第58話:それぞれの出会い アルサ編1/2 お嬢様は似合わない

「さぁて、どうしよっかなぁ……」


 杖の探索に意気揚々と出発する面々を眺めつつ、アルサはやや暗い気持ちで人ごみにまぎれた。

 リリスの制服を着ているせいでいつもより注目されるため、何となく後ろめたい気持ちになる。

 アルサが得意とするスリの技術とはミスディレクション、すなわち相手の意識の間隙をつく手法だ。

 そこに器用な手先の動きを加えることで、相手に気付かれずモノを盗めるというわけである。

 リリスの制服は目立つため、基本的にはミスディレクションを阻害する。


(……杖を盗むってのは、まあ無理だよね)


 楽しそうに通りを歩く魔女見習いたちを眺めながら、アルサは心の中でため息をつく。

 杖は主との魔力的な結びつきが極めて強いため、盗んだところですぐばれてしまうだろう。


「なんで入学前から苦労しなきゃならないんだか……」


 正直なところ、アルサは自分がリリスに受かる確率は二十パーセントもないと思っていた。

 故郷に帰るお金を稼ぐため、合格発表の朝までスリに励んでいたくらいである。

 それがまさかの合格で、しかも受付で『首席候補の編み込み貴族』であるセシリアと出会ってしまった。

 ふわふわと夢見心地だったため、セシリアの「借りを返してもらいましょうか」という言葉にも、内容を聞かずに頷いた。


(それはいいんだけれども……)


 意外なことに、セシリアの願いは買い出しの手伝いだった。

 セシリアにはラ・ピュセルの知識だけはあるが、実際に街を歩いていたアルサの助けをどうやら借りたかったようである。


「……お金も貸してくれたらなぁ」


 故郷に帰るための蓄えを含めたすべての貯金は、制服の代金でほとんどなくなってしまう。

 だから鍋などの道具類は、セシリアが高級店で買い物をしている隙に、裏口のゴミ箱から拾ってきた。

 穴の一つや二つは修理できるから、物さえあれば問題はない。

 それでも、リリスへの送料を払ったら手持ちのお金は中銀貨一枚と銅貨が少々しか残らなかった。


「こんなんじゃ入学式までの宿代だって払えないよ……」


 お金くらいならリリスの制服を着てでも盗めそうだが、もしもバレたらせっかくの合格が取り消しになるだろう。

 そのため、アルサのスリのスキルは実質禁じられてしまっていた。

 腹ごしらえだけは『フルードリス』で済ますことができたため、体力に余裕があるのがせめてもの救いか。

 明日の分も紙に包んで確保済みなので、少なくとも入学式まで飢え死にすることはないだろう。


「ルシアくらい可愛かったら、その辺に立って拝謁料取るんだけどなぁ~」


 スリのスキルといえば、セシリア以外にスリに気付いたのがルシアだった。

 初対面時には仮面を被っていて分からなかったけれど、まさかあれほどの美貌の持ち主とは。


「魔術の腕前もヤバかったけど、あの顔の良さはそれどころじゃないわ……」


 アルサは、自身の顔だってそれなりに可愛いとは思っている。

 しかし、それはあくまで「地方の宿屋で看板娘ができる」程度の可愛さであって、ルシアの「神話で語られる女神様」レベルの顔とは比べるべくもない。


「はぁ~……現実逃避に、ずっとあの髪でも触っていたいよ……」


 アルサは自身のくすんだ茶髪をがしがしと掻く。

 生まれつきの癖っ毛で、櫛を入れても必ず引っかかるその髪は、アルサの小さなコンプレックスだった。

 キライというわけではないのだが、ルシアの絹のようなストレートに憧れがないといえばウソになる。


(他のみんなもキラキラしてたし、あたしってやっぱリリス生っぽくないんだよなぁ……)


 貴族であるセシリアとソフィア、ミーシャは当然として、カーラだって感情表現が大げさなだけで所作はしっかりと教育されているようだった。

 ルシアは所作はアルサと大差ないけど、顔があまりにも良いからそれでいい。

 みな、制服の支払いも渋る様子はなく、替えのシャツは二着で限界だったアルサに対し、誰もが一週間分以上買っていた。

 育ちが良く、お金があり、魔術の腕と教養を備えている同期たち。

 それなのに驕らず、アルサと友人のように付き合ってくれる。


「あたしにはもったいない人たちだよ、まったく……」


 アルサはため息をつきつつ、足下に目を向ける。

 落ち込んでいてもしょうがない。

 こういう時は、まず小さなものから手に入れていくのが寛容だ。


「ラ・ピュセルの人らって、やたら物を落とすんだよね……ローブの袖とかに入れっぱなしだからかな」


 ここ一か月のスリを兼ねた観察により、アルサはラ・ピュセルの路上で生きていく術をいくつか習得していた。

 その一つが、落とし物探索である。

 多くの人間が暮らしているだけあって、ラ・ピュセルの路上にはそれなりに物が落ちている。

 とりわけ大港周辺では、テンションの上がった旅行者や気をよくしている商人が意外な物を落としていったりする。

 このオーシック通りでも、合格に浮かれた魔女見習いたちが同じように落とし物をしているに違いない。


「さすがに杖までは落とさないだろうけど……」


 アルサは注意深く足元を眺めながら通りの真ん中を歩き出す。

 落し物はすみっこにありそうなものだが、実際は人通りが多く誰も気に留めない通りの真ん中に落ちていることが多いものだ。


「おっ、小銭みっけ!」


 さっそくアルサは銅貨を見つける。

 おつりとしてもらうことの多い銅貨は財布の場所を取るため、専用の小袋に入れている者も多い。

 ただ、中には袖口や懐にそのまま入れるずぼらな魔術使いもおり、何かの拍子によく落とすのだ。


「中銅貨……こっちは小銅貨……うわっ、これ蓋じゃん!」


 アルサは手のひらサイズの鉄の蓋を拾ってほこりを払う。

 それはどうやらお湯を沸かすための鉄瓶の蓋のようで、蹴られたり踏まれたりしているはずだが歪みは見当たらない。


「蓋だけあってもなぁ……まあ、売ればいいか」


 アルサはとりあえず蓋を袋にしまって、再び小銭集めに戻る。

 杖探しでみんなかなり浮かれているようで、銅貨だけでなくつり銭用の小袋や、小銀貨なんかも頻繁に見つかる。

 おかげでアルサの獲物入れの鞄はどんどん重くなっていく。


「普通に働くより時給いいんじゃね、これ……って、薔薇?」


 そんな調子で小銭を拾いつつ道を進んでいたら、突然辺り一面に薔薇の花弁が散らばっている光景に出くわした。

 何事かと顔を上げると、すぐ近くのお店から「きゃー!」という黄色い歓声の束が飛んでくる。


「……誰か有名人が来てるのかな?」


 声の出どころは普通の書店のようで、その店先に魔女見習いの人だかりができていた。

 店内に城壁のごとく積み上げられているのは『オルテガ・ハードロックの冒険・五 ~ドラゴンの秘宝~』という冒険小説で、表紙絵では杖を持った中性的な美貌の魔女が怖ろしいドラゴンと向かい合っている。


「あれ、流行本かなぁ……小説、だよね?」

 

 貧民階級出身のアルサは、流行本に限らずそもそも小説というものを読んだことがなかった。

 老魔術師が残した魔術の資料と盗んだ教科書を読むことだけが、アルサにとっての読書だった。

 そこに記されていた魔術の知識はアルサにとって覚えるべき事柄であり、読書することとはすなわち暗記することと同義だった。

 しかし、小説を読むというのはそれらとは違い、記された架空の物語を読んで楽しむ行為を指すらしい。


「……ウソを読むって、それの何が面白いんだろう?」


 理解できないが、触れてみたい。

 そう思ってアルサは人ごみに近づいていく。


「わっ……なにっ?」


 すると、アルサが人だかりの最後尾に辿り着いたタイミングで、歓声がひと際大きくなった。

 それまでその場に立っていた魔女見習いたちが、一斉にお店の中へ殺到していく。

 アルサは驚いて足を止め、何が起こったのか背伸びをして店内を確かめてみる。


「……手品師?」


 アルサの視界に飛び込んできたのは、全身を真っ白いスーツとローブに身を包んだ、スラッと背の高い中性的な美人だった。

 魔術を使っているのだろう、何もない空中から次々と薔薇の花弁が現れては風に乗って方々へ散っていく。


「やぁ、子猫ちゃんたち!」


 彼女がローブをばさりと広げてスマイルを振りまくと、黄色い歓声がキャーキャー乱れ飛ぶ。


「子猫ちゃん……っていうか、あの顔、『オルテガ・ハードロックの冒険』の主人公と一緒じゃん」


 アルサはすぐ近くにあった『オルテガ・ハードロックの冒険・五 ~ドラゴンの秘宝~』の表紙と白い魔女を見比べる。

 首元で切り揃えられた紫がかった髪、切れ長の青い瞳、瑞々しい口元に浮かんだ自信満々の笑み……どこからどう見ても同一人物としか思えない。


(自分を主人公にした冒険小説……自己顕示欲すごいけど、そういうもんなのかな?)


 もしもアルサが小説を書くのなら、絶対にやらない行為だが、ハードロックほど顔がいいと違うのかもしれない。


「まっ、ルシアちゃん見た後だと霞むけど……」


 アルサはついさっきまで髪を触らせてもらっていた同期の顔を思い出し、一瞬クラリと意識を失いかける。

 ハードロックは確かにかっこいいが、神話級美形のルシアと比べればあくまで人間レベルの美形であるにすぎない。


「ハードロック様ぁー!」

「サインくださいませ~!」

「きゃ~! 輝かしい~!」


(……まあ、それでも普通に顔はいいから、人気なのは分かるけどね)


 アルサは、手に手にプレゼントや色紙を持った魔女見習いたちがハードロックに詰め寄る光景を見て小さく頷く。


「落ち着きなさい、子猫ちゃんたち。私は逃げたりしないよ」


 ハードロックは爽やかに笑い、差し出された無数の手帳や色紙にスラスラとサインを書いていく。

 その対応のスマートさもさることながら、ファン一人一人に「ありがとう、子猫ちゃん」と視線を合わせてウィンクするのなんて、いかにも堂に入っている。

 それだけ見れば、小説家というより舞台役者のようだ。


「今買うのは無理そうだな」


 書店は熱狂的な盛り上がりを見せている。

 アルサは小銭拾いに戻ろうと、人ごみに背を向ける。


「そこにいるのはリリスの子猫ちゃんじゃないか!」


 すると、アルサの背にハードロックからの言葉が飛んできた。

 アルサは思わず振り向いて、周囲の魔女見習いたちの制服を確かめる。

 しかし、どうやら「リリスの子猫ちゃん」に該当するのは自分だけのようだ。


「……えっ、そうですけど……」


 子猫というより野良猫なのだけれどと思いつつ、アルサは曖昧に返事をする。

 するとどういうわけか、アルサとハードロックの間にいた魔女見習いたちが一斉に道を開けたではないか。

 アルサは、西方神話で預言者が海を割ったシーンを思い出す。


「リリスのお嬢様よ……輝くような制服が良く似合っていらっしゃるわ!」

「私、本物は初めて見ましたわ……一番後ろにいらっしゃったなんて、何と控えめで優雅な方なのでしょう!」

「見て、あの手入れされた御髪! 私も癖っ毛だから分かるのだけれど、あれは相当手間をかけていらっしゃるわ!」


「「「素敵ねぇ……!」」」


 アルサを見つめる魔女見習いたちの目には尊敬と憧れの輝きが灯り、中には涙を流す者さえいる。


(な、なんでそんな目で! あたしなんてただの庶民なのに!)


 初めて向けられるタイプの視線に、アルサは大いに困惑してしまう。

 リリスの制服を着ることが全魔女見習いの憧れであることは、アルサも承知していた。

 しかし、まさか『フルードリス』でついでに整えてもらったメイクや髪と合わさると、ここまで効果的になるとは。


(スリしなくてよかった……この調子じゃ、誰もあたしを下層階級出身とは思っていないんだろうなぁ……)


 生まれて初めて外見や雰囲気を褒められたアルサだが、嬉しさよりも安心が勝った。

 自分はちゃんとリリス生に見えている。

 その事実は、下層階級出身というアルサのコンプレックスを多少なりとも和らげてくれる。


「合格おめでとう! 君の五年間は幸せに満ちたものになるだろう! なにせ、リリスには私がいるからね!」


 困惑やら安心やらと感情が上下しているアルサの姿を、ハードロックは自分に出会えた歓喜に打ち震えていると解釈したらしい。

 魔女見習いたちの「道」を堂々と歩いて来ると、アルサの手をギュッと握ってスマイルを作る。


「……えっと……えっ?」


 ハードロックはどう見ても大人の女性だ。

 まさかリリスの学生ということはないだろう。


「むっ……もしや、知らないのかい?」


 アルサの想いが顔に出ていたのだろう、ハードロックは端正なスマイルを歪め、恐る恐るといった感じに尋ねてくる。


「なにを、ですか?」


「私がリリスで呪文学を教えているということをだよ!」


「それは……はい」


 アルサが素直に頷くと、ハードロックは大げさに身体をねじり「なんとっ! 私もまだまだだね……」とあからさまに落ち込んでみせる。


(いや、そもそもあなたについても今さっき知ったんだけどなぁ……)


 アルサはこれまで、リリス合格のためだけに受験知識を貪ってきた。

 それ故に、リリスの教師やリリスのしきたりといった受験に関係ない事柄についてはまったくの無知だった。 


「まあいいさ! ここで会ったのも何かの縁だ、無知で可愛い子猫ちゃん!」


 落ち込みから回復したハードロックはバッとローブを翻すと、その場にある自分の本のセットを手に取る。

 そして、それぞれの表紙を開いた遊び紙部分にサラサラとサインを書いていく。


「君には私のサイン本全巻をプレゼントしようじゃないか! それから、リリスに入ったらぜひ私の講義を受講したまえ! 私は一度見た顔は忘れない。歓迎するよ、癖っ毛のキュートな子猫ちゃん!」


 ハードロックはサインを書き終えると、アルサの頭をポンポンと軽く撫で、サイン本を手渡してくる。


「……ありがとうございます」


「いいさ! 楽しんでくれたまえ!」


 ハードロックはニコっと笑うと、「子猫ちゃんたち、また会おう!」と魔女見習いたちに声をかけ、指をパチンと鳴らす。

 すると、ハードロックの身体はたちまち薔薇の花弁となり、その姿は瞬く間にどこにも見当たらなくなった。

 魔女見習いたちはとびきりの歓声を上げ、宙に舞う薔薇の花弁を掴もうとその場で跳ねる。


(……最後まで芝居がかった人だったな)


 アルサはひとまず書店を離れ、通りの反対側に立つ。

 魔女見習いたちの盛り上がりは最高潮に達しており、泣く者、叫ぶ者、跳ねる者と辺りは大混乱に陥っていた。

 その様子はまさにお祭り騒ぎであり、誰もが命を捧げても惜しくないというレベルでハードロックに心酔しているのが分かる。


「こんなに人気なら、この本、使えるかな……?」


 怒涛の勢いでつい受け取ってしまったが、もしかしたらこれはチャンスかもしれない。

 魔女見習いたちの狂乱を見つめ、アルサは脳みそをフル回転させる。

 そして、一つの作戦を思いついた。


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