第3章:リリス魔術女学園入学試験

第33話:いざ、リリス受験へ!

 受験当日は雲一つない晴天となった。

 朝の魔力制御を終えた私は、ソファに座って勉強しているソフィアに指輪を渡そうと近づく。


「けっこういい調整になったはずだよ」


 そう言ってソフィアの手に指輪を置こうとすると、ソフィアはくるりと手の平を返した。


「お好きなところにハメてください、ルシア様!」


 ソフィアは頬を赤らめて、私をジッと見上げてくる。

 明らかに薬指だけピクピク動いているが、見ないふりをして人差し指に狙いを定める。

 ソフィアは一瞬がっかりしたような顔を見せるが、私がその指に触れるとすぐに嬉しそうに笑顔を浮かべる。


「はい、どうぞ」


 私はそのままスッと指輪を挿し込んだ。

 ソフィアは初めての時にそうしていたように、朝日に指輪をかざす。

 赤い魔石がキラリと光り、ソフィアの全身を守るように不可視の壁を張り巡らせる。

 どうやら、正常に機能しているようだ。


「ありがとうございます、ルシア様! 大切にいたしますね!」


 心の底から嬉しそうなソフィアの表情を見て満足した私は、キッチンから顔を出してこっちを見ていた師匠に「早くご飯!」と照れ隠し半分で声をかけるのだった。




 朝食を終えたら、身支度をして出発準備を整える。

 私は師匠から魔女見習いのローブを借り、ソフィアとお揃いの格好をする。


「お弁当と水筒は入れたでしょ。筆記用具とアクセサリーはこれでよくて……あっ、そうだ書類!」


 自分が試験を受けるわけでもないのにドタバタと走り回っていた師匠が、私たちをリビングに呼び集めてソファに座らせる。


「これが試験関係の書類よ。入り口で渡すのがこっち、試験時に置いておくのがこれ」


 師匠は私とソフィアの前にそれぞれの書類を置いていく。

 そして、最後に胸元から手のひらサイズの二枚のカードを取り出す。


「ソフィアちゃんは、私の遠縁ということで試験を受けてもらうわ」


 師匠がソフィアの前に置いたのは、エルグランド王国の貴族だけが持つ正式な身分証だった。

 プラチナ製のカードには「ソフィア・アバランシス・フォン・ローレンス」とある。


「アバランシス家は、サルビア連合共和国のさらに南にあるエスパス王国の辺境伯家ね。エスパス南部を取りまとめる大貴族なのよ。そこの次女レベッカが、騎士の家として知られるエルグランド王国・ローレンス伯爵家の次男ウィリアムに嫁いでできたのが、アバランシス・フォン・ローレンス家よ。一家はラ・ピュセルに近いドーラック地方に居を構えて、魔獣の討伐などで功績を上げて近年侯爵家として独立したわ。ソフィアちゃんはその家の三女という設定ね。九人いる兄弟姉妹では唯一魔術の才を見出されて、今年待望のリリスを受けるの。これならソフィアちゃんが剣術の心得があることも言い訳が効くわ!」


「……ややこしすぎて意味わかんないよ」


 私が文句をつけると、師匠は「まったく」とため息をつく。


「とにかく、ソフィアちゃんは侯爵家の令嬢ってこと!」


「理解しました。ですが、どうしてシスレー先生は、私が剣も使えるとご存じなのですか?」


 ソフィアはオークに襲われた際に剣を使っていたが、師匠はその現場を見ていなかった。

 私も特にそのことを話した覚えはない。


「昨日実技を見ていた時に何となく分かったわ。だって、身のこなしが完全に剣士のそれだったから」


 さすが、師匠の観察眼はすごい。

 私も相手が強いかどうかくらいは分かるけれど、使う武器までは見抜けない。


「ルシアちゃんのカードはこっち。ラ・ピュセル発行の平民の身分証で、登録名はルシアのみ。これでよかったわよね?」


「ありがとう。さすが、仕事が早いね」


「実はいつかこういう時が来ると思って、ルシアちゃんの身分証はずっと前から作ってあったのよ」


 言われてみれば、一昨日ラ・ピュセルについたばかりの私の身分証をこんなに早く発行できるわけがない。


「あれ、でもソフィアのはなんでこんな爆速だったの?」


「それも、名前のところだけ入れれば使えるようにしてあったの。さすがに貴族の身分証はこれしかストックがないんだけどね」


 師匠の口ぶりから、庶民用の身分証はまだいくつかストックがあるらしい。

 どうしてそんなものを持っているのか、その辺りは聞かないでおく。


「何はともあれ、これで準備万端ね。七賢者の私は、試験日には家から出てはいけないの。だから、ここで帰りを待っているわ。美味しいご飯作っておくからね!」


 師匠がグッと両手を握って"ガッツポーズ"を取る。

 これは伝説の冒険者"剛腕無双"のガッツ・パインロックが素手でドラゴンを討伐した時に取ったと伝わるポーズで、他人を鼓舞したり、勝利を喜ぶ際に冒険者が好んで使うものだ。


「がんばります!」


 ソフィアもガッツポーズを取って気合いを入れる。

 私はそんな子どもっぽくて恥ずかしいポーズは取りたくないので、「肉多めで」とだけ注文してサラリと流した。


「いってらっしゃい~!」


 師匠に見送られて馬車に乗り、私たちは試験へと向かう。


「そう言えば、これからは私も、ソフィアを貴族だと思って接した方がいいのかな?」


 そんなことを尋ねると、ソフィアは首をブンブンと横に振る。


「そんな必要はありません! リリスの中に身分差を持ち込むのは禁止ですし、何よりそんなことされたら私、泣いちゃいます!」


「泣かれるのはさすがに困るね」


 私は肩を竦めつつ、ソフィアならこの先も『侯爵令嬢』としてやっていけそうだと確信する。


 ソフィアは一昨日、外出先で一度も自分や私と師匠の関係性を口にしなかった。

 七賢者である師匠はラ・ピュセル内で大きな力を持っており、その名前を使えば味方も敵も一気に増える。

 迂闊な者なら口を滑らせて師匠との関係性を明かしてしまいそうだが、ソフィアはそんなそぶり微塵も見せなかった。

 つまり、ソフィアは権力との付き合い方が上手く、何かしらの肩書を利用して力を誇示するタイプではないということだ。

 それなら安心して、私もソフィアのそばにいられる。


「ですから、ルシア様はこれまで通り接してくださいね?」


「ソフィアの"様"付けもやめてほしいんだけどな……」


「これは愛の叫びなので無理です!」


 鼻息を荒くするソフィアを見て、私はため息をつくのだった。




 師匠の家を出たところで新しい馬車に乗り換え、学生街を行くこと十分。

 石畳の坂の上に、巨大な赤レンガの城壁に囲まれた、白い教会のような建物が見えてきた。


「あれがリリス魔術女学園……世界最高峰の魔女の聖地……」


 学園前の坂は魔女見習いを乗せた馬車で渋滞していたため、私たちはそこで馬車を降りて徒歩で女学園に向かう。

 坂の左右には二階建ての瀟洒しょうしゃな建物が立ち並び、街路樹として"魔女の木"であるトネリコが一定間隔で植えられている。


「どうやらこの辺は、学生用の雑貨店が多いみたいだね。それに、服屋さんがやたらと目立つ」


「リリスの門前ですからね。女性客が多いということなのでしょう」


 坂を上っていくと、徐々にリリスの全容が見えてきた。

 最初に校舎だと思っていた教会のような建物は、正門を入ってすぐ左手にある受付所だったようだ。

 赤レンガの向こうには銀杏並木の道が続いており、緑のトンネルの先にレンガ造りの巨大な校舎がチラリと見えている。


「三千人って聞いてたけど、そんなにいるようには見えないね」


 坂の頂上付近まで来て、私は後ろを振り返る。

 高級な馬車たちがずらりと並ぶ道路は混雑しているが、私たちのように坂を上ってくる魔女見習いは意外なほどに少ない。


「受験生専用の大型馬車も運行していますから。ここまで馬車で来る人たちは半分は見栄、半分は観光気分だと思いますよ」


「なるほど……」


 正門前は「T」の形になっていて、左右の道は通行止めになっていた。

 正門は鉄格子でできており、頭上には古セストラル語で『百合の蕾はこの地で芽吹く』という言葉がかかげられている。

 私たちは外開きに固定されている正門をくぐり、リリスの敷地に足を踏み入れる。


「ああ、ルシア様。私たち、リリスに立っています……!」


 ソフィアが当たり前のことを感慨深そうに言う。

 元冒険者の私はリリスがどれくらいすごいのかも知らないし、特に憧れもない。

 だけど、周りを見れば他の魔女見習いたちも正門をくぐったところで叫んだり飛び跳ねたりしているから、ソフィアの反応はまだ可愛いものなのだろう。


「受付しちゃおう」


 私はソフィアを置いて、田舎の教会くらいはある巨大な受付所に顔を出す。

 メガネをかけた賢そうな受付嬢に書類を渡し、受験票と校舎案内をもらう。


「置いていかないでください!」


 急いでやって来たソフィアも無事に受付を済ませ、私たちは並木道をゆっくりと歩いていく。


「銀杏に見えますが、これはすべて魔木なんですよ。秋になると、四属性のどれかの色に葉が色づくらしいです」


「へぇ……赤、黄、緑、青だよね。綺麗なんだか、不気味なんだか……」


 魔木とは、普通の木が長年かけて大量の魔力を吸ってできる変異種のことだ。

 魔道具の素材にもってこいだから重宝するが、変わった生態を持っているためものによっては採取するにも命がけとなる。


「きっと綺麗ですよ。その時は一緒にお花見しましょうね!」


「花見なのかな、それ……」


 そんな会話を交わしつつ歩いていくと、途中で多くの魔女見習いが祈りを捧げている像が道の右側に現れた。


「あっ、リリス・ムーン様の彫像です! この学園の創始者で、すべての魔女の守護聖人の!」


 ソフィアは興奮した様子で像の方へ走っていく。


「これが"暦の守り人"様かぁ……」


 そこは鉄柵に囲まれたちょっとしたスペースで、大理石で作られたリリス・ムーン様の等身大の彫刻が飾ってあった。

 彼女は左手に知性の象徴である魔導書を持ち、右手には魔術の象徴である杖を持って、道行く魔女見習いたちを静かな表情で見守っている。

 私はあまりご利益とかは信じないタイプだけれど、その像の厳かな雰囲気には、何となく頭を下げた方が良さそうな気がした。


(面倒な受験がさっさと終わりますように)


 適当に願う私の隣で、ソフィアは真剣な表情で何かしらを願っていた。

 声をかけられる空気でもないので、私はさっさと像の前を離れ、祈りを終えたソフィアと再び歩き出す。

 そして、一分ほどでついに目的地に到着する。


「うわぁ……言われなかったら学校じゃなくて、お城にしか見えないね」


 並木を抜けると一気に視界が開け、赤煉瓦で作られた巨大な校舎が姿を現した。

 その威容は圧倒的で、首を真上に曲げてようやく屋根が見えるほどに大きい。

 正面は「凸」の形をしており、真ん中の尖塔には立派な時計がかかげられている。

 地図によれば、校舎は上から見ると「回」という形をしているらしく、四隅には正面と同じような尖塔が建てられている。

 広大な敷地内には他にも無数の施設があるが、受験生が入れるのは目の前の『紅梅館こうばいかん』だけらしい。


「いよいよですね。ルシア様は何番教室ですか?」


 私たちは三階分くらいある大アーチの入り口に立って受験票を確認する。

 目の前では同じく魔女見習いたちが無数にある廊下や階段の前で案内図とにらめっこしていた。


「三十八番。ソフィアは?」


「私は六十九番です。ご一緒できないのは残念ですね」


「三千人を百個のグループに分けるんだからね。一緒になる方が難しいよ」


「……それもそうですね」


 ソフィアはやっぱりまだ残念そうだったが、こればっかりは仕方ないと思ったのだろう。

 私の手を取って「が、がんばりましょう、ルシア様!」と気合いで上ずったような声を出す。


「うん、がんばってね。試験が終わったら、そこのベンチで落ち合おう」


 私はこくんと頷いて、校舎前のベンチを指さした。

 ソフィアは私の顔とベンチを見比べてから、おそるおそるといった感じで口を開く。


「……あの、つかぬことをお聞きしますが……ルシア様も試験、ちゃんと受けるんですよね?」


「そりゃ受けるよ」


 当たり前でしょって顔で答えると、ソフィアは繋がった手にグッと力を込める。


「先程から、態度がずっと平穏でしたので……緊張しては、いないのですか?」


 その質問で、私はようやくソフィアが緊張しているんだって思い至った。

 私的には絶対受かる試験だから、むしろ面倒って気持ちが大きい。

 でも、普通の受験生的には一世一代の大イベントなんだ。


「……人間がたくさんいるのは、イヤ。それだけ」


 数十人に囲まれて問題を解くって意味では、緊張するかもだけど。

 

「……ルシア様らしいですね」


 私の答えにソフィアはくすっと小さく噴き出した。


「リリスの受験前にそんな他人事みたいなのは、きっと歴史上でもルシア様だけですよ。おかげで私、緊張がいい意味でほぐれた気がします……はっ、まさか私を気遣ってそんな面倒くさそうな態度をっ?」


「そんなわけないでしょ。事実、面倒なだけ」


「ふふっ、ルシア様らしいですね。ますます尊敬します!」


「いや意味不明なんだけど……」


 なんでソフィアからの尊敬度がまた上がったのか、私にとっては今日の試験問題よりずっと難しい。


「それでは、また試験後に!」


 ソフィアは私の手をギュッと握り締めると、自らの教室を探しに校舎の中へ入っていった。


「私も行くか……」


 周囲は魔女見習いたちで騒がしいはずなのに、ソフィアがいなくなったら何だか急に静かになった気がする。

 パーティーで冒険を終えて帰って来て、宿の部屋に入った瞬間に感じる、「私は一人になったんだ」っていうあの状況にとてもよく似ている。


「三十八番教室はどこかな……」


 私は胸に去来した感情をごまかすようにつぶやき、壁際の案内図を見に行くのだった。

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