んでる暇はない)
「そりゃあもう、当然ですよ! お嬢様は役目を果たされました! 感謝こそすれ、これ以上求めるなんていたしません!」
ティンバスは満面の笑みでそう言って、やはり中金貨を私の方へすすぅーっと滑らせてくる。
私はそれを無視してティンバスに背を向け、今度こそこの不快な店を後にした。
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