第59話:それぞれの出会い アルサ編2/2 カモ

「……とすれば、名誉と金を両方持ってる奴がいいな」


 アルサは目を凝らし、魔女見習いたちを吟味する。

 スリで鍛えた観察眼によって、外見のみからでも相手の財布事情は大体見抜ける。


(あれは商人……あっちはせいぜい子爵……んっ? あそこの四人組はカモっぽいな……)


 アルサが目を付けたのは、『オルテガ・ハードロックの冒険』第五巻を胸に抱くようにして書店を後にする、ニコニコ顔の少女とその取り巻きだった。

 落ち着いたクリーム色に緑のラインが入った制服を見るに、ラ・ピュセル最大の共学校であるリッツバース魔術学園の新入生らしい。

 ちなみに、スリで狙う相手として一番多かったリッツバース魔術学園の制服を、アルサは脳内で「鴨服」と呼んでいた。


「ねぇ、ちょっといいかな?」


 アルサは少女が路地を曲がったのを見計らい、その背に深刻なトーンで声をかける。


「ひゃ、ひゃい!」


 リッツバースの少女はいきなりのことに驚き、その場で小さく飛び跳ねる。

 即座に取り巻きの三人がスッと動き、一人が少女を庇い、二人がアルサと少女の間に割り込む形で立ってくる。


「ハードロック様のファンの子だよね? ちょっと相談があってさ……」


 アルサは社交スマイルを振りまきつつ、少女とその取り巻きを何気なく観察する。


(この囲みの速さ、友人兼護衛ってわけか……整った外見に、高価そうな指輪……こりゃ間違いなく上級貴族だね)


「あなたは先程のリリスのお嬢様……! えっと、私に相談……ですか?」


 取り巻きたちの間から顔を出した少女は、アルサが書店にいたリリス生だと気づいたようだ。

 幾分か警戒を解いた様子で首を傾げる。


「うん。実は、さっきハードロック様にもらったサイン本なんだけど……買い取ってくれない?」


「えっ……いいんですか?」


 少女はアルサの提案に目を輝かせて前に出てくる。

 しかし、アルサの手を取りそうになる寸前で、急に表情を暗くして立ち止まる。


「あっ、でも……あのサイン本は、せっかくハードロック様があなたにプレゼントしてくださったものでしょう? 自分がサインした本をあなたが売ったと知れば、ハードロック様が悲しむのでは? そ、そうです、私、買い取るなんてできませんわ!」


 自分自身に言い聞かせるようにして、良心的なセリフを口にする少女。

 その顔には明らかに「買い取りたい!」と書かれているのに、言葉で取り繕おうとしている様がおかしくて、アルサは楽しくなってきてしまう。


(あ~、いかにも世間知らずのお嬢様が言いそうなセリフだ! そうそう、こういう子を探してたんだよ!)


 目の前の子はカモにするに相応しいとアルサは判断する。


(これがあの子たち相手だったら、こう上手くはいかないんだろうなぁ……)


 今まで、アルサはすべてのお嬢様がこんな感じで、リリス生も例外ではないと思っていた。

 しかし、すでに知り合った五人のリリス生はみな、こんなに騙しやすそうな相手ではなかった。


 もしも、五人が同じようにハードロックの大ファンだったとしたらどうだろうとアルサは考える。

 セシリアならば、本音と建て前をもっと上手く使い分け、交渉の主導権をたちまち握るだろう。

 ソフィアならば、少女が言った良心的なセリフを建前でなく本音で発したはずだ。

 ミーシャならば「えっ、いいの~? やった~!」と普通に買い取っただろうし、カーラならば商人らしく値切り交渉を始めるだろう。


(ルシアちゃんの想像は難しいけど、素顔見せれば一発だろうな……どんなお願いでも通りそうだし……)


 とにかくリリス生は一筋縄ではいかない。

 目の前の少女も家柄はいいのだろうが、それだけじゃ合格できないのがリリス魔術女学園というところなのだとアルサは思う。


(あたしもリリス生らしいとこ見せとくか!)


 カモを見つけた嬉しさは心の奥底にしまい込み、アルサは心底辛そうな表情を作る。

 

「ここだけの話にしてね。実は……」


 アルサは少女に近づき、即興で創り上げた泣ける裏事情を小声で語って聞かせる。

 

 曰く。


 アルサはかつて命を救ってくれたハードロック様に会うためにリリスを受験した。

 しかし、受験中故郷の両親が凶刃に倒れてしまい、このままではリリスの入学金が払えない。

 せめて憧れだった制服に身を包んでハードロック様の新刊を買い、涙ながらに故郷へ帰ろうと思っていた。

 けれども、そこでまさかの本人と遭遇、リリスで再会する約束までしてしまった。

 ハードロック様との約束を裏切るくらいなら、サイン本を売ってでもリリスに通いたい。


「お願い……あたし、この約束だけは、破りたくないの……ハードロック様を、悲しませたくないっ!」


 涙ながらに訴えれば、少女もまた「なんという運命でしょう! あなたの決意、しかとこの胸に響きましたわ!」とアルサの手を取って号泣する。

 物語好き故か、どうやらかなり心に刺さっているらしい。


「ありがとう……ありがとう……」


「礼は不要ですわ! 同じハードロック様のファン同士、助け合っていかなければ!」


 少女は「キャシー! お財布を!」と取り巻きの一人に命じ、涙を拭って胸を張る。


「私、サルビア連合共和国オープナー侯爵家のハーニー・ディ・アン=オープナーが、あなたの宝物を買い取らせていただきますわ。その代わり、どうかリリスで約束を果たしてくださいませ!」


「うん……! あたし、絶対ハードロック様に会って、あなたのことを伝えるよ!」


 アルサもまた涙を拭いて、サイン本を別の取り巻きに渡す。


「私のことをっ……い、いえ、覚えていたらでよろしいですわ! それより、これはお礼です!」


 あからさまに嬉しそうな顔で、ハーニーは小金貨を十枚もアルサに手渡してくる。


(うわっ、あの本一冊でこの制服一着と同じとか! サイン転売した方が儲かるんじゃないかな、これ?)


 アルサは驚きの気持ちを心の中に隠し、「助かります……本当にありがとう!」とハーニーの手をしっかりと握る。


「いいですのよ、本来はお金に代えられない価値のあるものですもの……私こそ、手持ちがそれっぽっちしかなくってすみません」


 口では謙遜するハーニーだが、サイン本を手に入れた嬉しさから表情はまったく締まりのないものになってしまっている。


(小金貨十枚でとか、やっぱ大国貴族は違うねぇ~。儲け儲け~!)


 アルサは何度もお礼を言って、路地裏を後にする。

 角を曲がると、「きゃー! サイン本ですわ~!」と喜びを爆発させる声が聞こえた。


「……もう少し我慢しなよ」


 苦笑しつつ、アルサは小金貨を全身の色々なところに分散して隠していく。

 ブーツの内側、腰の小袋、バックパック、ローブの懐……。


「んっ……なんだこれ?」


 ふと、懐に入れた手が何か硬いものに触れる。

 掴んで取り出してみると、それは落ち着いたダークブラウン色の杖だった。

 長さは二十三センチメルケルで、握り部分にはらせん状に滑り止めの溝が彫られている。

 柄には蛇の意匠が彫られ、杖全体にも薄い白のスジで蛇の胴体が巻き付いている風なコーティングがなされている。


「いつの間にここに……あたしが全然気づかないなんて……」


 お店でローブを選んだ時に、アルサは懐の収納もきちんと確認していた。

 したがって、杖が仕込まれたのは『フルードリス』を出てからということになる。

 スリの達人であるアルサに気付かれず懐に杖を紛れ込ませるなど、常識では考えられない。


「これも運命の出会い、なのかな……」


 誰がいつ杖を入れたのかは悔しいけれど分からない。

 しかし、それほどの腕前を持つ人物に仕込まれた杖なら、試してみて損はないだろう。

 アルサがそう思って杖に魔力を込めてみると、杖からは込めた魔力の三倍ほどの濃い魔力がドッと押し寄せるようにして返ってきた。


「うっわ、これって魔力変換効率がいいってことだよね……よし、"身体強化・光"!」


 力ある詞を受けて、アルサと杖の混合魔力が体内でうねる。

 アルサの全身を光り輝く魔力の層がたちまち覆い、体内の魔力も活性化して全身が羽のように軽くなる。


「すごっ……これ、明らかに強度上がってんじゃん! ひゃっほ~う! って、うわわっ!」


 これまで感じたことのないほどの高揚感に、アルサは嬉しくなってジャンプする。

 すると、軽く地面を蹴っただけなのに、周囲の二階建ての建物の屋根付近にまで身体が浮かんでしまう。


「ヤバいヤバイ! 杖の効果すごすぎるんだけど!」


 アルサはくるりと空中で一回転し、シュタッと軽やかに着地する。

 実際に体重が軽くなったわけではないため、着地時には石畳に軽くヒビが生じた。

 しかし、アルサ自身は何らダメージを負っていない。

 "身体強化"は属性に応じた魔力の層を自身にまとわせ鎧とし、同時に体内に走らせて筋肉や骨を強化する魔術だ。

 そのため、膝のクッションや骨なども魔力鎧への衝撃を吸収できるくらいには強化されていたのである。


「ヤバすぎでしょ~! 今ならデコピンでゴーレム倒せそ~! おっ、ちょうど良さそうなレンガあんじゃん~」


 ウキウキのアルサは、さらに力を試そうと近くの家の壁に重ねてあるレンガを一つ拾う。


「今まではせいぜい木材だったけど……ふんっ! お~!」


 強化された握力によって、レンガは軽く握っただけで粉々になった。

 アルサは楽しくなってしまい、レンガを次々と手に持っては握ったり殴ったりして破壊していく。

 

「ヤバい、レンガがケーキくらいに感じる! あたしマジ強い!」


 ぜんぶのレンガを粉にすると、アルサは強そうな魔女のポーズを取り、杖をびしっと構えて奇声を上げる。


「なあ、浮かれたリリスのお嬢さんよ」


 そんなところに声がかかり、アルサは慌てて"身体強化"を解除して振り返る。

 声の主は魔女の格好をした老女で、その顔には怒りが透けた静かな笑みが湛えられていた。


「なっ、何か用、ですか?」


 アルサは老女の圧力に、思わず慣れない敬語を使ってしまう。


「そのレンガ、うちの壁の補修材だったんじゃが?」


 老女はそう言って、アルサと粉々になったレンガたちを交互に見、「弁償、してくれるね?」とニコリと笑う。


「もっ、もちろんですよ! 最初からそのつもりでしたし! この家にはもっと高級なレンガが似合うなって思って!」


「そりゃありがたい。見るにその杖、ハナミズキのようだからねぇ。わしら杖職人の間じゃ、ハナミズキの杖の持ち主はイタズラ好きと言われていてねぇ。お嬢さんがただのイタズラでレンガを壊したのかとわしゃ心配だったんだよ」


「そそそそんなこと、リリス生のあたしがするわけないじゃないですかぁ!」


 アルサは冷や汗をかきつつ小金貨一枚を老女の手に乗せる。


「こんなにくれるのかい? さすがはリリスのお嬢さんだ」


「い、いえ~、これくらい普通ですから……じゃっ、あたしは用事あるので~!」


 アルサは愛想よく笑うと、急ぎ足で路地を離れるべく走り出す。


「……杖に呑まれないようにね」


 背中にかけられた老女のそんなつぶやきが、アルサの心にやけに残った。

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