第55話:それぞれの出会い ルシア編5/5 哀れで、愚かな魔術具師
『それでは末永くよろしくお願いするぞ、わらわの主、ルシア様よ!』
「あ~、うん、よろしくね、メランコリア」
たっぷり一時間も私の全身を撫でまわしたメランコリアは、黒いオーラがすっかり消えた艶々の真っ白なスケルトンになっていた。
「"風よ巡れ、次なる主の懐で、汝は安らぎを得るだろう……風葬・領域併呑・閉"!」
魔術の発動と共にメランコリアの全身が淡い光の粒となり、私の大腿骨に刻まれた魔術陣に吸い込まれていった。
そして、メランコリアの領域もまた、私に近いところから光の粒へと変換され、私の大腿骨に吸い込まれていく。
「……変態だったけど、さすがにすごい魔力量だな」
吸っても吸ってもメランコリアの魔力は尽きない。
もしも骨フェチの変態じゃなかったら、私の"風葬・領域併呑"でも倒し切れたか分からないほどの反則的な魔力量だ。
これだけの魔力を完璧に制御して一つの世界を創り上げる術は、今の私にも思いつかない。
「五百年前に失われた魔術なんだろうな……しかもこれ、闇属性だけじゃなくて、聖女由来の光属性も使ってる……相反する属性の混合領域……興味深い……」
己に注がれるメランコリアの秘儀を分析しながら、私は学術的興奮に打ち震える。
また新しく研究しがいのある領域を手に入れることができた。
「リリスに入ったら資料も豊富になるし、メランコリアを丸裸にしてやろう……もう骨だけど」
今後の期待に胸を躍らせながら、私は美しい光の奔流を眺めるのだった。
そうしてメランコリアを吸収すること三十分、世界の光が消えると共に、私は領域の外へと帰ってきた。
「……ふぅ、無事帰還」
「うおっ、なんじゃ!」
私が吸い込まれたのと同じ場所に突如現れたからだろう、店の奥に座っていたホルン老が情けない声を上げる。
「この杖、買うから」
私はキューブの中から死杖・メランコリアを引き抜き、腰のホルスターに納める。
「なんと……お主、死杖を配下に収めたというのか……」
驚きの表情を見せるホルン老のところに歩いて行って、私は「いくら?」と問いかける。
「金なんて取れんわい……むしろわしが払うべきところじゃろうて」
「私もお金はいらないから、このままもらってくね」
「まっ、待て……その杖の中で起こったことを、どうかわしに教えてくれんか」
「いいけど……代わりにこんな杖を作った理由も教えて」
他人のことにはあまり興味がない私だけど、この杖とはこれから長い付き合いになる。
その出自について知っておくことは、今後何かと役に立つだろう。
「承知した。面白い話ではないが、お主には語っておくべきじゃろうしな……」
ホルン老は真四角の椅子を私に勧め、真四角のカップにお茶を注いだ。
「その杖に宿っておるのは聖女ジャンヌ・ウル・フリューゲルで間違いなかったか?」
「うん。冥府の女王・メランコリアを自称してたけど……黒い魔力をまとう最上位のアンデッドだったよ」
私はお茶を飲みつつ、死杖の領域"転元冥界"の効果についてホルン老に簡潔に話す。
「なんと、魔力の無限循環とは……理論自体は前々からあったが、可能にするだけの魔力量もなければ、術式も謎じゃったのに……」
「メランコリアの魔力量は常識外れだったよ。多分、元から多いのに加えて、領域内で死んだ者の魔力を保持し続けられるんだと思う」
「じゃろうな……聖女ジャンヌは生前、疫病の地で多くの魂を導いたという。その過程で、死者の魔力が彼女の中に蓄えられていったのであろう。あるいはその領域も、生前は正反対の、治癒の力を持った領域だったのかもしれん……」
「あり得るね。死の怨嗟でアンデッドになってから、自身の領域を書き換えた……不死者なら、研究期間はいくらでもあったろうし」
「それに、治療術式の多くは術者の魔力で働きかけることにより、対象者自身の魔力の循環を促すといったものじゃ。言い方を変えれば、聖女ジャンヌは魔力循環のスペシャリストだったことになる」
今現在も世界では争いごとが絶えないが、聖女ジャンヌの生きていた時代は"暗黒時代"と呼ばれる特に激しい戦乱の世だった。
そこで名を上げるほどに他人を治癒し続けてきたのなら、魔力循環について誰も知らぬ境地に辿り着いていてもおかしくはない。
(中身はあんなだったけど、ちゃんと聖女やってたんだな、こいつ……)
私が死杖の黒い表面を撫でると、ゾクゾクと震えるような魔力が指先から返ってきた。
きっとまたメランコリアが絶頂しているのだろう。
やっぱり度し難い変態だ。
「それにしてもお主、よく聖女ジャンヌを
「あ~……ちょっと特殊な事情でね」
私は領域内での出来事について、かいつまんでホルン老に語って聞かせた。
湧き出してくるスケルトン、"風翔"による空中戦、大魔術(超級とは言わないでおく)での一掃と、無限ループの開始。
「ダメかもって思ったんだけど、メランコリアが戦闘中に私の顔に惚れちゃってね。それで決着になったわけ」
「か、顔に惚れ……?」
それまでいたって真面目に魔術戦の話をしていたのに、突然とんちきなことを言われてホルン老が困惑の声を出す。
私は「そう。私の顔面、良すぎるんだ」と言って仮面を外した。
「なっ、なんと……こ、これが人の顔か……女神では、ないのか……」
ホルン老は今日一番の驚いた顔をして、椅子にもたれかかったまま動かなくなった。
心臓が止まっちゃったのかと思って一応手首の脈を取るが、まだ死んではいないらしいので放置する。
「……あー、いや……すまぬ……取り乱したわい……」
たっぷり五分ほど呆けてから、ホルン老は意識を取り戻した。
ばつの悪そうにお茶をすすり、「頼むから仮面をつけてくれ……老人には刺激が強すぎるわ」とそっぽを向きながら言う。
私は仮面をつけ直して、「まあ、私とメランコリアの話はこんな感じかな」と肩を竦めた。
「決め手が顔の良さとはのう……杖は主を選ぶものじゃが、こんな直接的な理由は聞いたことがないわい……」
ホルン老はお茶を新しく注ぎ、遠い目をしながらため息をつく。
「あの顔の良さではそういうこともあるか……何にせよ、お主が無事でよかったわい……」
どうやら私の顔を見たことで、ホルン老は一応納得してくれたらしい。
厳密には頭蓋骨の良さが決め手だったんだけど、ややこしくなるので黙っておくことにする。
私が元S級冒険者の"死領域"だとバレたらまずいから、超級魔術が使えることや、"風葬・領域併呑"のことも当然ナイショだ。
メランコリアの骨フェチ云々のことも、聖女の名誉を鑑みて黙っておいてやることにした。
(あのキモい奴が自分の杖に宿っているなんて知られたくないしね……)
「さて、今度はわしが死杖……いや、ルシア殿の杖・メランコリアを作った理由を語る番じゃな」
ホルン老は滔々とした口調で語り出す。
「わしはエスパス王国キューブリック子爵家に長男として生を受けた。魔術の腕前はそこそこじゃったが、理論魔術学と魔術具制作においては、幼少期からかなりの才能を発揮しておったよ……」
七歳の時、ホルンはラ・ピュセルに渡り、著名な領域魔術の使い手カストル・ボルックス師に弟子入りする。
そこで出会ったのが同い年のエドモンド・ガルドスだった。
二人は共にエスパス王国の子爵家の長男ということですぐに打ち解け、ライバルにして一番の親友となった。
その後、二人はリンド・ゴルデバルグ魔術専門学園に入学、寮ではルームメイトとなりさらに友情を深めていった。
「わしは入学祝いとして、二本の杖を作った。一本のカムロヤナギから芯材を取った兄弟杖での、魔術の行使には向かぬが、魔力を込めると自身の居場所を兄弟杖に知らせることができる品じゃった」
お守り代わりとしてこの杖を持った二人は、変わらぬ友情を誓って勉学にまい進した。
そして十九歳になる頃には、『理論のホルン、実技のエドモンド』と並び称されるまでになった。
「卒業祝いにまた杖を作ろうという話になった。わしはすでに若手杖職人として名が知られていてのう。エドモンドもまたB級冒険者"闇纏い"として活躍しておった。若きわしらは自分たちにできないことなどないと信じていた」
ホルンは最強の闇属性の杖を作るべく、エドモンドと共に古い文献にあった"不毛の荒野"を目指した。
ホルンの見立てでは、そこには聖女ジャンヌの亡骸がいまだ眠っており、その骨を芯材に使えばエドモンドの得意な闇属性魔術を大幅に強化できると踏んだのだ。
「"不毛の荒野"はアンデッドの巣窟となっておった。じゃが、エドモンドの攻撃魔術に加え、わしのアンデッド避けの魔術具は完璧でな。やすやすと中心地に辿り着き、ついには"堕ちた聖女"のものらしき肋骨の骨片を発見したのじゃ」
なお、帰りにはなぜかアンデッドは一体も出現しなかったらしい。
「ラ・ピュセルに帰還すると、わしは授業そっちのけで"堕ちた聖女の肋骨"の研究に没頭した。エドモンドもこの冒険の功績でA級冒険者となり、さらにその名声を高めていった……この時が、思えば最後の栄光の時期じゃった」
そうしてリンド・ゴルデバルグ魔術専門学園の卒業式当日、ついに一本の杖が完成する。
最後の工程をエドモンドと共に祝福しようと、二人は秘密の共同研究室に集まった。
「何が起こったのかは分かるじゃろう。わしは一度だけ見逃されたが、エドモンドは杖の領域に吸い込まれてしまったのじゃ。兄弟杖が魔力を発している間、わしはエドモンドの無事を祈り続けたが、やがてその反応もなくなった。わしにできることは杖を結界に閉じ込め、人目から離して封印することだけじゃった」
半身とも言ってよかった大親友を亡くしたホルンはその後、リンド・ゴルデバルグで領域魔術の研究に打ち込んだ。
すべてはエドモンドともう一度会うために。
「お主も知っておろうが、死者を蘇らせる魔術は存在しない。闇属性の死霊術が創り出すアンデッドたちも、正確には蘇った死者ではないからのう」
アンデッドは、魔力で死体を動かされているスケルトンのようなものと、生前の魂が何らかの影響で歪んで拡散せず留まってしまったメランコリアのようなものに分けられる。
前者は注がれた魔力が魂の代わりとなっているだけで生前の魂はもはや失われており、後者は魂の拡散を魔力で抑えているだけだから厳密にはまだ死に切れていない。
つまり、どちらも蘇っているわけではないのだ。
「じゃが、その杖の領域内からは魔力が漏れない。魂が領域内で拡散していても、領域外に魔力で包んで取り出せば何とかなるとわしは考えたんじゃ」
実際ホルンのアイデアはかなりいい線を行っていたはずだ。
領域内にいたマギカ・スケルトンたちは、メランコリアの魔力をこそ使ってはいたが、生前の記憶にしたがって魔術を行使していたように思う。
つまり、記憶が刻まれた死者たちの魂は、いまだ領域内に留まっているはずなのだ。
「……ホルン老、あなたのキューブは、魂を取り出す手段だったんだね」
「その通り……すべての結界の中で、魂に対してはこの六面体が最も安定性に優れておる。とはいえ、お主の話を聞いたら一つ結論が出てしまったがの」
ホルン老は胸元から一本の古びた杖を取り出して、カウンターに置いた。
それは恐らく、カムロヤナギの兄弟杖だろう。
「マギカ・スケルトンたちは最大でもC級魔術しか使わなかったと言ったな? そして、砕いてもマギカ・スケルトンとして問題なく復活したと」
「そうだけど」
「ということは、そ奴らはもはや生前の記憶など持っておらぬ、ただの器だということじゃ。本来、生前の魂を刻まれたスケルトンは生前と同じ位階の魔術を使いこなし、骨を砕かれれば永久に魂を失う。じゃからして、"転元冥界"のマギカ・スケルトンたちはC級魔術"までしか"使わないのではなく、C級魔術"しか"使えないのじゃよ」
ホルン老の意見が正しければ、"転元冥界"のスケルトンは二種類いるアンデッドのうち、後者に見えて前者だということだ。
すなわち、死に切れていないように見えてその実、すでに魂は失われている。
「じゃあ、マギカ・スケルトンの高い魔術練度は何だったの。『この領域で朽ちた者たちの成れの果て』ってメランコリアは言ってたけど……」
「生前のC級魔術の記憶だけを残し、他は捨てたのじゃろう。そしてその記憶を魔力で包み、骨でなく領域内の魔力に漂わせておるのじゃ。こうすれば、記憶を砕かれぬ限り何度でもマギカ・スケルトンを呼び出せる」
つまり、"転元冥界"内にはシャボン玉のように魔力で包まれた"C級魔術の記憶"が浮かんでいることになる。
元々魔力に溢れた空間だ。
戦闘していて目に見えるマギカ・スケルトンを砕いても、その後拡散していく魔力の中から"C級魔術の記憶"を見つけるのは仕組みを知っていても難しい。
「魂の情報量は一人分でも膨大じゃ。"転元冥界"ほどの領域を維持しつつ、百体もの魔術使いの魂を完璧に保存するなどできようはずがない……"C級魔術の記憶"を保持できておるだけでも、歴史に残る大手柄じゃわい……」
ホルン老は遠い目で「わしの半世紀は、なんじゃったのか……なあ、エドモンドよ……」と呟いて、椅子に深く沈み込んだ。
老けてはいたが快活な印象だったホルン老だが、今は気力も何もかも失って枯れ木のようになってしまっている。
「……話も済んだし、私は行くね」
私はホルスターのメランコリアをそっと撫でると、すっかり冷えたカップのお茶を飲み干してから立ち上がる。
「あぁ……エドモンド……」
ホルン老の目はもはや私を見てはおらず、過ぎ去った昔をひたすらに映していた。
魔術具師が、自ら生み出した杖に苦しめられる。
哀れで、愚かな魔術具師の末路なんて、見ていて気持ちのいいものじゃない。
「杖の代金、やっぱりここに置いていくから」
私は真四角のテーブルに、古びた一本の杖を置く。
それはさっきメランコリアを撫でた時、「カムロヤナギの杖があったらちょうだい」と頼んで領域内から出してもらったものだ。
なおメランコリアは『ルシア様からの初めての頼み事ぉぉお! んほぉぉお!』と奇声を上げていたので、速攻でチャンネルを切断した。
「……せいぜい長生きしなよ」
私が杖を置いたことにも気づかずに呆けるホルン老にそう声をかけ、私はキューブだらけの変なお店を後にした。
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