第16話:ラ・ピュセルの入国審査は厳しいことで有名だけど……

 ラ・ピュセルのすべての港には入国審査官がいる。

 彼ら彼女らは、ラ・ピュセルを実質的に支配している執行機関マギカ・セネイトの出入国管理部から派遣された優秀な魔術使いである。

 ラ・ピュセルへの出入国はこの審査官を通じて、逐一当局に管理されているのだ。

 もちろん審査官たちに賄賂は通じないし、高レベルな魔術使いであるから魔術での偽装も通じない。


(まさに鉄壁の国境……)


 しかし、何事にも例外は存在する。


「あれがここの審査官だね」


 庭園の出口にはいかめしい鉄製のゲートがあり、その周囲には魔術封じの結界が施されている。

 そして、ゲートの真下に作られた受付カウンターの小屋には、出入国審査官の女性がどっしりと腰かけている。

 コルテス・イバネスという名札を下げた彼女は三十代前半くらいで、軍人然とした厳めしい顔付きをしている。

 おまけに肩幅や首の太さが尋常ではなく、胸や腕はムチムチすぎて審査官の制服がパツンパツンになっている。


「ル、ルシア様……っ」


 遠目からでも分かる審査官の只者ではないオーラに気おされたソフィアが、私の腕をギュッと掴んでくる。

 豊満な胸が二の腕あたりに押し付けられ、何やら落ち着かない感触が発生する。


「安心して。ちゃんと女性の方だから……」


「そ、それの何が安心できる要素なのですか! 見てくださいあの二の腕! 私たちなんて軽い張り手で殺せそうですよ?」


「取り乱しすぎ。それに、張り手どころかデコピンでも殺せると思うよ」


「ルシア様!」


 ソフィアがビビり散らかしているのが面白くて、ついからかってしまう。


(冒険者時代を思い出すな……舐められたら終わりの職業だったから、みんな派手な見た目をしていたっけ)


 勇者の称号を持つアイザックほど有名になれば別だけど、冒険者たちは基本的に自分を大きく強く見せる習性があった。

 そうしないと依頼主たちも不安がるし、よその冒険者ギルドの者にも馬鹿にされるからだ。

 そういうことにはあまり興味のない私でさえ、舐められないように最低限「山羊角の道化師の仮面を常に被っているヤバそうな無口の奴」という演出をしていたくらいだ。


「入国審査官は威厳が大事だから。ソフィアくらいの女の子を眼力で泣かせるくらい、朝飯前だよ」


「ルシア様だって私と同い年の女の子じゃないですか! 泣いてください!」


「私は同じ十五歳の中でも強い方だから。まあ、せいぜい失禁するくらいかな」


「泣くよりもひどいじゃないですか!」


 そんなやり取りをしつつ、私たちはゲートの手前に到着する。


「こんにちは、よろしくね」


 最低限の挨拶をして、鉄柵で防護された審査官席のカウンターに書類を置く。

 私が出したのは追放宣言書とエルグランドの国籍証明書で、どっちも名前の欄には"死領域"とだけ記されている。


 ソフィアが出したのは、貴族たちが使っているプラチナ製の身分カード。

 名前の欄が目に入りそうになるが、今後のことを考えて見ないようにする。


「"死領域"さん、仮面を外していただけますか。ソフィアさんはそのままでけっこうです」


 審査官のイバネス氏は一通り書類をチェックすると、野太い声でそう言ってギロリと目を動かした。

 こちらを射すくめる猛牛のような眼光に、ソフィアがガクガクと震える。

 私は特に臆することもなくサラリと仮面を外す。


「これでいい?」


「なっ……なんと、いうっ……っ」


 私の顔面を目にしたイバネス氏は、あんぐりと口を開けて固まってしまった。

 いかめしい顔つきは瞬時に崩壊、白目まで剥いている。

 顔の前で手を振っても反応がないことから、意識までも飛んでしまっているらしい。


「ルシ……"死領域"様っ、一体何がっ……魔術ですかっ!?」


「あ~、大丈夫。私の顔が良すぎて気絶しちゃっただけだから」


 久しぶりの反応に、何だか懐かしい気分になる。

 修業時代に師匠と諸国巡りをしていた時も、よく初対面の相手に気絶されたっけ。

 その度に師匠が、新作の気付け薬を試していた。


「……審査官さん、審査官さん」


 私は鉄柵をカンカンと叩いてイバネス氏に呼びかける。


「あっ……こほんっ、そのまま、いくつか質問を、さ、させていただきます」


 数秒で我に返ったイバネス氏は、わざとらしく咳ばらいをすると定型句の質問を読み上げ始める。


「ね、年齢は?」


「十五歳」


「じゅ、じゅうごっ……ンッ、ンンッ! 入国の目的と滞在期間は?」


「師匠に会いに来た。ソフィアについても同様」


 質問の最中、イバネス氏はチラチラと私の顔を見ては目を逸らすことを繰り返している。

 本来、審査官は入国希望者を睨みつけて脅し、希望者の方が目を逸らすのに、まったくの真逆である。

 私が視線を返すたびに頬を赤らめて目を逸らす様は実にコミカルで、先程までの威圧感はウソのように消え去っている。


「……はい、質問は以上です。問題ないでしょう」


 それからさらに五つほどたわいもない質問に答えて、審査は終了した。


「よかった……」


 ホッとした様子で胸を撫で下ろすソフィア。

 イバネス氏はそんな彼女をチラリと見てから、まずは私の書類に押印する。

 続いて、ソフィアの書類には、机の引き出しから取り出した銀色のハンコで判を押す。

 その瞬間、わずかではあるがガラスが砕けるような音が部屋の中に響く。


「あの……今のは……」


「うん。魔術の無効化」


 ソフィアの身分証にかけられた追跡魔術が砕けたのだ。 


「どうして、審査官さんが……」


「鳥を飛ばしたからね」


「はぁ……?」


 よく分かっていない様子のソフィアをしり目に、私はイバネス氏から書類を受け取る。


「"死領域"さん、よい滞在を」


「どうも」


「ソフィアさんも、よい滞在を」


「ありがとう、ございます」


 ソフィアも書類を受け取って、二人でイバネス氏の横を抜けて入国する。


「……あなた方の庇護者様に、またよろしくとお伝えください」


 去り際、そうつぶやいたイバネス氏の顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。

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