第32話:試験前日の特訓


 師匠の家のベッドはふかふかで、私はぐっすり眠ることができた。

 目が覚めて個室のカーテンを開けると、気持ちの良い朝日が射し込んでくる。


「はぁ~……」


 私は伸びをすると、顔を洗うために洗面室に向かった。


「おはよう、ルシアちゃん」


 身支度を済ませてリビングに行くと、師匠が朝食を作っているところだった。

 キッチンの方から、焼いたベーコンとトーストの良い匂いが漂ってきている。

 なお、ソフィアはまだ起きてきていないようだ。

 さすがに昨日は疲れただろうから、ゆっくり寝かしといてあげたい。


「はよ」


 私は挨拶を返しつつ、縁側の窓から庭に出る。

 そして、軽く体操をしてから魔力を全身に循環させていく。

 まず満遍なく全身に魔力を漲らせた後、部分的に強くしたり、弱くしたりして、魔力を自在に操る。

 これは魔力制御の基礎訓練で、師匠に初めて教わった日から毎日欠かさず行っていた。


「うんうん、良い感じじゃない、ルシアちゃん!」


 師匠がキッチン小窓から顔を出して頷く。


「料理に集中して」


「弟子の成長を見るのくらい許してよぉ~」


 師匠は唇を尖らせつつ、再び料理に戻っていく。

 その後、十分ほどで朝食ができたので、ソフィアが来る前に私たちだけで済ませることにした。

 トースト、ベーコン、玉ねぎのスープ、サラダ、フルーツという定番メニューだけど、師匠は料理が上手いからどれも美味しかった。


「昔を思い出すわねぇ~」


 師匠は食べている時間よりも、無言で食べ続ける私を見ている時間の方が長かった気がする。


「師匠、なんか三年会わない間に年取ったね」


 食後に砂糖たっぷりのコーヒーを飲みつつそう言うと、師匠はため息をついて頷いた。


「リリスの教授は大変なのよ……自由に遊びにも行けないんだから」


 その言葉にはずっしりとした重みがあった。

 思えば、この人はずっと世界を旅して来た魔女だった。

 一か所にこんなに長く留まっているなんて、初めてのことなのかもしれない。


「辞めちゃえばいいのに」


「それができればいいんだけどね」


 七賢者ともなると、色々なしがらみがあるのだろう。


「……まあ、リリスも悪いことばかりじゃないんだけど。ここなら魔女も多くて、こっちの方も充実するしね」


 師匠は指を卑猥な形にしてニヤリと笑う。


「心配して損したよ」


 朝食を食べ終えてからも、ソフィアは起きてこなかった。

 私はそこから師匠が用意してくれた、去年のリリスの筆記試験を解き始めた。

 制限時間は本番と同じ二時間だったが、一時間で解き終わってしまった。


「じゃあ次は、魔力制御を下手に見せる練習ね~」


 師匠に言われて庭に出てやってみるけれど、これが中々難しい。

 いうなれば、当たり前にできていたことをわざと下手にやるわけだ。

 そのくせ、魔術自体の精度は落とさないようにしなくちゃいけない。

 瞬時にできる「二×三=六」みたいな掛け算を、「二+二+二=六」という風にわざわざ遠回りする感覚。

 身体の中の魔力の流れが不快に淀み、魔術の発動時に一瞬だけどものすごくいやな気分になる。


(これも目立たずリリスに入るため……)


 吐き気にも似た嫌悪感を堪えて、私は適度なバランスを探る。

 そして、大体加減がつかめたところでお昼になった。


「遅くなりまして……」


 ちょうど起きてきたソフィアと、私は並んでソファに座る。

 メニューは師匠の庭で取れた野菜を使った三色パスタ。

 トマト、パプリカ、ほうれん草が見た目に綺麗で、味もニンニクが効いていながらさっぱりとした絶妙なバランスだった。


「ソフィア、指輪を一回返してくれない?」


「えっ……婚約破棄ですかっ?」


 食後、ソフィアにそう提案すると、この世の終わりみたいな顔をされた。


「婚約なんてしてないけど……あのね、指輪の結界を調整しようと思って」


「調整、ですか……昨日はちゃんと働いていましたが」


 ソフィアが思い出しているのは、スリの少女との一件だろう。

 確かにあれだけ見れば、指輪の機能は十分に思える。


「今はソフィアが触れたいと思わない限り、魔術も物理も基本的にぜんぶ弾くようになってるの。だけど、今後は女学園で生活するでしょ。不可抗力で触れちゃったりすることもあると思うんだ。そういう時に結界が発動しないよう、調整をしようと思う」


 昨日、『魔導蛇口ひねるくん』の魔術式を目にして、私の中にいくつかのアイデアが浮かんだ。

 それを上手く応用できれば、悪意ある攻撃だけに反応して、ソフィアに害をなさない接触は弾かない、理想的な結界ができるかもしれない。


「それなら……お願いします」


 ソフィアは名残惜しそうに指輪を外し、私に渡してくれる。


「ありがとう」


「愛ね~」


 師匠が余計なことを言い、ソフィアも「愛なのですかっ?」と興奮気味に身を乗り出すが、決して違う。

 これは魔女としての純粋な興味と挑戦だ。


「夜にはできると思うから」


 二人を無視して、私はさっそくその場で魔術式の調整を開始する。

 ソフィアも食器を片付けて、リリスの去年の筆記試験を受けるべく師匠と一緒に部屋を移る。

 そして、それから約二時間後、二人はまたリビングに戻ってきた。

 魔術式の方はまだできていないけど、師匠に言われて一旦作業を中断する。


「はい、結果よ。ルシアちゃんは満点。ソフィアちゃんも百七十五点。二人が優秀で助かるわ~」


 師匠が答案用紙を私たちに手渡し、嬉しそうに頭を撫でてくる。


「ありがとうございます……でも、まだ少し不安があります」


「うんうん、それは実技練習が終わったら詰めましょう」


(この分なら、ソフィアも大丈夫そうかな……)


 私が満点なのは当然として、ソフィアも筆記は心配なさそうだ。


「じゃあ次は実技、行ってみましょうか! ルシアちゃんも、練習の成果を見せてもらうわよ」


 そうして私たちは、離れの演習場へと移動する。

 そこは縦横五十メルケルの四角い箱のような建物で、天井までは十五メルケルほどの高さがあった。

 地面は固められた土で、壁は魔力を拡散させる性質のロストアーク石でコーティングされている。


「リリスの実技試験は毎年同じって暗黙の了解があるの。的撃ち試験と、ゴーレム試験ね」


 師匠がそう言って用意したのは、三十メルケル先の五つの的である。

 素材は木製で、人の頭と同じくらいの高さに、それぞれ三メルケル間隔を開けて立てられている。


「一回だけ魔術を使って、三十秒以内にすべての的に攻撃を命中させること。これが一つ目の試験よ。まずはルシアちゃん、手本を見せて!」


 師匠に言われて、私は開始線に立って手のひらを的に向ける。

 この試験で評価されるのは、「起動、設定、発動」という魔術の基礎的な項目だろう。

 それなら、詠唱を省略せず丁寧にやった方が点数が高そうだ。


「"吹き荒ぶ風よ、荒れ狂う怒涛となれ、風球連射"」


 魔力を集めるための八文字の定型句=起動、何をどうするかの指向性を付与する命令=設定、集まった魔力を消費して実際に魔術を顕現させる=発動。


 普段は脳内で省略され、"風球連射"だけで発動可能な一連のプロセスを、私はわざと丁寧になぞる。

 もちろん、所々で手を抜くのも忘れない。

 そうしてE級魔術"風球連射"が発動すると、私の掌から握り拳大の風の弾丸が五つ連続して発射された。

 空気を切り裂いて飛んだ不可視の弾は、木の的をすべて的確に砕く。


「お見事です、ルシア様!」


「う~ん、まだちょっと上手すぎるわね。本番ではF級の"風球"を使いなさい」


 ソフィアは褒めてくれるけど、師匠はまだ心配なようだ。


「シスレー先生、"風球"は一発しか発射できないのでは?」


 魔術の発動は一回のみというルールで、弾丸を一つしか発射できないF級魔術"風球"では、五つの的を破壊できないのではないか。

 受験生レベルの"風球"では、木の的を一つ破壊すれば消滅してしまうというのが、一般的な常識だ。

 だからソフィアのそんな疑問はもっともなんだけど、私は師匠の意図を汲み取って「分かった」とだけ頷く。


「次はソフィアちゃん。E級の連射系でやってみましょう」


 師匠に促され、ソフィアは首を傾げつつも開始線に立つ。


「"紅蓮の炎よ、燃え盛る怒涛となれ、火球連射"!」


 淀みない"力ある詞マギカルーン"の詠唱により、E級魔術"火球連射"が発動する。

 ソフィアの掌から打ち出された五つの火球は、過たずそれぞれの的に着弾し、木の板を燃え上がらせる。


「安定しているわねぇ……これなら絶対大丈夫!」


 師匠はホクホク顔で頷く。


「ソフィアは火属性が得意なの?」


 魔女見習いの場合、入学試験では失敗しないように一番得意な属性の魔術を使うのが普通だろうから、気になって尋ねてみる。

 しかし、ソフィアはよく分からないといった表情で振り返った。


「いえ、特には……一応全属性の初級魔術は使えるのですが、得意属性は分からないのです」


 魔術には「火、水、風、土」という四元素と、「光、闇」という二元素がある。

 相関関係は「火→風」「風→土」「土→水」「水→火」で、「火と土」「風と水」は対等だ。

 闇と光は互いに最も効果を発揮し、四元素とは対等となる。


 そして、ほとんどの魔術使いには得意な属性というものが一つか二つ存在する。

 F級の初級魔術は誰でも全属性使えるが、E~Dの中級魔術となると四属性使えればいい方で、C~Bの上級魔術までいくと使いこなせるのはせいぜい得意な一、二属性くらいになってしまう。

 さらにその上のA=特級魔術まで行ってしまうと、そもそも使える者が少ない上、得意属性じゃなくちゃ絶対に無理だ。

 最上級であるS=超級魔術は、一属性使えるだけで色んな分野のトップになれてしまう。


 私は全属性上級魔術までは使いこなせて、得意な風と闇は超級まで使える。

 師匠は土と水の超級が使えたはずだ。


「ふぅん……」


 私は一応納得したフリをするけれど、多分ソフィアの返事には師匠も違和感を覚えているはずだ。

 魔術の属性相性というのはかなり感覚的な部分がある。

 初級魔術は鍛えれば誰でもぜんぶ使えるとはいえ、やっぱり得意な属性というのは最初から何となく分かるものだ。

 私の場合も、師匠に最初に魔術を教わった際、風と闇、とりわけ風属性はしっくりと身に馴染んだ感覚がした。


(もしも得意属性がないなら、どんなに頑張っても中級魔術程度までしか使えないし、魔女としてはまずいよね)


「大丈夫、リリスに入って魔術漬けになれば、得意不得意はそのうち見つかるわよ。それより、次はゴーレムね!」


 今度は的があった位置に、三体の土でできたゴーレムが現れる。

 動きは鈍いが耐久性の高いゴーレムたちは、開始の合図とともに三十メルケルの距離を詰めようとこちらに向かって歩いてくる。

 ゴーレムたちが開始線を超える前に、魔術でその頭部に埋められた核をすべて破壊するのが試験内容だ。

 ちなみに魔術に回数制限はない。


「さあルシアちゃん、やってみて」


 師匠はそう言うけれど、私はもうこれ以上不快な想いはしたくなかった。

 本番でどれくらい下手にやればいいのかは的撃ちで掴めたし、ゴーレム相手は時間の無駄だ。


「師匠、私もう分かったから。指輪作りの続きするね」


「えっ、ちょっとルシアちゃん!」


「"風転"」


 私は師匠の抗議を無視して指を鳴らす。

 すると、三体のゴーレムの足元から突如小規模な竜巻が発生し、二秒でゴーレムはサラサラの砂山になる。


「ふぅ……すっきりした」


 わざと澱ませていた魔力の流れが整ったことで、気分の方もだいぶ良くなる。


「もうっ、自分勝手なんだからぁ!」


 師匠は呆れ顔をしつつも、私が不快な気分になっていることも分かっていたのだろう。

 特に引き留めることはなく、「行っていいわよ」とため息交じりに許可を出す。


「じゃ、がんばってね」


 私はソフィアに軽く手を振り、演習場を後にする。


「は、はい、ルシア様!」


 砂になったゴーレムを見てぽかんとしていたソフィアは、我に返ったように頷いた。


 その日の午後を、私は指輪の調整、ソフィアは実技と筆記の勉強で終えた。

 夕食は師匠が気合いを入れて作ったガーリックライスを詰めたローストチキンで、付け合わせのサラダやフルーツは庭で取れたばかりの新鮮な品だった。

 私たちはノンアルコールのワインで乾杯し、明日に向けて早めにお風呂を済ませてベッドに入ったのだった。

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