第66話:甘いニオイと贈り物

「……さっきはひどい目にあった」


 師匠の家に向かう馬車の中で、私は深呼吸を繰り返す。


「すみません。ルシア様が可愛くて、つい抱きしめちゃいました!」


 ソフィアは謝ってくるが、ちっとも反省している気配はない。


「それにしても、みんな甘いニオイがした。やっぱり、香水?」


 直感としては、私が嗅いだあの甘ったるい匂いは香水とはまた違ったと思う。

 でも、私の嗅覚は血や獣のニオイには敏感だけど、香水に関してはバカになるから全然分からない。 


「甘いニオイ、ですか……たとえばセシリアさんはいかにもサルビアの貴族らしく柑橘系の香水をつけていたようですが……」


「そうなんだ……分からなかった」


 さすがソフィアは貴族の教養がある。

 相手の香水をすぐに把握できれば、夜会などで初対面でも話題のとっかかりとして使えるのだ。

 それに宮廷では、複数の香りを嗅ぎ分けることがご婦人方の娯楽として流行っているとも聞く。


(師匠も旅先でよく女性のニオイを褒めていたっけ……いや、あの人の場合はナンパのためだったけど)


「カーラさんの香水はおそらくマリン系の活気ある感じでしたね。ミーシャさんは、香水はつけていませんでしたがお日様の香りがしました」


「獣人族は、嗅覚が敏感……香水は苦手、なのかな? お日様は……日光浴が好きな、ネコミミ族だから?」


「どうでしょうか? あと、アルサさんからは石鹸の香りしかしなかったので、香水はつけていなかったと思います」 


「じゃあ、あの甘いニオイはなんだったんだろう……」


 思い返せば、薔薇の小袋を持っているソフィアからでさえも、それとは別の何かクラッとくる甘いニオイがしていた。

 出会った時も、オークとの戦闘後なのにソフィアからは、汗の香りに交じって何やら甘い香りがしていた。

 するとやっぱり、さっきのあれはみんなの体臭だったのかもしれない。


(冒険者時代には、血と汗と危険のニオイに囲まれていたのに、今後はああいう甘いニオイに囲まれるってことか……)


 十五歳くらいの女の子がみんなあんな甘い香りを発しているのなら、リリスに入ったら甘さが飽和して鼻がおかしくなってしまうんじゃないだろうか。

 試しにすんすんと自分の腕を嗅いでみるが、やっぱり私の鼻は役に立たず、何のニオイも嗅ぎ取れない。


「ルシア様が何に悩んでいるのかは分かりませんが、ルシア様からは甘くて可愛い最高の香りがしていますよ! ずっとハスハスしていたいくらいです!」


「……馬車下りようかな」


「すみません! つい欲望が顔を出してしまって……あっ、でも本当にルシア様からは良い香りがしているんですよ?」


「へぇ……あっ、そうだ……」


 ソフィアの訴えを右から左へ流しつつ、私はポーチから『フルードリス』で買ったを取り出す。


「ソフィア、これ。あげる」


「えっ……あ、ありがとう、ございます」


 突然のことに、ソフィアはまだ思考が追いついていないという感じだった。

 包装紙を受け取ると、ソフィアは持ち上げたり、膝において感触を確かめたりする。


「開けてみても、よろしいですか?」


「うん」


 こわごわとした手つきで、ソフィアはまずヒモをほどき、包装紙の接着面を丁寧に剥いでいく。

 さらっと渡したけれど、いざ目の前で開けられると何だか緊張してきてしまう。


(喜んで、くれるといいけど……)


「ここをこうして、引っ張れば……」


 私の緊張をよそに、ソフィアは接着を外し、ついに四つ折りの包装紙を開く。

 そして、中身を見てワッと驚いた顔をする。


「ルシア様! これ、聖布、ですよね?」


「そう……『フルードリス』で買った」


「うわぁ……すごくいい肌触り……」


 ソフィアは満面の笑みで聖布を手に取り、その表面にさらりと手を這わせる。


(喜んでくれてる、よね……うん、多分、大丈夫そう……)


 ほっとして、全身から力が抜けていく。

 ソフィアが嬉しそうなのが私も嬉しくて、心臓の辺りがほんのりと温かくなる。


「柔らかで、軽くて刺繍も繊細……しかも三種類も……」


「いつも、同じの、つけてたから。数、あった方がいいでしょ」


「ルシア様……ありがとうございます!」


 ソフィアは感極まったように声を震わせ、聖布の束を胸元でギュッてする。


「師匠に、言われたんだ……『ソフィアちゃんは欲しいものがあっても遠慮しちゃうだろうから、ルシアちゃんから何か贈ってあげなさい』って。私、師匠以外に何かを贈るの、初めてだったから……イヤじゃ、なかったよね?」


「イヤなはずありません! この聖布はとてもいい品ですし、それ以上に……ルシア様が、私のことを考えて選んでくれた。その事実が、私には何よりも嬉しいのです!」


 ソフィアは泣いてるような、笑っているような表情で言う。

 布越しだけど、視線が私とピッタリ合わさっているのが分かる。


「それなら、よかった」


 合格発表前日、師匠から「ルシアちゃんから何か贈ってあげなさい」と言われた時、私は何も思いつかなくて「お金渡して、好きなの買ってって言えばいい?」と返してしまった。

 師匠は「ルシアちゃんが選んであげるのが大事なの!」とぷんぷん怒った。

 女の子の扱いに関して、私が師匠にかなうはずもないので「じゃあ、がんばってみる」とは言ったものの、何を贈ればいいのか見当もつかなかった。


「ソフィアには、みんなとの会話とか、お店でのやり取りとか、お世話になったから……何か、お礼、したかったんだ」


 一日を一緒に過ごしていく中で、私はソフィアに様々な場面で助けられた。

 そして次第に、師匠に言われたからじゃなくて、純粋に私として、何か買ってあげたいって思うようになっていったんだ。


(でも、何を買ったらいいのかは分からないままで……それで、『フルードリス』で制服や下着を選んでいた時、ふと疑問に思った……)

 

 ソフィアは制服を新しくするのに、聖布は同じものを使い続けるのかなって。

 ソフィアの生活費は現在、師匠が出してあげている。

 真面目なソフィアのことだから、きっと持っていないものだけ買って、聖布を買い足すことはない。

 それなら私が贈ってあげよう。

 どうせなら、ソフィアにとびきり似合いそうな、上品で、明るくて、何より綺麗な逸品を。


「ありがとう、ソフィア。リリスでも、よろしく」


 真っ直ぐにそう告げてから、私は自分が朗らかな笑みを浮かべているって気が付いた。

 しばらく長い間、こんな自然に笑えたことなんてなかったように思う。

 感情表現が大げさで、表情をころころ変えるソフィアと一緒にいたから、凍り付いていた私の表情筋も、少しは柔らかくなったのかもしれない。


「ルシア様……はい! こちらこそ、よろしくお願いいたしますね!」


 ソフィアは満面の笑みで頷き、胸元に抱き寄せた聖布を、大切そうに撫でるのだった。

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