第20話:私はすっかり冒険者になっていた

「改めて、リリス魔術女学園で魔術薬学を担当しているヴァージニア・アグル・シスレーよ。気軽にシスレー先生と呼んでちょうだい」


 師匠は私との茶番じみたやり取りを一旦区切って、ソフィアに握手を求めた。


「は、はい、シスレー先生。私はソフィアと申します」


 まだほんのりと顔の赤いソフィアだが、師匠の握手に応えようと手を伸ばす。

 けれども二人の手が触れ合う寸前、ソフィアの指輪が赤く輝く。


「えっ……これは?」


「あらぁ……ルシアちゃんの仕業ねぇ?」


「気を付けて、ソフィア。その人の肌からは、女性の発情を促すエキスが分泌されてるから」


「されてないわよぉ! もう、過保護なんだからぁ!」


 師匠はぷりぷりと怒りつつ、楽しそうに笑う。

 一方、ソフィアは「私は過保護、嬉しいですよ!」と意味不明なフォローをする。


「それで師匠、ソフィアのこと頼める? ラ・ピュセルでの暮らしとか、貴族関係の処理とか、諸々」


 私が本題を切り出すと、師匠は身体の前で腕を組んで首を傾げる。豊満な胸がむにゅっと押し上げられ、谷間から深紅のペンダントが覗く。


「そりゃ、ルシアちゃんの頼みなら面倒くらいみるけれど……」


「わ、私、何でもします! お願いします!」


 師匠に目を向けられたソフィアは、勢いよく立ち上がって頭を下げる。


「だけど、私に頼む必要もないんじゃない? あなたたち、二人でリリスを受けるんでしょう。そこで寮に入るから……あれ、違ったかしら?」


 師匠の言葉に、私とソフィアは「え?」と顔を見合わせる。


「確かに、私はリリスを受けようかなって思ってるけど……」


 ぶっちゃけ、私はどこの魔術女学園を受けてもいいんだけれど、話をややこしくしないようにリリスを受けるってことにしておく。


「そ、そうです。ルシア様はお受けしますけど、私は……」


 困惑気味の私たちを見て、師匠もまた驚いた表情になる。


「あらやだ、本当にその気なかったの? だって、二人とも十五歳の女の子で魔術も使える。ソフィアちゃんは教養がありそうだし、ルシアちゃんは強いんだもの。てっきり最初からそのつもりだとばかり……」


 師匠は「ソフィアちゃんなら、ルシアちゃんの不作法も注意してくれそうだし」なんて余計なことを言いつつ、背もたれにぎしっと体重をかける。

 私の不作法はともかく、言われてみればソフィアがリリスを受けるのはけっこうありかもしれない。

 リリスに入ればエルグランドの貴族でも下手に手出しできないし、寮があるから家の心配もしなくていい。

 何より、ソフィアがいかがわしいお店で働かなくて済む。 


「あの、シスレー先生。私は、仮に受かっても入学金が支払えません。だって、私の家は……」


 私の思惑とは裏腹に、ソフィアは暗い表情で俯いてしまう。

 家、というのはソフィアの貴族の家系のことだろう。

 目を縫われ、拷問用の手枷をはめられていたくらいだから、家に頼れないのは理解できる。

 ソフィア的には、あの襲撃の場で自分が死んだことになっているくらいの方が都合がいいのかもしれない。


「お金の心配ならどうとでもなるわ。奨学金もあるし、私が援助してもいいもの」


「そんな、ご迷惑を……」


「それよりも、私はソフィアちゃんの気持ちが知りたいわ。リリスを受ける気がないならないで、この先あなたはどうしたいの?」


 なおも遠慮するソフィアを、師匠は鋭い目つきで見つめる。


「私は……私は、ルシア様のおそばにいられれば、それで幸せです。そして、少しずつでも命を救われた恩を返していきたい。それだけが、私の願いです……」


 ソフィアはグッと胸元で手を握り、チラリと私の顔を見る。

 聖布越しだけど目と目が合うのを感じて、私は何となく気恥ずかしくなって目を逸らす。

 あの時ソフィアを助けたのは、罪悪感を覚えたくないという自分勝手な理由からだった。

 それなのに、そばにいると幸せだとか、恩を返したいだとか言われると、けっこう気まずい。


「恩を返す、ね……」


 師匠はそんなソフィアと私の様子を興味深そうな表情で眺めつつ、胸元のペンダントを触る。

 深紅の宝石は一瞬だけ光り輝き、再び落ち着いた紅に戻る。


「ソフィアちゃん、リリスに入らないとしても、これからあなたが取れる道は色々あるわ。ラ・ピュセル内のお店で働きたければ私が紹介できるし、エルグランドに戻るって手もある。別の国でも、教養を生かせば貴族の召使くらいにはなれるでしょう。だけど、どの道を行ったとしても、あなたのその"眼"からは絶対に逃げられない。どこまでもあなたの人生に着いて来て、暗い影を落とすでしょう」


 師匠には、聖布に隠された縫われた目が、恐らく最初から見えていたんだろう。

 こういった封印に関しては、師匠は私よりも断然詳しい。

 もしかしたら、ソフィアの"眼"がどんなものかも、ある程度察しがついているのかもしれない。


「覚悟は、しています……こうなってから、気味悪がられるのには慣れていますから……」


「見た目だけの話じゃないわ。その"眼"はやがて大きな災いを呼ぶ。そうなったら、ルシアちゃんに恩を返すどころか、あなたのせいでルシアちゃんに危険が迫るわ。私はそれを許すことができない」


 師匠の断定的な物言いに、ソフィアがビクッと震えて縮こまる。

 これまでの軽薄な態度とは異なる、七賢者の本気のオーラが師匠の身体から立ち昇ってくる。


「今のあなたじゃ、ルシアちゃんの邪魔になるだけよ。そんな危うい存在をルシアちゃんのそばには置いておけないわ」


 師匠の言葉はきっと正しい。

 ソフィアの"眼"は私が想像している以上にヤバい代物なのだろう。

 だから、私の育ての親である師匠が「ルシアちゃんに危険が迫るのは許せない!」って思うのは、まあ、理解はできる。


 だけど、師匠は私のことを侮っている。


 私にはそれが我慢ならない。


「分かったら素直に——」


「——師匠、私のことを過保護だって言ったけど、それはあなた譲りだよ」


 私は師匠の言葉を遮って立ち上がる。


「ルシアちゃんっ?」


 そんな私の行動がよっぽど意外だったのか、師匠はかなり驚いたっていう表情を見せる。


「ムカつくんだよね、そうやって私のこと舐められると」

 

 私は師匠を威嚇するように、抑えていた魔力を分かりやすく解放する。

 そして、ソフィアを庇うように立って師匠と向かい合う。


「な、舐めてなんかいないわよぉ。私はルシアちゃんのことを思って言ってるんだから!」


 師匠も立ち上がって、魔力を漲らせながら訴えてくる。

 テーブルを挟んで、二人の魔力がせめぎ合う。


「いいや舐めてる。ソフィアが邪魔になるとかって、私だったら問題ないもん!」


「本当に危険なのよ! ルシアちゃんに危ない目にあってほしくないの、分かってよぉ!」


「だからそれが余計なお世話なんだよ! 災い? 危険? だから何だって言うの。私の領域に土足で踏み入るなら、魔王だって殺してあげる」


 師匠の元を離れて三年。

 私はS級冒険者として数々の修羅場をくぐってきた。

 エルグランド王国っていう強国の、最高峰の勇者パーティーで、脳筋三バカと、いけすかないコソ泥と、ワガママ王女っていう曲者たちを、陰ながら魔術で支えてきた。


「私はもう、師匠の知ってる"十二歳のルシアちゃん"じゃない! 私はっ……私は、元S級冒険者"死領域"。心配してくれるのはありがたいけど、自分の身は自分で守れる」


 言いながら思う。

 私にはすっかり「舐められたら終わり」の冒険者根性が染みついてしまったらしい。


「ソフィアは自分のことだけ考えればいいの。私のことなんか気にせず、したいようにすればいい」


 背中から、ハッと息を呑む音が聞こえた。

 私は振り返らず、いつでも領域魔術を展開できるようにしながら、師匠を見つめる。

 師匠は、怒りが爆発する寸前のような、あるいは泣き出す寸前のような、何とも言えない表情で私の視線を受け止める。


「……………………はぁ、頑固なんだからぁ」


 数秒が永遠にも思える鍔迫り合いの後、師匠はため息をついて肩を落とした。

 同時に、放出されていた魔力がスッと引っ込む。


「侮って悪かったわ。でも、心配だったのも分かってよね」


「うん……もちろん」


 私も頷いて、出しっぱなしの魔力を抑える。

 

「ルシアちゃんも、すっかり冒険者っぽくなっちゃったわねぇ」


 師匠はそう言って肩を竦める。


「なにせ師匠の弟子だからね」


 私の答えに、師匠は「そうだったわね」と目を細めて微笑んだ。

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