第61話:それぞれの出会い セシリア編1/2 お嬢様の秘密作戦

「……今のところ、わたくしの"秘密作戦"は上手くいっているようですわね」


 同期たちがオーシック通りに散っていったのを見て、セシリアはふぅと短くため息をつく。

 ルシアの協力もあって杖についての説明は成功し、みなワクワクした表情で杖探しに出かけてくれた。


「リリスの試験よりも緊張してしまいますわ……」


 実はほとんどずっと握りっ放しだった手の平を開くと、手汗でひどいことになっていた。

 セシリアは通りの隅に身を寄せると、清潔なハンカチを取り出す。

 そして、綺麗に汗を拭き取ると、ついでにお気に入りのハンドクリームを塗っていく。

 控えめな薔薇の香りが漂ってくると、早鐘を打ち続けていた心臓が少しずつ落ち着いてきた。


「今まで家の者と何度も模擬訓練をしてきましたが、やはり実戦はまったく違うもの。アルサさんだけのつもりが、ターゲットが一気に四人も増えてしまいましたわ」


 今日出会った面々は、四人ともリリスに相応しい淑女たちだった。

 素直で優しく、所作からはセシリアに並ぶほどの身体能力の高さが窺える侯爵令嬢・ソフィア。

 戦士の国と名高い獣人族国家ライオネルの、ネル=ネコミミ族なる氏族の王族である第三王女・ミーシャ。

 音に聞こえたソヴリン商会の長女にして、本人も凄腕商人の片鱗を感じさせる才女・カーラ。

 あまりにも顔が良いルシア。


「誰を相手にしても強敵ですが、全員同時となるとさすがに骨が折れますわね……ですが、私ならやり切れるはず……この秘密作戦、そう——」


 セシリアは一度目を閉じて、スッと短く息を吸う。

 そして、ザっと足を踏み出しながらカッと目を見開いて言う。


「——"はじめてのお友達大作戦"を!」


 世界三大魔術家ボラール公爵家の長女セシリア・ヌボワ・サラ=ボラール。

 父譲りの緑がかった美しい金髪、母譲りの輝く美貌、世界最強の魔術師と謳われた祖父譲りの膨大な魔力と腕前、社交界の薔薇と称えられた祖母譲りの巧みな話術。

 およそ貴族が持ちたいと思うものすべてを兼ね備えたセシリアだが、たった一つだけ持っていなかったものがある。

 幼い頃から憧れ、喉から手が出るほど欲し続けてきたが、ことごとく手に入らなかったもの。


「リリスでこそ、わたくしはを作ってみせますわ!」


 それは、気の置けない同世代の友人だった。

 世界三大魔術家の長女であったセシリアは、物心ついた時から厳しい貴族教育を受け続けてきた。

 魔術や武術、勉学は言うに及ばず、貴族のたしなみである音楽、絵画、ダンス、馬術、弁論術、社交術などを徹底的に叩き込まれた。

 妹たちのように両親に甘えることは許されず、お小遣いでさえも自ら事業を立ち上げて稼がなければならなかった。

 おかげでリリス入学時には他の追随を許さない同世代最強の魔女見習いとなったが、犠牲にしたものもまた多い。


(魔術受験塾では、誰もわたくしに話しかけてさえくれなかった……)


 サルビア連合共和国随一の魔術受験塾『ボンソワール・マギカスコラ』において、セシリアは入学した十歳時から五年間、一度も実力テスト第一位から陥落したことがなかった。

 同期たちは圧倒的すぎるセシリアをおそれ、敬い、崇拝し、神格化して意識の外に追い出し、テストは第二位を競うものであると公言してはばからなかった。

 両親からは満点で当然と言われ、一問でも失点すると厳しく叱られ食事を抜かれた。

 

(でも、リリスにはわたくしよりも上がいる……全力で挑んだ試験で、生まれて初めてわたくしは負けた……)


 セシリアは当然のごとく、筆記実技面接で満点を取った。

 しかし、受付で告げられたのは「特記事項も取った方がいたため、セシリアさんは次席です」という言葉だった。

 セシリアは驚愕し、守秘義務があると分かっていながらも「ど、どなたが主席ですの?」と身を乗り出して尋ねてしまった。

 係員に「入学式のあいさつで分かりますよ」と冷静にたしなめられ、セシリアは自らが貴族らしからぬふるまいをしていたことに気が付いた。


(初めての敗北で、わたくしもまた他人を避けていたのだと気づきましたわ……一位だから孤高であるのが当たり前と、いつしか思い込んでいた……)


 魔術受験塾にいた頃にだって、勇気を出して誰かに話しかけていれば、友達を作れていたかもしれない。

 セシリアは他人に避けられるあまり、自分でもまた無意識に他人を避けてしまっていたのだ。

 話しかけられるのを待つだけで、自分から話しかけるのはよくないことなのだと遠慮してしまっていた。


(お友達がほしいくせに、ずっと受け身で、わたくしは何もしてこなかった……そのことに気付かせてくれたのが、まだ見ぬ主席の方……)


 セシリアはもう、孤高の第一位ではない。

 だからこそ、セシリアは"はじめてのお友達大作戦"を決行すると決めたのだ。

 自ら動いて、人生初のお友達を作ってみせるのだと心に誓った。


(そして、アルサさんにもまた、わたくしは気付かされました……)


 受付を終えて『専心館』の外に出たセシリアは、スリの少女が合格に浮かれてフラフラ歩いているのを発見した。

 ラ・ピュセルには何度か訪れたことのあったセシリアだが、すべての通りに精通しているわけではない。

 スリならば道には詳しいだろうから、借りを返してもらうために道案内を頼もう。

 その過程で、もしも"偶然"お友達になれたらラッキーだ。

 一瞬で建前の理論を構築し、セシリアはお友達になりたいという本音を隠してアルサに声をかけた。


「ごきげんよう。貸し一つ、覚えていますかしら?」


 アルサはぽわぁ~っとした顔で振り向いて、「編み込みのお貴族様じゃん~! 覚えてる覚えてる~!」と浮ついた口調で返してきた。


「なら話は早いですわ。これからわたくしの買い出しに付き合って、ラ・ピュセルを案内してくださいまし。それから、わたくしの名はセシリア・ヌボワ・サラ=ボラールですわ」


「あ~、道案内ね、いいよいいよ! よろしくねセシリア。あたしはアルサ・リンガー!」


 何でもないように「セシリア」と呼び捨てし、握手を求めて手を出してきたアルサにセシリアは大いに驚いた。


(わたくしを呼び捨てで呼ぶなんて、お父様とおじい様だけでしたもの……ましてや同世代にあんなに気軽に呼ばれるなんて、予想もしていませんでしたわ)


 とにもかくにも、そうしてアルサの勧誘に成功したセシリアは、馬車を呼んで"魔女の散歩道"を目指すことになった。


(スリの対価で頼みましたから、初めは打ち解けられないかもしれないと心配でしたが……アルサさん相手にそれは杞憂でしたわね)


 アルサの誰に対しても物おじしない社交力、言い換えれば馴れ馴れしさは尋常ではなく、馬車の待ち時間でさっそくセシリアは連射魔術的トークに巻き込まれた。


「いやぁ~、あたしが合格するなんて驚きだよぉ! そりゃがんばったけど、半分以上諦めてたからねぇ! 故郷の両親にもこれで胸を張って報告できるよぉ!」


 満面の笑みで合格の喜びを語るアルサを見て、セシリアは少しだけ羨ましいなと思ってしまった。

 セシリアにとっては合格することが当たり前であり、むしろ主席ではなかったことをこの後で両親から叱責されるだろうと心得ていたからだ。


「おめでとうございますわ、アルサさん」


「ありがとう! セシリアもおめでとう!」


「あ、ありがとうございますわ……」


 誰かに褒められたり、祝福されることに慣れていないセシリアは、アルサの何でもない言葉にもひどく心を揺さぶられてしまった。


「あ~、でもあたし、入学式までのお金ないんだよねぇ。泊まってた宿も昨日で追い出されちゃったしさ。ねぇ、リリスって宿貸してくれたりしないのかな?」


 アルサはそんなセシリアの動揺にはまったく気づかず、合格の喜びから一転して厳しい現実の話を持ち出してきた。

 あまりにも話題の落差が激しく、セシリアは目を白黒させながら答える。


「や、宿は知りませんが……何でしたら、わたくしがメイドとして雇ってもよろしくてよ。スリはもうおやめになった方がよろしいでしょうし……」


 純粋に善意から、セシリアはそんな提案をしてみた。

 はたから見れば恩を売ってお友達になろうと画策したのではないかと思われる内容だが、決してそうではなかった。

 お友達云々は関係なしに、リリスの同期が宿なしで困っているのだから助けてやりたいとシンプルにそう思ったのだ。

 ただ金銭を無心しただけではアルサも遠慮するだろうし、労働の対価として多めのお金を支払えば受け取ってくれるだろうということまで配慮しての提案だった。


「あ~、それはいいや」


 しかし、アルサはほとんど即答で断ってきた。

 もしもセシリアがアルサの立場だったら即座に呑んでいたであろう提案なのに、一体どうしてなのだろう。

 セシリアは驚愕し、「なぜですの? 懐事情がきついのでしょう?」とやや咎めるような口調で聞き返してしまった。


「そりゃそうだけど、同級生と雇用関係になったら何かイヤじゃん。あたし、セシリアとは普通に友達したいし。大丈夫、スリはもうやんないからさ!」


「普通に、友達……」


 アルサの言葉に、セシリアは心臓が止まってしまうような衝撃を受けた。


「そっ、だからスリの件も案内でぜんぶ許してくれるとありがたいな~って……ダメ?」


「それは、もちろん、許しますわ……」


「やった! 約束だからね~」


 大げさにガッツポーズをして喜ぶアルサをしり目に、セシリアはずっと「普通に友達したいし」という言葉を脳内で反芻はんすうしていた。


(その後、制服を選んでいたらアルサさんのお知り合い……お弁当仲間のルシアさんたちに出会い、お友達候補が一気に増えた……これこそ"縁"というものですわね)


 人当たりよく四人の同期を『フルードリス』へと導いたセシリアだが、その心は嵐に遭った小舟のように揺れに揺れていた。

 身に沁みついた貴族の流儀と、『フルードリス』という場所への慣れがなかったら、きっと緊張が四人にも伝わってしまっていたかもしれない。


(皆様方も、わたくしの名前を聞いて緊張していましたが……いえ、一人だけ何の反応も示さない方がいましたっけ)


 セシリアは、仮面に顔を隠したままぶっきらぼうに自己紹介をした一人の少女を思い出す。

 アルサから聞いていた入学試験時の逸話。

 さすがのセシリアでも、筆記試験で眠ったり、実技試験でF級魔術を使うようなリスクは侵さない。


「ルシアさん……底知れぬ魔術の実力を窺わせる方……」


 セシリアは同世代の有名な魔女見習いについては、サルビア連合共和国だけでなく周辺国すべての魔術受験塾の生徒名を把握していた。

 しかし、いずれ競い合うライバルにしてお友達候補のそのリストに、ルシアの名前はなかった。


(先程の"風舞"による"囁き"の見事さと言い、著名な魔術使いの弟子なのでしょうが……一体どこの流派に属しているのでしょう)


 やはりリスト化してある弟子制の魔女見習いたちにも、ルシアの名前はない。

 世界三大魔術家の長女をして何のデータも得られなかったルシアという魔女見習いの存在は、セシリアの興味を大いに惹き付ける。


(それにあの良すぎる顔……ますます謎が深まりますわ)


 ルシアの素顔を初めて見た時は、さすがのセシリアでも意識が遠のいた。

 幼少期より様々な美術品を鑑賞し、天下一美しいとされる人物たちと社交界で顔を合わせてきたセシリアだが、ルシアの顔の良さは異次元過ぎた。


「嫌われてないと、よいのですけれど……」


 言葉をその本質とする魔術使いは、滅多なことで心の内側を晒してはならない。

 しかし、ルシアの顔面はあまりにも美しくて、あまりにも可愛かった。

 そのせいで、セシリアはついつい「ル、ルシアさん! わたくしにどうか頬っぺたを……頬を、触らせてはもらえませんか?」などと欲望を垂れ流しにしてしまったのだ。


(お父様にだって隠している秘密……わたくしが、可愛らしいものに目がないということ……ルシア様のお顔を前にしては、自制心が保ちませんでしたわ!)


「はぁ……あのほっぺの極上でしたこと……」


 ルシアの頬の柔らかさ、きめ細かさ、弾力、ぷにぷに感……思い出すだけでセシリアは身もだえしそうになる。


「……杖探しを終えたら、もう一度だけ触らせてもらおうかしら」


 きっとそんな恥ずかしいことは言い出せないであろうと思いながら、セシリアはわずかな希望を胸に抱いて"火球"を発動した。


 

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