第10話:私は天使様なんかじゃなく顔が良いだけの無職なんだけど……

(……絶対やりすぎた)


 冒険者時代の癖で、初対面の少女に見せたらまずいレベルの惨劇を生んでしまった。

 私はセイランから飛び降りると、替えの上着を持って少女に近づいていく。


「あなた様は……一体……」


 下着姿の少女は震える声で言う。

 まあ、派手にやりすぎちゃったから怖がられるのも無理はない。


「旅の冒k……いや、ただの無職」


 誤魔化しつつ、私は少女の前に立つ。

 すらりと伸びた手足、細い腰に豊満な胸、柔らかそうな金髪、透明な肌……修道服の神聖かつ母性的な雰囲気がぴったりな、かなりの美少女だ。

 その顔の、痛々しいある一点を除いては。


(……私にも解けないレベルの魔術封印、か)


 少女の両目は、まぶたを閉じた状態で縫い合わされていた。

 強力な魔術具の黒い糸によって、「×××」とまるでブーツのヒモのように。

 そんな状態でもさっき「見えている」と頷いていたのだから、きっとワケありなのだろう。


(まあ、どんな事情でも私には関係ないんだけど……)


 私も同じくワケありの顔面をしているから分かる。

 こういう一目で理解できてしまう外見の異常には、誰しも触れられたくないものだ。

 初対面であるなら、なおさら触れるべきではない。


「服を着るには、手枷が邪魔か……外してもいい?」


 私は"眼"のことは気にしないふりをして話を続ける。

 同世代の少女との初会話だけど、冒険者らしい話題だから緊張したりはしない。


「は、はい……外せるのなら……」


 少女は立ち上がり、不安げな表情で私に両手を差し出す。

 木製の板を上下から合わせて手首を挟む形の、何の変哲もない手枷。

 しかし、板にはいくつかの魔術式が陣として彫り込まれている。


「破壊耐性、魔術封じ、位置特定、苛む責め苦……ずいぶん、歪んだ趣味の手枷だな……」


 破壊耐性がついている手枷は、特殊なカギがなければ開かない。

 無理をすれば『苛む責め苦』が発動し、少女は手首に無数の針を刺されたような激痛を受けることになってしまう。


 少女の口調からして、馬車に乗っていた者たちもカギを持ってはいなさそうだ。

 普通の魔術使いなら、手詰まりの状況。

 しかし、私は


「……やれそうですか?」


「うん。これなら大丈夫。苛む責め苦も発動させないから、安心して」


「で、では……お願いいたします……ッ」


 少女はゴクリと唾を呑み込み、覚悟を決めた表情で頷いた。

 私は手枷に手を添えると、"力ある詞"の詠唱を開始する。


「"聖なる光よ、善は地に、悪は天に、流るる大河は森羅を育み、深緑の栄えは荒野へと還る、逆理の法を以て解釈せよ、領域反転術・水風"」


「て、手錠が輝いて……あぁ、魔術陣が……っ!」


 私の詠唱によって手枷の魔術陣が青く輝く。

 そして、手枷はバラバラと崩れるようにして、少女の手首から地面へと落ちていった。


「あれだけ複雑な魔術陣が、こんなにあっけなく……」


 少女は信じられないといった様子で手首をさする。


「痛みはない?」


「えっ……あっ、はい……大丈夫、です」


「じゃ、これに着替えて。サイズは少し窮屈かもしれないけれど……」


 私は予備の着替えを渡す。

 少女の背丈は私よりも頭一つ高く、胸部は私の何倍も恵まれている。


「あ、ありがとうございます……天使様!」


 少女はそう言って頭を下げ、着替えを受け取った。


「て、天使様?」


「はい……あなたは私を救ってくださった、グリフォンに乗った天使様ですっ!」


 上着に袖を通した少女は、私の手をぎゅっと握って言う。

 心の底から私のことを天使だと信じ切っているような弾んだ声。

 出会い頭から"天使"だなんて、きっとこの人間離れした良すぎる顔面のせいだろう。


「あの、残念だけど、私は天使なんかじゃなくて……ルシアなの。ただの、ルシア」


 一瞬ためらったけれど、私はルシアという名を口にした。

 その名は、死んだ両親が私に唯一残してくれた大切なものだ。

 師匠以外は知らないのだけれど、"死領域"と名乗れなくなった今は本名を名乗るしかない。


「ルシア様! 分かりました、天使様はルシア様というんですね!」


「全然分かってない……」


「私はソフィア……ええ、ソフィアといいます」


 ソフィアはトゥニカの裾を軽く抓みお辞儀する。

 洗練されたその所作は、明らかに貴族の教育を受けている者の動きだ。

 それなのに家名を名乗らないし、手枷もハメられていた。

 おまけにその目元……ワケありもワケあり、触っちゃいけないレベルのワケありに違いない。


「それじゃあ、ソフィア様。ひとまずここを離れよう。血のニオイを嗅ぎつけて、野犬や魔獣がやってくるから」


「天使様! どうか私のことはソフィアとお呼びください! ただのソフィアと!」


「いや……それは……」


「お願いです……どうか」


 ソフィアは泣きそうになりながら懇願する。

 貴族の娘を呼び捨てするなど、後で何を言われるか分かったもんじゃない。

 けれども、ソフィアはワケありだし、私のことを天使だと思っている。

 正直、天使様なんて呼ばれるのは大仰すぎて恥ずかしい。

 ならここは、痛み分けを選ぶべきだ。


「分かった……じゃあ私のことも、ルシアって、呼んでもらえる……?」


「えっ……天使様を、ですか?」


「私は天使じゃないし、名前で呼び合った方が、色々と都合がいいでしょ?」


 ソフィアはわずかに逡巡し、こくりと頷いた。


「天使様……いえ、ルシア様がそう仰るなら、そのようにいたします」


「"様"もいらないけど……」


「いえ、命の恩人ですから、これだけは!」


「まあ、仕方ないか……」


 私はしぶしぶ承諾して、指笛でセイランを呼ぶ。


「あの、その前に、あの方たちの弔いを……」


 ソフィアは崩壊した馬車の周囲に倒れている死体を指さした。


「いいの? その様子じゃ、虐げられてたんでしょ?」


「複雑ですが……仮にも私を守ろうとして死した者たちです。ならば、野ざらしにしてはおけません」


「難儀だね、創世教の考え方は……」


 創世教とは、エルグランド王国をはじめ各国で最も信者の多い宗教である。

 主に創世神・エルガイアを信仰し、各地に教会を建てて多くの信者を獲得している。

 司教クラスの影響力は貴族以上と言われており、寄進された領地をいくつも経営している世俗司教も多い。

 私は無宗教だけど、創世教は冒険者の中でも一、二位を争う人気宗教だったのを覚えている。


「いえ、私は創世教徒ではありませんし、今後も信じるつもりは毛頭ございません」


 しかし、ソフィアは創世教徒であることをはっきりと否定した。


「えっ、じゃあなんで修道女の服を……?」


「これは着せられていただけです。ただ、彼らが創世教徒だからその方法で送りたいだけで……私が信じるのは天使のルシア様、唯お一人ですから!」


 ソフィアは熱意のこもった声で言う。


(私は天使様じゃないんだけどなぁ……)


「それで、埋葬についてですが……」


「ああ、そうだったね」


「すぐに終わらせますので、どうか祈る時間だけでも頂けないでしょうか?」


 正直、野犬や魔獣と戦うのはめんどくさいし、早くこんな惨劇の場からは移動したい。

 けれど、申し出を断ったところで、ソフィアは一人でも埋葬を行うだろう。

 曲げられない意志のようなものを、言葉の節々から感じる。

 それなら、さっさと終わらせるに限る。


「分かったよ……"母なる大地よ、巨人の手により、自らの墓穴を掘れ、穿孔"、"吹き荒ぶ風よ、天へと昇る足がかりとなれ、風梯"」


 私の詠唱によって、街道沿いの草原の土が宙に浮かび、数人が入る穴が穿たれる。

 同時に、不可視の風が死者たちを持ち上げ、穴の中に運んで静かに横たえる。

 最後に穴に土が覆いかぶさったら、埋葬は終わりだ。


 たった数秒の早業に、ソフィアは呆気にとられた表情をする。


「これでいい?」


「ありがとうございます……ルシア様の魔術の腕は本当にすごいですね」


 ソフィアは頭を下げると、埋葬地に向かって合掌する。


「Ilis est woald es santes……Elis as eis an dantesmo……」


 ソフィアが歌うように唱えるのは、創世教の司祭のみが使う古い祈りの詩。

 その響きは心地良く、風に乗ってどこまでも流れていく鈴の音のようだ。


(こんな詩まで知ってるなんて……この子は一体、何者なんだろう……)


 私は祈るソフィアの横顔を見つめる。

 厄介な届け物の道中で、また厄介を拾ってしまった。


(まっ、ラ・ピュセルで師匠に全部丸投げすればいっか……)

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