第27話:スリする理由と二つの失敗(side:アルサ)

「今日はとことんついてないなぁ~」


 魔女見習いのアルサ・リンガーは、ラ・ピュセル大港付近の裏路地を歩きながらひとりごちていた。


「まさかこのあたしが二度も見破られるなんてさ」


 アルサのスリの腕前は超一流である。

 エルグランド王国の勇者パーティーに所属する八歳年上の兄・"速贄"のイザヤにも、スリの腕前に限れば天下一品だと太鼓判を押されている。

 そんなアルサだからこそ、一日に二度、しかも魔女見習い相手にスリを破られたのは大きなショックだった。


「今年の試験は荒れるかもねぇ……」


 アルサがわざわざラ・ピュセルまで来てスリをやっているのには、二つの理由がある。


 一つは単純にお金を稼ぐため。

 アルサの生まれは、エルグランド王国の最北に位置するセント・アグルーという古い港町だ。

 父親は舟を持たない日雇い漁師で、母親は針子という貧民階級の娘として生を受けた。

 一家が生き残るためには子どもたちも稼がねばならず、兄妹は自然とスリの腕前を磨くことになった。


「なんじゃお前、スリのくせに中々の魔力ではないか」


 ある日、スリを働こうと目星をつけた老人が突然振り返り、アルサにそんなことを言った。

 彼は隠居した魔術師で、小間使いを探していたのだった。

 アルサは彼に雇われて身の回りの世話をする代わりに、兄ともども週に一回魔術の教育を受けられることになった。


 そして三年後、彼が亡くなった時には、アルサたちは小等程度の魔術の知識を身に着けていた。


「あたしはもっと魔術を知りたい……でも、高等魔術の教育は魔術女学園でしか受けられないんだよね」


 もちろん、アルサの両親の稼ぎで入れる魔術女学園は世界中のどこにもなかった。


「俺は高等魔術はいいかな。学生ってガラでもないし、出稼ぎするわ」


 妹の夢を聞いたイザヤはそう言って、十五で家を出て冒険者になった。

 まだ七歳のアルサにも、兄は本当は魔術学園に入りたいのに自分のために諦めてくれたのだと分かった。

 その想いに応えるために、アルサは兄の分も勉強してかなりの魔術の知識を身に着けた。

 その際の教材はすべて、隠居した魔術師の遺品を独学した。


「来年、リリスを受けたいんだけど」


 そして十四歳の冬、アルサは両親にそう告げた。


「何もリリスじゃなくたって!」


「近くのバーナーズにも魔術女学園はあるじゃない!」


 両親からしたら、娘が遥か遠くの地にあるリリスを受けるなんてあり得ない選択肢だった。

 けれども、兄のイザヤが手紙で「俺がぜんぶの学費を出すよ。ちょっと前に勇者パーティーに入ったから大丈夫さ。それに、アルサの才能は地方に眠らせるにはもったいないよ」と味方してくれたのだ。

 両親は手紙を読んで渋々頷き、「落ちたらバーナーズを受けること。リリスに受かっても、たまには家に戻ってくること」を条件に受験を許可してくれた。


 なお兄からの手紙には、アルサだけに宛てた文面もあった。


「二人への手紙に書いたこと、あれはおべっかじゃないぜ。お前ならリリスでも余裕で受かるだろ。俺の代わりに情報を仕入れてくれよ。あそこにゃ部外者は入り込めないから、内部情報は高く売れるんだ」


 兄らしい軽い文面に懐かしさを覚えつつ、アルサは絶対に合格してみせると気持ちを新たにしたのである。


 それから約一年後、雪が降る前にセント・アグルーを出発したアルサは、通常一か月の道中を二か月もかけてラ・ピュセルへやって来た。

 できるだけ人の往来が多い道や航路を使い、宿屋も必ず大きな町の高級宿屋に泊まった。

 魔女見習いの一人旅故に、安全と安心を金で買ったのである。


 その結果、ラ・ピュセルに着く頃にはスリで稼いだ手持ちの路銀が底をつき、受験代を抜いたらスリを働かざるを得なかったというわけだ。

 ちなみに足を大きく露出しているのは、故郷では寒すぎてできなかった憧れのファッションだからである。


「まっ、どんなに荒れてもあたしは全力でやるしかないんだけどねぇ……」


 そして、アルサがスリをするもう一つの理由は、受験のライバルたちの力を探るためだった。

 試験の一月前にラ・ピュセルに到着したアルサは、毎日街に出ては魔女見習いを探した。

 リリスを受ける魔女見習いは大抵いい身なりをしているか、ガリ勉のオーラが出ているので見つけやすかった。


 そいつらの懐を探って金貨を巻き上げつつ、余裕があれば受験票や参考書も盗んだ。

 受験票を無くせば再発行の手続きが必要となり、その最中は不安で勉強に身が入らなくなるだろう。


 参考書の方はアルサの勉強の役に立つ。

 当然だが、リリスを受ける魔女見習いたちのほとんどは、しっかりとした教育を受けている。

 彼女たちの参考書には豊富な知識の書き込みがなされており、貧民出身のアルサにとっては最高の教科書だった。


「にしても、明らかに護衛がついてる奴は無理だったけど、魔女見習い一人相手なら百発百中だったんだけどなぁ……」


 アルサはまだ痺れの残る右手をグーパーしながら、今日スリを試みた相手たちを思い浮かべる。

 一人目は、緑がかった長い金髪を両サイドだけ編み込んだ髪型の、いかにもサルビア連合共和国の貴族らしい娘。

 かなりの美人で背も高く、魔女見習いのローブを着ていなかったらリリスの学生にしか見えない子だった。


「これはちょろそう♪」


 貴族はもれなく世間知らずで、魔術に強くてもスリには疎い。

 楽勝という見立てで魔術古書店から出てきたところを狙ったのだが、懐に手を差し入れた瞬間、見事にガシッと掴まれた。


「ラ・ピュセルは治安がいいと聞いていたけれど、いるところにはいるものですのね」


 腕を振り払って逃げ出したかったが、骨が軋むほどの握力で掴まえられており、アルサは身動き一つできなかった。


「その恰好、あなたも魔女見習いかしら……それなら、今回だけは見逃してあげますわ。代わりに、"貸し一つ"よ」


「りょ、了解だよ……」


「素直さは美徳だわ。それでは、ごきげんよう」


 編み込まれていない後頭部の豊かな髪を揺らして、金髪の魔女見習いは去っていった。


「あの反射神経と握力……あれで魔術も使うなら相当だな。今年の首席候補ってとこか」


 アルサはくっきり手形のついた手首をさすりつつつぶやいた。

 この一か月で、リリスを受けそうな魔女見習いはだいたい把握していた。

 中でも成績優秀そうな者には、特にあだ名をつけてリストアップしてあった。


「主席候補の編み込み貴族っと……」


 メモ帳に書きつつ、アルサは再び大港巡りを再開した。

 受験生は慣れるために半年から三か月前にはラ・ピュセル入りするのが普通だ。

 しかし、中にはギリギリにラ・ピュセルに着く魔女見習いもいるかもしれない。


 そして夕方、大市場で立ち止まって辺りを見回している、いかにもお上りさんな二人組を発見したのである。


「楽勝そうだったのに、あれはあれでやばかったなぁ……」


 目に布を巻いた魔女見習いは立ち振る舞いも優雅で貴族らしく、仮面をつけたチビはその使用人に見えた。

 リリスの受験生は箱入り娘の世間知らずが多いから、同い年の使用人と一緒に現地入りしがちだ。

 初めてのラ・ピュセルで浮かれるお嬢様は、アルサ的には格好の獲物だった。


「いってぇっ!」


 しかし、アルサの手が目隠しの少女に触れる直前、不可視の結界が発動したのである。

 アルサは無様に弾かれ、尻もちをついてしまった。

 腕の立つ魔術使いの多くは、不意打ちに備えて対魔術の結界を常時張っている。

 しかし、物理的な接触に対してはせいぜい「ローブに金属繊維を編み込む」程度で、おざなりなのがほとんどだ。


「あれは物理接触をぜんぶを防いでたな……過保護にも程があるっての」


 貴族の娘を庇う姿勢から、仮面の使用人の方が結界を張っているのは明らかだった。

 負け惜しみで「魔女見習いにしか見えない護衛は反則だって」なんて言ってしまうくらい、それは見事な結界だった。


「しかも、二人とも魔女見習いだって言うんだから驚くよね。それに、庶民に"様"付けとか、もう関係性も意味わかんないし……」


 アルサの生まれ育った貧民街では、貴族と庶民はまったく別の存在だった。

 貴族が庶民を面白半分でいたぶるのはよくあることだったし、庶民も仕方ないと諦めていた。

 貴族にとって庶民はしゃべる家畜であり、庶民にとって貴族は意思を持つ天災だった。

 だから、貴族が庶民に"様"を付けて呼んでいるのは、アルサにとって常識外れも常識外れ、天変地異レベルで意味不明な関係性なのだった。


「にしても、あのルシアとかいうチビの目……メッチャ綺麗だったけど、それ以上に冷たさがヤバかったなぁ。あれは何度も修羅場をくぐってる目だよ……ソフィアって貴族の子がいなかったら、絶対あたしを殺してた」


 思い出すだけで、ブルブルッと背筋が震える。

 アルサが今日助かったのは、たまたま相手が寛容だっただけだ。

 アルサの常識では、編み込みやソフィアみたいな貴族相手のスリが発覚すれば、腕を切られるか、運が悪いと殺されてしまう。

 アルサは自身の幸運を噛み締めると共に、さすがに怖気づいてしまった。


「危ない橋はこれくらいにして、試験に集中しますか……っと、あれは?」


 宿に向かうアルサの目に飛び込んできたのは、フラフラと通りを歩く冒険者の男だった。

 胸元に小さな木箱を大事そうに抱え、酒に酔った真っ赤な顔で口笛なんか吹いている。

 どう見ても、何か重要な取引を成功させた帰り道のようだ。


「負けたままはイヤだし、景気づけに拝借しちゃおっかな」


 失敗に懲りたはずだったが、アルサはやっぱり根っからのスリだった。

 それに、男は一人で、かなり酔っているように見える。

 身なりからして、どう考えても上位の冒険者ではない。

 さらに、C級までの防御魔術なら見抜けるアルサ自慢の"鑑識眼"にも男は無防備に映っている。


 スリをするにはこれ以上ない好条件。


 アルサは男が抱えているのと同じサイズの木箱を適当な出店で見繕うと、裏通りを使って先回りをする。

 そして、人ごみにまぎれて男と正面からすれ違う。


(——盗った)


 瞬きほどの時間に、アルサの仕事は完了していた。

 男は木箱がすり替わったことにまったく気づかず、通りを歩いて人ごみに消えた。


「やっぱりあたし、良い腕してるぅ~!」


 男の腕から木箱を抜き取り、代わりの木箱をするりと挿入する。

 言ってしまえばそれだけの行為だが、何の違和感も感じさせずに実行するのには熟練の業がいる。

 さらに、一目見ただけで木箱の重さや質感を予測して、最も近い木箱を選ぶ選別眼も尋常なものではない。

 もちろん、それ以前にスリの対象を選別する眼も一級品だ。


 やはり今日の二人は相手が悪かったのだと、アルサはすっかり自信を取り戻した。


「……で、何だろう、これ?」


 アルサは木箱を開けてみようとするが、高度な魔術防御が施されているようでまったく歯が立たない。


「まあいっか。リリスに入ったら詳しい先生にでも聞いてみよう」


 木箱の中身が何であれ、無価値ということはないだろう。

 高く売れればリリスでの生活費の足しになる。


「終わり良ければすべて良しってねぇ~」


 アルサは木箱を鞄にしまい、上機嫌で宿屋に帰っていった。

 自分が運命の歯車を、大きく狂わせたとも気づかずに。

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