第31話:豪華すぎる大浴場と、ソフィアの感謝

 ソフィアと入れ替わりで、私はお風呂場に赴くべく立ち上がる。

 なぜか師匠が私用のパジャマをたくさん用意していて渡そうとしてきたが、自分のがあるので断ってバスタオルだけ借りる。


「ルシアちゃんのいけず~!」


 嘆く師匠を無視して廊下に出ると、聞いていた道順を辿って屋敷の奥へと進む。

 師匠のお屋敷は正面から見えていた本館の奥に二つの離れがあった。

 それぞれの邸宅を繋ぐ渡り廊下は「Y」の字になっており、私は分かれ道の右の方へ進む。

 こちらには小規模の演習場があり、お風呂はそこでのヨゴレを落とすために備え付けられているらしい。

 ちなみに左へ進むと巨大な書庫と、巨大温室を備えた研究棟に行けるようだ。


「あの旅好きの師匠が、こんな家を構えるなんてね」


 広い脱衣所には衣服を入れる棚が二十もある他、五つもの洗面スペース、お手洗い、マッサージ台、あかすり部屋と、一人で使うに明らかにキャパオーバーな設備がひとしきりそろっていた。

 そそくさと裸になって浴場の扉を開けると、そこにもまた開放的な空間が広がっていた。

 壁と床にはざらざらとした感触と高い耐水性が特徴の魔石・ドントルナ石が使われている。

 青みがかった黒色をしたドントルナ石は、魔力の通りがよく手入れがしやすい。

 価格もお手頃なため、見栄えよりも実用性を好む者たちに人気の品だ。

 師匠は一見いかにも見栄え重視派っぽいが、元冒険者ということもあって普段使いを優先し、ドントルナ石を選択したのだろう。


「それにしても大浴場に打たせ湯、炭酸風呂、高温の岩風呂。あっちはサウナと水風呂かな? しかも露天風呂もいくつかあるし……本当にこれ、個人の持ち物なの?」


 浴槽の数もだけれど、そのすべてに湧いたお湯がなみなみと溢れているのがすごすぎる。

 宙に浮かぶラ・ピュセルでは、水資源はかなり貴重なはずだ。

 それを惜しみなく使い、その上ですべてを適温に沸かしている。


「私が来るからって、今夜だけで一体いくら使ったんだ、師匠……」


 下手すればエルグランドの王宮にあるお風呂よりも、ここの設備は豪華かもしれない。

 私はかけ湯をして、洗い場の適当な椅子に腰かける。

 綺麗なガラスの姿見とシャワーの備え付けられた洗い場が、ここには十人分もある。


「これ、もしかして『魔導蛇口・ひねるくん』かな……おおっ! お湯だ!」


 蛇口を捻る際に魔力を注いでみると、案の定ちょうどいい温度のお湯が出てきた。

 商品名はふざけているけれど、『魔導蛇口・ひねるくん』は七賢者の一人"道化骸ピエロスカラ"マルティン・ロビン・フリードマンが去年発表した最新鋭の魔道具だ。

 ひねる際に魔力を注ぐと、内部の術式が温度を自動調整してお湯を出してくれるという優れモノ。

 エルグランドではまだ王族と一部貴族にしか普及していない品だけど、さすがはラ・ピュセル、さすがは師匠、こんなにたくさんあるとはすごい。


「なるほど、こういう仕組みか……」


 お湯を出す蛇口自体は以前からあったけれど、魔導蛇口は出てくるお湯が常に一定の温度というのがすごいのだ。

 付与魔術の使い手としては見逃せない最新の仕掛けを、私はいろんな角度から解析していく。

 戦いばかりに魔術を使ってきた私としては、こういう生活に密着した魔術の在り方は新鮮で、研究しがいのある分野だった。


「リリスに入ったら、こういう研究してもいいかもしれないなぁ……」


 あらかた解析を終えた私は、今後の研究テーマをいくつか検討しながら身体と髪を洗う。

 その後は露天風呂で星空を眺めつつゆっくりと温まり、三十分ほどでお風呂から出た。

 身体を拭いたら、風魔術で髪を乾かし、顔に化粧水を塗り込んでいく。


「……普通はもっと色々手入れするのかな?」


 ふと、洗面台に並べてある無数の小瓶が気になってしまう。

 どれも美容に関するものらしく、用途もそれぞれ違うっぽい。


 私が行っている顔のお手入れは、お風呂上りに化粧水を塗ることだけだ。

 あとは外で焚火を囲んだ夜とかに、寝る前に化粧水を塗ることがあるくらい。

 冒険者的にはそれ以外どうしようもなかったけれど、リリスに入ったら多分もっと何かしなきゃいけない気がする。

 というか、面倒だからって何もしていないと周囲からヤバい目で見られるだろうから、最低限のお手入れは覚えなくちゃまずい。


「だけどこれ、全然分からない……超難解な魔術研究書でも、これよりは理解できるよ」


 試しに小瓶を手に取って説明文を読んでみるけれど、興味がなさすぎて全然頭に入ってこない。


「……まあ、ソフィアが教えてくれるでしょ」


 私は一人で理解することを早々に諦め、ぜんぶソフィアに任せることにした。

 

(私のためにも、ソフィアにはリリスに受かってもらわないと……)


 そうして私は肌の手入れを終え、自前の寝間着に袖を通すのだった。




 ポカポカの身体でリビングに行って、師匠に交代を告げる。


「あんな豪華なお風呂、どうして作ったの?」


 ついでに気になっていたことを尋ねると、師匠は「すごかったでしょ?」と胸を張って答える。


「お風呂が豪華だと女の子が喜ぶのよ。それに、ゼミの合宿で使うこともあるしね。普段はもっと小さいお風呂を使っているわ」


 師匠は「二人が来るから奮発して大きい方を使っちゃったの」とはにかむ。

 女の子云々はともかく、確かにゼミで合宿をするならあのくらいのサイズがあってもいいのかもしれない。

 しかし、毎日あれだけのお湯を使っていたら破産しそうなものだけれど。


「お湯は? 高いでしょ?」


「あー、実はオルレイアの流浪街から輸入してるの。地熱でたくさん温泉が湧いてるのよ、あそこ。だからルシアちゃんの想像よりはずっと安いわ。とはいえ、一日小金貨一枚くらいは使ってるんだけどね」


 小金貨一枚といえば、冒険者時代の私の週給の約半分だ。

 もっと分かりやすく例えると、三日間ここの大浴場を使えば、エルグランドの裕福な庶民一年分の給料とほぼ同額になる。


「……明日からは普通のお風呂でいいからね」


 一日入るだけで自分の三日分の労働と同額。

 そう考えると、さすがに気が引けてしまう。


「え~、リリスに入ったら二人とも寮生活になっちゃうし、それまで奮発しようと思ったのになぁ~」


「しなくていいから」


「あのルシアちゃんが私の懐を気遣ってくれるなんて……感動で気持ちよくなっちゃうわ!」


「うるさい。さっさとお風呂行って」


「照れ屋さんなんだからぁ~」


 師匠はからかうように笑って、廊下へと消えていった。


「歓迎してくださって嬉しいですね」


 師匠と入れ替わるようにして、火照った顔のソフィアが剥いたオレンジを持って来てくれる。

 その目元はとろんとしていて、すでにかなり眠そうだ。


「いいや、あれはあわよくば三人でお風呂に入ろうと思ってたんだよ。まったく、油断も隙もないんだから……」


 私はソファにドカッと腰かけ、銀のフォークでオレンジを食べる。


「私は三人でも構いませんでしたけど」


「私、お風呂は一人派だから」


「それは……残念です」


 ソフィアはしょんぼりと肩を落とす。

 私は「機会があったらね」と一応フォローしつつ、オレンジに戻る。

 ソフィアは「その時はぜひ!」と明るい声で答えつつ、何か言いたげな表情で私を見つめる。


「……なに?」


 その様子に真剣な空気を感じ取った私はオレンジの皿をテーブルに置き、ソファにちゃんと座り直す。

 ソフィアは十秒ほど息を吸っては吐くのを繰り返すと、意を決したように胸元に手を置き、私に向かって頭を下げる。


「私を救ってくださって、ありがとうございます」


 ソフィアはゆっくりと、噛み締めるように言う。


「おかげで私、生まれて初めて、自分の人生というものを生きられそうです」


 そしてソフィアは顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめる。


「私は別に……」


 私は自分勝手な理由でソフィアを助けただけで、その後のことも師匠に任せっきりだった。

 だからお礼を言われる資格なんてないし、ソフィアが恩を感じる必要もない。

 そう伝えようとすると、ソフィアはそっと手の平を私に向けて「分かっています」と首を縦に振る。


「ルシア様にとって、私のこの感謝は不要なものなのでしょう……でも、それでは私の気が済みません。ですから、受け取らなくてもいいので、言わせてください」


 ソフィアはそっと私の手を握る。

 お風呂上がりの体温は温かく、触れる肌はすべすべだ。


「私はルシア様に救われました。あなたがどう思っていようとも、私はルシア様に感謝しています。ルシア様、ありがとうございます」


 ソフィアの言葉に宿る本心の響きが、私の心にずぶりと刺さる。

 これまでの私の人生で、ここまで本気のお礼を言われたことはあっただろうか。

 ここまで本気で、誰かに慕われたことはあっただろうか。


 すべてが未体験すぎて、私にはソフィアの好意がむず痒い。

 どう答えればいいのか分からなくて、この場から逃げ出してしまいたくなる。


 でもその一方で、繋がれた手を解きたくないって思っている私がいる。

 この心地良いぬくもりを、もっと感じていたいと思う私が、この胸の中に確かにいるのだ。


「ルシア様。迷惑かもしれませんが、これからも私が傍にいることを、どうかお許しください」


「……勝手にすれば」


 逃げ出したいけど、離れたくない。

 妥協策として、私はソフィアから視線を逸らしてそっぽを向く。


「はい、そうしますね、ルシア様!」


 ソフィアは繋がったままの手を、キュッと優しく、静かに握った。


 それから私たちは、とりとめもないことを話しながらのんびりフルーツを食べた。

 思えば、ソフィアをオークから救い、入国審査を潜り抜け、変態の師匠と再会し、美しいラ・ピュセルを観光し、美味しい料理に新しい出会いまで、一日で本当に色々なことがあった。


「怒涛の一日だったなぁ……」


 そうひとちる私の隣で、ソフィアはこっくりこっくりと舟を漕いでいる。


「おねむのようね。ルシアちゃんも、そろそろ寝た方がいいんじゃない」


 お風呂から上がってきた師匠が、そう言ってソフィアをそっと抱き上げる。

 指輪の魔術が発動しないのは、私が遠隔で術式をオフにしているからだ。


「そうだね。けっこう疲れたし……ソフィアに変なことしないでね?」


「もうっ、寝室に運ぶだけよ」


 師匠は拗ねたように言って「おやすみなさい、ルシアちゃん」とリビングを出て行った。


「……おやすみ」


 私もまたリビングを後にし、あてがわれた寝室へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る