第57話:それぞれの出会い ミーシャ編 名物マスラの香草焼き

「さて、ボクも探しますかぁ~……って、あれ、この美味しそうな匂いは……?」


 杖探しをしようとしたミーシャの鼻が嗅ぎつけたのは、美味しそうな焼き魚の匂いだった。

 ラ・ピュセルに海はないが、ロクサーヌの森のエルグランド王国側とサルビア連合共和国側には海がある。

 そこから輸入されたマスラという魚に、ラ・ピュセル名産の森ハーブをかけて焼いた『マスラの香草焼き』は、ラ・ピュセルのちょっとした名物だった。


「じゅるり……杖は逃げないし、こっち先探そう~」


 腹が減っては何とやら、ミーシャはまずマスラの香草焼きを食べに匂いを追うことに決めた。

 上半身を極端に前傾すると、くんくんと鼻をひくつかせ、ミーシャは人ごみを華麗に抜けていく。

 獣人族特有の、ぴょんと立てた尻尾をバランサーにした"影歩き"である。


(葦原だけじゃなくて、人ごみでも有効なんだよねぇ~)


 そうして、一分ほどで辿り着いたのは、大型魔術具店二店に挟まれた細い路地だった。

 二階から五階には魔術具店の家族や見習いが住んでいるのだろう、窓から窓に洗濯物が干されたヒモがたくさん渡されている。

 ガラス窓に取り付けられた小さなベランダには、ハーブの鉢植えや謎の彫刻などが乱雑に並べられていた。


「冒険の予感だなぁ~……えっと、『ビースト横丁』かぁ。ボクにぴったりじゃん~」


 壁にハメられたプレートを読んだミーシャは、口元をぺろりと舐めてビースト横丁に足を踏み入れる。

 通りの幅は人が横に三人並んだら歩けなくなってしまうほど狭いが、逆にその親密な感じがいいのかカップルが目立つ。

 魔術具店の横入り口を過ぎると、奥には中庭を改造したレストランや屋台が並んでおり、表から見た以上に賑わっているようだ。


「マスラはどこかなぁ~」


 緩やかにカーブする路地を進みながら、ミーシャはキョロキョロとお店たちを覗き込んでいく。

 個人経営の小さな魔術具店、喫茶店を兼ねた古書店、道に向かって「コ」の字型になった野外レストラン、洗練された北方スタイルの家具屋さん……。

 どのお店もオシャレな外観をしており、いかにもデートに向いていそうだ。

 一定間隔で各家の二階に設置された魔導灯も、きっと夜には幻想的に光って、通りの親密な雰囲気をより一層演出するのだろう。


「……カーラと来たかったなぁ」


 ミュンヘル訛りの幼馴染なら、ここにあるすべてのお店に過剰な反応を示すのだろう。

 その様子を見て、時にからかい、時に同調しながら食べ歩きをしたかった。

 きっとカーラはデートだなんて微塵も考えないのだろうけれど。


「まあ、チャンスはあるか……何と言っても、ボクたちリリス生なんだしぃ~」


 ミーシャはニマニマと笑ってピカピカの制服を見下ろす。

 大好きな幼馴染と、憧れのリリスに通える。

 今のミーシャは、生まれてからこれまでで一番幸福な状態にあるといっても過言ではなかった。


(付きっ切りで教えた甲斐があったなぁ……ホント、よかった……)

 

 スピカ・マギカスコラの自習室を毎日時間一杯まで使って、ミーシャはカーラに勉強を教えた。

 二人のあだ名が「自習室の番人」になるくらい、とにかく籠って勉強し続けた。

 それでも、カーラの成績は最後の模試でもギリギリ合格点に届いていなかった。


(本番に強いのは変わらないや……ボクを王の館から連れ出してくれた時も、算術大会の時も、上級商人試験の時も……)


 様々な思い出に浸りつつ、ミーシャはやっぱり合格発表の時のことを思い出す。

 怖くて見られないと騒ぐカーラをなだめつつ、ミーシャは自分の番号より先にカーラの番号を探した。

 そして、それが見つかった瞬間に思わずカーラに抱きついてしまった。


「考えてることは同じ、だったなぁ~」


 直後、ギュッと背中に腕が回って来て、「ミーシャの番号あるやんか! やったな!」と言われた時の、不思議な気持ち。

 カーラはきっと自分が落ちていると思って、先にミーシャの番号を探したのだろう。

 だからミーシャはそんなカーラの腕を反射的に振りほどいて、「カーラもあるよ! ボクたち、一緒にリリスに通えるんだよ!」と発表された番号を指さした。

 カーラは「そんなアホな……ってホンマやん……うち、受かっとるやん……」と信じられないという顔をして、「ミーシャ~!」と再び抱き着いてきた。


「ルシアちゃんたちも受かってて、新しい友達もできたし、順風満帆だぁ~」


 偶然相席で知り合ったソフィアとルシアとは、今後も仲良くできそうな予感がしている。

 初対面の時、ミーシャはソフィアについて、お淑やかでいい子な、いかにも箱入り娘だなとしか感じなかった。

 しかし、仲良くなったらけっこうグイグイ行く面白い一面を知れたし、ルシアへ向ける友情とはまた違った感情を何となく察することもできた。


「多分ボクしか気づいてないけど、同志は応援したいよねぇ~……まっ、ルシアちゃんはそもそも何も分かってなさそうだけど……」


 ソフィアの矢印が向いている先のルシアについては、初対面での『謎多き孤高の娘』という印象が、ミーシャの中に強く残っていた。

 けれども、再会して買い物に付き合っているうちに、感情表現が乏しいだけの年相応の女の子であると何となく分かってきた。

 かなり鈍感で世間知らずなところも見受けられ、ちょっとからかうとうざったそうにしてくるのも、妹をあやしているようでたまらなく可愛い。

 ただ、魔術に関することとなると途端に底知れなさを醸し出すため、ルシアの実力自体はかなりのものだろうとミーシャは考えていた。


「あと、ルシアちゃんは顔がいい……脚も……っていうか、ぜんぶ良すぎる……マジ天使……」


 そして何より、ルシアはとにかく顔が良かった。

 それを支える身体も、一部の隙もない芸術品のような出来栄えだった。

 思い出しただけで喉をゴロゴロ鳴らしたくなるほど、ミーシャはすっかりルシアの身体美に魅力されていた。

 もちろん、それはカーラに向ける想いとはまったく別種の、いわば超お気に入りのクッションを見つけた時のような心情である。

 それ故に、気に入ったものや相手に対するネコミミ族のサガとして、自身の耳や尻尾を巻き付けたのである。


「にしても、アルサの髪は分かるけど、セシリアのほっぺぷにぷには意外だったなぁ……お嬢様ってストレス溜まるからなのかな?」


 ミーシャは続いて、買い出しで知り合ったアルサとセシリアという癖の強い二人を思い出す。

 アルサは下層庶民で合格した努力家だけど、気難しさとかは全然ないから付き合いやすそうだ。

 セシリアの方は有名な魔術家の長女だが、それにおごって差別意識を向けてくるなんてことは一切なかったし、話せば話すほど素直で善良な性格の持ち主なのだろうと感じた。

 そういう品格以外にも、確かな実力を感じさせるオーラや、優雅な立ち居振る舞いからして、セシリアが今年の主席なんじゃないかとミーシャは何となく思っている。


 さらに二人とも、『フルードリス』でミーシャが制服を着た状態でネコミミを見せても特に何も言わなかった。

 ミーシャ的には、その反応で二人に完全に心を許すことにしたのだ。


「なんであの二人が一緒にいたのか謎だけど……すんっ! おっ、あったあった、マスラだぁ~!」


 その時、ミーシャの鼻がお目当てのお店を嗅ぎつけた。

 匂いに従って目の前の路地を曲がると、大きな魚が描かれた看板が下がる『ヘミングウェイ』というお店が見つかった。


「へいらっしゃい! なんにしやしょう?」


 カウンターの前に立つと、頭にタオルを巻いた筋骨隆々のオヤジさんが注文を聞いてくる。

 『ヘミングウェイ』は民家の一階を店舗にしており、カウンターで魚や野菜を直火焼きにしているのだった。

 路上が狭いためかお店の側に椅子などはなく、通りを挟んだ向かいの中庭にいくつもテーブルが並べられている。

 お客さんの半数くらいは串にささったマスラをそのまま持って食べながら、横丁をさらに奥まで進んでいくようだ。


「じゃあ香草焼き一つ~」


「まいどあり! ちょうどでっかいのが焼けたから、持っていきな!」


「ありがと~」


 代金の大銅貨一枚を渡すと、オヤジさんが焼き立ての一匹に串を刺して、持ち手を紙に包んで渡してくれる。

 通常、マスラは十五センチメルケルくらいの魚だ。

 しかし、オヤジさんが出してくれたのは三十センチメルケルに届きそうな大きな一匹だった。

 串一本じゃ支えきれないと思ったのだろう、頭から三本も串が刺さっている。


「いっただきま~す! ふー、ふー、ふー……はむっ!」


 ミーシャは向かいの庭のすみっこに立つと、猫舌ゆえにしっかりと冷ます。

 そして、まずは一番美味しいお腹の部分を控えめにかじる。


「ん~! うま~!」


 よく火の通ったマスラの肉が、口の中でほぐれてふわっと溶けていく。

 鼻に抜けるあっさりとした白身魚の旨味と香草の香りがたまらない。


「ふー、ふー……よし!」


 ちょっと齧ったことで、より広い範囲の肉が冷めていく。

 ミーシャは今度はさらに大きな口を開け、マスラのお腹にかぶりついた。


「はむっ……んっ? けほっ、何、今の食感……」


 歯の先に何か硬いものが当たった感触に、ミーシャは思わず口を離す。


「串、じゃないよね……内臓が残っているはずもないし……?」


 串の位置はちゃんと把握して避けたはずだ。

 胃の内容物の可能性も考えたが、香草焼きは内側にもハーブを詰めるため、そもそも調理前に内臓は取られているはずである。


「はむっ、はむっ、はむっ……んっ?」


 ミーシャはひとまず自分の歯型に沿って、小さく肉を削り取っていく。

 すると肉の中に何か青みがかった棒状のものが埋まっているのが見えてきた。


「何だろこれ……はむっ、もぐもぐ……はむっ……ごくっ」


 明らかに串ではそれの正体を探るべく、ミーシャはまず頭側の肉を根こそぎ食べ尽くす。

 するとほどなくして、棒の片方の先端が見えてくる。


「えっ……これ、杖?」


 ミーシャの前に現れたのは、どこからどう見ても杖の持ち手部分だった。

 柄のところには三又槍の衣装が彫られ、鍔にあたる部分には細かなエッジが入れられている。

 ミーシャはおそるおそる持ち手を抓んで、ずるずるとマスラから引っ張り出す。


「うわ……本当に杖だ……なんで?」


 そうして取り出されたのは、二十センチメルケル程度の小ぶりな青い杖だった。

 ミーシャはひとまずマスラの油でテカテカの表面を紙で拭き、改めて杖を眺める。


「藍色の……深い海みたいな色だなぁ……短いけど、取り回し易そう……」


 魔術具学にはあまり詳しくないミーシャだが、その杖が良い品なのは一目で分かった。

 目だった傷や汚れなどは見当たらないが、古くから使われてきた木材特有の深みがあちこちから感じられる。

 きっと、長いこと海の底にでも眠っていたのだろう。

 それで腐らなかったのは、特殊な加工が施されているからに違いない。


「ボクとの相性は……」


 不思議な胸の高鳴りを感じながら、ミーシャは杖に少量の魔力を注ぐ。

 すると、杖からもまた穏やかな魔力がミーシャの中に返ってきた。


「良さそう……っていうか、いい……」


 杖の魔力は濃厚ながらも落ち着いていて、長い年月の堆積を感じさせるものだった。

 どっしり育った大木や、古代から残る岩の神殿、悠久の大河に、波濤はとう尽きぬ大海原。

 そういった雄大な自然を感じさせる杖の魔力を、ミーシャはすっかり気に入った。


「はむっ……ん~! マスラも美味いし、杖も手に入っちゃうなんて、ボクの嗅覚ってすごいなぁ~」


 ミーシャは杖をるんるんとタクトのように振りつつ、回れ右してヴァルダザールを目指すことにした。

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