第51話:それぞれの出会い ルシア編1/5 奇妙すぎる魔術具専門店

 私はとりあえず人ごみを避け、オーシック通りの入り口のアーチに寄りかかる。


(さっきの"風舞"、いい反応はいくつかあったけど、それよりも、ものすごく拒絶してきた奴が気になるな……)


 オーシック通りを隅々まで抜けた私の魔力に対して、ほとんどの杖は好意的だった。

 しかし、通りの半ばほどで一本だけ、私の魔力を感じた瞬間に思い切り反発してきた杖があったのだ。


(杖と仲の悪い魔術使いなんて聞いたことないけど……あれだけ拒否されると気になっちゃうよね……)


 私は件の杖を目指して、できるだけ人ごみを避けながらオーシック通りを歩いていく。

 道の真ん中を歩くのは自殺行為だけど、道の端に寄りすぎてもお店を覗き込んでいる人にぶつかってしまう。 

 さらには時折、私と同じく杖を探す魔女見習いが一方向だけを見つめて猛烈な勢いで駆けてくるため、空いている道を歩いていても気が抜けない。


「……まるでA級ダンジョン……いや、それ以上だな」


 私はこれまで冒険してきた最上級のダンジョンを思い出しながら慎重に歩を進め、十分かけてようやく通りの中ほどまで到着する。


「ここか……『キューブリック魔術具専門店』、変なお店」


 お目当てのお店は、黒い金属の立方体キューブを積み上げるという非常識な造りをしていた。

 キューブは一辺が二メルケルで、ところどころ微妙にずれながらも縦横にそれぞれ四段重ねられている。

 さらに、各段には出窓みたいにキューブがはみ出していたり、一階入り口のように逆に凹んでいる部分もある。

 それに加えて、お店のどこにも窓の類は見当たらず、外からはお店の外観以外何の情報も得ることができない。


(このキューブは……アルマタイト鉱石か。外からは魔力を通して、内に閉じ込める性質……それなのにあれだけ反発を感じたってことは、相当すごい杖なのかな?)


 ひとしきりお店を観察して分かったのは、このお店の設計者がかなりの偏屈者だってことだ。

 商売としてどうなんだって感じだけど、これだけ店内の情報を一切外に漏らさないからには相応のお宝が眠っているに違いない。

 それにこのお店の造り、私の読みが正しければおそらくは……。


「……行って、確かめるしかないか」


 普通の魔女見習いなら絶対近寄りたくないお店だけど、人がいないってことは私にとってはむしろ望むところだ。

 私は凹んだ入り口にある正方形ドアの正方形ドアノブを握り、思い切って店内へと足を踏み入れる。


「うわぁ……」


 そこは、想像していた以上に奇妙な空間だった。

 まず、床も壁も天井も、すべてが黒と白のチェック模様で統一されており、電灯や椅子、棚など目に付く家具もすべてが正方形だ。

 さらに、結界によって魔術具を閉じ込めている大小さまざまなキューブが、店内を不気味に浮遊している。

 人の姿は見当たらないが、杖は何本も見ることができる。

 私はとりあえず探し物を求めて店内を歩き始める。


「これは……違う。こっちも……違う」


 ここでも魔術を使えば発見は早いだろうが、さすがに許可なしでお店の中で魔術を使うのはマナー違反が過ぎる。

 私ですら、そのことは重々承知している。


「何じゃお主、リリス生か」


 ふと、お店の奥からしわがれた老人の声が聞こえた。

 私は立ち止まってカウンターらしき正方形の台に目を凝らす。

 しかし、そこには正方形の時計と正方形のカレンダー、正方形の金庫があるだけで人間の姿はない。


「……おかしいな」


 聞き間違えだったのかとカウンターから目を離し、再び目の前のキューブを調べようとした時だった。


「ここじゃよ、ここ」


 私のすぐ真後ろから老人の声が聞こえてきた。


「——っ!」


 私は反射的に地面を転がりつつ、自分の周囲に領域魔術を展開する。

 私の後ろをこうも簡単に取るとは、只者じゃない。


「なぁにをやっとるんじゃ。客を襲う店主がどこにおる」


 そこには、白黒のチェック模様が描かれた魔術師衣装で身を覆った、一人の翁が立っていた。

 驚くことに、彼は手や顔など露出している皮膚すべてにも白黒のチェック模様を刺青しており、頭には白黒チェックの正方形帽子をかぶっていた。


「……驚かせないで」


 私は領域魔術を解除しつつ、ほこりを払って立ち上がる。


「驚かせてなぞおらんわ。ただ"同類"と見えたからからかっただけよ。のう、領域魔術の使い手よ」


 チェックのせいで表情はよく分からないけれど、どうやら老人はニヤリと笑ったらしかった。

 彼はひょこひょこと歩いてカウンターに行くと、正方形だけで構成された椅子にドカッと腰を下ろす。


「やっぱりここ、領域だったんだ」


「うむ。わしの半世紀にもおよぶ研究の成果よ。立ち話もなんじゃ、茶でも飲みながらじっくりと領域魔術について語り合わんか」


「いい。杖を探しに、来ただけだから」


 断ると、老人は心底残念そうな声で「つれないのぅ……」と落ち込み、正方形のポットから、正方形のカップに紅茶を注ぐ。


「まあ、自己紹介だけでもさせとくれ。わしは"六方秩序"のホルン・キューブリック。五年前までリンド・ゴルデバルグ魔術専門学園で理論魔術学の教授をしておった」


 その言葉に、私の意識は一気に杖から老人へと移る。


「あなたが"六方秩序"……っ! 私はルシア、よろしく」


「おお、リンド・ゴルデバルグの方ではなくそっちに反応するとは、さすが領域仲間じゃわい」


 ホルン老は嬉しそうに笑って紅茶に口を付ける。

 リンド・ゴルデバルグ魔術専門学園とは、男子だけが通える『魔術専門学園』の中で、ラ・ピュセル随一と言われる地位にある学園である。

 ちなみに、共学の場合は単に「魔術学園」と言う。


「"六方秩序"のホルン・キューブリックといえば、付与魔術の術式の平行記述において多大な功績を残した魔術師。術式間の反発を抑え、二つまでしか分かっていなかった付与術式の効果の安定を、四つにまで拡張した。その"平行記述の安定性理論"は、今や付与魔術の根幹となっている……知らないわけない」


 三十年前まで、付与術式は理論上、一つの物体に二つまでしか付与できないとされていた。

 しかし、現実ではなぜかごく稀に、一つの物体に四つまで術式を付与できることがあると確認されていた。

 この謎の現象を理論的に解明し、誰でも練習すれば四つまで付与できるようにしたのが"平行記述の安定性理論"だ。

 たとえば、初対面のソフィアがハメられていた手枷にも四つの術式が刻印されていた。

 あれが当然のように可能だったのは、目の前の老人が三十年前に提唱した理論が正しかったからなのだ。


「よく勉強しておるようじゃ。それに、領域魔術のその精度……どうもお主は特別なようじゃな」


 ホルン老は多分だけど目を細め、品定めするような視線を向けてくる。


「……五つ以上の平行記述における最大の障害は?」


「互いへの干渉。平行安定性の問題から、可能であるなら実験では偶数が望ましい」


「セントバーナード現象への対処は?」


「通常は無視。閾値を超えたら魔力循環の一旦停止。領域解除は悪手」


「領域特異点は最大でいくつじゃ?」


「三つ。理論では五つ」


 突然始まった領域魔術に関する問答に、私は淡々と答えていく。

 そして、三つ目の質問に答えると、ホルン老は「ほっ!」と手を叩いて、多分だけど満面の笑みを浮かべる。


「新入生でこれほどの逸材とは! 領域魔術の未来は明るいわ!」


 質問の難易度は初級、中級、上級といった感じで、最後のは魔術女学園の卒業生レベルをゆうに超えていた。


「……お褒めの言葉は嬉しいけど、そろそろ杖、探していい?」


「おう! すまんかったのぅ、好きに探るがよい。わしは足が悪くての、ここで見ておるわ」


 ホルン老の許可も得たところで、私は再び"風舞"を発動する。

 

「……そこか」


 すると案の定、反発はすぐに返ってきた。


「ほう、お主……そうか、そやつを探しに来ておったのか」


 ホルン老がどこか寂しげにそう言うのをしり目に、私はカウンターの右手側に浮かんでいるキューブの前に立つ。

 およそ私の目線くらいの高さに浮かぶキューブは一辺が三十センチメルケルくらいで、枠は金属、面は半透明のガラスでできていた。

 その中には六方のどの面にも触れずに、一本の黒い杖が斜めに浮かんでいる。


「このキューブ、ブラックミスリルにアルマタイト鉱石の粉末で魔術陣……ガラスはこれ、楽園の砂が混ぜられている?」


「良い見立てじゃ。さらに芯材にロストアーク、ガラスには霧雨の結晶も混ぜられておるがの」


 ホルン老の補足を踏まえて魔術陣を読み解けば、このキューブが杖を封じるための結界兼金庫だと分かる。

 だけど、こうまでして一本の杖を封印しているなんて状況、見たことも聞いたこともない。


「この杖の構成は?」


「……アカシアの木を基本に、コーティングは東方の神仙漆、ブラックミスリルの粉末じゃ」


「魔力を込めやすそうだね。芯材は?」


 杖において、芯材は最も重要は素材だ。

 ホルン老が挙げた先に素材はすべて杖の外部のもので、これは魔力変換効率に関係している。

 一方芯材は、杖がどのような魔術を得意とし、何を苦手としているかを左右する。

 人間でいえば前者は外見で、後者は内面である。


「それは……」


 杖を探す場合には絶対に聞かれる質問。

 それなのにホルン老は言いよどみ、しばらく黙り込んでから、多分だけど笑顔を浮かべて言う。


「のう、ものは相談なのじゃが……別の杖で手を打たんか。この店のものはなんでも無料でお主にやろう」


 突然の提案に、私はどうしたことかと内心驚きつつも首を横に振る。


「イヤ。この杖を試させて」


「では、別の店の杖でも良い。わしが全額払うと約束しようではないか」


「無理。この杖を触りたい」 


「どうしてもか?」


「どうしても」


 私が頑なに拒否し続けると、ホルン老は深いため息をついて立ち上がる。


「わしはな、いきなり心変わりしてそやつを売らんと言ったわけじゃない。むしろ、お主が聡明な魔女見習いだと見込んだ上で、そやつは諦めてほしいと頼んでおるんじゃよ」


「どういうこと?」


「……その杖は、固有魔術を宿しておるのじゃよ」


「……ウソでしょ?」


 ホルン老の言葉に、私は耳を疑う。

 固有魔術とは、魔術使いの中でもごく僅かな者だけが辿り着ける魔術の極地。

 その本人にしか再現できない、奇跡にも等しい最高位の術技のことである。

 稀に固有魔術を宿す野生の魔獣は存在するが、そもそも杖は無生物であり、自ら技術の研鑽だってできない。

 それがどうして固有魔術を宿せるのか、考えられる可能性は一つしかない。


「お主の目……わしがその杖に固有魔術を宿らせたと思っておろう。だが、違うのじゃ」


 ホルン老はゆっくりと歩きながら語る。


「わしが杖を作っておる時には、何もおかしなところは見当たらなかった。それが、杖として完成した瞬間にはもう、その杖には固有魔術が宿っておったんじゃ。まるで初めからそうであったかのように」


「で、なんで封印を?」


「うむ。そやつの固有魔術は領域魔術なんじゃよ。それ故か、触らん限り発動はせん」


 ということは、触ったらその領域魔術が発動し、とんでもないことになるというわけか。


「わしは最初の一回で杖から言われたのじゃ。『わらわを目覚めさせてくれて礼を言うぞ、生者よ。それに免じて、一度だけそなたを見逃してやろう』とな」


 ホルン老はそう言ってキューブの縁に手を置き、「"混沌の闇よ、遍く星を退け、魔を除く深遠の鏡体となれ、オキュラスミュラー"」と、力ある詞を唱える。

 すると半透明だった結界のガラスがたちまち透明になり、その表面にまるで水面のようなさざ波が立つ。


「この"死杖"は別の魔術具の干渉をことさら嫌う。じゃから、鏡面を通るには素手にならねばならん」


 ホルン老の言葉に従って、私は指輪を外して袖をめくる。

 死杖が探知の際に私の魔力に反発したのも、干渉されたと思ったからなのだろう。

 そう考えると、アルマタイト鉱石と結界に囲まれた死杖まで探せた私の魔術はかなり冴えていたことになる。


(というか、それくらいできないと"資格"がないのかもしれないな……)


 まさに『杖との出会いは運命であり、杖が持ち主を選ぶ』というわけだ。


「これまで、百を超える魔術使いが死杖に呑まれた。みな魔術の腕前はもちろん、精神的にも優れた者たちばかりじゃった。中には複数の見習いたちも含まれる。だからのう、やはり諦めてはくれぬか。わしはこれ以上、輝かしい未来を前にした若者が散っていくのを見ておれんのじゃ……」


 ホルン老の嘆きは、長く学生を教えてきた教授としての悲痛に満ちたものだった。

 けれども、力ある魔術使いならば死杖を前にしては我慢できないということもまた、十分理解しているのだろう。

 その目は、死杖を生んでしまった者の自責の念と、深い諦めの色で染まっていた。


「そんなに曰く付きなら、処分するなり、捨てるなりしなかったの?」


「したとも。だが、あらゆる魔術は通じず、捨ててもいつの間にか戻って来おった。わしにできるのはこうやって封印し、さらに探知され辛い環境に置いておくことだけなのじゃ……」


 ホルン老はきっと、高名な領域魔術の使い手として、理論魔術学の教授として、一人の魔術師として、死杖を生み出した責任をずっと取ろうとしてきたのだろう。

 だが、彼の努力もむなしく、私のような存在が呑まれては果てていく。


「哀れだね。あなたは」


 魔術具師が、自ら生み出した杖に苦しめられる。

 同情する気持ちもないではないが、そんなものを作り出してしまったのは自業自得だし、制御できないのは完全にホルン老の落ち度だ。

 彼は私に語らないだけで、明らかに何か意図を以って死杖を作ったに決まっている。

 芯材を語らないことや、国家などに相談して対処していないであろうことがその証拠だ。

 だから、罪悪感に苛まれ続ける羽目になっている彼にかける言葉は、哀れか、愚かしかない。


「……返す言葉もないわい」


 うな垂れるホルン老に見せつけるように、私は鏡面に白い手をくぐらせる。

 ひんやりと冷たい感触襲ってくるが、皮膚が濡れるようなことはなく、私の手は結界の中に受け入れられた。


「まあ、いいよ。あなたの苦しみは今日、終わるから」


 私は絶対の自信を持ってそう宣言する。

 大陸三強国家の一翼・エルグランド王国において、最強とされる勇者パーティー、そこで唯一のS級魔術使いとして、私は三年間戦った。

 通常の魔術の腕もだけど、こと領域魔術において"死領域"が負けることなんてありえないし、あってはいけない。

 すご腕の魔術使いを百人以上ほふってきた謎の固有領域魔術。

 私のプライドと存在、そのすべてを賭けて戦うには相応しい相手だ。


「……最後に教えて」


 死杖に触れる寸前で手を止め、私はホルン老を真っ直ぐに見つめる。


「死杖に使った、芯材は?」


 ホルン老はおそらく悲壮の表情を浮かべ、告げた。


「堕ちた聖女の肋骨」


 次の瞬間、私の意識は死杖の内部へと吸い込まれていった。

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