第56話:それぞれの出会い ソフィア編 巡る運命の輪

「"身体強化"」


 ソフィアは光属性の魔術を発動し、自身の脚力を数倍にまで高める。

 そして、オーシック通りの人ごみを滑るように抜けていく。

 その速さと体軸の安定感は尋常ではなく、通りを行く者たちでソフィアを目にした者は、例外なく感心した表情を見せる。


(もっと、もっと速く……ルシア様に、少しでも追いつきたい……!)


 だがソフィアは、自分の速度にまったく満足していなかった。

 命を助けられたその日から、ルシアのすごさは理解しているつもりだった。

 しかし、シスレー宅でゴーレムを一瞬で砂にしたルシアの魔術は、ソフィアの理解が到底及ばない極致にあった。

 そんなルシアの隣にいるのに相応しい魔女になるためには、もっともっと強くならなくてはいけない。


(魔術も、体術も、知識も……そして、人間としても、もっと強く、気高くなりたい……!)


 ソフィアはラ・ピュセルに来てから知り合った、同じくリリスに合格した四人の魔女見習いたちを思い浮かべる。

 カーラは人当たりが良くて、明るくて、算術も特記事項になるくらいすごいという。

 ミーシャは一緒にいるとリラックスできる性格で、ユーモアのセンスもあって、リング持ち故にソフィア以上に"身体強化"に精通しているはずだ。

 アルサはスリをするくらい下層の出でリリスに受かった秀才で、手先の器用さに加えて物怖じしない強いメンタルを備えている。

 セシリアは名門魔術貴族の長女で、ソフィア以上に優雅で洗練された立ち居振る舞いをする上に、魔術の知識も豊富で、おそらくは実技も凄腕だ。


「……みんな、私にないものをたくさん持っている」


 新しい友人たちはみな、客観的に見て素敵な女性だとソフィアは思う。

 リリスに通うに相応しい、尊敬できる同期たちだ。

 それに対して、ソフィアは災厄の眼という劇物を抱え、実家との折り合いも極めて悪く、世間知らずの箱入り娘でしかない。

 魔術の知識はリリスに受かる程度は持ち合わせているが、入学後にそれはアドバンテージにはならない。

 実技の方も"身体強化"がやや得意なだけで、どの属性もE級が普通に使える程度の、リリス生としては平凡な成績だ。


(ルシア様の隣に立つ以前に、今の私じゃリリス生として不十分……)


 きっとルシアは、四人の新しい友人たちは、ソフィアが自分たちに相応しいとか、相応しくないとか、そういったことは一切考えていないだろう。

 出会ってまだそれほど経っていないけれど、ソフィアは彼女たちの善性に確信を持っていた。

 そしてだからこそ、ソフィアも彼女たちのようになりたいと願う。

 そのために、自分で自分を認められるような強さを得たい。


「それに……これから私のように、ルシア様をお慕いする方が出ないとも限りません!」


 ルシアの素顔を見てもソフィアのような反応は示さなかった四人の友人たちは大丈夫だろうが、他のリリス生はどうだか分からない。

 恋のライバルが登場する前に、ルシアの気持ちをしっかり掴んでおかなければ。


(一番の問題は、ルシア様にその気がないことですけど……それはもう、アタックし続けるしかありませんし……!)


 とにかく全部がんばろう。

 ソフィアがそう強く決意したところで、フッと魔力に揺らぎが生じる。


「……っ! 今のはっ?」


 ソフィアは慌ててブレーキをかけて立ち止まると、近くのお店を一軒一軒確かめていく。


「……ここだ」


 そして見つけたのは、木造二階建ての古い民家のような外観のお店だった。

 入り口に掲げられた錆びた金属の看板には、剥がれかけた金の文字で『ヴァンダースナッチ魔術具専門店』と書かれている。

 年季の入ったショーウィンドウには三本の杖が飾られ、それぞれに由来と値段が記されたカードが添えてある。

 重厚な樫の扉にはくすんだベルが付いており、ソフィアが入店するとガランゴロンと重みのある音を鳴らした。


「ごめんください……」


 店内はかなり狭くて薄暗かった。

 壁には複雑な刺繍のタペストリーが飾られており、どこにも杖は見当たらない。

 棚や椅子なども存在しないため、お店というより改装中の安い宿屋の一室のようだ。


「留守かしら……」


 一目で店内にも、カウンターにも人の姿はないと分かる。

 ソフィアは"身体強化"を解除して、ひとまずカウンターに近づいていく。

 すると、カウンター背後の壁がギィィィと音を立てながら、真ん中から奥に開いていくではないか。


「いらっしゃい……ほう、リリスの生徒か。しかも面白い"眼"をしているね」


 あっけに取られるソフィアの前に現れたのは、壁の奥にあるワインセラーにも似た杖の保管庫だった。

 店舗スペースの五倍はある奥行きに並んだ左右の棚、そこには箱に収められた杖が無数に収納されている。

 さらにそんな保管庫の前に立つのは、長く尖った耳と金色の髪、空のように青い瞳を持つ美しい女性。

 身にまとっているのは、壁のタペストリーと似た極彩色の長い一枚布だけだ。


「……エルフ、様?」


「ああ、エルフを見るのは初めてかい。様付けはいいよ、くすぐったいからね」


 女性は気さくに手を振ってそう言い、ソフィアを正面からじっと見つめる。

 エルフとは、千年を超える時を生きると言われる希少種族で、その生息地ははるか北の地の"黒い森"である。

 ほとんど森を出ない排他的な種族で、人族というより妖精族に近いと、ソフィアは文献で読んだことがあった。


「ようこそ、ヴァンダースナッチ魔術具専門店へ。私は店主のオフィーリア・クゥルエル=デルサント・ヴァンダースナッチ。気軽にドクター・フーと呼んでくれたまえ」


「はじめまして、ドクター・フー。私はソフィア。ソフィア・アバランシス・フォン・ローレンスです。以後、お見知りおきを」


 ソフィアが淑女の礼を返すと、ドクター・フーは顎に手を当て「アバランシス・フォン・ローレンスねぇ……」と首を捻る。


「……何か?」


「いや、気にしないでくれたまえ。それよりも、杖をお探しということでよろしいかな?」


「はい。私の魔力がこのお店に導いてくれたのです」


 ソフィアはドクター・フーの態度に引っかかりを覚えつつも素直に目的を告げる。

 エルフは長生き故にたくさんの情報を知っている。

 ソフィアの身分偽装がバレているとはさすがに思えないが、"眼"を見抜かれているらしいことからも、ソフィアの本当の生まれについて何か察していてもおかしくはない。

 災いを呼ぶであろうその情報にドクター・フーから触れようとしないのなら、ソフィアからわざわざ言及する必要はないだろう。


「ふむ……これなんかどうかな?」


 ドクター・フーは保管庫の中から深緑色の箱を持ってきてカウンターに置く。

 ソフィアが蓋を開けてみると、中にはずんぐりとした茶色の木の杖が収まっていた。


「手に持って……そうそう。それで、魔力をわずかに注いで振ってみたまえ」


 促されるままに杖を手に取ると、ソフィアは右手側の壁に向かって軽く杖を振る。


「きゃっ!」


「おっと、これはダメだな」


 すると、杖の先端から大量の水が迸り、壁のタペストリーをびしょびしょに濡らした。


「こっちはどうだい?」


 次にドクター・フーが持ってきた鈍色の箱には、スリムな金属の杖が入っていた。

 ソフィアは同じように杖を手に取り、今度は左の壁に向かって振ってみる。


「うわっ!」


「ああ、これもダメか」


 次に杖の先端から飛び出したのは雷だった。

 それはギザギザの軌道を描いてタペストリーに直撃し、美しい模様の表面を真っ黒に焦がす。


「……となると、う~ん、どれだろう」


 ドクター・フーは保管庫の中を行ったり来たりしながら杖を探している。

 一方、ソフィアはタペストリーを二枚も台無しにしてしまったことで肩身の狭い思いをしていた。


(ドクター・フーは気にしていないようですが……弁償するならいくらでしょう……って、あれ?)


 びしょ濡れのタペストリーに目をやると、なぜかすでに乾いており、心なし模様も変わっているように感じられた。


「どうして……えっ?」


 黒く焦げた方に目を向けると、そちらのタペストリーも綺麗な状態になっており、やっぱり模様が変わっていた。

 先程はクジャクの羽のようだったのが、今はトラの毛皮に近いパターンになっている。


「心配しなくても、そいつらは大丈夫だよ。ミミックだからね」


 保管庫の奥からドクター・フーの声が響いてくる。


「ミミック……どうりで」


 ミミックとは主にダンジョンに生息し、宝箱や椅子に化けて人や他の魔獣を襲う小型の魔獣だ。

 ソフィアはタペストリーに化けるミミックは初めて見たが、環境によってそれらしい無生物に擬態するミミックの特性を考えればおかしなことではない。

 こうして壁にミミックを住まわせておけば、店としてはお客さんに自由に杖を試してもらえるし、ミミックとしては定期的に魔力を食べられる。

 ある意味で、両者は共生していると言ってもいい関係なのだろう。


(でも、壁のタペストリーぜんぶがミミックってちょっと怖いですね……)


 狭いとはいえ、屋上や床敷きも含めて店内には二十枚近くのタペストリーが飾ってある。

 もし、それらすべてが牙を剥いて襲ってきたらどうしようと、ソフィアはどうにも落ち着かない気分になってくる。


「……っと、これは、もしかして……」


 その時、保管庫の奥からドクター・フーの驚く声が聞こえてきた。

 ソフィアが保管庫に目をやると、ドクター・フーが神妙な顔つきで黒い箱を持ってきてカウンターに置く。


「……この杖は、八年前から行方が分からなくなっていたんだ。この店にあるはずないのに、どういうわけか当たり前のように棚に並べてあった」


 ドクター・フーがゆっくりと箱を開けると、えんじ色のクッションに包まれた一本の白い杖が姿を現した。


「っ……なんて、美しい……!」


 ソフィアは一目でその白杖に心を奪われた。

 大理石のように白く滑らかな杖の全長は二十八センチメルケルで、柄の部分には百合の花びらが彫刻されている。

 持ち手には細かな四角錘の行列で螺旋形の溝が彫られており、遠目から見ると白い蛇が巻きついているようにも見える。

 刀剣の鍔にあたる部分には、五本の爪が先端に向けて杖を掴むように浮き彫りされていた。

 さらに、刀身にあたる部分をよく見ると、マーブルホワイトの中に青みがかった銀の波紋がうねるように走っている。


「素材はサクラ……東洋に生えているピンクの花をつける木だ。コーティングはならし材三○三号と楽園の砂、そしてムーンストーン。月光を三千三百三十三年間溜めたムーンストーンにしか、この銀の波紋は醸し出せない」


「……芯材には何を?」


 白杖をじっと見つめながら、ソフィアは一番大切な素材について尋ねる。

 すると、どういうわけかドクター・フーは質問に答えず、「まずは手に持ってごらん」とソフィアに箱を近づける。


「それでは……えっ……こ、これはっ!」


 不審に思いながらもソフィアが白杖を手にすると、銀の波紋が月光によく似た淡い光を放ち始めた。

 さらには、店内の明かりがことごとく消え、ソフィアの身体の周囲だけが穏やかに輝き出す。


「やはりそうか……」


 一人で納得したような顔をするドクター・フー。

 しかし、何が「そう」なのか質問する余裕は、ソフィアにはなかった。


「光が……私の、中に……っ」


 ソフィアの魔力は白杖に吸い取られ、その中で冷たい手触りの魔力と混ざり合い、再び白杖からソフィアの全身に流される。

 熱湯と冷水を同時に呑み込み、それが全身の体内を駆け巡っていくのに似た奇妙な感覚。

 つま先から髪の毛一本に至るまで、ソフィアの魔力経路が作り替えられ、白杖と最も調和した複雑な系統が形作られていく。


「……おめでとう、ソフィアくん。その杖はあなたを主と認めたようだ」


 やがて魔力の奔流が収まると、ドクター・フーはそう言って小さく拍手する。

 ソフィアは、まるで生まれ変わったかのような気持ちを抱きながら、手にした白杖をじっくりと眺める。

 声が聞こえたりするわけではないが、白杖は確かに脈打っており、ソフィアが魔力を流すと、冷たい魔力を流し返して答えてくれる。


「ありがとう、ございます……それで、この子のことですけど……」


 不思議な高揚感に身を任せつつ、ソフィアはドクター・フーに顔を向ける。


「ああ、分かっているよ。君にはそれを知る権利があるからね」


 ドクター・フーは芝居がかったポーズで大げさに頷き、カウンターの下から空っぽの箱を一つ取り出す。


「これはその杖の姉妹杖……ウルズが入っていた箱だ。君のはスクルド。共に世界樹の新芽が芯材に使われている」


「世界樹の新芽?」


 初耳の素材にソフィアは首を傾げる。


「ああ、この世の果てに聳え立ち、空を支えているという世界樹。その新芽はエルフの寿命の数千倍の時間に一度しか生えてこないと言われている。ある時、完全に無名だった杖職人・モイラが偶然その新芽を見つけ、二本の姉妹杖を創り出した。それがウルズとスクルド、過去と未来を象徴する"運命の杖"たちだ」


「運命の、杖……」


「歴史上、この姉妹杖の片方を持った者は必ず、もう片方の持ち主と殺し合う運命にあった。最近では八年前、ザクセンブルグの勇者パーティーと魔王が戦った時のことだ。パーティーの魔女と魔王はこの姉妹杖を持って殺し合った。結果は知っての通り引き分けで、両者は奈落の底に落ちて消えた。その時に、運命の杖も消えたはずだった……」


 ドクター・フーはそこで言葉を切り、二つの箱を並べて蓋をする。


「ソフィアくん……君の"眼"が私の思っているものだとしたら、その杖は大いに君の力となるだろう。ただし……」


 ドクター・フーの青い目が、魔力を帯びて深紅に燃え上がる。

 ソフィアの放つ淡い月光に照らされたドクター・フーの影が巨大に伸びていき、天井にまで達して覆いかぶさってくる。

 圧倒的な力の奔流にタペストリーたちは縮こまり、建物全体がガタガタと震える。


「強すぎる力は破滅をもたらす。力に溺れることなかれ。杖と調和し、限界を見極め、常に制御を怠るな」


 地の底から響いてくるような声色は、もはやドクター・フーのものではなかった。

 ソフィアは気おされ、気絶しそうになりながらもその言葉を受け止める。

 一人だったら耐えられなかっただろうが、手の中に感じるウルズの脈動が、ソフィアの背中を支えてくれている気がする。

 

「二つの魔眼を有せし娘よ。運命はそなたを見逃さぬ。降り注ぐ災厄の中にあって、信じるべきは志。そなたの光を見失うことなかれ」


 信じるべきは志。

 その言葉を、ソフィアは強く胸に刻む。

 ルシアという光を追い続け、いつかその隣に胸を張って立つ。

 それこそが、ソフィアの抱く志。


「……よろしくお願いしますね、スクルド」


 ソフィアが決意と共に魔力を注ぐと、スクルドもまた魔力の脈動を返してくる。

 この新しい友人と一緒に、これからも魔術を究めていこう。

 ソフィアがそう誓うのと同時に、ドクター・フーからの圧力が急速に萎んでいった。

 影は縮み、迫力は無くなり、瞳の炎は空色に返る。


「ふぅ……また"予言"が発動してしまったようだ……今日はもう店じまいかな」


 すっかり元に戻ったドクター・フーは、ものすごく疲れた顔をしていた。

 ソフィアは忘れない内に杖の代金をカウンターに置くと、ドクター・フーを真っ直ぐ見つめる。


「あの、ドクター・フー……私、スクルドとがんばっていきます……!」


「フフッ……うむ、がんばりたまえ。ソフィアくん」


 ドクター・フーは代金を受け取ると、パチンと指を鳴らす。

 すると、消え去っていた店内の明かりが戻り、ソフィアの発光もまた治まる。


「それでは、ありがとうございました」


 ソフィアは礼をし、制服の腰についた杖用のホルスターにスクルドを差すと出口へと向かう。


「ヴェルザの娘よ。願わくば、その杖の運命の連鎖を断ち切ってやってほしい。それだけが、師たる私の願いだ」


 外に出て、背中の扉が閉まる瞬間にかけられた言葉。

 ソフィアは「えっ……」と振り返るも、すでに扉は閉じてしまって、店の明かりも消えていた。

 残されたのは、ガランゴロンと鳴り響く武骨なベルの音色だけ。


「……ヴァルダザールに行きましょう」


 きっと再びこの扉を開けても、ドクター・フーに会うことはできない。

 確信にも似た予感を抱いたソフィアは『ヴァンダースナッチ魔術具専門店』に背を向け、人ごみの中へと歩き出した。

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