第9話:死領域の天使様(side:目隠しの少女)
「グギッ、待デゴラァ!」
「これガら売りモンになるンダガラよぉ! 大人ジグジデろやぁ!」
「グギギッ、ゾの前にオデたちが死ヌほど"使って"ヤるゲドなぁ!」
野卑な言葉を投げつけながら、オークたちが追ってくる。
凌辱と殺戮が大好きな、人食いの魔族たち。
私は全力で逃げるけれど、手枷と疲労のせいで思うように走れない。
「オラァ、止まレェ!」
すぐに一匹に追いつかれ、ウィンプルを髪の毛ごと掴まれてグイっと後ろに引かれる。
「きゃあっ! がっ、かはっ!」
私は後ろ向きに倒れ、背中を強く打ちつける。
「あ、ぁ……ぁ……」
衝撃のあまり呼吸が止まり、身体が動かなくなる。
ウィンプルは破けてしまい、髪留めも壊れ、長い金髪が顔の上や地面に広がる。
「手間ァ、ガゲザぜヤがっデェ! 楽ジまゼてもらうゼェ?」
私に馬乗りになったオークは、トゥニカの胸元を強引に破く。
白い布の下着に包まれた膨らみが白日の下にさらされ、とてつもない嫌悪感が湧き上がる。
「やっ……いやぁ!」
私は必死に息を吸い、オークを押しのけようと力を振り絞る。
「離してっ! いやっ! いやっ!」
「ダまレェ!」
「がはっ!」
オークの分厚い手で、思い切り頬を張り飛ばされる。
その拍子に、目に巻いていた聖布がずるりと剥がれる。
「なっ……なンジャあ、ゴリャぁ!」
オークは私の素顔を見て驚愕の声を上げた。
「グギギッ、ドうジた? ゾんなにデケェ胸なのガァ?」
「オデたちにも見ゼてグれヨォ」
残りのオークたちは何も知らずに近づいてくる。
「ヘンなモン見ゼがっデェ! メヂャグヂャにジてやるゼェ!」
私に乗ったオークは声を荒げて腰を浮かす。
「やっ……いやぁ……誰か……」
歯に当たって頬の内側が切れたのだろう、口の中に血の味が広がっていく。
背中も、腕も、足も痛い。
何より心が、とてつもなく痛い。
「グギッ、助ゲなンテ、来るワケねェダロォ!」
オークを跳ねのける力は私にはない。
手枷のせいで、魔術も使えない。
私に残されているのは、ただ祈ることだけ。
「……あぁ、天使様……どうか、助けて……ッ」
その時、一迅の風が吹いた。
「間に合った……っ!」
空から降って来たその言葉と同時に、私の上に乗っていたオークが吹き飛んだ。
直後、木製の馬車が砕け散る音が響き、野盗たちの悲鳴が上がる。
「えっ……」
何が起こったのか分からない。
私は上体を起こして、オークが直撃して粉々になった馬車の方を見た。
「――天使、様……?」
必死の祈りが、通じたのだろうか。
私とオークたちとの間に、雄々しいグリフォンにまたがった、この世のものとは思えない神々しい顔をした天使様が舞い降りてきた。
風になびく黒髪は極上の絹糸のようにサラサラで、白い肌は新雪よりも滑らかで瑞々しい。
ぱっちりした黒くて深い瞳と、丸みを帯びながらも筋の通った鼻、薄さと豊かさを両立した薄桃色の唇が、完璧なバランスで小さな顔の上に配置されている。
翼こそないものの、その姿は私がずっと信仰してきた天使様に瓜二つ、いや、それ以上に美しかった。
「すぐ終わるから、目つむってて……」
天使様はそう言いながら振り向き、私の顔を見て少しだけ驚いた表情をする。
「……それ、見えてるの?」
その問いかけに、私は首を縦に振る。
「なら、伏せていて。修道女の前で殺しは、さすがに躊躇うから」
天使様はすぐ冷静な表情に戻る。
「わ、私は、修道女では……」
ない、と言う前に、我に返ったらしい野盗たちからの言葉が飛んでくる。
「ナんダァ、てメェ、おラァ!」
「グ、グリフォンに乗っデるガラってェ、チョーシ乗りヤガッデェ!」
「ゴッヂには弓もアるンダゾォ! 構エィ! デェ!」
十数匹のオークたちが弓を構え、天使様に向かって次々と矢を放つ。
「三下以下のセリフだね……"風檻"」
天使様はまったく慌てず、人差し指をクイッと振る。
すると、陣笛のような音と共に巨大な空気のうねりが発生し、すべての矢がたちどころに叩き落とされた。
「……すごい」
詠唱をほぼ省略してこの威力。
私も魔術を使うから分かる。
外見は私と同い年くらいにしか見えない天使様の力は、常人の域をはるかに超えている。
「なっ、なンだゴイヅゥ!」
「いグら射ッてモォ、弾ガれるゾ!」
オークたちは二射、三射と矢を放つが、すべて巨大な風に阻まれて私たちには届かない。
「なにヤッデんだバカドモォ! 矢がダメなら斬り殺せバいいダロォ!」
毛皮を羽織ったリーダーらしき一匹が、青い額に血管を浮き上がらせて叫ぶ。
「ゾ、ゾうダ!! ブッ殺ジてヤル!」
「グジ刺ジにジデやンよォ!」
「デめェらァ、行グゾォー!」
「オオォォォー!」
オークたちは弓を捨て、剣や斧、槍を手に取ると、天使様に向かって真っすぐ突撃を開始した。
「無駄。ここはもう、私の領域」
天使様は涼しい顔でつぶやいて、人差し指をもう一度振る。
「"風葬"」
次の瞬間、猛烈な風が吹き、十数匹いたオークたちは赤い煙となって跡形もなく消え去った。
「……伏せていてと言ったのに」
天使様がグリフォンに乗ったまま振り返る。
直後、ザバァっという音と共にオークだったものが辺りに降り注ぐ。
「ケガはない?」
赤い雨を背に、天使様は私に微笑みかける。
その表情には、この世ならざる美しさと、濃厚な死のニオイが同居していた。
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