第2章:魔術都市国家ラ・ピュセル
第13話:魔術都市国家ラ・ピュセル
「ルシア様、見えてきました!」
太陽がだいぶ西に傾いてきた頃、ソフィアがそう言って南西の方角を指さした。
私の目にはまだ、深い森林地帯と悠久の山脈、地平線に浮かぶ雲しか見えない。
「ソフィアは目がいいね……」
「いえ、ルシア様にも見えているはずですよ」
じっと目を凝らすこと数秒。
「あっ……もしかして」
「はい、そうです」
そのことに気付いた私に、ソフィアが楽しそうに同意する。
「あれが魔術都市国家ラ・ピュセル……別名"浮遊する叡智"」
夕日に染まる世界の中に、巨大な島が浮いていた。
独立峰か、あるいは雲。
私がずっと景色の一部だと思っていたのは、ラ・ピュセルの輪郭だった。
一度認識すれば確かにそれは島でしかありえないのに、私の中の常識が島が浮かんでいるという現象を認識できていなかった。
それほど、ラ・ピュセルの巨大さと存在感は現実離れしていた。
「すごい光景ですね、ルシア様……」
「うん……ホントに……」
私たちはしばし、荘厳な景色に見とれる。
近づくにつれ、ラ・ピュセルの細かな部分がはっきりと見えてくる。
地上数百メルケルの高さに浮かぶラ・ピュセルは、東から西の辺がおよそ三十キロメルケル、北から南の辺がおよそニ十キロメルケルの円錐形をしている。
島の最外周には真新しい城壁や飛空艇の港、豊かな森林地帯があり、その内側によく整備された新市街地が広がっていた。
いくつもの通りが升目状に走る新市街地の中心には、緩やかに傾斜したとりわけ目立つ大通りがある。
ここを北に向かって真っ直ぐ上っていくと、やがて古い城壁に囲まれた雑多な旧市街地に行き当たる。
旧市街地の通りはどこも曲がりくねっており、建物の隙間に横たわるようにして存在している。
新市街地に比べて緑が多いのも、旧市街地の特徴だ。
そして、そんな旧市街地の中心部には、ラ・ピュセルの誇る魔術使いたちの研究室がひしめく尖塔群『象牙の塔』が聳え、中央に執行機関の庁舎を兼ねた『聖城ダルク』がどっしりと建っていた。
遠くから見ると、緑の髪をはやした巨人の頭部が王冠を被っているように見えることから、新市街地を『巨人の髪』、一段盛り上がった旧市街地を『巨人の頭蓋』、とりわけ高い尖塔群と聖城を『巨人の王冠』などと呼んだりもする。
一方、島の底部からは地上に向かって途轍もなく太い三本の鎖『愚者/賢者/奏者の輪』が垂れ下がっており、時折風に煽られてゴリゴリと野太い金属音を鳴らしている。
この鎖が見えるくらい近づくと、ラ・ピュセルの全景は地上にヒモで繋がれた風船のようにも映る。
「あちこちでカラフルな旗が閃いてるね」
ふと、私は気になったことを口に出す。
「図柄は果実を咥えたカラスや、杖ととんがり帽子……あれは一体……?」
「魔術の象徴・マギカフラッグですね。魔術使いたちが己の派閥や信念を旗にして掲げる習慣があるのです。ちなみに、ラ・ピュセルの旗印は"割れた聖杯"です」
「なるほど。叡智を求める者への警告の図柄か。面白い……」
そういえば、師匠も自分の持ち物に共通の印を刻印していたっけ。
あれは師匠だけの風習なのかと思っていたけれど、本来はラ・ピュセルのものだったんだ。
「ルシア様はラ・ピュセルに来るのは初めてなのですか?」
「うん。書物でざっと読んだ知識だけ……ソフィアは詳しそうだけど?」
「私も実際に足を運ぶのは初めてですよ。ただ、この地のことは紀行文や絵本で何度も読んでいますから、それなりに知識はあります」
そんな会話を交わしながら、私たちは巨大な島とその周辺環境を見つめる。
俗にいう大陸三強。
つまりエルグランド王国とザクセンブルグ帝国、フランツ連合共和国の国土がぶつかり合う不干渉地帯、そこに広がる魔力に溢れたロクサーヌの森。
その上空に、ラ・ピュセルはポツンと浮かんでいる。
その島がいつ、どこから来たのか、なぜここで停滞しているのかは、誰も知らない。
一つだけはっきりしていることは、ラ・ピュセルが浮かんでいるのは、その地盤が飛空石の塊であるということだけだ。
飛空石は魔石の一種で、魔力を含むと重力場を発生させる。
このことをヒントに、著名なラ・ピュセル研究者のマルクス・セリエールは著書『空に浮かぶ島の謎』において、ラ・ピュセルがここに浮かぶ理由をロクサーヌの森の豊富な魔力に引きつけられ「島が自らやって来た」と書いている。
しかし、魔力が豊富な地は他にもあるのに、なぜロクサーヌの森なのか。
そもそも、ここに来る以前はどこにいたのか。
ラ・ピュセルは自律移動が可能なのか……など、疑問は無数に浮かんでくる。
数百年かけて魔術使いたちが心血注いで研究してきたが、ラ・ピュセルの謎は十分の一も解けていないと言われている。
魔術を識るにはラ・ピュセルへ行け。
そう言われるほど、今でもこの島は世界中の魔術使いたちを魅了してやまないのである。
「あの三本の鎖も、二百年ほど前に魔術使いたちがラ・ピュセルに逃げられないよう作ったものらしいですね。先端が三ヶ国それぞれの方向に分かれているのは、ラ・ピュセルがどの領土側にも流れていかないようにしたとか……」
「魔術使いの独占欲ってワケか……気持ちは分かるなぁ……これは一生かけても解き終わらないパズルのようなものなんだろうね……」
私はさっそくこの浮島に魅了されてしまった。
魔術女学園に入学できれば、最低でもここで五年間過ごせる。
それだけで、魔術使いとして胸が高鳴る。
(アン王女に感謝するまであるな、これは……)
ラ・ピュセルにさらに接近するにつれ、ロクサーヌの森の中にポツリポツリと人の住む集落が見つかるようになってきた。
そして、それらを繋ぐ細い道はすべて、ラ・ピュセルの方へと続いている。
その道を辿った先にあるのは、ちょうどラピュセルの落とす影に重なるよう楕円形に森が切り拓かれた広大なエリアだ。
そこには様式も高さも異なる建築物が立ち並び、あちこちから煙の上がる雑多な街が形成されている。
「あそこもラ・ピュセルなの?」
私は地上の街を指さして尋ねる。
「あれは"オルレイアの流浪街"と呼ばれている巨大な街です。ここは三国の不干渉地帯ですから、各国にいられなくなった者が流れ着いて自然と形成されたのだそうです。ラ・ピュセルという巨大な需要が浮かんでいることもあり商売が盛んで、いくつかの非合法組織が街を地域ごとに仕切っているとか……」
「……なんか治安悪そうなところだね」
物騒な地域は慣れっこだけれど、今の私はS級冒険者じゃない。
ヤバそうなところには近づかないに限る。
「ラ・ピュセルの中でも特にやんちゃな学生たちはお忍びで遊びに行ったりしているらしいですが、あまりいいウワサは聞きません。ルシア様も気を付けてくださいね」
ソフィアは私の腰に回した手に少し力を込める。
「うん……まあ、そんなところに行く暇があれば、ラ・ピュセルを探っていると思うけど」
私が読んだラ・ピュセル関連の書物には、オルレイアについては何も書かれていなかった。
(まあ、著者はみんな魔術使いだから足下の街なんてどうでもいいんだろうけど……私だって研究に関係ないことは書かないし……)
旅行記などを読めばオルレイアの流浪街について記載もあるのだろうけれど、興味もないしどうでもいい。
「そうですよね! それに、あのリリスの学生が流浪街に行くなんて考えられませんもの」
ソフィアは私がリリスを受けるものだとすっかり決めつけているようだ。
まあ、否定する意味もないので便乗しておく。
「私はまだ学生じゃないけど、やっぱりそういうものなの?」
「はい、リリス魔術女学園といえばすべての魔女見習いの憧れの学園ですから! 品行方正、優雅で瀟洒なイメージと、雑多な流浪街は結びつきません! もちろん、高貴で美しいルシア様にはリリスがお似合いです!」
「そ、そうかな……」
(もしかしなくても、冒険者出身の私はどっちかと言えば流浪街側の人間なんだけどね……)
いかにリリスの学生がお淑やかであるかを熱っぽく語るソフィアの言葉を聞きながら、そんなことを思ったのだった。
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