第52話:それぞれの出会い ルシア編2/5 死杖のカラクリ

「……ここが死杖の領域……殺風景だな」


 気が付くと、私はどこまでも続く黒い土の荒野にいた。

 空は禍々しい黒紫の雲に覆われ、地上には草一本生えていない。

 わずかに見えるのは四角くて小さな石碑の集団で、それがいくつかの小島みたいに群生していた。


「手だけって言ってたけど、まさか全裸とは……」


 股間の辺りがやけにスースーするからって身体を見下ろすと、そこにあったのは一糸まとわぬ生まれたままの姿。

 仮面もなくなっており、髪を縛っていたヒモでさえも跡形もなく消えている。

 おかげで、太ももくらいまでの髪がサラサラとなびいて動くたびにうざったらしい。


「とりあえず隠すか……"吹き荒"……あれ?」


 風魔術で邪魔な髪を胸と股間に巻き付けてしまおうとしたところで、私は違和感を感じて詠唱を中断する。


(……もしかして)


 その違和感に覚えがあった私はもう一度、今度はじっくりと全身の魔力を手の平に集めて同じ魔術を使ってみる。


「"吹き荒ぶ風よ、我が意思に応え舞い踊れ、風織"……やっぱり、術が発動しない」


 魔力が集まり、イメージが形作られ、実際に現象として発現する。

 この「起動、設定、発動」のプロセスの中で、設定までは問題なく処理された。

 しかし、最後の発動の時点で、何らかの原因により私の魔力は拡散してしまった。


「さすがは固有魔術……でも、それならそれで対処法が……——っ!?」


 魔術が発動しない理由にいくつか見当をつけた私は、さっそく対抗策を実験しようと試みる。

 すると、それを阻むかのように突然、猛烈な風が吹いて来た。

 私は両腕を顔の前で交差して縮こまる。


『わらわの領域を侵せしは誰ぞ?』


 刹那の後に風が止み、荒野に年齢不詳の女の声が響き渡る。

 同時に、私の前方約十メルケルの地面が突如として円形に崩れ落ち、底なしの暗い陥没穴が出来上がる。


「……来るか」


 ゴゴゴゴゴ、と獣のようなうなり声を響かせながら、地の底から無数の白骨化した手が現れる。

 それらは穴の縁をしっかりと掴み、一斉にグッと何かを引っ張り上げるように動く。

 そうして持ち上がってきたのは、骨でできた巨大な玉座。

 背後には幾本もの背骨を使った円形の光輪、尺骨の手すりの先には無数の頭蓋骨、背もたれ部分は外に向かって開かれた大きな肋骨で、脚にはそのまま無数の足の骨が使われた、実に悪趣味なものだ。


『わらわこそは死の化身。冥府の女神・メランコリアである』


 そしてその玉座に腰掛けるのは、黒い靄をまとった一体のスケルトン。

 虚ろな眼窩には紫の炎が燃えており、全身から膨大な闇属性の魔力が迸っている。

 頭には金の王冠を被り、細すぎる首には妖しげな気配のする黄金の首飾りを下げ、両手の十本の指にはそれぞれ金の指輪がハメられていた。

 私が一番嫌いなタイプの、いかにも権力者っぽい見た目だ。


「私はルシア。あなたが杖の主?」


『いかにも……しかしまあ、強大な魔力を感じて出て来てみれば、これまた随分と見目麗しい小娘ではないか!』


 メランコリアはふんっと鼻で笑ってふんぞり返る。


「……私の顔、美しいだけで済むんだ。気絶したり、惚れてくれてもいいんだよ」


『ふっ、ふはははは! 生前の私なら、あるいは跪いてそなたの足に口づけでもしていたかもしれんがな!』


 メランコリアは大笑いし、自らの頭蓋骨の表面を撫でる。


『そなたも死すれば気づくであろう。その美しさは、あくまで表面上のまやかしに過ぎぬということに!』


 私の良すぎる顔の威力は、どうやら死者には半減するらしい。


「……それで、私の杖になる気はある?」


 死者と長々とおしゃべりする趣味はない。

 さっそく本題を切り出すと、メランコリアは手すりに肘をつき『あるわけなかろう』と言い捨てる。


「だよね。じゃあ、力づくかな」


『面白い。やってみせよ、小娘……"出でよ、死の軍勢"!』


 メランコリアの力ある詞と同時に頭上の雲が渦を巻き、巨木のように何本ものまとまりとなって次々と大地に根を下ろしてくる。


(魔力の流れ的に、黒紫の雲ぜんぶがメランコリアの魔力そのものか……そして、大地が魔術陣……となると、下か!) 


「ふっ!」


 咄嗟に魔力の流れで攻撃を呼んだ私は、思い切り宙へと跳び上がる。

 次の瞬間、私の立っていた場所を白刃が水平に通過していった。

 その一撃は、地面から生えたスケルトンの腕が持つ剣による凪払い。


『ちっ、まずは足を斬り飛ばしてやろうと思ったが……まあよい』


 私は狙いをつけて落下し、スケルトンの握りの部分を蹴って剣を地面に叩き落す。

 そうしている間にも、次々と周囲の地面が盛り上がり、手に手に武器を持ったスケルトンの戦士たちが地の底から湧き上がってくる。


「"風翔"」


 私は対策を施したやり方で力ある詞マギカルーンを詠唱するが、やはり魔術は発動しない。


「……ちっ、発動阻害系じゃないのか」


 私は舌打ちしつつスケルトンが落とした剣を拾って、全身が現れる前のスケルトンを近い者から撃破していく。

 だが、数が多すぎて焼け石に水な上に、片腕だけの状態でも剣を振るってくる者もいるため、二手、三手と攻撃が遅れる。

 ソフィアくらいの剣の腕前であればそんな反撃ものともしないのだろうが、私の剣術の腕前は素人に毛が生えた程度。

 おかげで、五体ほどのスケルトンを倒した時には、辺り一面すっかり真っ白の骸骨に囲まれてしまっていた。 


『わらわの領域で魔術は使えん! 大人しく、そのまま剣の錆となれぃ!』


 メランコリアの命令に従って、スケルトンが一斉に突撃してくる。 

 一体一体はF級のスケルトンだが、これだけの数に包囲されると私の剣術ではどうしようもない。

 とすればここは、魔術しかない。


「発動がダメなら起動……"風翔"!」


 次の瞬間、ガギンッと無数の刃物が打ち合わされる轟音が荒野に響く。

 十数体のスケルトンによる剣撃の檻が、ネズミ一匹逃さないほどの密度で降り注いだのだ。


「……ふぅ、あそこにいたら、三百枚くらいに下ろされてたな」


 私は五メルケルの空中から、さっきまで自分がいた場所に咲いた丸い剣の花を見下ろす。

 見渡す限り、荒野はスケルトンで埋まりつつあった。

 こうしている間にも、黒い地面からはどんどん白い骸骨戦士が湧き出してきている。


『なぜだ! なぜ魔術が使えておる!』


 メランコリアが玉座から立ち上がり、私に向かってキンキン声で吠える。


「さて、なぜでしょう」


 私はわざとらしく肩を竦め、メランコリアに右の、地上に左の手の平を向ける。


「"風嵐""風檻"」


 私の体内の魔力が迸り、右手から猛烈な勢いの風がメランコリアに向かって放たれる。

 同時に、左手からも地上に向けて風が放たれ、地面にあたった瞬間に弾けて四方に風の壁が広がっていく。


『ぬぅ! "骨よ我が元に"!』


 メランコリアは素早く自らの前方に手をかざし、力ある詞を捉える。

 すると無数のスケルトンがメランコリアの前に並び、私の風を遮る巨大な骨の盾となった。

 私の"風嵐"はその盾を半壊させて消滅する。


『そなたっ……ぐっ、ぐぁぁああ!』


 私の"風嵐"が消滅した直後、何か言おうとしたメランコリアは大量のスケルトンの飛来を受ける。

 そして、なすすべなく白い津波に呑まれてもみくちゃにされる。


「どうよ!」


 メランコリアを巻き込んだのは、私の"風檻"が作り出した、圧縮されたスケルトンたちの壁だった。

 足下で一瞬で四方に広がった"風檻"が、五十メルケル四方のスケルトンたちをまとめて吹き飛ばしたのだ。

 最初に目隠しの"風嵐"を打ってから、絶妙な時間差の"風檻"による追撃。

 我ながら美しい連携攻撃だ。

 数百のスケルトンが同時に飛んでくる圧力はすさまじく、半壊した骨の盾では耐えられるはずはなかった。


「……まだ、立てるんだ」


 百メルケルほどの距離で、バラバラになった骨の中からメランコリアが立ち上がったのが見えた。

 その全身に闇属性の魔力を漲らせ、『許さぬ……許さぬぞぉぉぉおっ!』と吠えている。

 少しはダメージを与えられたはずだけど、その身体に欠けた部分などは見当たらない。


「"風嵐""風乱舞"」


 ここは押し切るのが吉。

 私は両手をメランコリアに向けて、連続して魔術を放つ。

 猛烈な風が右手から、左手からは無数の竜巻が発生し、共にメランコリアに向けて突撃していく。


『こざかしい! "骨竜"!』


 メランコリアの魔術を受けて、飛び散った骨たちが集って巨大なスカルドラゴンが現れる。

 私の"風嵐"はその前腕を吹き飛ばすも、竜本体を貫くにはいたらない。

 足の遅い"風乱舞"の竜巻はスケルトンこそ無数に吹き飛ばすが、スカルドラゴンは軽やかな動きでそれを避け、私に向かって突進してくる。


「想定内……"風爆"」


 その一言ですべての竜巻が激烈に弾け、スカルドラゴンもまた木っ端みじんに吹き飛んだ。


『……そなた、この短時間でわらわの領域の仕組みを見抜いたというのか?』


 スカルドラゴンで時間稼ぎしている間に大量の骨を足場にし、私と同じ高さまで浮かび上がったメランコリアが神妙な声色で尋ねてくる。


「魔術阻害は大抵が発動拒否。でもこの領域は違う。起動時に、こっそり外部からあなたの魔力を混ぜている」


 私の指摘にメランコリアは『ぐっ……』と図星をつかれた情けない声を上げる。


 たとえば、薪にマッチで火を点けるという行為を魔術に当てはめて考えてみよう。

 一般的な発動拒否は、マッチに火が点いた瞬間、それを吹き消して薪に移らないようにするイメージだ。

 それに対し、メランコリアの魔術阻害は、そもそも薪とマッチに水を含ませるイメージの阻害だった。


「魔術の発動に必要な魔力量の一部が、あなたの魔力によって補われる。だけどそれは発動時に姿を消すから、魔力が足りずに発動しない。分かってみれば単純なカラクリ」


 つまりは足りない分だけ、最初から余計に魔力を注げばいいのだ。

 ネタは割れたが、考えれば考えるほど、この魔術阻害はよくできている。

 熟練の魔術使い者であればあるほど、効率よく魔力を集めてピッタリの魔力量で魔術を放つ。

 その際、自分の魔力を使っていると誰もが無意識に思っているため、この阻害に気が付かず、必ず虚を突かれてしまうのだ。


「私を全裸に剥かなかったら、最初ので殺れたかもしれないね」


 髪で身体を隠そうとしたからこそ、私は魔術阻害に気が付いた。

 足払いの一撃が来た時、私は魔術で浮けないと分かっていたから自ら跳ぶことができたのだ。


『侮るな小娘! 魔術阻害など、わらわの領域の入り口でしかないわ!』


「言われなくても分かって——っ!?」


 メランコリアの怒声に言い返そうとした瞬間、私は背筋にゾクリと来るものを感じ、咄嗟に風を起こして自分を飛ばし、その場を回避する。

 直後、私のいた場所を炎の球体が通過していった。

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